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雪桜の華冠  作者: null
一部 一章 許嫁
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許嫁.1

今回の主人公の戦闘スタイルは、長剣ぶんぶん型です。


重い長剣を重心の傾き、遠心力などを利用して振り回す女性が嫌いな方、申し訳ありません…。

今回の主人公はそういう感じです。主人公は、ですね。

 ぶん、と低く屈めた頭の上を、風切り音と共に木刀が通り過ぎていく。本能的にぞくっとする感覚にきゅっと唇を引き締める。


 上体を起こしつつ、両腕に力を込める。特別製の幅広で重厚な木刀が、目の前の初老の男性のこめかみ目掛けて下から振り抜かれる。


 「甘いぞ!」


 叱責にも似た言葉と共に、渾身の力で放った右切り上げが木刀の面で受け流されるも、決して焦らず、むしろ、空を切る勢いそのままでぐるん、と後ろ回りに体をひねり、速やかに間合いを開く。


 そして、そのまま飛び込み、相手の間合いよりも少し離れた位置から袈裟斬りを放つと、それを受け止めた相手の木刀が悲鳴を上げて軋んだ。


 「むっ…!」男性が、驚きと共に苦悶の表情を浮かべる。


(…やれる!)


 初めて目の前にチラついた、勝利の予感。それを今すぐにでも我がものにせんとしかけて、駄目だ、と自分を戒める。


 (焦っちゃ駄目だ。いつも焦りが私を敗北へと導いたんだ。冷静さを失えば、その隙を必ず突いてくる。じっちゃんはそういう人間だろ…!)


 幅広な刀身の腹を、相手の防御の上に重ねるように叩き込む。確かな手応えと共に、相手の構えが崩れた。


 「――ここだっ!」


 両手で担ぐようにして木刀を構え、大ぶりの袈裟斬りを繰り出す。空気を切る派手な音が、静謐に満ちた空間を破る。


 素早く受け流されるも、それは予測の範囲内。袈裟斬りの勢いのまま遠心力を利用して、斜め前に体をひねる。そして、さらに勢いのある袈裟斬りを振り下ろした。


 半分、重い木刀に振り回されているような剣術だった。だが、それはほとんど計算の内。我武者羅な日々の果てに身に着けた、力のない自分なりのやり方だった。


 しかし…。


 カンッ、と木と木がぶつかる高い音がしたかと思うと、振り下ろした刃は破片を飛び散らせながら木製の床に衝突した。


 「ぐっ」両手に響き渡る、痺れるような感覚。勢いを利用することも出来ない、酷い空振りだった。


 すぐに、試合終了を知らせる切っ先が、喉元に添えられる。


 また負けた、と肩を落とす暇もなく、初老の男性がゴツン、と存外手加減のない様子でこちらの頭に拳骨を振り下ろした。


 「この馬鹿たれ、道場の床に穴でも空けるつもりか、フルール」


 鈍い痛みに頭を抱えて蹲る。ゴトン、と音を立てた木刀が床に落ちた。


 「ぐ…い、痛いなぁ…もう!」フルールは、座り込んだままで恨みがましそうに相手を見上げた。「じっちゃんこそ、私の脳天に穴でも空けるつもりなの!?」

「お主の石頭にこの程度で穴が空くか、たわけ」

「ちぇっ、石頭で悪かったね」


 唇を尖らせて立ち上がって見せる。手加減したとは思えない拳骨だったが…と相手を睨みつける。


 初老の男性は一つ小さなため息を吐くと、木刀を壁に掛け戻し、奇妙な唸り声を上げてからフルールのほうを振り向いた。


 「うむ、まぁ、今のはひやっとしたぞ」

「え、本当!?」目を輝かせて歩み寄ったフルールのあどけなさに、男性は苦い顔をして頷いた。「むぅ…腕を上げたな。もうこの道場に、お主を凌ぐ者はワシしかおるまい」

「あはは、何を言ってんのじっちゃん。ここ、門下生なんて女や子どもしかいないんだから、とっくの昔に私が一番手だよ」


 じろり、とフルールがじっちゃん呼ばわりした男性――信兵衛に睨みつけられる。このご時世に道場なんてものをやっているくせに、それなりのプライドはあるらしかった。


 そうだ。このご時世に剣術道場なんて飯の種にもならないのだ。


 昔は生活の助けや、占いなどの儀礼的なものとしてしか使われていなかった『魔法』だったが、研究が進み、一度近接武器などより殺傷力があると知られると、人はかつてのありがたみや神聖意識など忘れて戦争の道具にしてしまった…と古い教科書に書いてあるのを読んだことがある。


