誇りの炎、その種火を.3
フルールたちの旅路は、ここから始まります。
一先ずは三人パーティーですが、当然仲間も増えていくので、楽しみにしていて下さい!
「あ、はいっ!」救いの神だと言わんばかりの勢いで返事をする。扉の向こうからは、難しい顔をした東堂とパルミラが現れた。
勝手に飛び出したことへのお説教だろうか、と苦い顔をしていたフルールを見据えた東堂は、順に、フルール、スノウ、ルーナと視線を動かした。
「君も起きたか」頷くスノウにパルミラが、「無茶なことをして…もう」と怒ったような、安心したような表情で言った。
「どうしたんですか、藍さん?もう移動を始める感じですかね?」
「あぁ、まあな」
「長いことお世話になった拠点でしょうから、離れるのは少し寂しいでしょうね。…でも、今度の拠点では私も色々とお手伝いしますよ!拠点づくりから、戦い、果ては藍さんの全身マッサージまで――」
「いらん」と東堂が冷たく遮る。「そもそも、お前はグラビデ領に帰らなくていいのか?」
「そうですね…、まぁ、剣闘の時期ではないので、しばらくは大丈夫かと。今の私は藍さんの役に立つことが最重要の使命です!」
「そうか、それは好都合だ」
東堂はパルミラとアイコンタクトを取ると、ゆっくり前に出て、初めてフルールと会ったときのように椅子を引き、腰を下ろした。「大事な仕事がある」と呟いた声からは、緊迫した様子が感じられる。
「大事な仕事、ですか?」
「あぁ、そうだ」と彼女はポケットから一枚の書状を取り出した。履いた衣装のスリットから、艶めかしい足が見える。「これを、ヴェルデ領のエルフの里にまで届けてほしい」
「えぇ!?エルフの里にですか?」
ぴんっ、とルーナの尻尾が逆立った。驚くとこうなるのか、とどうでもいいことを考えてしまう。
ヴェルデ領は、グラビデ領から南下した場所に位置している。いくらここが国境沿いにあるとはいえ、かなりの距離を歩くことになりそうだ。東に数日、それから、エルフの里までどれくらい南下することになるのか…。
「これから先、エンバーズに協力してほしいと書き記した大事な書状だ。出来ないか?」
「出来ないってことはないですけど…。えぇ…私、以前あそこにグラビデのみんなで訪れたとき、凄い追い返され方してて、良い思い出ないんですよぉ…。行っても無駄足にならないですかね?」
確かに、エルフは閉鎖的な文化を持った種族のはずだ。よそ者を徹底的に嫌うという噂が事実なら、あながち彼女の言うことも杞憂ではなさそうである。
「それなら心配いらないわ」と言葉を添えたのはパルミラだった。
パルミラは自分の指から美しい翡翠の付いた指輪を抜き取ると、それを持って行くようにルーナに言った。
「それは?」フルールが尋ねる。「うーん…、まぁ、エルフにとっての通行証みたいなものかしら」
フルールが、「そんなものが…」と指輪を見つめる一方で、相変わらず、スノウはこちらを見つめて…睨んでいた。
それからも、ルーナは遠征を渋る様子を見せていたのだが、段々と東堂が苛ついた口調に変化していったことで、肩を竦めて語気を弱めていった。
何だか、言い訳の残弾がなくなってきた子どもみたいである。可愛らしいと言えなくもない。
やがて、ルーナは最後の切り札と言わんばかりに、瞳を潤ませてこう言った。
「あのぉ…それって、私一人で行くんですか?さすがに危険だと思いますしぃ、そのぉ、誰かついて来てくれたりしないです?出来れば、腕利きの剣士が…」
「…いいだろう」その返答に、ルーナの顔がぱあっと明るくなる。「え!本当ですか!?それなら行きます!」
現金すぎるだろう、と呆れた目でルーナを見やる。彼女は他人の目など気にしていない様子だった。
ルーナは本物の犬のように尻尾を振り回し、耳をぺたん、と後ろに倒して狂喜乱舞していた。だが、すぐに東堂が付け足した言葉に硬直することとなる。
「フルール、お前に頼めないか?」不意に名前を呼ばれて、ドクン、と胸が高鳴る。「え、私…?」
「そうだ。正直、私は拠点の移動に備えるためにあまり仲間の元を離れたくない。リアズール爵やら統一国家やらが攻めてきたとき、私抜きでは撤退もままならないだろうからな」
フルールが驚きのあまり返答に窮しているうちに、ルーナが異を唱えた。しかしながら、東堂は彼女の言葉など歯牙にもかけず、ただ、フルール自身の言葉を待つばかりだ。
「どうして、私なの?ヴェルメリオだから?」
「それが全く関係ないと言えば嘘になる。だが少なからず、ルーナの腕についていける剣士はそうそういないのも理由の一つだ。ルーナ一人に重要な仕事を任せるのは不安だが、かといって、戦闘になっても邪魔にならない人材となると、難しい人選になるからな」
「で、でも…」とフルールはスノウのほうを見やった。
