天の園
隆は軽トラックのハンドルを握り、眼下の海を眺めていた。
「ここが、天国! やったぞー!!」
隆は涙を拭いてハンドルを強く握った。
下には大海原が見える。
遥か前方に陸地が見えて来た。
快晴のようで空は空で雲と太陽もあった。カモメが数羽、隆の車に近寄った。
ここが、天の園。つまり天国である。
現世と確かに違うところは、人が空を飛んでいるところであった。雲の上には所々に木造建築やプレハブ住宅などの家が建っていた。窓からも人々がこちらに手を振っている。
こちらに一人が近づき手を振った。
他の複数の人達、色々な国の人たちはこちらを珍しそうに見ていた。
その人物は男で、黒い髪の日本人。目が大きく、やたらと鼻が大きい青年だった。
「こんにちは、車ですか。珍しいですね」
はにかんだ笑みの男は年は20代である。
隆は軽トラックの窓を開け、
「私の娘を知りませんか?名を里美といいます?」
男は小首をしきりに傾げ、
「いえ、私は何千人も人と動物に出会いましたが……?里美という名は知りません」
隆はその男を観察した。
服装はラフな格好をしていて、アロハシャツに短パン。カラフルなサンダルが似合う。そして、サングラスを掛けていた。
「少し乗せてもらえませんか。私はあまり車に乗ったことがないのですよ」
隆は男を車の助手席に招いた。
「ここはどこですか?」
隆の問いに、男は目を丸くして、
「天の園です。人は天国といいますが、本当は違います。あの世ですが、幸福なところでもなく、危険なところでもない。そんな感じです。あ、私は黒田 裕といいます。もう8百年はここでブラブラしています。早く二人で、子供を下界に落とせと言われていますが、やっぱり自由がいいですからね」
黒田はにっこりと笑い。白い歯を見せた。
隆は不思議な気持ちを持ったまま。
「あの……。二人で、子供を落とすとは?」
黒田はまた目を丸くして、
「そんなことも知らないなんて、あんたきっとかなり遠くから来たんですね。二人で子供を下界に落とすのは常識だと思っていました。私はしていませんがね。簡単に言うと、二人で創った子供は下界で世界を造っているんですよ」
隆は他の人たちが笑っている四方を見ながら、
「下界で世界を造る。私にも親が……いや、実の父と母以外にも両親がいるんですか?」
隆は今度は黒田を真正面から見つめた。
「ええ。あなたの父と母にもいますよ。名前……教えてもらえませんか?」
「玉江 隆といいます」
黒田はしばらく首を捻って、
「ああ、何百年も前ですが、確かに会いましたよ。玉江 隆太さんと佐藤 恵梨香さんですね。その両親の親もあなたの本当の親も知っています」
隆は驚いて目を白黒させている。
何故なら隆の両親は大学時代に他界しているのだ。
この天の園の黒田が知っているなんて?!
「私の娘。里美の本当の親はどこにいますか?」
黒田は小首を傾げる。
「ですから、知らないのです」
隆は考えた。この世界で里美を知っている人物……?自分の親や本当の親なら知っているはずでは?