 簡単に言うと、接近戦でチマチマ時間をかけるよりか、大魔法でささっと消し飛ばしたほうが効率的だと、戦いが好きな人間たちが気付いてしまったというわけだ。


 実際、そうして魔法を磨き続けた『人間』という種が、この多種族の住まう大陸を支配している。その中でも、四つの一族が、今の国家――統一国家エレメントを統治した。


 火の魔法に優れた、『火焔のヴェルメリオ』。

水と氷の魔法に優れた、『氷水のリアズール』。

風の魔法に優れた、『風刃のヴェルデ』。

大地の魔法に優れた、『地裂のグラビデ』。


 今や剣も矢も、昔のように大きな役割を果たすことなどなくなった。依然として、身分のない歩兵たちにはそれらが支給され、前線に送り出されてはいるものの、たいして意味を持たなかった。少なくとも、戦争という大きな枠組みの中では。


 「…とにかく、よく精進した。褒めてやろう」

「へへ、ありがとう」称賛の言葉など珍しかったため、フルールは素直に浅黒い顔に気難しさを滲ませた信兵衛へとお礼を述べた。「うむ。そのまま精進するがいい」

「もちろん!――ねぇねぇ、少しはお祖父様に近づけたと思う?」


 星も眩むような明るい笑顔で祖父の話題を出した途端、信兵衛は鬼のような形相になってフルールを睨みつけた。


 「馬鹿者!フレア様と比べるなど、指の先ほどだとしても百年早いわっ」


 ぴしゃりと言い放たれ、身を竦める。そんなに怒らなくても、と顔を上げたが、信兵衛の顔があまりにも真剣さにみなぎっていたため、頭をかきながら謝罪する。


 「そもそも、フレア様はお主のようにヨタヨタとした剣術は使っておらん。常に凛として長剣と火焔を振るい、戦では毎回一番槍を務められ、その度に一番の戦功を立てるほどの猛将であられた。それでいて、毅然とした立ち居振る舞いを心がけておられた。たとえ、ドワーフだろうがホビットだろうが、あの忌々しいエルフだろうが、誰に対しても分け隔てなく接し――」


 迂闊だった、自分から祖父の話題を挙げるなんて、とフルールは静かにため息を吐いた。


 祖父、フレア・ヴェルメリオの話は、かつてフレアの部下であった信兵衛の前で気軽にしていい話題ではない。祖父を盲信していたらしい信兵衛は、世間的には迂闊に出来ない彼の話を、その孫であるフルールに何かと言えばしてみせた。


 初めは興味津々だったフルールも、こう何度も同じ話をされるとさすがに飽きが来るというものだ。まぁ、彼のおかげで剣術に出会えたことは僥倖なのだが…。


 さて、いつまで続くのだろう、と辟易としていたフルールだったが、唐突に道場の戸が開け放たれたことで話は中断された。


 「信兵衛さん!」現れたのは、若い町娘だった。二、三人ほど彼女の後ろに同じような服装の女が続いている。「おぉ、みなさんお揃いで。何事ですかな?」


 信兵衛の優しく穏やかな声音に、フルールはぎょっとする。自分には一切向けられたことのないものだったからだ。こんな声が信兵衛の口から出るとは知らなかった。


 「誰?」と小さな声で耳打ちする。すると信兵衛は、「飯やら何やらでよく世話になっとる家の子たちだ。おかげで頭が上がらん」と表情を変えずに説明する。


「あぁそう…」一応、自分にとって師匠とも言える男の虚しい懐事情が想像出来てしまい、苦笑が漏れる。「重い物を運んだり、留守を頼まれたりするくらいならマシだが、酷いときは蜘蛛やゴキブリが出たと言ってワシを呼びおる」


「はは…それはご愁傷さま」


 彼が半生をかけて磨いてきた剣術が虫取りの技術くらいに思われているとしたら、さすがに同情したくなる。


 若々しく、活発そうな娘は、フルールのほうを訝しがるように見やると、少しばかり逡巡した様子で口をつぐんでいたが、やがて決心したように信兵衛のほうを向いて話を始める。


