誇りの炎、その種火を.2
やや長くなってしまいましたが、お付き合い頂けると幸いです!
こんなにも感情が波打ったのは、生まれて初めてかもしれない。
滾る灼熱の怒りを、剣を握る手に込めながら、フルールはそんなことを頭の片隅で考えていた。
人を許せないと、叩きのめしてやらなければ気が済まないと、そんな暴力的で衝動的な感情が自分の中にあったことに驚きを覚えつつも、この怒りは正しいものだと確信に近いものを抱いていた。
ここで怒れなくて、何が許嫁だ。詭弁すれすれの正義感など今はいらない。
白い鎧を着た騎士が、地に伏した状態から体を震わせながら何とか立ち上がる。
そうでなければならない、とフルールは興奮で震え立つ指先を戒めるように剣の柄を握り込んだ。
「統一国家の騎士様だよね。エリートだって聞いたことあるよ」
下から睨み上げる男の顔を見下ろし、フルールは侮蔑したような、冷ややかな眼差しと口調で続ける。
「魔法もろくに使えない小娘に負けるなんて、プライドが許さないでしょ?かかっておいでよ」
すぐさま挑発に乗った騎士は、立ち上がりざまにフルール目掛けて斬り上げを放った。
フルールは素早く長剣を盾のように構えてそれを防ぐと、後ずさるようにして間合いを作った相手を腕の隙間から睨み据えた。
すでに、あちらこちらでエンバーズと騎士たちの戦いが行われていた。スノウが丸まっているのを見て、迅雷の如く駆け出したフルールが一番槍になった形だ。
東堂の制止を振り切ってしまった形にはなるが、彼女らも結果的には方々で刃を交えている。
数で勝るため、可能な限り二対一の状況を作っている様子だ。卑怯に見えるかもしれないが、武具の質や魔力量で劣るエンバーズはそうしなければ危ういのである。
実際、騎士と一騎討ち状態のフルールの元にも、ルーナが駆け足で近寄って来ていた。
「桜倉!助太刀するよ!」しかし、フルールはそれを躊躇なく拒んだ。「私なら大丈夫。他を手伝ってあげて」
「え、本気?」
ルーナに返事をする間もなく、騎士が間合いを離した。そして、すぐさま手をかざすと、魔力を込めた光の矢を生成し始める。
「桜倉っ!」
「いいから、行って!」剣先が地面に引きずりそうになりながら、間合いを詰める。「コイツは、私が正々堂々と倒す!そうでなくちゃ気が済まない!」
風を追い抜こうとするフルール目掛けて、一射、二射、光の矢が飛来する。ブリザのときほど苛烈ではないが、それでも十分な脅威となり得る攻撃だった。
「もうっ!勝手なことして、後で藍さんに怒られても知らないよ!」そう言って他の援護へと向かうルーナの姿など、フルールの意識の中には微塵も残らなかった。
一射目は、剣を盾にして突貫することで防いだ。だが、二射目は見事に右足をかすめた。
「ぐっ…!」
自分程度の脆弱な魔法障壁など、容易く貫通してしまうということだ。予測はしていたことだが、痛みには慣れない。
しかしながら、加速するために踏み出した足は決して止めない。分泌されるアドレナリンが、怯む心を蹴飛ばした。
「このっ、やろおおっ!」
急接近から、怒涛の勢いで袈裟斬りを放つ。魔法障壁と鎧があるため、渾身の力で振り下ろしたのだが、かざした手から発せられた障壁に阻まれ、まともに刃が通じなかった。
「魔法障壁には、こんな使い方もあるのか…!」
敵の障壁と競り合う中、フルールのこめかみに白刃が迫った。とっさに屈んでかわしてみせる。彼女の朱色の髪がパラパラと数本、地の上に舞った。
「小娘が。油断していなければお前など、相手にならんのだ」
飛び退き、距離を確保する。ちょうどスノウがいる位置まで下がっていたが、彼女はすっかり気を失っている様子だった。
「お前たちのような下劣な生まれの者の魔力では、この鎧と障壁は抜けん。さぁ、観念するのだな」
「下劣な生まれね…お父様が聞いたら目を剥きそうだよ」
確かに、さっきの感触はちょっとやそっとじゃ崩せそうにない感じだった。しかしながら、初めは剣撃が通じたことから考えるに、おそらく、体を覆う魔法障壁を意図して一箇所に集めてみせたのだろう。そうすることで、防御力が飛躍的に向上したのだ。
(ただ…仕組みが分かっても、突破が出来ないんじゃね…)
