観察
子供達は屋敷の庭で遊んでいる。
僕は、あまりに色々な事があった後なので遊ぶ気にはなれなかった。
いまだに僕は自分がどこにいるのか分かっていないのだから。
「ねえねえ、名前教えなさいよ」
赤髪の女の子が突然僕に尋ねてきた。
「おあいぅ」
″トラム″と伝えたつもりだった。
「おありぅ?」
女の子は僕に確認してくる。
違う!
「あいあ」
「あうや?」
「あいうぁ!」
「あういいあ?」
ちょっとイラッとしてきた。
感情が昂ってくるとどうしても「あ」と「う」しか出にくくなってくる。
名前の事で女の子と苦戦していると、遊んでいた1人の男の子がこちらに近づいてきた。
「何しとん?」
「この子の名前聞いてるの」
「そっか。お前なんていうん?」
「あういぁ」
男の子の眉間にシワが寄る。
「何て言ったん?」
「あやや?」
だから違うよ!
「あうあ!」
「あうらって言うんだ!」
白髪の女の子が「今絶対そう言ったよ!」みたいなトーンで叫ぶ。
え?そんなん言ってないけど!?
「ふーん、アウラかあ…、女みたいな名前やな」
男の子が言う。
いやちょっと待って…!
さすがに聞き間違いでもそれは無理があるよ!
「アウラ!トーカはね〜。トーカっていうの〜」
白髪の女の子が言う。
そうか君はトーカっていうのか!
ずっと名前が分からなかったんだ!
……じゃなくって!!
まずい。僕の名前がアウラになってしまう…!
首を横に振る。
「なんか違うらしいよ」
男の子が僕の心情を察してくれている。
いいぞ!ありがとう!
「でも、アウラって言ったもん!」
おいい!!戻すなあ!
だから、僕、首横に振ってるじゃん!わかれよ!
「そうなん…?そっかぁ〜。じゃあアウラで」
なんと、男の子は無関心にそれだけ言って別の遊びにいってしまった…!!
″じゃあ″って何だよ!″じゃあ″って!君、面倒くさくなってきただけだろう!!
僕はリンカに対して、首を横にぶんぶんと振り続ける。首が痛い…。
「アウラはぁ〜どこから来たの〜」
首を横に振り続けたが、トーカの話題はコロコロ変わっていくので、僕が何に対して否定をしているのかも伝わりづらくなっていった。
首も限界だった。
もう…アウラでいいや…。
別にトラムという名前が気に入っているわけではないし…。
ここに僕がトラムという名前である事を知っている人はいないもんなあ。
僕がアウラと呼ばれるようになってから…。
僕は毎日、トーカと日が暮れるまで屋敷の庭の隅っこで色々話した。
話したと言っても、トーカが一方的に疑問や今日あった事をぶつけてきて、僕はそれに対して身振り手振りで返していただけだ。
トーカは僕の反応や主張を適切に受け止めることもあれば、全く的外れの解釈をすることもあった。
どうやら、雰囲気や空気感で僕のメッセージを解釈しているようだ。
当然、主観的な解釈なのでズレることもある。
ただ、それにイライラしたり、嬉しくなったり、主張を交換するのはこんなにも楽しいのかと初めて知った。
◆◆◆
庭で遊ぶ時間が過ぎると、僕たちは再び白い部屋に戻された。
庭で遊べる時間は日が沈む前まで。
今日も僕は庭でトーカとたくさん話した。
部屋に戻ってしばらくしたら、またスープをおじいさんが運んできた。
僕とトーカは口周りを残念な感じにしながらお腹いっぱい平らげた。
ここの屋敷の生活は快適だった。
僕は売られたハズなのに、なんでこんなに楽しく生活出来ているのか不思議だった。
また、騙されているのではないか…?
心地よい生活が、逆に僕の不安感を煽った。
幸せを感じるとリクトの顔がチラついた…。
ちょっと申し訳ないと思ってしまう。
もう会えないのかなぁ…。
まあ別にリクトの事は好きでも嫌いでもなかったから、それならそれでいいんだけどさ。
トーカとの時間が僕の中に渦巻く不安感を薄めてくれた。
現実から目を背けるための道具としてトーカを使っているような気がして、良心が痛んだけど対話する喜びには逆らえなかった。
僕はいつしかトーカの事が好きになっていた。
そうなると当然「こんなに可愛い女の子なんだから、誰かに取られたりするじゃないか」と心配にもなった。
(元々僕のものじゃないけど…)
でも、僕以外の子とトーカが一緒に遊んだり、話をしたりする所は見たことないから、大丈夫に違いない!