「私の親はどこにいますか?」
黒田は前方を指差し、
「ここからは遠いですけど、ここ天の園は私の知る限り無限に近いほど大きいのです
……。この道をかなり行ったところにいますよ。今でもね。きっと、珍しいことですが……。虹の上で働いているでしょう」
黒田は遥か西……前方を指差した。そこには地上は樹海と所々にひょっこりと顔をだした湖だった。
「このまま、空を飛んで行かないといけないのか……。ガソリンは足りるかな?」
隆はメーターを見つめても、不思議なことにメーターは満タンの状態で止まっているかのようだ。けれども、他の計器類は故障しているので、この場合は故障したのだろう。
「大丈夫ですよ。多分ですけど、ガソリンが必要なのは地上だけですよ。車輪は動いていないですし……。そうだ。よかったら、途中まで乗せてもらえませんか? 私の友達がこの先にいるんですよ。今でも雲に乗って遥か下方の海で釣りをしているでしょうから」
黒田はにっこりとしている。
隆は娘のことも大事なのだが、人付き合いをまる一年。余りしていなかったことを思いだして、こっくりと頷いた。
「いいですよ。しかし、何時間くらい先なので?」
「一週間はかかりますよ」
軽トラックは目的地を見出し、前進をした。
「里美というのは、娘さんのようですね」
黒田は首を向けた。
「ええ。あ……そうだ。黒田さん。里美は下界の世界で雨の日に死んでしまったんですが、花田という占い師の言葉では、何故か下界の世界では雨の日には不幸が頻繁に起きているそうなんです。何か知っていたら教えてくれませんか?」
隆は花田のことと雨に関してを思い出していた。
「占い師とは……まあ、ここは大抵は暇ですからね。そういう人もいますよ。けれど、雨は最近……ここ百年で以外と降りますね。確かに……」
黒田はそう言うと、どこか遠いところを見るかのような視線を前方へと向け、
「ここから北に行ったところに、雨や水を司っている神がいると聞いた時があります。確か宮殿に住んでいるそうで。そこへ行ってみては?」
隆は親を探すのを後回しにしようか、先にしようかと迷った。その宮殿に行ったほうが里美の情報は得られそうである。
「まあ、何にせよ。旅は楽しくしないとね。ふふふ……」
黒田はサングラスを少し上げて、曇りがない漆黒の瞳を隆に向けた。
隆はもう天国へと生身で行けたので、後は里美を連れて元の世界に帰るだけでいい。と考えた。また、里美に出会える……。里美を連れて下界で一緒に生活をして、末永く里美の成長が見守ることができる。
里見は俯くことが多く大人しい性格だった。だが、以外とわがままなところもあった。幼稚園の頃だが、おもちゃ屋では人形を二つも持って、「買って買って。」と泣きだし、40分以上も店の隅で座り続けたことがあった。
あの時は、何故……。金を無理にでもだして、人形を二つ買ってやらなかったのだろうか。幾ら悔やんでも涙以外は今はでない……。
隆は悲しい気持ちを揉みながら、少し考えた末。黒田と両親に会いに行くことにした。せっかくこの世界に来たのだから亡くなった両親に再会するのもいいと思ったのだ。そして、両親から里見の居場所を聞き出した方が確かのようである。
それにしても、ここの常識を知っておいて損は無いな。隆はそう思った。
自分がこの世界とは別の世界から来ていることを悟られると……どうなるのだろう?
隠した方がいいのだろうか?
「黒田さん。私は今まで一年間。里美を探し続けました。そのせいで天国のことを余り知らないのです」
隆は何気なく話を持ってきた。
「へえ。そうなんですか。私は暇を潰すために8百年と遊んでいましたよ。そちらは、深刻なことを抱えていたんですね。でも、天国。いや、天の園はたいしてそれでも、遊べるところですよ。退屈はありますが。何も身構えることは有りません」
黒田は二カッと白い歯を見せて、
「お腹が空けば地上に降りて、樹海から食べ物を取って。眠くなったら昼でも夜でもどこででも眠れますし。樹海にはヘビや虫はいますが、みんないい人ですよ。そして、動物はそのままこの世界では動物なのです。魚を釣っては海の神に怒られるのもよし、山に行っては動物を狩って山の神に怒られるのもよしです」
「へえ、樹海ではヘビや虫は危険ではないのですか?」
「ええ……。本当に遠い場所から来たんですね。どんなところから来たんですか?」