 「あの、以前お話していた男がつきまとって来てて…今も、そこに――」

「おい、そこにいるんだろ!出て来い!」


 野太く荒々しい男の声が外から聞こえてくる。怯えた様子の女たちの声にならない声も、確かに道場の中まで聞こえてきていた。


 「随分と怒り心頭な様子であるな」などと信兵衛が呑気に言うものだから、町娘はじろり、と涙ぐんだままの瞳で彼を睨みつけた。


 咳払いして失言を誤魔化した信兵衛に続いて、フルールも早足で外へと出向く。じっとこちらを観察する女性の眼差しから逃れたかった。


 道場の外では、彼女らと同じ歳ぐらいの男性が口汚く女性陣を罵っていた。かなり興奮気味で、まともに人と話が出来る状態とは思えない。


 男の言い分としては、とにもかくにも女性が一方的に別れを告げてきた、納得出来ない、というありきたりなものであった。彼の中では大問題なのだろうが、だからといって人の家に入り込み、周囲を怯えさせていいものではない。


 一歩、信兵衛が前に出た。160cm以上ある自分の背丈が随分と小さく感じられるほど精悍な背中だった。


 「人の敷地に入り込んで来て、我が物顔か。早う出て行け」


 きっぱりと告げた信兵衛に、一瞬、男は怯んだ様子を見せた。しかし、再び元の激情を取り戻すと、青筋を浮かべて彼を睨み返す。


 「黙れ、老いぼれ!いいから、その女をさっさとこっちに返せ!」


 老いぼれ、という言葉に、くすっと笑ってしまう。戦う信兵衛の姿を見れば、そんなチープな表現、到底彼には似つかわしくないと分かるだろうからだ。


 それに、信兵衛は義理堅い男だ。口ではどんなふうに嘆いていても、きっと例の女性たちを救うために男を撃退しようとするだろう。


 「自分勝手に決めやがって、おい、もう逃げられないからなっ!」


 男は、ずかずかと信兵衛の小さな剣術道場の中へ足を踏み入れようとした。その動きに女たちは悲鳴を上げて後ずさったが、信兵衛とフルールは一切動じずにいた。


 「信兵衛さん!お助けを!」と女が言うのを聞いて、彼は低い声で応じ、頷いた。「フルール」


 周りには悟られないような小声で名前を呼ばれ、フルールは素っ頓狂な声を上げる。


 「え?何?」

「お主が相手をしてやれ」 告げられた言葉に、フルールは目を丸くする。「私が?じっちゃん、本気…?」


 一応、身分が身分なので、本来であれば面倒事に巻き込まれるのは避けるべきだ。それが分からない信兵衛ではないはずだから、きっと、何か考えがあってのことだろう。


 フルールは信兵衛の意図を探るように、相手の瞳を覗き込んだ。彼の黒曜石は自分の桜色の瞳とは全く違う輝きを放っていた。


 「本気だ」信兵衛は抑揚のない声音で続ける。「そもそも治安維持は、ワシよりもお主らの役目であろう」

「うぇ、そうくるのか…」


 確かに、町娘が暴漢に襲われているとなれば、領地を治めるヴェルメリオ家として放っておくわけにはいかない。


 もちろん、多くは建前上の話だ。現当主も次期当主も、おそらくはその限りではない。低い身分を持つ者のために時間を割くとは到底思えない。


 二人の会話を聞いていた男はさらに激情を激しくしたし、守られる側の女たちも、得体の知れないフルールに我が身を任せることを不安がっているようだった。


 「まぁ、しょうがないか…。今回は、じっちゃんの言い分が正しい気がするし」


 気乗りしないが仕方ない。力なき者の剣となるのは、こちらだって望むところだ。


 そう割り切ったフルールは、怒り心頭で大声を発している男に向けて、近くの壁に掛けてあった木刀を放り投げた。


 「それ、使いなよ。さすがの私も徒手空拳で勝負は出来ないから」

「何だと…!?」

「もちろん、こっちも得物は使わせてもらうよ」


 そうしてフルールは、自分用に設えた長剣型の木刀を腰構えに握った。


 「そんな体に見合わない武器なんぞ持って、偉そうに!じじいの前にお前から叩きのめしてやる!」


 相手がしっかりと木刀を拾ったのを見て、フルールは心のなかで安堵のため息を漏らしていた。


 (良かった。素手で来られたら、さすがに申し訳ないことになるからね…)