トーカが一人ぼっちだと僕は安心した。
◆◆◆
この屋敷に来て4ヶ月。夜中。天井も壁も白いあの部屋(僕は白い部屋と呼んでいる)で寝ていた。
この日は眠りが浅く、まだ暗いのに目が覚めてしまった。
隣でトーカはまだ寝ている。
再び寝ようとしたが、ちょっとトイレに行きたい気分になり、僕は白い部屋を出た。
用を済ませ、部屋に戻ろうとしたとき…。
ヒュンヒュン…。
空気を切り裂く音が微かに聞こえた。
ん…?気のせいか?
シャッ…。ヒュッ…!
いや、確かに聞こえた…。
耳を澄まし、音の聞こえる方へ歩く。この方向、僕たちがいつも遊んでいる庭の方からだ。
庭への扉には鍵がかかっていた。
外には出られなくなっている…。
夜は鍵を閉めるのか…。
庭には誰が…?
屋敷内の庭を見下ろせる場所へ移動し、窓から外を眺める。
確かに誰かがいる。
黒い雲が夜空を歩き、それに隠れていた月が庭を照らす。
人がいる…。
その人は、ナイフを握っていた。
そして、これまで見た事のない動きを繰り出した。
何かの練習だろうか?
にもかかわらず、滑らかな動作と綺麗なナイフ捌きだという事が子供の僕にもわかった。
その人の「練習」をしばらく見ていると、不思議な感覚を得た。
庭にいるのは、確かにその人だけ。
なのに、ナイフで誰かと戦っているように見えるのだ!
見とれている内に少しずつ、戦っている相手の輪郭が僕にもはっきりとみえるようになってきた。
その人は存在しないはずの者と剣を交えている!
接戦のように見える。
お互いがギリギリの所で攻撃をかわす!
一進一退。
素人目には長引きそうに見えたが、それは一瞬で終わってしまった!
その人が存在しないはずの者の首をナイフで掻っ切ったのだ。
首から血を吹き出すこともなく、煙のようにフッと敗者は消え、庭には再び、その人だけになっている。
その人は肩で息をしていた。
僕はすごく興味を惹かれた。
心が震えた。
何あの人…!
僕の背より高くジャンプしたり、急に突っ込んだり、かと思ったら引いたり、空中で体を回転させたり、回転させるついでにキックをしたり、首を捻って目の前の剣を交わしたり…。
何を食べたらあんな動きができるようになるんだろう…?
いや、もしかしたら特別な特訓をすればいいのかな?
どうなんだろう…?
方法を教えてくれないかな…。
再びその人に視線を戻す。
向こうも庭からこちらを見ていた。
目があった。
ドキッとする。
刹那。
その人の雰囲気が変わった。
殺されそうな気配を感じ、背筋が凍り、腰が抜けた…。
僕は思わず、窓を離れ、廊下にへたり込んでしまった。
「んはあぁ!」
息をする事を忘れていることに気づく。
手が汗で濡れていた。
僕の頭がこんがらがっている。
時間をとめられたような感覚だった。
あの人が「何か」をしたんだろうか…?
再び窓から庭を見るとそこにはもう誰もいなくなっていた。
◆◆◆
トーカは今日もアウラと一緒に遊ぶの!
トーカはアウラが好き!
だって、アウラはいつもトーカの話を聞いてくれるもん。
トーカの言ってる事はわかる時とわかんない時があるけど、それでも楽しい!
トーカがこのお屋敷に来たときはみんなそれぞれにお友達がいて、トーカが仲間に入れてもらえそうなところはなかったからね。
仲間に入れて欲しいっていう勇気もなかったし…。
寂しかったなあ…。
そんな時、アウラが屋敷にやってきた。
このお屋敷ではトーカは、アウラのお姉さんなの!
今日もお外に出たらいっぱいおはなしするんだ!
…。
と…思ってたのに…。
朝ごはんの時もそうだったけど、今日のアウラはウトウトしてばっかり…。
なんか体がゆらゆらしてて、スープに顔を突っ込みそうにそうになってた…。
トーカの話にも、あうあう適当にいってる感じでなんかつまんない。
今日のアウラは嫌い。
一緒にいても楽しくない…。
庭に来たけど、アウラはまだウトウトしてる…。
「アウラぁ…ねえ起きてよ!」
「うあぁ…うあう…」
「…!もう!」
いい加減にしないとトーカ怒るよ!
トーカ怒ってるの分かんない!?
そんな風にするんだったら、もう遊んであげないから!
もうアウラのこと嫌いになるから!
