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雪桜の華冠  作者: null
一部 五章 誇りの炎、その種火を

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誇りの炎、その種火を.1

本当に強い人間って、みなさんはどういう人間だと思いますか?


誰にも負けない人間でしょうか?

それとも、苦しくても、戦い続けられる人間でしょうか?


私は、独りでも自分を曲げずに戦い続けられる人間だと思っています。

 指の先から伝わる水の冷たさは、同じように洗い物をしている女たちに悲鳴を上げさせるほどのものではあったが、頑なに閉じられたスノウの口をこじ開けることは出来なかった。


 木で造られた屋根の下、蛇口から清冽な水道水が注がれる音があちこちから聞こえてくる。


 フルールが仕事に出てから、すでに三日あまりが経過している。そろそろ帰ってくるだろう、というのが朝のパルミラの見解だった。


 『そろそろ帰ってくる頃じゃないかしら?ようやくよね』と愉快そうな笑顔で首を傾げたパルミラに、心の中で舌打ちしたのを覚えている。


 ようやく、そう、ようやくだ。


 フルールがいなくなっての時間、自分は孤独で窮屈で、窒息しかける日々だった。


 話しかけてくれる人は多いが、正直、こちらからすると迷惑でしかなく、自分としてもろくな応対はしていない。


 少しくらいは丁寧に愛想良く…とも思ったが、生憎と自分は嘘の仮面を被れるほど器用ではない。それに、そう簡単に人を信頼するほど間抜けでもないのだ。


 (皮肉なものね…あの部屋にいた頃は、誰もが無関心だったのに。それを求めなくなった今になって、こうも鬱陶しく世話を焼かれるなんて)


 フルールが眠っていたベッドに入り込み、枕、布団の残り香を嗅いだ。そうでもしなければ、不安と焦燥でどうにかなりそうだった。


 自分のところの仕事を終え、タオルで手を拭う。苦手な家事だったが、さすがに多少は効率も上がった。とはいえ、一番仕事量も少ないのに、終わるのは最後という状態だが。


 一日の作業を終えたスノウの日課は、建物のすぐ外、メンバーが修練所と呼んでいる空き地の方角をベンチに座って眺めることだった。


 理由は明白である。


 (フルール様が帰ってくるなら、必ずここを通るもの…)


 物憂げなため息を吐きつつ、両手で頬杖をつき、山の向こうの夕映えを臨む。


 (まだ、時間がかかるのかしら…。早く…早く、フルール様に会いたい)


 早く、フルールに褒めてほしかったし、逆に、フルールのことを褒めたかった。


 そうやって認め合うことが、自分たちの共依存じみた唯一無二の関係性を、美しい、宝石みたいなものに変えてくれると思っていた。


 認めてくれる相手が、身近には互いに互いしかいなかったから…そんな理由でしかないかもしれないけれど、自分にはそれで十分だったし、重要なことだった。


 それなのに…。


 「ねぇ、聞いた?」修練所周辺の掃除を終えたらしい若い女性が、四人で群れを成して建物のほうへと帰りながら、きゃっきゃと話に花を咲かせている。「あのヴェルメリオのお嬢様のこと!」


 ぴくり、とスノウがわずかに顔を上げる。まただ、と眉間に皺を寄せる。


 「何かあったの?」

「あったもあった、大アリよ!あの方、東堂様たちが西の村に仕事へ行くときに、決闘を申し込まれたらしいのよ!」

「え、誰に!?」

「それが、テオドアさんなの」

「テオドアさん!?」


 ざわ、と女たちがざわつく。話し手の年若い女性は、仲間の反応に得意げになって早口で続けた。


 「そ、あのマッチョのテオドアさん」


「いや、それってさぁ…」と一人がぼやくと、他の女が、「あぁ、あの人って、ヴェルメリオに村を焼かれたとか何とかだったよね…いや、でも、ねぇ?」


 女相手にあんまりだろう、と険しい顔つきになり始めたところで、また得意げに女性が応じる。


 「そうなるよね、ね?でもでも、あの人、勝っちゃったのよ!テオドアさんに!」

「嘘ぉ!?」

「これが本当なの。お嬢様ったら、四大貴族のくせに魔法も使えないんだけどぉ、ところがどっこい、とっても大きな剣をぶんっぶん振り回して、テオドアさんを吹き飛ばしちゃったらしいよ!」

「えぇ、嘘…。それが本当なら、みんなの中でもかなり強いんじゃないの?」


 この数日、よくこの手の話題がエンバーズの拠点で上がった。フルールが、テオドアという巨漢を打ち倒してしまった、という話だ。


 どれくらい凄かったのかは知らないが、少なからず、裕福な家庭で過ごした四大貴族のお嬢様が、体格差の大きい相手を、あの身の丈以上ある長剣で倒してしまったというのは、確かに周囲に驚愕を与えたことだろう。


