ひゅーどろどろと音がなる
馬鹿みたいな約束をした。
一番大事な約束。それは全てが終わるまでスイッチをオフにしないことだ。何故なら百物語をするからだ。
百物語。一話三分としても三百分で五時間。時間オーバーを考えて、午後八時半からスタートする。あらかじめ割り振られた順番に従い、それぞれ怖い話をする。その話はオリジナルではダメなのだ。素人でも小説家というものは自己顕示欲の強い者たちだ。三分と決めて三分で終わるはずがない。つまりオリジナルを許可するといつ終わるかわからないし、適正な百物語といえるものかはわからない。
だからきちんと百物語と認定された話の中で、好きな話を一人一つ語る。認定された話というのは例えば、諸国百物語とか御伽百物語、太平百物語といった江戸時代からあるお墨付きのある百物語だ。
お墨付き。百物語の目的は百の怪異を話して本物の怪異を呼び出すこと。そもそも何故こんなことを始めたのか、そのきっかけは文フリ、いわゆる文芸フリマだった。
「宜しかったらご参加くださいな!」
「はい? あれ? 岬の会さんじゃない」
「うん、夏に企画やるんだよ。そのお誘い」
振り返った私の目の前には見知った顔がチラシを差し出していた。
それはまだ春先のこと。文芸フリマというのは文芸、つまり小説や詩なんかを作ってる個人やサークルが寄り集まって互いの作品を売り合う即売会イベントのこと。わかりやすく言えば漫画におけるコミケである。
私は高校・大学と文芸部と文芸サークルに入り、社会人になった今でもその沼にどっぷり浸かっていた。就職したてで日常を過ごすのに忙しく、ここ2年ばかりは小説を書く余裕なんかまるでなく、けれどもその習慣は離れがたく年に数回行われる文フリに足繁く参加し、知り合いの本をほそぼそと購入していた。
それで岬の会というのは私が大学の文芸サークルに居た時によく買っていた文フリの参加サークルだ。岬の会も私の所属していた大学の文芸サークルも、ジャンルとしてはホラーやサスペンス系統。年も近いのがあっていつの間にやら仲が良くなり、そのシャープな作風も好みだったものだから、文フリに来ればいくつか固定で回っているサークルの一つ。
「最近そちらさん、サークル参加してないじゃん?」
「ああ、卒業したら忙しくてさ」
「うんうん。そうだよね。そんな感じで居なくなった人って多いんだよ。だからさ、再起しようと思って」
「再起?」
「そう、やろうぜ! 百物語」
岬の会の百物語会。その趣旨は案外簡単だった。
大勢が集まるのは難しい。けれども今は便利なものがある。ネットラジオというものだ。岬の会がネトラジを立て、それに百人が参加する。そして怖い話をする。
「へぇ。面白そう」
「でしょでしょ。百禄さんなら載ってくれると思ってた。なんたって名前がね」
百禄というのは私のいわゆるペンネームだ。この名前で怖い話を書いていた。
確かに百物語というには相応しい。
「でも百人も集まるの?」
「それは大丈夫かな? ホラー系サークルの人の知り合い多いし、だいたい今はtwiterとかtiktakで名前検索したら見つかるし。それでなんとか見つかるさ」
そっからはトントン拍子だった。
Discardで立ち上げサークルを作り、そこで企画を練っていく。私は積極的には参加していなかったけれど、一つの企画が出来上がっていく様子というのはなかなか面白い。お盆の一夜をあてることが決まり、参加人数もいつしか百人を越え、そのうち実際の参加者が策定された。
百物語というのは百人でやるのがセオリーだ。だから厳正な抽選の上でスピーカーを百人選定して、あとはリスナーに回る。そうしてとうとう、その夜がやって来た。
一番もめたのは本当に百物語をやるかどうかだ。
百物語というのは百の話が全て語られていた時に怪異がその場に溢れ出す。つまりネトラジを通じて百人、ひょっとしたらもう少し多いリスナーの元に。
けれどもそれって結構大変なことなのだ。だからスピーカーが一人も欠けずに九十九の話が終了したときだけ最後の百話目を話し、そうでなければそのまま雑談をしながら朝を待つ。そんな企画。
いるかいないかはモニタに表示される。スピーカーにだけ、互いの顔がモニタに表示されるのだ。
その夜八時半、岬の会のネトラジには100人のスピーカーと200人程度のリスナーが集まった。リスナーは一切喋ることができないことになっている。スピーカーは誰かが話している時は当然話しては駄目だが、どうしても必要な時は話すことができなくもない。
