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雪桜の華冠  作者: null
一部 六章 雪華は咲く

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雪華は咲く.5

『救い』がないと感じたとき、どう動くかは人それぞれです。


目を背け、逃げ出す者。

努力を投げ出す者。

祈り、委ねる者。

救いを探し、抗う者。


ただ、概ね2種類には分けられます。


戦う者と戰わない者です。

 白騎士に囲まれる中、フルールと謎の女は一騎討ちを始めていた。


 夕焼けが地を、森を、空を蝕む。それと同じように、スノウの心も不安に押し潰されそうになっていた。


 ずっと憧れていたフルール・ヴェルメリオが――優しく、強く、諦めないフルール・ヴェルメリオが、今、激情に駆られて剣を取っている。


 魔術の素養のある自分や、多くの修羅場を潜ってきたルーナには、あの黒衣の女が放つ異様な殺気と魔力が嫌でも肌で感じられていた。だからこそ、フルールの選択が身の程知らずのものであることにも気づいていた。


 長剣を肩に担ぐようにして、フルールが一気に間合いを詰める。それを悠然とした態度で眺めていた女は、彼女が振り下ろした袈裟斬りを半身になってかわすと、振り向きざまの薙ぎ払いも短いステップで容易く回避した。


 「ふん、どこを狙っている」嫌味たっぷりで鼻を鳴らす女を、フルールが鬼気迫る形相で追う。「まだだ!」


 袈裟斬り、逆袈裟斬り、大振りの薙ぎ払いに、遮二無二なった唐竹割り…。


 次第に、フルールの表情から怒りを上回る焦りが見え隠れするようになった。それは、彼女の長剣と踊るような戦闘スタイルから、美しさが欠けていったことにも表れていた。


 自分を庇い、義憤のために敵と戦ったフルールとは何かが大きく違った。あの瞬間のような気高さは影を潜め、今や、何かから逃れるべくして戦っているような気がした。


 「くそ、どうしてっ…!?」大きく空振ったフルールの脇腹に、女の鋭い二段蹴りが叩き込まれる。「うっ…」


 声にならない声を上げて地を転がった彼女は、咳き込みながらも素早く身を起こした。魔法障壁が作動したような形跡もない。痛みだって少なからずあるはずだ。


 「どうした?もう踊れないのか?」

「この野郎っ…!」


 挑発をまともに受けて、再びフルールが突進する。


 重い剣先を引きずり、地面に線を描きながら駆ける姿は、まるで子どものようだった。とても格好の良いものではない。


 「フルール様…」と思わずスノウが漏らすと、さっきより少しはマシな歩き方ができるようになったルーナが近寄ってきて言った。「言わんこっちゃない。あのままじゃ、なぶり殺しだよ」


 まるで他人事みたいに告げたルーナを、スノウはキッと睨みつける。


 「だったら、加勢に入って下さい!」

「どうして?」

「どうして…!?あのままじゃ、フルール様が死ぬんでしょう!?仲間だったら、助けようと思うのが普通なのではないのですか!?」

「それで私も飛び込んで、一緒に死んでくればいいの?」


 とても冷めた目で、ルーナが小首を傾げた。そ情とマッチしない愛らしいその仕草が、とても不気味だった。


 「冗談じゃないよ。そんなことになったら、藍さんから託された任務を果たせなくなる。それだけは、死んでもできない」

「そ、そんな…」

「…スノウが代わりに書状を持って行ってくれるなら、飛び込んできてもいいよ。まぁ、私も万全じゃないし、すぐにどっちも死ぬと思うけど」

「それでは意味がありません…!」


 自らの死すらも、あくまで状況の一部のように語ってしまえるルーナとは、まともに話もできない。


 そう考えたスノウは、何か自分にできることはないかと周囲に目をやった。だが、そんなに都合よく突破口は見つからない。


 「桜倉のことを思うなら、今のうちに私と二人で逃げるのが一番だと思う」


 冷血な提案に、頭が沸騰しそうになりながらもルーナを睨みつける。すると、彼女は意外なまでに平常心そのものの表情で応じた。


 「だって、自分がやられたら、今度は私たちでしょ?桜倉は、雪希の命を最優先にするはずだよ」


 ルーナの言葉を聞いて、スノウは表情を曇らせた。


 確かにそうだ。今はどんな激情に駆られていたとしても、フルールも肝心要の瞬間には、きっと自分のことを思い出す。そうなれば、命と引き換えにしてでもこの命を――弱者を守ろうとするだろう。