フェイントを仕掛けて、障壁のない部分を狙うか。いや、自分の大ぶりではその隙は得られないだろう。だったら、一撃に全て賭けるか?…駄目だ、そんな根性論では、この魔力量の差は埋められない。そもそも、自分は魔法すら使えていないのだ。
そこまで考えたところで、ふと、フルールの中にある考えが浮かんだ。
(そうだ、ブリザ様とやったときみたいに、魔力を剣に込めたら…)
自分の力では雀の涙程度かも知れないし、氷に対する炎のように相性が良いわけでもない。
だが、魔力とは、単純に力だ。何もしないよりマシである。
さらに、それを一撃ではなく連撃で叩き込めばどうだ。
やり方はいつも通り。振るのではなく、振られる…やってみる価値はあるだろう。
すっ、と切っ先が向けられる。「投降すれば、きちんと可愛がってやろう」という台詞があまりにも耳障りで、フルールは唾を吐くように言った。
「じっちゃんも言ってたよ。勝負の途中で勝利を確信する奴は、三流だってね」
「まだ、ほざくか!」
「当然でしょ!」何の前触れもなく、フルールは再度駆け出す。
タイミングを合わせて振り下ろされる刃にも臆さず、彼女は深く間合いを詰めると、両腕に力を込めた。
「まだ、終わってないんだからっ!」
下から勢い良く剣を跳ね上げる。剣対剣の衝突なら、明らかにこちらに分があった。
そのまま、斜め下から斬り上げを放つ。予想通り、魔法障壁を盾のように出されて阻まれる。
「何度やっても無駄だ、馬鹿め!」
「はっ、全部が終わって無駄だったら、頷いてあげるよ!」
フルールはそう言うと、右へ、左へと斬り上げを交互に繰り返し叩き込んだ。軸足を地面にめり込ませながら、遮二無二なって体を右に、左にと回転させる。
魔力を込めたつもりでも、上手く練り込めていないのが自分でも分かった。荒い呼吸の中、どうにか少しずつでも魔力を注ぎ込んでいく。
初めは見下すような目をしていた騎士の顔色が、徐々に変わっていく。剣閃が十を越えたあたりから、青い顔になっていた。段々と自分の剣に魔力が込められている証拠だろうか。
相手も懸命に右へ左へと手を動かし、剣撃を防ぐ。そんな中、彼女は懸命にわずかばかりの魔力のコントロールに意識を割いていた。
(集中しろ、指先から注ぎ込むんだ。空気を入れるみたいに、徐々に、ゆっくりと、でも確実に!ヴェルメリオの炎の一欠片でもいいから、まとわせるんだ!)
不意に、障壁とぶつかった刃から火花が散った。
緋色の火花だった。見方によっては、稲妻のようにも見えたかもしれない。
繰り返せば繰り返すほど火花が散る頻度が高くなり、やがてそれは、フルールが手にしていた長剣の刃を赤く染めるほどの熱を生んだ。
「お、おい、やめろ、やめないか!」
制止の声も耳に入らぬまま、フルールは連続で剣撃を浴びせ続ける。そしてとうとう、障壁を発していた騎士の左手が大きく弾かれた。
(――勝機!)
振り続けた剣を大きく頭の上に掲げる。
勢いは殺さぬまま、左肩口に狙いを定める。
よっぽど頑丈で、よっぽど凄い魔力らしいから、遠慮は無用だ。
「これで、どうだぁっ!」
気合のこもった声と共に、渾身の袈裟斬りを叩き込む。
そのまま地を割らんとするような一撃は、魔法障壁と鎧に多少阻まれはしたものの、豪快な破壊音を奏でて男の肩にめり込むと、鎧を粉々に粉砕しつつ、その体を斜め前の地面に叩きつけた。
いくらか、骨の折れるような音と感触はあった。だが、男は未だに激しく咳き込んでいるし、痛々しいうめき声を絶え間なく発しているので、死んではいないようだ。
「はぁ、はぁ…どうやら、無駄じゃなかったみたいだね」肩で息をしながら、フルールは周囲を窺う。
すでに多くの騎士たちが倒れていた。死んでいる者もいるのだろう。赤い血が辺り一面を染めているような一角もある。だがそれは、こちらだって同じだ。見知った連中が体から血を流して治療を受けているのが見える。
じろり、と物言いたげな視線を送る東堂と目が合った。言わんこっちゃない、とでも言いたそうなルーナも、息を荒げたまま近くでにやけ面をさらしている。
「…はぁ、お説教は後でいいよ」
ぶんっ、と血振るいでもするみたいに長剣を振るう。すると、眩い緋色の火の粉が剣から舞った。
いくら摩擦熱か何かとはいえ、自分の魔法で火が出たのは初めてのことだった。いや、正確には火が出たわけではないのだろうが…。
ちっぽけな魔力もこういう使い方もあると考えれば、悪いものではない。