 道場の縁側にゆっくりと場所を移動したフルールを追い、男が構えとも呼べない不格好な持ち方で木刀を握る。


 まるで剣術の心得はないらしい。魔法至上主義の戦場が一般化したこの時代、当然と言えば当然である。


 縁側に抜ける、女たちの不安そうなうめきと、男の荒い息遣い。そして、風の音。


 少し肌寒くなってきた昼下がりの縁側。男が怒鳴り声を上げながら突進してくる。


 「うおおおっ!」


 心得のない者の動きなど、手に取るように分かった。冷静さを欠いているとなれば、なおのことだ。


 振り下ろされる袈裟斬りを、体を斜めにスライドさせてかわす。


 空を切る音が二度ほど続いてから、重い刀身を引きずり後退する。それを追って男が追撃に向かってくるが、あまりに動きが遅い。思い切りが悪いのだ。


 間合いが開いた。ただの木刀では、届かない間合いだ。


 息を吸い込み、腰構えにした長剣を握る手に力を入れる。木刀とはいえ、もろに当たれば大怪我をしてしまいかねない。


 ある程度魔法が使える人間であれば、自然発生する魔法障壁が怪我を防ぐだろうが、下町のごろつきにそれほどの魔力があるとは思えない。


 (加減はしてあげるよ…!)


 いくら暴力的な人間だとしても、簡単に傷つけていいわけではない。


 迫りくる木刀に狙いを定める。そうして、下から振り上げるようにして武器を振るう。


 ぶん、という空気を震わせる轟音の直後、木刀で木刀を弾く高い音が鳴った。


 鋭く打ち除けられた木刀が、庭のほうへと飛んでいく。それを唖然と見送った男の横顔に、フルールは一つ皮肉な微笑を送る。


 「アンタの盲目的な熱意はさ、それを欲しがってる人にきちんと与えてあげなよ。あの子にとったら過剰みたいだけど、きっと、ちゃんといると思うからさ」


 フルールの言葉に、男は一瞬だけ険しい顔をして怒りを剥き出しにした。しかし、やがて自分が追いかけ回していた女の怯えた顔を確認すると、疲弊したため息を吐いて、すごすごと口も利かずに帰っていった。


 「これでいい?」と信兵衛に片目をつむってみせる。「うむ。最低限の技で無力化する。見事だ、ふる――」

「じっちゃん」


 フルール、という名前を口にしかけていることを察し、素早く遮る。


 「…うむ、そうだったな」


 こんなところで本名を口にされたら、とても面倒なことになる。


 父に知られればお叱りを受けるし、女性たちに知られれば白い目をされることは間違いない。


 このヴェルメリオ領内において、自分の名前は特別の意味を持つ。


 恐怖と独裁、卑劣の代名詞として。


 「あの…」自分を取り囲んでいる嫌な現実のことを思い出し、俯いていたフルールへと、女性が声をかける。「助けてくれて、ありがとうございます」

「え、あぁ、うん。いいよ、気にしないで。鍛錬のついでだから」


「女の人なのに、お強いんですね」余計な表現が気に入らなかったが、曖昧な微笑みで誤魔化して首を振る。「あの、お名前を教えて頂けませんか…?今度、ぜひともお礼を…」


 冗談ではない、とフルールは肩を竦める。


 「あはは…遠慮しとくよ、名乗るほどのもんじゃないし。それに…――嫌いなんだ、自分の名前」


 気障な返しに、女性たちはほんのりと顔を赤く染め、互いに顔を見合わせた。そうして揃ってフルールの顔を見つめると、再び顔を見合わせ、ひそひそ声で話を始めた。


 (…ん、疑われてるよね。これは)


 フルールは女性たちの視線を避けて、信兵衛のほうを向いた。


 「じっちゃん、私、もう今日は帰るよ」

「うむ…」

「何?その物言いたげな顔」


 顎に手を当て、思案げな様子でうなっていた信兵衛は、フルールの顔を真剣そのものの表情で見やって言った。


 「いや…これでお主が魔法を使えていれば、本当にあのお方のようになれていたかもしれんと――」

「じっちゃん」先ほどと同じように、信兵衛の言葉を素早く遮る。「それは言わない約束だよ。私が一番気にしてるんだから」


 諦観の嵐に飲まれたようなフルールの薄笑いに、信兵衛も力なく苦笑を浮かべるばかりであった。

お読みいただき、ありがとうございます。


暇つぶしにでもしてもらえると、それだけで光栄です。

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