十三話 二日目 大家の旦那
初出勤にも関わらずその場で泣き崩れる谷下の異常さに大家も驚きを隠せない
「……イチに思い入れがあったのかい?」
「うん…… ぅぅぅ…… うん!」
「そうかい…… じゃぁちゃんと弔ってあげないとねぇ!!」
大家はカタの亡骸を優しく抱き上げ
アパートの裏庭へと運んだ
「あの…… ここって……」
そこには小さくも花で埋め尽くされている小さなお墓が既にあった
不可思議なのは何も書かれていない卒塔婆
「……身内のお墓ですよね?」
「気になるかい? ……このお墓ね 旦那のなんだ」
「ご主人ですか?! でも名前が無いのはさすがに可哀想では?」
「と言われてもねぇ…… 知らないんだよ 何十年も連れ添って来た相手なんだろうけどさ」
「そんなことあるわけないじゃないですか?! ふとした時に知る機会なんていくらでも……」
「……まぁだから適当に〝死人さん〟とでも呼んどいてくれ 意外と堅実な人だったからさ」
カタを隣に埋めてあげて旦那と一緒に弔って上げた
手を合わせる谷下を真似してえりちゃんやアカリヤミも合掌する
「ほらほら!! のぞっちゃんは早く会社に行かないと!!」
「……はい 行ってきます」
仕事に行かなきゃいけない責任感を前に出して 一旦はカタの事を忘れようとしていた
ハンカチで涙を拭き 今度のお墓には花を手向けられた
ーーまだあなたのこと何も分からなかったけど…… 助けてあげられなくてゴメンね
事実 昨晩に少し普通じゃない猫に会っただけだというのに心が落ち着かない
猫と話したからだろうか それとももっと前から会っていたからだろうか
本当は黒猫と話したことですら夢だったのだろうか
だけど横たわる小さな命を見てきたのはこれが初めてではない
外を歩けば道端に 車に轢かれた無残な遺体を何度も見たことがある
それに比べればカタの遺体なんてほとんど外傷がない まだ生きてるんじゃないかと思える肉塊だ
ーー肉塊か…… 私はもう あなたがあの身体からいなくなっていると決めつけてる
役所に着く頃には涙を流すことはなかった 周りからすれば他人事なのだから
視界がぼやける程度で堂々と職場の屋内へと足を踏み入れる
「今日からお世話になる谷下希です!!」
観光課の室内で待たされた谷下の下に見知った人物が変わらぬ態度で近づいてきた
「初めまして谷下君!! 私は観光戦略部の観光課の課長を任されております〝高山和義〟です」
「…………」
やっぱり時間が戻っていたんだなと このとき再確認した
何も変わってない相手の筈なのに何もかも変わって いや戻ってしまったんだ
「どうかされたんですか?」
「……いえ 大丈夫です
あの…… それでこれ 昨日挨拶しに来ようと思って渡そうとした菓子折なんですが……
こちらの諸事情で出向くことが出来ませんでした 本当に出勤当日になってしまい申し訳ありません」
「いやいやいいんだよ! こういう物を持ってきてくれる気遣いが嬉しいのさ!
それで今日から働いて貰うわけだが…… とりあえず至極簡単だが近隣住民との交流を深めて欲しい」
何を言われるのか既に分かっている自分が怖かった
こんな体験は人生に一度あるかないかの不思議な経験
谷下は高山の話を聞く振りをして 今起きている怪奇を静かに理解しようとしていた
「それじゃぁ谷下君! 午前は職務内容に目を通してもらって 午後から一緒に外回りしてもらうね」
「……わかりました」
「……無理しなくてもいいんだよ?」
「……え?!」
「目も腫れぼったいし ここに来たときから何か無理している気がしていてね
緊張するのは当たり前だけどさ…… 悲しいことがあったなら無理せず休んでもいいからね」
「っ……!」
谷下はやるせない今の気持ちを必死に押し殺した
相談できないからだ 泣いて叫いて何を分かってもらいたいのか困ってしまう子供と同様
だから涙を流すことはここでも叶わない 事情を上手く説明できるかどうかの話ですらないのだから
「大丈夫です!! ちょっと目にゴミが入っただけですから!!」
「ほぅ…… 随分と大きな埃が目に入っていたようだね
それだけ泣かなければならないような物が目に入ったらさぞかし激痛だろうね」
不思議と空気を和ませるのが上手い人なのか
彼女の苦し紛れの言い訳にも穏やかに受け止めてくれる高山は涼しい笑みでその場を後にする
ーーホント変わってない…… 高山課長は……
他の社員から業務内容を教えられるが 勿論今日中に覚えることは出来ず
午後の昼食を取り終えて役所の玄関前に集合した
「よし! それじゃぁ行こうか!」
「はい……」
外回りのルートも記憶していた通りの道程だ
駄菓子屋に寄って スーパーに向かう
でも何故だろう
「なんで…… 懐かしいんだろうか……」
風の臭い 草木の音 この街に住む人々の声が
まるで肌に覚えのある思い出が染み込んだ実家のような安心感
ーー……あれぇ
また涙が流れてしまった
怖いのと 悲しいのと 懐かしいのと
人はこんなにも一度に感情が複雑になるものなのだろうか
「谷下君……」
気付くと谷下はその場に立ち尽くしていた
高山の声が無ければそのまま往生していたのだろうか
「す…… すみません!!」
「……今日はもう一件見ていこうかな」
「えっ?」
高山は民間仕様のチンチン電車へと谷下を引き連れ
街の南側へと線路に沿って車両は動き始めた
時刻は夕暮れ時に差し掛かるのもあって 入れ物鞄を持った主婦達がチラホラ見える
ーー…………懐かしい
母親に抱かれていたあの頃
祖母の家に行けば用意されていた夕飯を楽しみにしていたあの感覚
近所のオバちゃん達から飴や駄菓子を貰っていた頃のあの緊張感
「我々は天に招かれています!!!! 見えない幸福を見出し!!!! 共に受け入れようじゃありませんかぁ!!!?」
突如拡声器で響く服の色が統一された真っ白な集団の声で谷下は正気に戻った
十数人という列を作り 住民達の歩行の邪魔にならないように看板を掲げて行進していた
「まぁた例の集団かぁ~~……」
「例の集団?!」
車窓から集団が通り過ぎて行くのを眺めている二人
高山は迷惑そうに見ている表情で およそ好感が持てる集団ではないと悟る