 今まで、それができなかった分を取り戻そうとするみたいに。


 隙ができたら逃げるよ、というルーナの言葉に肯定も否定も返さないまま、わずかな時が経った。森を歩いていた時間と比べれば、それはほんの一瞬のものに違いなかったのだが、彼女らの命運を定めるのには十分すぎる時間であった。


 みるみるうちに生傷だらけになっていくフルール。もはや、その勝敗は歴然としている。


 フルール自身それに気づいているのだろうが、パニックになるようなことはなかった。むしろ、その顔つきは冷静さを取り戻しつつある。


 下から放り投げるような軌道で振るった刃を、黒衣の女は短剣の刃先で軽やかに捌く。見事な受け流しだ。武術の心得などないスノウの目では、何が起きたのか分からないほどに。


 生じた隙に女が手をかざせば、刹那、禍々しい色の爆発が起こった。一瞬だけ顔を出した魔力の強大さに、心臓がきゅっと掴まれるみたいに収縮する。そしてそれは、ボロ布みたいに吹き飛ばされたフルールを見て、もっと強くなった。


 「フルール様!」名を呼ばれても、しばらくフルールは横たわったまま動かなかった。


 死んだのかもしれない、といても立ってもいられなくなったスノウが駆け寄りそうになってから、ようやく彼女はよろよろと剣を杖にして体を起こした。


 傷だらけだが、五体満足ではある。どうにか剣を盾にしていたらしい。


 「…ほう、見立て通り魔法や武術の際には恵まれていないが、どうやら、根性だけはあるらしいな。そこは認めてやらないこともない」

「お前に認められたって、爪の先ほども嬉しくないね…」


 息も絶え絶えで皮肉を返したフルールは、ちらりとスノウとルーナの顔を確認すると、深く、何かを考えているふうに俯いた。


 嫌なことを考えている。スノウがそう直感するほど、フルールの表情は暗い決意に満ちていた。


 膝は震えていても、その眼差しは強く、真っ直ぐと伸びている。


 何も言わないで欲しかった。どうせろくでもないことだから。でも、それが叶わないことも分かっていた。


 「ルーナ」ぴょこん、と並び立つルーナの耳が跳ねる。「何?」

「スノウをお願い」


 それは間違いなく、決別の言葉だった。


 その言葉を告げるなら、せめて、自分の顔を見て言ってほしかった。


 「了解!」直後、軽快な返事と共に、ルーナがスノウの手を無理やり掴んで駆け出した。「あ、いやっ!」


 すぐさま抵抗するが、手負いとはいえ獣人の力の前に成す術なく森のほうへと引きずられる。


 遠ざかるフルールの姿と、彼女目掛けて禍々しい魔力を練り上げる、黒衣の女の姿。


 「だめ、フルール様っ!」


 名前を呼ばれたフルールは、ふらふらとした動きでこちらを振り向くと、薄く笑った。


 酷く自嘲的な笑みが、彼女の本当の姿を如実に表したものだと気づく由もないスノウは、落ちていくものを掴もうとするみたいに手を伸ばした。


 迫り来る破壊の力を迎え撃とうと言うのか、フルールは、ゆっくりとした動作で長剣を振りかぶった。


 鮮烈な緋色が、その動作に従って舞う。彼女の命を燃やして生まれたみたいな火の粉は、とても美しかった。


 「離して、離しなさい!ルーナ!」

「あ、名前――」妙なことに気を取られたためか、自分の腕を掴むルーナの力が一瞬だけ緩んだ。その隙に、スノウは拘束から抜け出す。

 「ちょ、スノウ!駄目だってば、無駄死にになるよ!」

「黙って!」


 森を戻り、再び街道に出る。すると、ちょうどフルールの振り下ろした剣撃と黒の魔法が衝突する瞬間だった。


