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雪桜の華冠  作者: null
一部 三章 世界が変わる一夜

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世界が変わる一夜.3

フルールたちにとって、大きな出会いとなるでしょう

 誰かの声が聞こえて、フルールはまどろみの淵から身をもたげた。


 最初は不鮮明な声で、遠くから聞こえるような、近くから聞こえるような、そうした矛盾した錯覚を覚えた。だが、意識が覚醒するにあたって、徐々にはっきりとしたものへと変わる。


 「――…とにかく、君も無理をしないように。君の怪我だってまだ治っていないのだからな」

「…はい」

「そんな顔をしなくとも大丈夫だ。命に別状はないと言っただろう。…まぁ、あの高さから落ちて打撲塗れで済んでいるなんて、奇跡としか思えんがな」

「はい、ありがとうございます」


 二人の女性の話し声だった。片方は聞き覚えがあるが、もう片方のハスキーな感じは覚えがない。


 互いに口数が多くないのか、しばらく、二人の間に沈黙が流れた。やがて、ハスキーな声のほうが、「それじゃ、また後で食事を運ばせる」と告げると、扉が開閉する音が聞こえた。


 横たわる沈黙。自分の体と感覚が水の中にいるみたいに重く、鈍く感じられた。


 はぁ、と物憂げなため息が一つ、静寂の海へと漕ぎ出す。


 「…フルール様…」


 すると、その言葉を聞いたフルールの意識が水底から急速に浮上を始めた。


 自分の名前に“様”を付けて呼ぶ人物なんて、一人しかいない。


 重い目蓋を押し上げれば、見慣れぬ天井があった。ぶら下がっている照明も、見たことないぐらい古い。


 首を横にひねって、部屋の様子を窺う。それだけで体が酷く軋む。


 自分の体はベッドに横たえられていた。そして、そのベッドの縁に腰掛ける、瑠璃色の髪をした女性の沈鬱な後ろ姿が視界に飛び込んできたとき、思わずフルールはその名前を呼んだ。


 「…スノウ」


 うわごとのように紡がれた許嫁の名前は、その背中を小さく揺らした。すぐにこちらを振り返ったスノウの顔は、とても青ざめていたが、抑えきれない喜びにも満ちている。


 「フルール様…!」


 雪女みたいに白い頬が綻ぶと同時に、青い瞳からダイヤモンドのような涙の雫が溢れ出す。


 どうしてそんな顔をするのか、とぼうっと考えてみたところで、フルールは自分たちがブリザに追われて崖下の激流に飛び込んだことを思い出した。


 「そうだ、私たち…っ」


 ぐっ、と体を起こそうとすると、全身が酷く軋んだ。先ほど聞こえていた全身打撲は自分のことのようだ、と妙に納得する。


 「駄目、起き上がらないで!」ベッドから起き上がろうとするフルールを、スノウが慌てて制する。「酷い怪我をしているのです。まだ安静にしていて下さい」


「…命に別状はないって、誰か言ってなかった?」

「別状がないだけです!」


 ぴしゃりと言い放たれたフルールは、思わず、「はい…」と縮こまって答える。


 「だいたい、三日間も寝込んでおいて、別状がないも何もないですよ!それなのに、あの人たちときたら、心配しすぎだの何だのって――」

「え、私、三日も寝てたの?」

「そうです」


 スノウは、ブリザに追われて激流に飛び込んだ後のことを、ゆっくりと語り始めた。


 水に飛び込んだ二人は、自らを覆う魔法障壁によって大怪我をせずに済んだようだ。とはいえ、潜在的な魔力量に圧倒的な差のあるフルールとスノウでは怪我の程度は大きく違ってしまう。


