第八話 幼い少女
満月の夜。湖のほとり。
静かな水の音と虫の声にキョウヤはゆっくりと目を覚ました。
視界には満天の星空。思わず見惚れてしまうような光景だが、キョウヤはまず自分の置かれた状況を確認しようと周囲に目を向ける。
頭を強く打った後のようにぼんやりとする意識。
しかしそれも鮮明になるにつれ、記憶が蘇ってくる。
「そうだ! あの天使は!?」
慌てて立ち上がろうとしてキョウヤはそれに気付いた。
自分の胸の上で気持ちよさそうに眠る黒髪の少女、ルシエルに。
すやすやと寝息をたてながら、それはそれは幸せそうな寝顔。
ムニャムニャと動く口から零れる涎がキョウヤの胸を汚す。
手はキョウヤの刻印の上に大事そうに添えられている。
そこでキョウヤは自分の上半身が裸なことに気付いた。
「なんでまた裸なんだよ」
ルシエルを起こさないよう小さくぼやく。
そしてルシエルの姿を見てキョウヤは更に驚いた。
何故か黒い布一枚に身を包んだルシエル。
しかもそれがかなり際どい。もう寝返りを打てば見えてしまうんじゃないかというぐらい、すでに色々と見えている。更にキョウヤはルシエルの体を見てある事に気が付いた。
「小さくなってる……?」
キョウヤの言う通りルシエルの体は契約した時よりも縮んでいた。
あの時はキョウヤと同じぐらいの少女だった。
自分の体を貸した時はそれよりも少し幼くなっていた気がするし、今に至っては妹と同じぐらいの年頃に見える。
何がどうなっているのかわからないキョウヤ。
ただ状況的に一難は去ったようだ。
取り敢えずルシエルが起きてから聞こう。そう思い星空を眺めてみるキョウヤだが、どうしてもルシエルが気になって集中できない。
このままの状態でいるのは色々とマズい気がする。
顔が赤くなるキョウヤ。
「……いやいや、妹ぐらいの年頃の子にそれはないって」
自分で言いながらも体の一部が反応している事実に自己嫌悪に陥る。
理性が働くうちにルシエルをどかそう。
そっとルシエルを隣に動かそうとするが、ルシエルの顔が急に不機嫌になり何かを探すように手を彷徨わせる。そして刻印を探り当てると、にへらーと幸せそうに表情を崩す。
「こいって本当に悪魔なんだろうか?」
キョウヤがそんな疑問を抱いてしまうほど、その姿はただの無防備な子供だった。
そこでふと、キョウヤの脳裏に見覚えの無い光景が浮かぶ。
薄っすらとした記憶なためはっきりとはわからないが、それはルシエルがあのチャラい二人組の天使を圧倒している光景だった。
「そう言えばルシエルはあの時、刻印で気持ちはわかってるとか言ってたな。これがあれば記憶や感情が伝わるってことか?」
ルシエルの手の隙間から見える刻印に目をやりながらそんなことを考える。
しかしそうなるとかなり重大な問題が発生する。
先程ルシエルの姿を見て思った事や感じたことも、全て筒抜けになってしまうのだろうか?
そう考えた瞬間だった。
「ん……、ふわぁぁ」
ルシエルが大きく欠伸をしながら目を覚ました。
うーんと大きく伸びをしながら目をしょぼしょぼさせる。
じー、とキョウヤを見ているルシエル。
それはただキョウヤを見ているようで何かを確認しているようにも見える。
心を読まれる罪人のようにキョウヤは小さく汗をかいた。
そんなキョウヤを無視して体を起こすルシエル。立ち上がりながら、うーんともう一度大きく伸びをする。
何故か見てはいけないような気がしてキョウヤは視線を逸らした。
ルシエルは何事も無かったかのように背を向ける。それを見て心を撫で下すキョウヤ。
思春期の少年が一番知られたくないであろう部分。それを異性に知られるというのは死ぬほど恥ずかしいものだ。しかし、安心するキョウヤにルシエルがからかうように言い放つ。
「心配するな。契約者がロリコンなことは契約した時から知っている」
「ロリコンじゃねぇよ! 寝起きでいきなり何言い出すんだよ!」
慌てて反論するが顔は赤いままだ。
「言葉以上に体は正直なものだぞ」
振り向くルシエルの視線が徐々に下に向けらる。慌てて隠すが、それはルシエルの言っている事を認めてしまうようなものだった。
バツが悪そうなキョウヤの表情。
「それよりいろいろと聞きたい事があるんだけど」
恥ずかしさを誤魔化すようにキョウヤが話題を変える。
「そうだな。ようやくのんびりできる事だし聞きたい事があるなら、何でも聞いてくれて構わんぞ。だがまずは服を着てからにしろ。いつまで裸でいるつもりなんだ?」
何かとてつもない理不尽さを感じながらも服を探すキョウヤ。
しかし肝心の服が見当たらない。
「ああ、服ならあの麻袋に入ってるぞ」
ルシエルの視線の先にパンパンになった麻袋が五つ並んでいる。
「メアリーちゃんを襲った犯人を見つけたお礼にどうしても受け取ってほしいと言われてな。遠慮したんだが、これから必要だろうと思ってもらっておいたぞ」
どうしてもという部分を強調するルシエル。
「絶対に嘘だろ」
小声で突っ込むキョウヤ。
その時の記憶がはっきりとある訳では無かったが、何故か脅して強奪して来た姿しか想像できない。
メアリーに対してあまり良い記憶があるわけでは無かったが、心の中で謝りながらもキョウヤは入っていた服に袖を通した。