七十二話 黄泉に回廊
乾いた舌を一舐めして緊張を解す谷下の目に映るのは
無味乾燥という言葉が恐ろしく似合う蓮が浮かぶ池の前
着いてる足下は地面の感触だが まるで地球とは別の物体が敷かれている様だ
「ここはあの世? それとも異世界?」
そして何よりも目立つのが白いレールだ
その先にはポツンと佇む駅が 名前はキサラギと書いてある
「大昔の都市伝説がここまで顕現されているなんて……」
駅の中に入ってみると 長く清掃を怠っているのがバレバレな構内を見渡す
思わず鼻をつまむ谷下は 舞う埃が口に入ると思わず咽せた
「酷い荒れようね…… ここにやって来る電車も普通じゃないわよね……」
しばらく駅のホームを端から端へ行ったり来たり
不思議と怖さを覚えない彼女はその事に気にする様子も無い
しばらくすると霧も晴れ 辺りの景色がハッキリと見えるようになった
「ここって…… 羨門街?」
以前 高山とチンチン電車に乗った駅と全く同じ場所にいるのだと谷下は気付く
それとは別に線路を挟んだ向かい側のホームに誰かがいるということも
目を擦ってその人物をまん丸と見開いていると
「やっと来たか…… 来ないなら来ないでまた帰ろうかと思ったよ」
見覚えのある容姿だが 見覚えの無い足が二本生えていた
「死人さん……」
辺りが照らされる時には 向こうから列車の音が聞こえた
アレは何を運ぶ乗り物なのだろうと心で問うてはみたが
今の状況と死人さんを見れば 大体察しが付いてしまう
『この度のご乗車誠にありがとうございます
まもなくあの世行きの列車が通りますので そのままお待ち下さい
黄色い線から出ようが出まいが 死人の考える事ではございませんので お気を楽に
列車の入り口はあなたのお側に 〝出口〟は諦めて下さい それではsee you!!』
どういう訳か ゆっくり停車する目の前の車両には扉が現れた
谷下は躊躇いなく乗り込むと 座席に腰を下ろしている死人は隣に座れとパンパン座面の革を叩いている
ふと閉まっていない入り口の向こうを確認するが 不思議なことに戻ろうとはしなかった
「これが死ぬって事なのかなぁ…… 死人さんは死神なの?」
「死神?? ……見たこと無いな」
ドアは次第に閉められていく 焦りこそ感じはしないが何故か列車の外が気になるのが本音だ
「私はこれに乗っていいと思う?」
「……ノープランですか」
「死者ってプラン考えてあの世に行くの? ……まさか生まれ変われるモノを自分で選べる訳じゃないし」
「そういう事じゃないよ…… てっきり〝当時の研究者〟に会いに行くものだと思ってたが……」
「……………オァ!!!!」
考えに至る筈も無い訳だが 考えもしなかった
「谷下博士に…… 会えるチャンス……」
「……既にここに来てしまったんだ 戻りも無ければ行きっぱなしさ」
生気を感じ取れない死者は次々と乗り込み 皆はまるで指定席があるかのように綺麗に座りだした
静かに漏れる魂の呼吸は次第に肉体の残像を忘れさせ 五蘊と乖離させている
ーー黄泉の国ってどんな所なんだろう
ドアが閉まり切ろうとしたその時 ギリギリで入ってくる一人の少女と黒猫が乱入
一緒になって息を切らしているこの一組は 谷下の顔を見るなり太ももにダイブする
「え……三木ちゃん?!! それにカタまで……」
「預言の書を探しに…… ゼェゼェ…… また来ると思って張って待ってました」
「病人なのにそんなに無茶して……」
「千代子には何度も迷惑を掛けられないので独断で行動していたんです
だけど腹が空いて行き着いた夜桜さん家でご飯を頂き そのまま居候してました
四日目には不思議と体調も良くなったので旧視聴覚室で待ち伏せていた次第です」
「………ちょっと待って」
谷下はまさかと思い 質問を投げかける
「三木ちゃん…… 記憶あるの?」
「ありますよ…… 不思議なことに」
「当然だと思うぞ その子も私と同じで過去から来た領域外の存在だからな」
口を開く死人 しかし谷下が驚いたのは死人自身へ対してだ
「やっぱり…… あなたも過去から来た人だったの?」
「未来の世界で死ぬなんて稀な体験だと思っていた
どうせ逝く場所は同じだと踏んでいたが まさか幽霊になって留まるとは思わなかったがな」
「……でも死人さんを殺したのは榊葉だって言うんだから あの人はその時から既にソトースと」
「ソトースに関しては私も分からない あいにく普通の人間なものでね
それと私との会話はこれが最後だ あの世に着けば魂は向かうべき場所に飛んでいくだろう」
「そんな……」
「自分達の身も心配した方がいい 〝合わせ鏡〟なんて普通とは違う
肉体を持ったままこの場所に来る事それすなわち 私が未来に来た事と同じ扱いになるだろうからな
理を外れて誰が怒るか 味わう八寒地獄はより一層 酷な道のりになるのか」
半ば強烈な脅しを投げかける死人に対して 谷下の返答は軽く
「でもそれって見たこと無い人の妄想ですよね? 天国も地獄も最初から無いかもしれませんよ?」
「……悪人ではないからな どちらにせよ悲鳴がうるさい喧騒は拝めやしないか」
最後に谷下は股に寝っ転がるカタを見下ろして
「……助けに来てくれたの?」
「フン……」
「もう…… ありがとうカタぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!」
「うぉぉぉぉぉおおおおおおヤメロ~~~~~~!!!!」
これ以上のない頬ずりをカタの頭にしてあげる谷下に カタは嫌悪感を全開にした
少し引いている死人と 懐かしさを思い浮かべる笑みで見守っていた三木
およそ沈んだ車両内部の空気を読まない一行を乗せた列車が 止まることはなかった




