七十五話 千年前 谷下希
私は大学を卒業して培養研究所に就職が決まり 生活は学生の頃から変わらず忙しかった
地元から都会へ猫を担いで引っ越し 愛する家族と最愛の妹から離れての暮らしはそう簡単に馴染まず
気が付けばカタを知り合いに預けて住み込みで研究している自分がいた
そんな外界と遮断して没頭していた中 元号が変わる
令和元年の年末に妙な速報が研究室内に流れて来ていた
〝中国の武漢にてコロナウイルスが蔓延してる〟と
そうなれば研究施設はより一層 世間よりも早く隔離される
自分は安全だと 忙しい実験を繰り返すストレスで この言葉が心を和ませていた
「谷下博士!! お電話2番です!!」
「はい!!」
令和二年 四月十三日
まず身近では起きないだろうと楽観していたウイルスは
田舎にも関わらず 妹の三木のもとに悪魔の手を差し伸べた
三日だけ休みを取れた私は急いで帰省する
仕事を優先して祝日も帰らなかった私に理由が作られた
しかし 現実は上手く行かない
院内からの面会謝絶 テレビでは亡くなった人すら遺族は見届けられなかったという
何をしに帰ってきたのか分からなくなった
家族とは話せたけど ご近所からは都会人を危険視する目で見られるという始末
ゆっくり出来たのは一日だけ
すぐにでも仕事に戻る為に 妹の顔を見ずにそのまま帰ってしまった
それから数ヶ月が経ち
本人からのメールで救われる
『症状軽快後から数日が経って退院の兆しが見えてきました
通院生活になるのは避けられませんが 無事大学にも行けるようなので報告させて頂きます
面会が出来ないことはお母さんから聞きました
また会えるんで気にしないで下さい せっかく帰ってきたんだから会いたかったけどね』
元気を与えなきゃいけない側なのに 勇気を貰ってしまった
休憩室から持ち場に戻るまで どう泣いた跡を誤魔化すか必死に考えてる私は馬鹿だと思った
そして仕事柄で染み付く研究熱心というのは恐ろしいもので
気付けば三年が経っていた
妹も大学に慣れて謳歌している頃だろう
やり取りはメールのみで
お偉い大学の教授が運んでくる書類に目を通すのと
顕微鏡越しにシャーレに浮くIPS細胞と睨めっこの毎日
そんな職員からすれば当たり前の毎日を繰り返していると
ある日を境に施設内部がざわめき出しているのが気になって仕方ない
普段なら物音はするものの 人の声が散漫になるなど有り得ないのだから
突然所長に呼ばれた私は所長室に招かれる
そこには複数人の黒スーツを纏う役人とチラチラ廊下を行き来してるのが目に入っていた教授がいた
机の上に置いてある書類はまた新しい企画案かなと軽視しながらソファーに腰を掛ける
しかしこれから話されるのは いざとなれば予想出来ないような 非現実的に近かったのだ
「お話というのは?」
「うむ……」
目で合図を送る教授
後ろに立っている役人は 持っていたアタッシュケースを机の上に置く
中に入っていたのは特殊な容器の中に漬けられていた異常な姿の心臓だった
「短命の稀少心臓と言ってね ロシアで開発されたんだ
我々は異常なまでに変異するコロナウイルスを将来的に脅威だと判断し
連盟国一致の下 少し大掛かりなプロジェクトが決定された」
「…………」
私は書類に書かれた予想イラストを見てみるけど それはあまりにも信じがたい
「SOLEIL?」
「所謂〝人工太陽〟だよ
小規模の熱風を太平洋・大西洋・インド洋圏内と順に威力を留まらせる算段で
地球を覆う程の放射線を浴びさせるプラズマを生み出し 人の体内に潜む悪魔を天使に変異させる作戦だ」
「……勿論人体に害は無い上での決定ですよね? 地球にも優しい?」
「アメリカの専門家からは問題は無いとの通達だ」
「戦争の時代とは真逆の 救世となるピカドンなんですね?」
「そうだ!」
「……それで私は何をすれば?」
「……規模が大きい作戦が故に万が一失敗という結果になれば人類は絶滅する」
「そうですよね…… 仮にも私達の身近に 地球の中で太陽を造るんですから」
「だがしかし自然災害がこの先で酷くなるに連れて 比例してコロナも悪化するとのことだ
ただでさえ現状で医療崩壊しかけた世界が体勢を立て直しても 再来の目処が見据えている未来で
結果は繰り返されるという予測が多くの学者達から提言されたのだ」
「……話が見えて来ませんが私は何を?」
「これから君が筆頭となり 一体のクローンを造って欲しい」
「…………エ?」
信じられる筈もなかった
現在まで実在するかも曖昧で そんな見たこともない技術なのに日本には法律があり
もしもの時は罰せられるグレーなおとぎ話だと思っていたのだから
「某国では機械ベースで何体か造られている
勿論のこと最重要機密だ 公になれば訴える以前にパニックが起るだろうからな
この日本でも既に実現可能なまでに科学力が発達しているから不足は無い」
「……でもなんで私なんですか? 呑み込めて無い上に荷が重いと思います」
「これに関しては絶対に表に出てはいけない話だからだ
だが日本という場所は狭い 故に情報漏洩が容易い 何処の小島でも足が着いてしまうだろう
だから権威を持つ物には知らされていない ここの所長以外な
そしてマスコミ程の者達が〝全く興味を持たない研究〟をしているというフェイク絵図を象らなければならないのだ
君に関しては履歴とここ最近の実績を教えてもらったから心配はいらないと思っている
……やってくれるかね?」
「分かりました…… やらせて頂きます」
クローン技術は信じていないけど 職業柄不可能だとは思っていなかった
試しにやってみて 実際にどういうものか体験して確かめる それが科学者だから
挫折や失敗などは当たり前 それが新しい物と向き合う真っ当な姿勢
まぁ本音は出世やら毎回同じ研究に飽きてしまったやらと色々あるが
別に断る理由など無かったのだ
人さえ殺さなければいいんだ 人に迷惑を掛けなければいい
ボーナスが多めに貰える ちょっとしたブラックなチャレンジだ ワクワクすっぞ




