四十八話 四日目 黒猫の正体
少し遅れた昼食を取りながら一息入れる取調室
さすがに恐れをなす話を聞いてしまった谷下は食べ物を喉に通らせることは困難だった
夜桜も自分で話していて胸糞悪かったのか 牛乳を啜るストローの音がぎこちない
「あと聞きたいことと言っても南野雪花神くらいだが…… 身に覚え無いんだっけか?」
「すいません…… 神なんて今の今まで本気で信じたことも無かったもので」
「同感だ…… 十中八九存在していたら俺達に肩の力を抜いた人生は送れねぇからなぁ」
「昨日見たのは本物なんですよね?」
「地震だけなら見違いって言い訳も生まれるんだが…… ありゃどう見てもなぁ」
「よく夜桜さんは立ち向かえましたね…… 私なんてもう震えて……」
「銃や爆薬を使える良い機会だった……
人間を撃ってはいけませんって婆ちゃんから諭されて育ったからな」
「……お婆さんに感謝しなきゃ」
最後まで取っておいた弁当のコロッケを咥える
不意に窓の外を覗く仕草をしながらも 夜桜は一服する為に廊下へと出て行こうとする
「飯食ったら榊葉について知ってること話してくれ
……もう安心しろ ツムツムもお前が殺したなんて思ってねぇからよ だよな?」
「……あぁ もう腹も頭も満腹でいつも通りの聴取なんか出来ねぇよ」
「だそうだ…… 良かったな!!」
煙草を咥えながら話す夜桜はわざとらしい笑みを見せるとドアを閉めて行ってしまった
谷下も落ち着いた様子を見せて窓の方を振り向いてると
「カタ……」
窓ガラスにベッタリ張り付いて寝そべっている黒猫に驚く
椅子を引いて近くに寄ってみると 不満気な顔つきでこちらを見ていた
「どうしたのカタ?」
「……ミャーン」
「ふて腐れてる…… フテニャン」
「フン……」
窓を叩いて猫の気を引かせるが カタが振り返って顔を見せることは無かった
「カタ……」
「……俺を思い出したか?」
「えっ??」
「……何であんなに可愛がってくれた飼い猫を覚えてねぇんだよ」
黒猫は窓から降りるとそのまま何処かへ立ち去ろうとしている
「待ってカタ?!」
谷下の声が届いたのか その場に止まる黒猫 そして次の瞬間
「……エッ!!!?」
「ずっと待ってたのに…… あんまりじゃねぇかよ……」
尻尾が二つに割れ 猫背そのままに二足歩行へと立ち上がるカタはまさに
「あなた…… やっぱり妖怪なの?」
「……千年は待ってたぜ? ご主人様……」
二又という妖怪の姿をしたカタは慣れない歩き方で姿を消した
しばらくすると遠くの方から悲しい猫の鳴き声が響き渡っている
「カタ……」
戻ってきた夜桜は窓の外を見つめる谷下を不思議に見ていたが
何の素振りも見せずに席に座る彼女に 特に詮索する気にもならなかった
「じゃぁツムツムと交代して山での状況を話して貰う」
資料をまとめて帰るだけ
後はただ寛ぐ夜桜をよそに 現場に同行していたミカンとティキシの話が始まった
ーーカタ…… カタ…… カタ…… うぅ…… 思い出せない……
同時刻 警察署からそう遠くない羨門街の市役所 緊急措置で用意されたサリン患者が集まる広場にて
「なに戻って来てんだよ悪魔共!!」
「ラジオ聞いてないの?!! 三木ちゃんはもう無害だよ!!!」
罵声が飛び散る広場の端にある駐車場付近
何台にも並ぶ車の陰で看病をしている千代子は同級の生徒達に見つかっていた
「原因はウイルスじゃない!! ちゃんと説明された筈でしょ?!」
「うるせぇ!!!! じゃぁサリンはお前らがバラ撒いたんだろぉ!!!!」
支離滅裂だが彼等の声明は遠くにいる患者やその親族達までの耳に届く
生徒の一人は陰から千代子を引きずり出し 大声で注目を浴びさせた
「こいつらだ!!!! 犯人を捕まえたぞ!!!!」
「違うって言ってるでしょ?!!! 何がしたいのよ!!!!」
「うるせぇ黙れ!!!! 警察に引き出してやる!!!!」
病院内でも既に 役所では当たり前のように たくさんの死人が出ていた
いつ自分に降りかかってくるか 考えるだけで震えが止まらなくなる事態
住人はサリンが何だか分からない者が多く 漠然とだけ習知してきたウイルスとを結びつけて
マスクだけでは些か信用できないパニックが起っているのだ
「やめて…… やめてよぉ……」
千代子が非難を浴びてる中で ただ隅でか細い声を上げるしか出来ない三木
生徒とは別に 徐々に大人からも罵声が投げかけられる
「出て行けよ!! 悪魔!!」
「息子を帰してよぉ!!!!」
「助けて…… 誰か早く助けてよぉ!!!!」
「「「「「 出て行け!! 出て行け!!! 出て行け!!!! 出て行け!!!!! 」」」」」
人々から本気の 必死の声を千代子は受け取った 受け取ってしまった
何も悪くない筈なのに ついつい自分達が悪いんじゃないかと錯覚する程に
「私じゃない…… 私達じゃない!!!! 信じてよぉぉぉおおおおお!!!!」
「黙れぇ!!!!」
生徒が拾った木の棒が振り上げられ その棒先は千代子の頭を地面に打ち付けた
「千代子ぉぉぉおおおお!!!!」
三木が駆け寄る
地面に倒れる千代子の頭部からは夥しい流血が
「なんで…… なんでこんな事をするのよぉ!!!?」
「うっ…… 血… 血が流れたぁ!!! 俺達も感染するぞぉ!!」
罵声から一転し 今度は悲鳴が上がった
三木の涙に反して投げられるのは いよいよ声から物へと変わる
「千代子!!」
彼女に当たらぬよう三木が肉壁となって 飛んでくる投石を諸に受け止めた
頭から血を流しつつ 腕に当たって麻痺しようが 三木はその場から離れようとしない
「うぅ…… 千代子ぉ…… 痛いよぉ……!!」
目を瞑っていた三木は数十秒後 何かに当たる感覚が無くなることを知る
「…………」
恐る恐る目を開く彼女の目の前を覆うフサフサの黒い体毛
その人間二人分の身長を誇る得体の知れない生き物は二人を守るかのように立っていた
「……何?」
「シャァァァァァァァァ……… グルルルルゥ……」
その生き物の正体とは 先ほど谷下と別れたばかりのカタだった