……。
トーカは船を漕いでいるアウラを置いて何も言わず庭を離れ、屋敷の中に戻った。
トーカはこうすれば、アウラは自分についてきてくれるだろうと思った。
何せ、4ヶ月近くアウラとトーカは一緒に過ごしていたのだ。
私がそばにいなくなった事にびっくりしないはずがないはずだ。
トーカは怒った態度を見せることによって、アウラの反省を促そうとした。
しかし、アウラはトーカが自分のそばから離れたことに気づかず、そのまま庭でポカポカ日の光を浴びながら、芝生の上に寝転がって眠ってしまった。
「アウラのバカぁ!」
トーカはおもちゃ部屋に行き、そこにあるクッションにボフボフとパンチを繰り出した。
◆◆◆
昼間寝過ぎたせいか、僕の目は冴に冴えていた。
眠れない。
庭にあの人はいるだろうか?
僕は庭がよく見渡せる、屋敷の窓に移動した。
窓から薄暗い庭を見る。
……。
あの人が昨日の夜にいた場所を確認したが、見当たらない。
今日はいないなぁ…。
毎日いるわけじゃないのかあ…。
「俺に何か用か?」
「うあ!!」
背後から声!
振り返ると黒マントかぶった人が…。
「お前昨日俺をジロジロ見ていたガキだな。部屋に戻って寝てろ」
昨日って事は庭でナイフを振り回してたのはこの人か!?
マントを被っているから顔がよく見えない…。
声から女の人ってのはわかるんだけど…。
ただ、言葉遣いは荒いな…。
また、昨日やってたあの動きを見せてくれないかな…。
「ああえうい」
「は?なんて言ってるかわかんねーよ」
うーん。身振り手振りで気持ちを伝えられるか…?
僕は見様見真似で、昨日この人がやっていた動きをしてみた。
パンチから。
ひょろん。ひょろん。
「何がしてえんだ?」
ち…違うか…。
ふゅん。ふゅん。
「てめえ…。ふざけてんのか…」
あれ!?怒らせちゃった…?
こうだったか…?
ふりゅん。ふりゅん。
「じゃあな」
待って待って!
女の人はマントを翻し、屋敷の出口に向かって歩き出した。
お願い待ってよ!
僕はとっさにマントを掴もうとした。
その瞬間…!
マントを掴んだ瞬間自分がバラバラにされる未来が見えた。
殺される!
とっさにマントに伸ばした手を引っ込めた。
僕の体はなんともなかった。
「ふん…」
女の人は鼻を鳴らし、屋敷の玄関の方に行ってしまった。
僕は腰が抜けてしまって、動けなくなってしまっていた…。
昨日もあったけど、なんなんだよコレ…。
触られてもいないのに…。
か…関わらない方がいいのかも…。
や…やめとこう。
もう怖い思いはしたくないし…。
白い部屋に戻り、もう寝ることにした。
昼間に寝た分、寝付く事がなかなか出来なかった。
◆◆◆
「マリータさぁン!あの子また、逃げ出しましちゃいマシタァ!」
「ンダトォ!?」
あんのクソガキ!安静にしてろって言ったのにまた脱走しやがった!
まだ、怪我も治ったばっかなんだぞ!?
「あ″〜もう!孔尚!てめえちゃんと見張っとけっつったろーが!なにしてたんだよ!」
「寝ちゃってマシタァ〜」
「はああ!!?」
「ひぃ〜ん。ゴメンナサァ〜イ」
もうやだよぉ〜。また、頭に怒られちまうじゃんか…!脱走がバレねぇ内にさっさと見つけねーと…!
「あの子ったらぁ〜。また、マリアさんを困らせテェ…!」
「アタイは仕事サボってよく昼寝してる誰かさんにも困ってんだけどな」
「ケシカリマセンネそいつ!ヤキ入れてやりまショウ!」
「ならお前にヤキ入れないとな」
「あの子探してきマース」
孔尚は脱走した子供を探しに駆け出した。
…。
あんのガキ〜!アタイは誘拐事件の調査で忙しいってのに…!