 敬愛するべきフルールがその力を発揮し、認められたことは喜ぶべきことだ。自分だって許嫁として誇らしい気持ちにはなれる。


 だが、問題はそこではなかった。


 「…へぇ、貴族のお嬢様のわりに凄いじゃん」

「なんか、魔法が使えないから、すっごい努力してたらしいよ」


「ふぅん…」

「何か、庶民でも好感持てる生い立ちみたいなんだよねー…」


「…まぁ、見た目も格好良いしね…」

「もぉ!見た目は今関係なくない?」

「でもさ、仲良くなってても損はなさそう。強いなら、いざというときに守ってもらえそうだし、偉そうにしてないし…ほら、ルックスも王子様みたいだし?」


 わいわいと騒ぎ立てながら、拠点のほうへと近づいてくる女たち。彼女らの周りを、拠点に住み着いている犬がぐるぐると駆けている。


 夕焼けによって地面に投影された彼女らと犬の影を見つめて、スノウは俯いたまま苦虫を噛み潰したような面持ちになった。


 (忌々しい女たち…フルール様のこと、何も知らないくせに)


 自分の知らないところに、自分の知らないフルールがいて、そしてそれを、自分にとって有象無象の女たちが知っている。こんなにも腹立たしいことはない。


 (早く、フルール様に会いたい。会って、色々話をして、知らないフルール様を埋めたい。彼女の勇気、誠実さ、不撓不屈の精神こそが、私の生きる上での希望になるのに…)


 頭の中でぐるぐると考えが巡る。遊んでほしそうな犬の鳴き声と女たちの笑い声が、何もかもを飲み込んでかき混ぜてしまうみたいだった。


 どれくらいそうして鬱々としていただろうか。数十秒だったような気もするし、一時間以上だったかもしれない。いや、まだ先程の女性たちの声がしていたから、一分も経っていないのだろう。


 不意に、女性らの声が動揺、困惑に変わった。


 え、とか、なに、とか、言葉としては用を成さないものだ。犬の声も、楽しそうなものから警戒を露わにするものに変わった。それをぼんやりと聞いているうちに、スノウはようやくフルールが帰ってきたのかと顔を上げた。


 だが、そこにいたのは、数頭の馬に乗った白い鎧の騎士たちだった。未だに、山のほうから数人の騎士が下ってきている。


 (何…?エンバーズの人…?)


 ベンチから、じっと彼らの姿を観察していると、先頭の一人が怯えた様子の女に馬を寄せて口を開くのが見えた。


 「おい!地図によれば、ここは誰も住んでない廃墟のはずだぞ、お前たちは何者だ!」

「え、あ…」きゅっと手を胸の前で握る女。

「怪しい奴らだ。お前ら、噂になっている反乱軍の生き残りではあるまいな!?」


 すっ、と騎士が剣を抜いた。鞘滑りの音と、抜身になった刃は女やスノウに十分な危機感を与えた。


 女たちが答えに窮している間に、駆け回っていた犬が騎士と女たちの間に割り込んだ。それから、やかましい声で吠え立て始めたところで、蜘蛛の子を散らすように彼女らは方々に逃げようとした。


 「待て、お前ら!」だが、すぐに馬上から降りた騎士に一番手前の女性が捕まってしまう。「各員、逃げる奴は殺しても構わんが、出来る限り捕まえろ!例のレジスタンスの可能性が高い!」


 スノウも弾かれたように立ち上がる。幸か不幸か、散っていった女性たちを捕まえるのに必死で、こちらの存在はまだ気づかれていないようだった。


 捕まった女性が必死に助けを求めているのが聞こえるが、この拠点に、あの数の相手と戦える人間はほとんど残っていないはずだ。


 自分だって、無関係な人間のために危険を冒すつもりはない。フルールたちが帰って来るだろう方角、道は検討がついている。そちらに回り込んで、彼女と合流出来れば自分はそれで構わない。


 そう判断したスノウは、身を低くして気配を殺した。部屋の扉の前をメイドが掃除しているときによくやっている姿勢だった。


 そのまま建物から離れるべく彼らの様子を観察していると、ちょうど隊長らしき騎士が犬に足を噛みつかれているところだった。


 「この、小汚い犬畜生め!」


 掴んでいた女の腕を離し、犬の頭を拳で殴打する。犬は悲壮感あふれる声で悲鳴を上げるも、再び立ち上がり、転んだ女性を庇うように立ちはだかった。


 「何だ、獣風情が…!」


 騎士が、すぅっと、苛ついた形相で剣を振りかぶる。その光景を、スノウは目を背けられず見つめていた。


 自分には関係ない。


 あの犬は、私が飼っていたキャシーじゃない。


 当たり前だ。分かっていることじゃないか。


 どうなろうと知ったことじゃない。脳天に剣が振り下ろされようと、どうなろうと私には関係ない。


 私には、他人のことを気遣う余裕なんてないのよ。


 私は、私のことで一生懸命で、必死で…それどころじゃないの。


 そもそも、誰も助けてなんかくれなかったじゃない。


 独りあの部屋にこもっても、誰も声なんてかけなかった。救いの手なんか差し伸べなかった。


 だったら、私だってそうする。そうして何が悪いの。


 助けてくれない者のことなんて、放っておけばいいんだ。そいつらは、私の人生にとって何の関係もないんだから。


 それなのに…。


 氷の中、粉々になっていく、小さな友人の姿が脳裏に蘇る。


 (どうして今、キャシーのことを思い出すの…!?)