 「きゃっ!」凄まじい風圧と衝撃波に、思わず手を前に出して身を守る。


 砂塵は舞い上がり、草は千切れ、木は折れんばかりに揺らめいている。それだけの衝撃だった。とてもではないが、その中心にいたフルールが無事だとは思えない。


 スノウは不安に押し潰されそうになりながら、砂塵の中に飛び込んだ。


 「どこですか、フルール様!どこにいますか!?」


 何も見えない。だが、当てずっぽうで探し回る。そのうち、足が何かに引っかかって、道に倒れ込んでしまった。


 「う…」と顔を上げたスノウは、ゆっくりと薄らぐ砂煙の膜の中、自分の足元に探し求めていた人物が横たわっているのに気がついた。


 「ふ、フルールさ、ま…」


 まず、衣類の間から花開く赤に視線が奪われた。


 頬や服の上、どこもかしこも黒い塵に塗れていたが、そんなものが気にならなくなるくらい、鮮烈な赤だった。


 ただ、わずかに胸の辺りが上下していた。どうやら、生きてはいるらしい。だが、それだけだ。もはや、フルールの命は風前の灯火だった。


 間違いない。致命傷である。


 「こっちの魔法に合わせたか。しぶとい奴だ…」そう言うと、黒衣の女は背を向けた。


 それが白騎士たちにも驚きだったらしく、彼女は行き先を問われた。


 「アルデンバイン様、どちらに…」

「お前らごときが知ってどうするんだよ」


 アルデンバイン――黒衣の女はそう呼ばれていた。


 「あ、いえ…この後、奴らはどうすれば…」

「好きにしろ。私はお前らミジンコの仕事なんざに興味はない」


 やがて、夕暮れが雨雲を連れてきたのか、しとしとと雨が降り出した。


 とても、冷たい雨だった。


 この雨の冷たさを、スノウは知っていた。


 確か、その名前は孤独だ。そして、無関心という名でも呼ばれる冷たさだ。


 どれくらいの間、致命傷を負ったフルールのそばにいたかは分からない。ただ、気づけば、彼女らは白騎士とヴェルデ兵士に囲まれていた。


 「やれ」と誰かが低い声で言った。そこにはわずかながらの憐憫も込められていたが、スノウの耳には一切届かず、違う世界の出来事でしかなかった。


 ガツン、とスノウの頭を剣が打ち付ける。その拍子に、彼女の体はルールの隣に沈み込んだ。


 刹那、動揺が広がった。異常な魔力量だとか、早く殺さねばならないだとか、口々に兵士は言っていた。


 再び、頭上に切っ先が掲げられる。だが、それがスノウの頭に振り下ろされることはなかった。


 「雪希っ!」


 二刀を閃かせたルーナが、間に割り込んだのだ。


 「あぁ、もう!散れ!離れろ!」ぶん、ぶん、とルーナが大振りで剣を振り回す。彼女らしくない、メリハリのない剣閃だった。「あー!どうして、私、戻ってきちゃったのぉ!?馬鹿だなぁ、もうっ!」


 いくら腕の立つ獣人の剣士とはいえ、多勢に無勢だ。ルーナはすぐにフルールらのそばに抑えつけられた。


 「うぅ…ごめんなさい、藍さん…!私、馬鹿な子です…」


 なるべく人を殺さないようにしていたフルールや、そもそも手を汚していないスノウと違い、ルーナはヴェルデ兵の憎しみを買っていた。乱暴を提案する者もいれば、獣人の娘というだけで高値が付くと言い出す下劣な輩までいた。


 そんな中でも、スノウの心は静まり返っていた。


 彼女は…心の水面に浮かんでは沈む、ただ一つの影を見つめていた。


 (雨が、とても冷たいわ…。まるで、この世界の冷淡さのよう)


