Ignition (イグニション)
二〇〇九年、七月中旬、黄昏時。
人はなぜ、いつも同じ道を歩くのだろう。
なぜ、決まった航路を往き来するのだろう。
自由を手にするため戦うのに、既に在る不自由の中から何かを選び取ろうとするのだろう。
世界は、とても、広いはずなのに……。
不思議な、そう、夢を見ているようだ。取り留めもない考えが、浮かび上がっては消えてゆく。普段は考えもしないような事ばかり。夢だからこそ許される、甘ったるいくせに苦く感じるような時間。思考は自然と湧き出しては、消え去ってゆく。
大切なこと、どうでもいいこと。雑然とした思考。流れる水のようなこの夢に、ゆっくりと浸っていたい。
しかし、現実はそんな安らぎにも似た時間を長くは待とうとはせず、僕を居るべき場所へと引き摺り戻す。
ゆめうつつの狭間で、記憶が少しずつ蘇る。
確か、雨が降ってきたはずだ。急な雨、狐の嫁入り。眠ってしまう前に見た光景。雲の切れ間から光が差し込んで、空を見上げた。虹が見えないか期待したんだ、彼女と一緒に。綺麗な虹だった。大きくてはっきり映し出された七色。そこに、何か別の光を見たような気がする。
あれは、いったい、なんだったんだろう。
ゆっくりと、安息の時から目覚めてゆく。瞼をそっと開けてみる。視界はぼやけていて、なにもかもがはっきりとしない。それでもどこか広い空間にいるように感じる。現実感に乏しいところだ。
僕は、死んだのか? もしかしてここは天国? いや地獄かも。
そうだ、僕はさっきまで車を運転していたんだ。虹を見た時、突然とても強い衝撃に襲われた。事故を起こしてしまったのか!?
思い当たった瞬間、意識が急激に加速した。走馬灯のように記憶が遡り、思い出す。
ドライブをしていた事、雨、虹、辛かった事、幸せだった事、親しい友人、忘れらない思い出たち。そして恋人————
様々な大事なコトが溢れ出し、頭の中で爆発した。
そうだ、春歌さんは!?
連想を繰り返しその果てに、僕はついに現実に帰還する。誰かに呼ばれたような気がした。
其の日、其の時、冬実 真は自らの核心と対峙していた。
少しずつ、少しずつだが、何が起こっているのか分かってきた。焦点が徐々に定まり、周囲の光景が見えてくる。
瞳に映るは炎。
それは燃え盛る山々。
吹き飛ばされた家屋、学校、町。
不自然なほど赤く染まった夕暮れ。
ひしゃげて地面に突き刺さった車。見覚えがある。
町には誰もいない。人の気配がどこにもない、生きている人の気配は……。
見渡す限り、それはまさに、地獄と呼べる光景だった。
そして、それらすべてを圧倒する存在。常識を遥かに逸脱したあまりにも巨大な人影。状況を理解しかけていた意識を、その影は再び白紙に戻す。
激しく揺らめく炎が作った幻なのか。だが、異質な巨影はその姿を厳然と保っている。
その影に反応し、人の顔に相当する部分を見た時、それと目が合ったように感じた。視線を合わせたことを機に、それはゆっくりとこちらに向かって接近を始める。
真はパニックに陥った。脳が情報を処理し切れない。思い出さなければいけない事、確かめなければならない事、理解できない現状。非現実的な事柄が殺到し、混乱の極致に追い込まれる。
「なんだ、なんだよ、何が起こっているっていうんだ!」
悲鳴に近い声を必死に紡ぎ出す。その声に応えるものは居ない、はずだった。
「あれは敵です。あなたの町を破壊し、彼女を殺害した機械です」
不意の返答に、全身が強張った。
「だ、誰だっ!」
しかし、声の主は姿を探す必要も無くすぐそばに居た。そのヒトは、ただただ美しい女性だった。
大きく切れ長な目、ふっくらとした頰、桃色の麗しい唇、透き通る雪肌、流れるように綾なす髪、絵に描いたような美貌だ。
だが、機械に似た装飾を着けていて、燈すの瞳の色が異質を顕し、人間らしさを感じさせない。
正に、女神だ。
女性は真が狼狽る姿など意に介さず、言葉を続けた。
「あの機械を放擲すれば、被害が更に拡大します。どのような手段でも構いません、あらゆる方法を以って、目標を撃破して下さい」
見ず知らずの女からの、突然の命令。
目標? 撃破だって? なにを言っているんだ?
だが、その声は意思を飛び越え、ふたつの激情を誘発する。
ひとつは、女への絶対的信頼感。
ああ、この女のいうことを実行しなければ!!
そしてもうひとつ、恐ろしく凶暴で攻撃的な感情が喚起される。貌と心が怒りと憎しみに支配されていった。
「そうか、そうだった……」
今、何が起こっているかはよく分からない。しかし為すべき事、『それだけ』が刹那として「理解」出来た。
この地獄を作り出したのはヤツだ。
思考が巡る。巨人、いや生き物ではないらしいから、人ではない。
目標、あの巨大な人影はマシーンだとこの女は言った。つまり「為すべき事」を実行しても『いのち』を奪う事にはならない。
そんな感覚が狂気をさらに増幅させ、生々しい感情が溢れ出してくる。それは『殺意』だった。僕は生まれて初めて、機械に対して殺意を抱いた。
あのマシーンを「殺したい」と。
矛盾している。命の宿らないモノへの殺意。だが、他に言葉が見つからないし、実際そんな事はどうでもよかった。意識がはっきりとしていくごとに心は昂ぶる。
「ヤツが……さんを?この、町を……」
先ほどまで隣にいた、恋人。その名を口にする事は出来なかった。大切な人を喪失ったと告げられて、素直に受け入れるなど到底不可能だ。信じられない、信じたくない。
が、状況はそれを否定しきれない。
「嘘だっ、そんな訳がない!」
全身が凍り付くようだ。
「そんなわけがない、絶対にそんなわけ……」
とにかく喚き散らした。殺意が視界を真っ赤に染める。
「この街を破壊したのはあのマシーンです」
女の言葉は、僕に追い討ちを掛ける。女を睨みつけたが、反論は出てこない。その姿は冷徹でありながら、なお美しいと感じてしまう。何故だ、この感覚には抗えないものがある。
悲しみと怒りの波がオレの中でうねりを上げた。
「く、くそぉぉおおお、ちくしょう、ヤツを、ヤツだけは絶対に、絶対に……!」
絶対にどうするのか。精神は漲り、言葉は意味を消失した。
『マシーンはモノだ! だから壊してやる!!』
大切な人、見慣れた風景、思い出の場所、忘れられない日々。炎に包まれている「ここ」は、そういう、故郷だった。
だから、この感情は当然だ。
破壊をもたらすモノとの戦いを始める。
今思えば、それは自分の運命を壊し始めた瞬間、だったのかもしれない。
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