まあ、今はそんなことどうでもいい。もっと大事なことがある。
フルールは剣を背中の鞘に納めると、未だに気を失ったままのスノウの元へ、血相を変えて駆け寄るのだった。
襲撃後、エンバーズは大慌てで拠点を移す準備を始めた。
統一国家の騎士たちはひとりとして逃さず捕縛、あるいは倒してしまったわけだが、彼らが戻って来ないとなれば、必ず捜索に他の部隊がやって来る。そして、余程の馬鹿ではない限り、何かあったと踏んで今度はさらに大勢で来るだろう。そうなれば、彼らに比べれば装備も魔力も劣っているエンバーズは為す術がない。
もちろん、東堂は別だ。聞いた話によれば、彼女は単独で騎士を数人倒してしまったらしい。東堂の細い剣と腕で、どうあの障壁と鎧を破るのか、見てみたかった気はする。
とにかく、もうここにはいられない。
(私も…腹をくくる必要があるのかもね)
ベッドで横たわり、安息の時を過ごしているスノウに視線を落とし、フルールはそう考えた。出来ることなら、このままゆっくり眠らせてあげたいのだが…。
フルールがため息を吐くと同時に、扉がノックされた。返事をするのも億劫だったが、そもそも相手は返事など待たずに扉を開けた。
「あらら、眠り姫はまだ起きない?」呑気な顔をして現れたのは、ルーナだった。ぴょこ、と耳が跳ねるのが妙に愛らしい。「お寝坊さんだね、桜倉の許嫁は」
「しょうがないの。ブリザ様の一件以来、スノウにはずっと無理をさせてたんだから…」
しかも、あんな目に遭って…、と改めて歯軋りするフルールの落ち込みなど意にも介さず、あぁ、とルーナは人差し指を立てた。
「聞いたよ。その子、統一国家の騎士に何回も背中を斬られてるのに、全くの無傷だったんでしょ?どんな量の魔力を持ってたらそんなことが可能なのかな」
「さあね、私も知りたい」と肩を竦めるフルールに対し、「あ、そっか。桜倉も魔法がたいして使えないんだったね。同じ四大なのに」
「それはそうだけど…何、嫌味?」
「ん?あー…違うよ、ごめん、ごめん。私も魔法なんて全く使えないから、何も気にせず言っちゃった。ごめんね」
「…いや、こっちこそごめん。過敏に反応しすぎた」
「でも、まぁ…」
ぴょこ、と耳を動かしながら、ルーナがフルールの隣に寄った。必然的にスノウを覗き込む角度となる。
「――魔力があっても、こうして懐に入ってしまえば関係ないもんね」発言は物騒だったが、口調はぞっとするくらい、いつも通りだった。「私たち、剣士は」
顔を上げてルーナを見やれば、どこか満足そうな瞳と目が合った。
「ちょっと、私の許嫁で変な例えしないで」
「あれ、怒った?」と目を丸くするルーナ。「怒るでしょ、そりゃ。言っとくけど、リアズール家っていう理由だけでスノウに何かしたら、許さないから」
「もう、ごめんって!悪い意味で言ったんじゃないんだよぉ。私、空気読めない奴ってよく言われちゃうからさ、勘弁してね」
「それならいいけどさ」
それにしても、空気が読めないにも程があるだろう。許嫁が一方的な暴力を浴びせられ、こうやって寝込んでいるにも関わらず、その当人の隣で不謹慎な例えをするなどと…。
ルーナには、どうやらこういう傾向があるようだった。
基本的には明朗快活で人好きするタイプなのだが、不意に、こういう相手からどう思われるか理解していないような発言をする。
おそらくは衝動的に思ったことを口にしているだけなのだろうが、その内容が彼女の普段の明るさとは真逆のものであったりするので、時々、彼女のことがよく分からなくなる。
「あぁ、でも…」顎に指を当て、何かを考え込む素振りを見せるルーナ。ぴくぴくっと耳が二、三、揺れた。「…フルール・ヴェルメリオと戦えるのも面白いかも」
ゆらゆら、と尻尾が左右に動き始める。
何となくだが、ルーナが頭の中で楽しい想像をして(彼女にとってはだが)、抑えきれなくて体が勝手に動いているような気がした。
「興味あるなぁ、君の戦い方」ぐっ、と目を輝かせて、ルーナが上体をこちらに曲げる。
好奇心の中に、確かな興奮が見える。その様子に、東堂が彼女ら獣人のことを『陽気で活動的と言えば聞こえはいいが、騒々しくて戦いが好きというのが本質だと私は考えている』と評したことを思い出す。
「ちょ、ちょっと、近いって…!」