 その後、気を失ったフルールを何とか浅瀬まで引っ張ったスノウが、岸辺で彼女を起こそうと必死になっていたところ、ここにいる人たちに救われたとのことだった。


 「そうだ、ここってどこなの?」

「そ、それが…」フルールは、口ごもったスノウに、怪訝な表情を向けた。


 本来のスノウの話し方は、もう少し毅然とした感じだ。感情が昂れば饒舌になるし、少しばかり説教くさい一面が顔を出す。つまり、今のように歯切れの悪い喋り方ではない。


 そうしてスノウが言葉に詰まっていると、おもむろに扉が開いた。


 「――ここは、我々『エンバーズ』の拠点だ」


 開け放たれた扉の向こう側から、エキゾチックな印象を受ける女性が顔を出した。見るからに異国の者だ。深いスリットが入っているドレスもそうだが、腰に佩いている湾曲した剣も見慣れないものだった。


 烏の濡れ羽色のような漆黒の髪をポニーテールで結い上げた彼女は、フルールが、「失礼ですが、貴方は?」と問いかけたことで、東堂藍(とうどうあい)と名乗った。


 「では、貴方が私たちを助けてくれたのですか?」

「まあ、そうなるかな」東堂は、警戒心を解き切っていない様子のスノウを見ると苦笑し、「だが、君を助けたのは私たちではなく、そこにいる名前も教えてくれない彼女だ」と告げた。


「え、スノウってば、名前も言ってないの?」

「フルール様!」


 どうしてそのような無礼な真似を、と思って尋ねたフルールだったが、再度、厳しめに名前を口にされて目を丸くする。


 「な、なに、急に?私、何か悪いこと言った?」


 スノウはフルールからの問いかけを受けても、苦虫を噛み潰したみたいな顔で押し黙っていた。


 この一ヶ月あまり、彼女が自分を無視するようなことは一度もなかったものだから、フルールはスノウの応対を怪訝に思った。


 だがやがて、東堂が自分たち二人を交互に見比べて、深刻そうな口調で言った言葉を聞いて、フルールはその理由が分かった。


 「スノウにフルール…どこかで聞いた名前だ…」


 顎に手を当ててそう呟く東堂は、勘ぐるような眼差しを二人へ向ける。


 (そうか、スノウは素性を隠したかったんだ。ってことは、そうしなければいけないような相手ってこと…?)


 事情を察したフルールは、スノウと共に相手の出方を窺った。自慢じゃないが、自分は嘘が上手な質ではない。頭脳戦は足を引っ張る予感しかしないため、口を閉ざすことにした。沈黙は金である。


 ついでに、自分のいる部屋を見渡してみる。狭い部屋ではないが、決して裕福な様子ではない。拠点と言っていたから、何かしらの集会所ではあるのだろう。石が積み上げられて造られている壁からは、古臭い雰囲気が滲み出ている。


 三人がいつまでも黙り込んでいたところ、コンコン、とノックの音が聞こえてきた。


 「藍、そろそろ――」と扉を開けると同時に東堂の名前を口にした女性は、上体を起こしているフルールを見て、驚いた様子で口をぽかんと開けた。「まぁ、ようやく目が覚めたのね!」


 品があって、淑やかな印象を受ける女性だったが、彼女の雰囲気などよりも、ずっとフルールの視線を釘付けにする特徴があった。


金糸のような髪、白い肌、聡明そうな青い瞳、そして、斜めに尖った耳。


 「え、エルフ…」生まれて初めて目の当たりにする、ホビットやドワーフ以外の異種族の姿に度肝を抜かれ、呆然と呟く。


 エルフは、風の四大貴族ヴェルデ家が治めるヴェルデ領の代表的な異種族だ。


 森の奥深くで暮らし、他者との交流を避けて生きる独自性の高い文化を保持した種族で、美男美女が多いことや弓の扱いに長けていることで有名だ。身体的な特徴としては、人間と違って耳が尖っていること、老化が表面に表れるのが遅いことが挙げられる。


 基本的に異種族に対しては攻撃的かつ冷淡、排他的な姿勢を見せることでも知られていて、先々代ヴェルメリオの呼びかけに応じなかった異種族の一つだ。


 つい、物珍しさゆえに女性のことを凝視してしまう。失礼だとは分かっていても、民族衣装らしい美しい緑の布が織り込まれたローブをボディラインに沿って観察してしまうのを止められない。