最近、子供が誘拐される事件が多発している。
アタイはその事件の調査を任された。
調査の過程で、誘拐された子供が売買されている情報をつかめたので、売買の現場に向かったのが約4ヶ月前。
誘拐され、売られている。
その可能性が高いと考え、その線で調査を進めた。
まず売買の現場を押さえる。商人は誘拐の事を知らされていなくとも、情報を少しは知っているはずだ。
まず、商人はどこに現れるか…。
ホント、この情報掴むのは苦労した…。
商人達はほとんど尻尾を出さず、売買も呼吸をするように済ませてしまうので、痕跡が残りにくい。
しかも、誘拐場所も売買をするところもバラバラなので区域を絞って調査することも難しかった…。
今回、貴族や裏家業のお偉いさんに賄賂渡しまくって、ようやく捕まえた尻尾なわけだ。
アタイ達は子供の売買の商人を取り押さえ、今回の出動は終わった。
既に子供達は全員に売られてしまった後だった。
だが、商人は取り押さえることに成功したので、拷問して奴ら商業グループの手がかりを少しでも聞けるはずだ。
それを元に調査を進めよう。
何もはかなかったらキツイなぁ。
正直そうなると八方塞がりである。
出動の後、そんな事を考えていると部下から赤毛の子供を見つけたとの報告を受けた。
「報告します!現場付近の茂みで子供を発見。保護しました」
「子供?」
「子供の状態を見た感じおそらく現場から逃走してきたのだと思われます。茂みの枝で着いた小さな傷が複数ありました」
「話は聞けそうか?」
「いえ。今は気絶しております。保護した場所のそばには小さな崖があり、そこから落ちたものと思われます」
「そうか。命に別状は?」
「ありません」
「わかった。とりあえず手当てしてやれ。目が覚めたら話を聞きに行く」
5日後。駐屯地に戻った後で子供と対面した。ボサボサの赤毛が目立つ子供だった。
「はじめまして。落ち着いて私の質問に答えて欲しい」
「ここは?」
子供が口を開く。
「楚の駐屯地だ。安心していい、ここの人たちは君に乱暴をしたりはしない」
「楚って?」
「ん〜…。正義の味方の集団?とでも言っておこうか」
ホントはただの義賊なんだけど、楚を知らないんだったら、子供にはこの答え方の方がウケはいいか…。
「お前は?」
おまっ…。おまえ…?年上だぞ私は…!
「ま…マリータだ。この駐屯地を指揮している」
「ふ〜ん。おばさん偉いんだね」
ピキッ…!
「ま…まあ…。私が指揮してるって言ってもそんなすごいもんじゃないよ…。」
くふふ…。ちゃんと大人の対応をしたな…。怒らなかった!偉いぞアタイ!
子供は他の者に自分がなんでここにいるか、一通りの事情は把握しているようだった。
男に騙され、荷馬車に乗せられ、遠くまで連れてこられてしまったという。
「とりあえず、しばらくここに居ていい。ゆっくり休め」
「ねぇおば…」
ギロッ。
「マリータさんと呼べ」
「ま…マリータさん…。俺の他にもう1人いなかった?」
「いいや。そんな話は聞いていない」
「そっか…」
「そういえばまだ君の名前を聞いていなかったな」
「…リクト」
「そうか。リクト。また来る。」
その子供はしばらく楚で保護することになった。
親元に返したいところだが、リクト本人が帰る事を嫌がっているため、親の住む場所を教えてくれない。
ひとまず、この件は棚上げされることになった。
正直子供1人増えたところでなんの問題もない。
と…。思っていたのだが、この子供、相当なヤンチャ坊主だということが日に日にわかってきた。
楚の隊員に悪戯したり、貯蔵されている食材をこっそりつまみ食いしたり、武器庫の火薬に火をつけて遊ぼうとしたり…。
戦闘や整備では役に立たない孔尚を見張りにつけたが、持ち前の抜けたところもあってほぼほぼこちらでも役に立たない…。
今日は3度目の脱走。行くあてもないのに…。なにしてんだアイツは…。
別に見捨ててもいいんだろうけど、頭に子供は大事にしろって言われてっからなあ…。
子供の誘拐事件調査のために楚の一部隊を使うような人だし…。
見捨てたなんて知れたら、なにされるかわかんねえ…。
「マリータさぁん!捕まえましたヨ!褒めてクダサイ!」
声の方に振り向くと、孔尚が脇にリクトを抱えてこちらに戻ってきた。
「お前が逃さなければなんの問題もなかったんだよ!」
「はぁなぁせぇよぉ〜!」
こ…こいつらの面倒見なきゃいけないの…?
頭いてぇ…。
売り捌かれた子供の足取りもつかまなきゃなんねぇし…。
「なあ…。お前」
そこら辺にいた隊員に声をかけた。
「相談なんだけどさ…。アタイとその…隊長変わってくんない…?」
「は…はあ…。それは…すみません」
「だよねぇ…。ごめんね。変なこと言って。忘れて」
「ご心労お察しします…」
隊員の少しでも私の気分を害さないよう笑顔を作っていた。
その笑みはひきつっていた。