 体を打ちつける雨は、しばらくの間、彼女が忘れていた孤独と無関心さを思い出させた。


 閉ざされた扉、自分の声すらも反響しそうな部屋の暗がり、冷えた食事。


 見限った両親、安堵する姉、怯えた目を向ける妹、困惑したようなメイドたち。


 冷たくなって、砕け散った…キャシー…。


 その光景を思い出し、ドクン、ドクン、と心臓が強く打った。


 (世界は、あんなにも無関心だった。それでいいと、私は思った。世界が私を無視するから、私もこんな世界なんて見限ってやろうって…それに…)


 冷たくなっていくフルールの体に、スノウは手を伸ばす。


 (そんな無味無臭の世界でも…貴方が現れてくれた。同じように世界に見限られた貴方が、私の前に現れてくれたわ。二人で一緒に世界を見放して、あの場所で、あの小さな家で生きていこうって、本気で思った。そう思えたのに…)


 私を殺すことを黙認した両親。


 意味の分からない御託で殺しにくる姉。


 逃げ隠れする妹。


 汚いものを見るようなメイドたち。


 全てが…全てが忌々しかった。


 記憶の中の氷の欠片が、刃となってスノウの心に再び深く突き刺さる。


 やがて、刃は心の形を変えた。


 鋭く、冷たく、歪に…。


 「どうして…」


 ぽつり、と呟いたスノウの言葉に、誰もが動きを止めた。


 「どうして…誰も放っておいてくれないの…?」


 緩慢な動作で、スノウが体を起こした。頬に付いた泥も、フルールの血も、その肌の青白さを塗り潰せはしなかった。


 「あんなに無視してたくせに…私が『生き』始めたら、どうしてそれを邪魔しにかかるの…?無関心の反対は、澱みない愛じゃなかったの…?」


 悪いのは、誰?


 魔法が使えなくなった自分?


 簡単に死んだキャシー?


 無関心と敵意にうねる、家族?


 誰が悪い?何を恨む?何を壊せば、何を捨てれば、私の運命は変わる?


 不意に、スノウの頭に天啓が下りた。


 それは、ちらちらと降る一粒の雪の結晶の如く、静かで、普段の彼女なら一瞬で溶けてしまいそうな考えだった。


 ――だが、それは溶けなかった。溶けない氷として、絶対零度の氷華をスノウの心に咲かせた。


 「そっか…分かったわ、ようやく分かったわ、私」


 座り込み、俯いたまま、スノウは続ける。


 「無関心の反対側の世界にあったのは、愛じゃなかったんだわ。そこにあったのは…あまりに執拗な、敵意…」


 スノウが顔を上げた。青白い顔はまさに、魔女か、雪女のようだった。その深海色の瞳は、もはや誰も見ていない。


 「だから…私たちは幸せになれない…」


 世界が、私たちを弾き出した。


 私たちは、多くのものを望んだわけではなかった。四大貴族としての地位も、名誉も捨てた。…もう、十分に私たちは捨ててきたのだ。


 それでも、まだ何かが足りないの?


 「…それでも、私たちが幸せになるために、まだ何かを捨てなければならないとしたら…」


 うわごとは、呪言のような響きをもって人々の間に滑り込んだ。


 「世界(あなた)が捨てられるべきよ…!」


 しんしんと降っていた雨が、止んだ。


 代わりに、天からは白い贈り物――雪が降ってきた。


 誰もが空を仰いだ。こんな時期のヴェルデ領で見られる現象ではなかったからだ。


 やがて地上に降り立った淡雪は、一瞬で氷の花を咲かせた。


 触れたものは、土だろうと、草木だろうと、人だろうと、すべからく凍結した。


 阿鼻叫喚で逃げ惑う兵士たちも、すぐに物言わぬ氷塊と化した。


 時間や空気すらも凍ったような世界で、ぼうっとした様子のスノウと、目を丸くしたルーナと、死人みたいに顔を青くしたフルールだけがただ息をしていた。

では、次回はエピローグとなります。


エピローグの終わりに評価を頂けると、とてもありがたいです!

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