 気がつけば、スノウは地を蹴り駆け出していた。


 無我夢中で振り下ろされる刃の前に身をさらし、同時に、懸命に威嚇する犬を抱き留める。


 刹那、背中に大きな衝撃が走る。じぃん、と痺れる、魔法障壁が作用したときの独特な感覚を伴う衝撃だ。


 「うっ」息が出来ない。耳元で、犬がやかましく吠え立てている。「こ、こいつっ…!」


 たいして間を置かずして、もう一撃、二撃、背中に振り下ろされる。


 「ううっ…!」


 今度はしばらく息が出来なかった。だが、普通ならこの程度では済まないのだろう。頭上で、こちらを不気味がるような、意地になるような騎士の声がする。


 全ては、リアズールの血脈が生み出す魔力量の賜だ。こんなふうに自分の生まれに感謝する日が来るとは思いもしなかった。


 さらに何度か打ち据えられても、似たような痛みと苦悶が続いた。


 そのうち、やっぱり幸運ではないような気もしてきた。どれだけ続けば気を失えるのかも分からなかったから。


 犬も、すでに悲鳴混じりの声を上げている。目の前で行使される暴力が怖いのだろう。哀れなことだ。


 顔を上げれば、先ほどフルールの話を嬉々として語っていた女が腰を抜かしてこちらを見ていた。


 見ていないで、さっさとどこかに行けとも思ったが、ちょうど良い、と思い直してスノウは口を開いた。


 「…この子を、お願い…」すっ、と犬を離す。「この子が、もう怖い思いをしなくていい場所に…」


 犬は怯えた様子ではあるが、依然として騎士を睨みつけていた。ただそれも、止まっていた時が動き出した女性のおかげで、妙な反撃を受けないうちに抱き上げられて離れていった。


 (…これで、いい)


 遠ざかっていく背中を見つめ、スノウは微笑を浮かべる。


 (どうせ誰も助けてなんてくれない…。分かっていたこと…分かっていたことよ…)


 自分に言い聞かせるみたいにして、心の中で呟く。だが、それでも不思議と涙が彼女の深い青の両目に浮かんだ。


 何度裏切られても期待する自分が、道化そのものに思えた。それでいて、どこにいても追いかけてくる不幸に、奇妙な笑いさえ浮かんだ。


 暴力の渦中に置き去りにされた自分。見捨てられる、という極限の無関心の果てが自分の墓場だ。


 (とても、私にお似合いね…)


 浮かぶのは、ぞっとするほど無感情な笑み。


 「この障壁、魔力量…尋常ではないっ…」高く、騎士が剣を頭上に掲げたのが、夕映えが焼き付けた影法師から分かった。「殺さねば、統一国家の繁栄の妨げとなろう!」


 また、アレが繰り返されるのか。それとも、これで全てが終わるのか。


 痛みで朦朧とする脳裏に、フルールの泣き笑いみたいな笑顔が浮かんだ。


 自分が死んだら、彼女はどうするだろうか。


 怒ってはくれるだろう。そして、きっと本格的にエンバーズの活動に参加していくはずだ。


 だとしたら、それでもいい。


 自分の命が、彼女の気高い道を照らす篝火に、その一部の薪としてくべられれば、それで。


 「死ねっ!小娘!」


 空を裂く音が頭上から聞こえる。


 綺麗な風泣きの声に耳を澄ませていると、不意に、甲高い金属音が鳴った。


 金属同士がぶつかり合う、独特な音。


 引き寄せられるようにして、スノウは顔を上げた。


 そして、彼女は見た。


 自分を守る王子――いや、お姫様の、今までに見たこともない、激情に駆られた表情を。


 「――許さない」ぼそり、とお姫様が言った。「抵抗も出来ない人間を…!私の大事な人を、よくもぉ!」


 直後、お姫様は凄まじい勢いで反時計回りに回転した。


 自分でもどうしようもないような悲しみと怒り、そんな響きを含んだ風泣きの後、唖然としていた騎士の体が、白く美しい長剣による逆袈裟斬りによって地面に叩き伏せられた。


 苦悶の声を上げて、ガクガクとしつつも立ち上がろうとしている騎士に向け、お姫様は告げる。


 「私は許さないと言った…!立ちなよ、スノウが味わった痛みは、こんなものじゃないぞ!」

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