何故ならスピーカーはインしている限り、ずっとスピーカー設定にしておくという決まりがあるからだ。途中で誰かがオフになれば百物語は完遂しない。そのメルクマールを保つために。誰か一人でもオフになればその時点で百物語は未完となる。
今、私のモニタに整然と並ぶ百人のスピーカーの名前と小さく分割された画面に表示された顔。その7割程度は見たことがある人間で、ホッとした。このモニタが全て生きているうちは宵の闇は続くのだ。
丁度晴れた暗い夜だった。わずかに満月から欠けた月が丁度西の空に沈んだころ、岬の会が主宰の挨拶を行い、リストの一番上から順に百物語が開始された。日の入りは八時四十三分。とても洒落ている。
話が一つ終われば、蝋燭を消す代わりにそのスピーカーはその部屋の電気を消す。流石に蝋燭を5時間も継ぎ足し続けることは現実的じゃないし危険だから。その世界を闇で満たせば要件は成立するだろうという見込みだ。
淡々と続く話は大体が古臭く、現代から考えるとさほど恐ろしくはない。中には滑稽噺かというものも混じっている。おそらくこのメンバーじゃなければ成立しない回なのだろう。文フリでホラー好き。だから古典も読んでいる人が多い。江戸時代というのは遥かに昔の話だ。それは時間の経過という以前に、文化、そして人の考え方自体が全く異なる異世界だ。だからその共通認識がないと、そもそも昔話というのは現代には降りてはこないのだ。
最初は明るかったモニタも、一つ話が終わる毎にフツリと暗く消えていく。時にはじゃあねと手を振って、時には眠そうに唐突に、はたりと世界が闇に落ちる。けれどもその暗い先からはどこか、ざわざわとした人の存在が感じられた。
ネトラジというものは不思議なもので、物理的に隔たっていても時間を共有できるのだ。これこそが物語というものの作用なのだろう。
そうして夜は深々と更ける。そして私は奇妙なことに気がついた。そのモニタの先の闇がゆらりと時折動くような気がするのだ。真っ暗にしたとはいってもモニタは光っているのかもしれない。だからその僅かな光が、闇に落ちたスピーカーを淡く照らしているのかもしれない。その闇の蠢きに目をしばたたかせていると、けれどもやはり妙な違和感を感じた。その闇の向こう、スピーカーたちの後ろに何かがいるような。
まさか。まさかね。
そうして私の目の前のモニタは全て真っ暗となった。岬の会が挨拶をする。
「さて、皆さん、ちゃんといますね。いらっしゃったらイイネボタンを押して下さい。……うん。確認しました。それでは最後の百物語を開始します。百禄さん、お願いします」
「え、はい。ええと、いいんですよね」
その時、九十九に分割されたその闇の向こうで、確かに何かが頷いた気配がしてゾワリと背筋がざわめいた。そうして、奇妙なことに気が付いた。私のモニタだけが、おそらく明るく表示されているのだろう。だって私が最後のスピーカーで、まだその蝋燭を消していないのだから。
けれどもなんだか、私の周りには既に闇が漂っている気がしていた。それは百物語の作用なのか、あるいは真っ暗なモニタから闇が漏れてきているのか、それはわからないけれども。
わたしはふぅ、と一息をついて、話を始める心積もりをする。
最後の話は『恠を話ば恠至』だ。江戸初期、浅井了意による怪談集『伽婢子』の百物語についてのはなし。
そして口を開け、私は体が突然動かなくなった。そうして、明るく点灯していたはずの証明がちかちかと揺れた。モニタの向こうから小さな悲鳴があがる。一体何がおこているの。
「百禄、それはなに。あなたの後ろにいるものは」
後ろ……? 何かいるの……?
私の体は既に全く動かなかった。
「人のいひ傅へし怖ろしき事、恠しき事を集めて、百話すれば、必ず、おそろしき事、恠しき事あり」
私の口は勝手に語りだす。昔から言い伝えられている恐ろしいことや奇怪なことを百集めて物語ると、かならず怪異が生じると言われている。
「どうしよう、スピーカーが切れない! 百禄! 大丈夫⁉」
「何! 何が怒っているの!」
「やらせだよね? こういう企画だよね!」
モニタの向こうの闇からはたくさんの声がした。そして私は目の端にチラチラと闇がうごめくのを見た。私の体はもうすっかり動かない。そして淡々と私の口は語り続ける。
京都下京の住人五人が集まって百物語をしようとする話だ。そのうちに怪異が次第に起こってくる。そうだ。そういえばこの話は百に至る前にも怪異が起こっている。
浅井了意は最後に『物語が百にみたぬうちに筆を置くことにする』でしめられたけれど、百に至るとどうなってしまうのか。私の意識はそこで途切れた。
文フリもコミケも行ったことがないので勘違いがあるかもしれません。陳謝。