やんわり押し返そうとすると、あっという間にその手を掴まれた。凄まじい瞬発力だと、妙に感心する。
「この手であの大きな剣を振り回すのも中々のものだけど…、ねぇ、あれ何?刃から火が出てたよね?魔法、使えないんじゃなかったの?」
「よく誤解されるけど、全然使えないんじゃないんの!いいから、離して」
「でも、あんなの見たことない。剣を熱したの?物体に魔力を流し込むことって、可能なの?」
「私が出来るんだから、誰だって出来るでしょ。虚しくなるから言わせないで」
「ねぇ、じゃあ私に流し込むことも出来る?」
「え…?やったことないけど…」
「じゃ、試しにやってみて。ほら」
「えぇ…嫌だよ。何かあったらどうするの」
そもそも、いつまで手を握っているつもりなのだろうか。
それから、何度か同じ問答を繰り返したのだが、段々と相手の熱量に圧され始めたフルールは、しょうがなく相手のお願いを受け入れることになってしまった。
「…じゃあ、いくよ?何かあっても後から文句言わないでね」
「はいはーい!」
掌に意識を集中させ、ゆっくりと息を吐くように魔力を注ぐ。
「わぁ、あったかい…」
ありったけの魔力を集めたつもりなのに『あったかい』とは…、と複雑な思いを抱えながら、そのままルーナの柔らかい指先に魔力を注ぎ込む。
「ん…!」
「え、あ、何?痛かった?」
「何か、自分じゃない何かが入って来る感じ…。気持ち良いような、気持ち悪いような…」
気持ち悪いだとこの野郎…とフルールが眉間に皺を寄せたとき、おもむろに、今まで横たわっていたスノウが身を起こした。
「スノウ!良かった、やっと起きた!」きゅっと握った手に力が入る。その際に、またルーナが声にならない声を上げた。
「体は大丈夫?痛くない?」
「あ…はい…」
「良かったぁ」
フルールはほっとして安堵のため息を吐いていたのだが、一方でスノウは、ぼんやりとした目つきで二人のほうを見つめてから、段々と険しい顔つきになった。
「え、どうしたの?スノウ。どこか痛い?」今までにないくらい曇った表情になったスノウに不安が募る。「もしかして、背中が痛むとか…!」
「――どうしたの、ですって?」
冷ややかな声音に、一瞬、誰が声を発したのかが分からなかった。ありえないことだが、ブリザがそばにいるのかと思った。
「それはこちらの台詞です、フルール様。誰ですか、その女」
その女、と呼ばれたルーナもぴんっ、と耳を真っすぐ屹立させて、「フルール様…」と呟いた。
「あ、ごめん、スノウに紹介してなかったね。彼女は獣人族のルーナ。グラビデ領のエンバーズだよ」
紹介を受けたルーナが、空いた手を高く上げて応じた。
「ルーナです、よろし――」
「貴方の名前など、どうでもいいです」
ルーナの言葉を遮って、未だにフルールを睨みつけたスノウが言葉を発する。
「フルール様、私の尋ね方が悪かったでしょうか?その誰とも知らない女は、貴方の何でしょうか、と聞けばよろしかったですか?」
「ど、同僚ですが…」あまりの気迫に、無意識に丁寧語が出てしまう。
「へぇ、同僚ですか。では、フルール様はその同僚とやらと手を繋ぐ必要がおありなのですか?」
「あ…」とようやくそこでフルールは、相手が何で怒っているのか気が付いた。
急いで手を離し、「ご、誤解だよ」と慌てて手を眼前で左右に振って否定するも、何故だか楽しそうに尻尾を振ったルーナが、「おぉ、分かりやすい嫉妬だね」と余計な口を挟んだせいで、スノウの様子がますます恐ろしくなった。
「人の許嫁に手を出しておいて…!」
「あれぇ…?ねぇ、桜倉、私また不味いこと言っちゃった?」
「桜倉…?」
眉を曲げて訝しがるスノウに、フルールは偽名を使うことになったと説明する。
「…そうですか。ですが、そう馴れ馴れしくする必要はありませんよね?」
「うわぁ、典型的な束縛気質だなぁ、桜倉のお姫様は。愛が重そう」
「…余計なお世話です。何なのですか、貴方は」
火に油を注ぐ物言いを続けるルーナを止められずにいたフルールは、二人の間をあたふたとしながら動き回っていたのだが、ルーナを庇う度に激昂しかけるスノウに身をしゅんと縮めることとなった。
やがて、今にもスノウがルーナに平手の一つでも食らわせるのでは、という状態にまでヒートアップしたところで、ちょうどよく扉がノックされた。