隆は何気なくソッポを向いて。
「東から来ました……」
「東……といえば、確かに広大な砂漠がありますね。あんなところから来たんですか?サソリやヘビもいい人だと思っていましたが、きっと、あんまり暑いのでイライラしているのでしょう」
「はあ……」
隆の気の緩む返答を受けた黒田は、
「私は大丈夫ですよ。この格好の通りに暑さには負けません」
二人は暑いのや寒いのはどちらが平気か話ながら軽トラックを西へと走らせる。
下の樹海からカラスが数羽こちらに飛んできた。
「あのカラスたちもいい人ですよ。喋れませんがね。きっと、下界で悪い墓守でもしていたんでしょう。ヘビや虫もそうです、喋れません。人間と同じ物を食べますが……。きっと、ヘビは下界にいたときは底意地の悪い姑だったのでしょう。虫はブラック会社のサラリーマン……何故かというと、蟻が多いので、働いているけれど、人語が出来なくなっています。この天の園ではそれは不憫なことで。人間ではないですから、飛べないし、人と話せないしで……暇でしょう……」
「黒田さん……地獄はないのですか?」
そう言うと、隆は背筋に冷たいものが伝う感じがした。こんな世界があるのだから、地獄は恐ろしい。
「さて……聞いた時がないですね」
今度は隆と黒田はこの世界にも地獄があるのかないのかと話をした。
空は快晴だった。
うろこ雲に数多の虹が差し掛かり。
空気はすっきりとしている。
気温は25度。
隆の軽トラックを見て珍しがる人々や近づきたがる鳥。
下には広大な樹海があり、明るく楽しいところでもある。
しかし、遥か北には暗雲が立ち込めていた……。
「わあー!!」
智子は自分の身に起きたことを、今でもまったく信じないようにしているようだ。天の裂け目に向かった時は正気と狂気の間で緊張感がもたらされていたが、今では、きっと仕事の疲れで自宅の安いベットで、ぐっすりと眠っているんだと思い込んでいるのだろう。
「正志さん!! あの人達を見て!!」
瑠璃は空を飛んでいる人達を無遠慮に指差しながら、智子と歓声を上げていた。
正志はこの世界でたった一人の玉江 隆をどう探せばいいのか途方に暮れていた。緊迫した表情でカスケーダに取り付けたカーナビを点けると、なんと、天の園の地図がでてきた。
「智子さん。隆さんはどこへ向かったのか解りますか?」
喜びの表情だが、どこか気が抜けている顔の智子は自然に首を傾げて、
「いいえ……解りません」
「ほんの些細なことでもいいんです」
「えーっと」
智子は豪快に首を傾げると、そうだとポンと手を叩いて、
「回りの人に聞いてみてはどうですか」
「……。確かにそれが一番いいですね」
正志は歓声を上げている瑠璃を一瞥し、車のドアを開けて一番身近なアメリカ人男性に声をかけた。何故か空に浮いているその人物は、親切に黒田 裕と一緒に西へと向かったと教えてくれた。
「ありがとう。それじゃあ、西へと行きます。きっと、ご主人のサポートを成功させましょう」
正志は浅黒い手でハンドルを握ると、壊れた閉じた状態のルーフの開閉スイッチと計器類。そして、ガソリンメーターを見た。
「あ、ガソリンが無いや……」
今まで歓声を上げていた瑠璃は、現実の強力な衝撃を受けそうな顔になり、真っ青になって正志に掴みかかり、
「やっぱりこの依頼は無理よ! 帰りましょう! 今ならまだ間にあるかも知れないじゃない! 私は24よ! まだ現実の世界でやりたいことがいっぱいあるのよ!」
正志は首を絞めている瑠璃の両手を力一杯解こうとしながら、苦しげに唸っていた。
「駄目よ! うちの旦那が困るじゃない! 依頼料はすぐには出せないけれど! 頑張って!」
智子は気の抜けた顔から一気に義憤をした。
「そ……そうだ……俺の依頼の中では……最高の依頼だ……。い……依頼料が……無料でも……やり遂げるぞ」
瑠璃は今度は泣き出した。正志の首を絞めていた手を引き戻して、それを顔に当て。
「えーん……。私の安息の日々―……」
遊び人の遠吠えである……。
しばらくして、親切なアメリカ人男性は笑い転げていたが、ガソリンがなくても車輪が動かないなら平気なんじゃないですか。と教えてくれた。
正志はそれを聞いて、
「そうだといいが……では、行きましょう。西へ!!」
絶望の瑠璃。気の抜けた智子。使命感の正志。三人は西へと向かった。