剣の腕前を見込まれた、というのは素直に嬉しいことだ。今まで、四大貴族の一人として生きてきたときは、剣術などむしろ軽蔑するべきことだと言わんばかりの扱いを父から受けたため、努力が認められたのは単純に喜ばしい。
ただ、だからといって二つ返事で承諾していい頼みとも思えなかった。これは、ある種の分水嶺だと直感していたからだ。
「それって、エンバーズに参加するってことだよね」
「…そう受け止めてくれて構わない」
エンバーズにとって重要な仕事を担う、というのは、彼らの一員として戦うことを選ぶことにほかならない。そうなれば、いよいよ今までの生活とは縁を切ることになる。
二度と引き返せない深い穴の底に飛び込むのと同じだ。降りてみなければどうなるかは分からないが、決して安楽な道ではないことは想像に難くない。
エンバーズ。祖父、フレア・ヴェルメリオの残り火たち。
生まれで人を傷つけるような、排他的な社会を変えようという、革命の遺児たち。彼らの想いに共鳴するものが自分にあることぐらいは、すでに強く理解していた。
だが…。
視線がぶつかったスノウは、複雑そうな顔でこちらを真っ直ぐ見返した。目を逸らさない様子は、見た目からは想像できない意固地さを象徴するかのようだった。
「もちろん、スノウはこちらできちんと預かる。心配するな、二度とあんな目には遭わせないと誓おう」
「…でも」
こんな目に遭った後のスノウを、茨の道に誘うことは出来ない。彼女を置いていくことなどは、それ以上にありえない話だ。
胸が押しつぶされそうな感覚に苛まれながら、フルールは首を小さく横に振った。
「ごめん、東堂さん。私は、やっぱり――」
みんなには協力出来ない、そう応えようとした刹那、スノウが静かな、だけど、とても厳かでハッキリとした意思を感じさせる口調で言葉を挟んだ。
「フルール様」
名前を呼ばれて、反射的に顔を向ける。
「言ったはずです。貴方は、貴方のしたいことをなさってほしいと。そして、私もどこまでもお供すると。たとえそれが、地の果てでも、地獄の底でも…エルフの里でも。…私は、フルール様が気高い道を選ぶ上での妨げには、死んでもなりたくありません」
「スノウ…」
そうだ。確かにスノウは最初からそう言っていた。共に死ねるなら、それはそれで本望とさえ。
薄々気付いていたことだが、スノウは自分にある種の偶像を見ている。
常に逆境と戦い、不撓不屈の魂で孤軍奮闘してでも前へ前へと進む。
理想を貫く、という理想に基づいた、ヒロイックな偶像を。
このままスノウの期待に応える続けるべきか、それは定かではない。しかし、今確かなのは、彼女を理由にして、自分がこれまで許せなかったものから目を逸してはならないということだ。
スノウが承諾した以上、自分は、自分の意思だけで道を選ばなければならない。
目を閉じ、目蓋の裏の闇に意識を落とす。
そこに浮かんでくるのは、自分やスノウを失敗作のように扱った家族の残像、焼き殺されるホビット、膝を着くドワーフ、火傷や痣だらけの幼い獣人、そして、体を丸めて耐え続けているスノウの姿。
――もう、黙ってはいられない。一人の人間としても、誇り高きヴェルメリオとしても。
私はすでに野に放たれた。しがらみから解放され何でも出来るようになった代わりに、何の保証もなくなってしまった。
どうせ、このままでは沈む船。だったら、心の羅針盤が差す方向へと向かうべきだ。途中で沈んだとしても、せめて、目に映るものは自分の志が望んだ風景に近いほうがいい。
次に目を開けるときには、もう、自分の心は決まっていた。
「大事な人がこれだけ言ってくれてるのに、逃げるのは罪悪だよね、東堂さん」
「ふっ、確かに、そうでなければ女が廃るとは思うな」
東堂の皮肉な笑みを受けたフルールも同じように笑い返してから、スノウのほうに手を伸ばした。スノウも、それに応じるみたいにフルールの手を掴んで頬に寄せた。
「スノウ、私、行くよ。…正直、まだ迷っているけど…迷いながらでも、自分が正しいと思ったことのために行くよ。自分に出来ることがあるかもしれないなら…私、それを選ぶべきだと思うから」
頬に触れた手の甲が、とても冷たく、気持ちよかった。その温度のおかげで、自分が今、かつてないほどに興奮し、昂ぶっているのが分かった。まるで、胸の中に宿る炎が激しく揺らめいているみたいに。
「はい…。私もお供します。フルール様の足跡を、間近で見られる誇りを胸に」
「大げさだって…もぅ」
フルールはくすぐったい気持ちを胸に抱えながら、その気恥ずかしさを誤魔化すために東堂を振り返り、頷いて見せた。
「恩に着るぞ、フルール」
東堂すらも安心した様子を見せる中、たった一人、ルーナだけが、「私は、藍さんと一緒が良かったのにぃ…」と不満そうな声を上げるのだった。
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