 「ふふ、随分と君のことが珍しいみたいだな、パルミラ」とフルールの視線に気が付いた東堂がからかうみたいに笑う。「あ、す、すみません。失礼しました」

「いいのよ?気にしないでね」


 パルミラ、と呼ばれた女性は穏やかに微笑むと、ぺこりと頭を下げてから改めて名を名乗り、重ねて小首を傾げてフルールに問いかける。


 「エルフを見るのは初めてなのね」

「はい。ヴェルメリオ領では一度も」


 相手の質問に答えたところ、きゅっ、とスノウがフルールの服の袖口を掴んだ。


 「ん、どうしたの?」

「…」


 沈黙を保つスノウは、何かに気付けと言わんばかりに熱心にこちらを見ていたのだが、東堂が得心した様子で、「あぁ」と声を上げたことで視線をそちらへ向ける。


 「ヴェルメリオ、フルール・ヴェルメリオか。例の魔法が使えない四大貴族のご令嬢だ」

「…嫌な覚え方ですね」辟易した調子で返すと、そばでスノウが大きなため息を吐いて額に手を当てた。呆れられた様子に少しだけムッとしてしまう。


「そうとくれば、そっちがスノウ・リアズール。リアズール家の引きこもりご令嬢」

「ちょっと、スノウに対して失礼じゃないですか」

「あぁ、すまないな。悪い意味じゃないんだ、二人ともな」

「どう考えたって悪口だと思いますけど」


 「まぁ、一般的にはそうだろう」とどこか愉快そうに東堂は口元を歪めた。それから、パルミラのほうを見やると、「だけど、私たちにとってはどうかな」と問いかけた。

「…少し、複雑かしらね」

「それはエルフとしてか?それとも、エンバーズとして?」


「後者よ。藍、からかうのなら出て行って」

「冗談だよ」と東堂は苦笑する。「…で、思わぬ拾い物になったわけだが…使えると思うか?」

「それはどういう意味で聞いているのかしら」パルミラが不意に声のトーンを落とす。「人質としてなら、私、反対するわよ」


 人質、という単語にぎょっとする。隣にいるスノウも、手の位置を袖口からフルールの掌に居場所を移し、不安を露わにしていた。


 落ち着いた雰囲気からは想像しづらい意思の頑強さを示したパルミラに対し、東堂は一貫して口元の三日月を消そうとしない。皮肉屋なのだろうことが、この短時間で分かった。


 「失礼だな。私がそんな冷酷な人間に見えるか?」

「多少は」間髪入れずに返されたことで、東堂は高く笑う。「ははは、そうでなければやっていけないからな。私たちは」


 蚊帳の外に押しやられていたフルールは、スノウの不安そうな様子に突き動かされて、二人の話に割って入った。


 「あの、人質って…どういう意味ですか?貴方たちは、一体何者…?」


 フルールの発言に、東堂もパルミラも彼女のほうに顔を向けた。どことなく、狼のような生き物を彷彿とさせる東堂の視線に身が竦む。


 どうする、とでも言いたげに東堂がまた視線をパルミラへと向ける。彼女は片手を差し出して、「貴方に任せるわ」と応じた。


 胸襟を正すようにして、東堂が椅子を引き、そこに姿勢良く腰を掛けた。真正面から見る彼女の顔は、ぴりついた感じがして、東堂自身、まだ自分たちに警戒心を抱いているのだと直感する。


 余裕のある態度を演じてはいるが、それだけではない。何かを警戒し、いつでも腰に佩いた剣を抜き放つ準備をしている。


 勝てる気がしない、と勝手に頭が考える。剣士として踏んだ場数が違うことが、全身から発せられる隙のない空気感から察せられた。


 やがて、東堂はゆっくりと語り出す。口調からは見えない、薄氷を踏むような慎重さがそこにはあった。


 「私たちはエンバーズ。統一国家と四大貴族による独裁的支配からの解放を目指すもの――いわゆる、レジスタンスだ」

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