第六話 天使の懺悔2
「さて、まずはお前に聞きたいことがある」
天使は何も言わず黙ったままだ。
「我々の住む世界からもっとも離れた世界。そこで本来なら地獄へ行くはずだった人間の女を無理矢理天国へ連れて行った者がいる。知っていることがあるなら話せ」
「……」
沈黙を貫く天使。
「だんまりか」
ルシエルが目を閉じる。
そして、かなり面倒くさそうに呪を唱え始めた。
「我が名はルシエル。幾万もの十字架を貫きし罪深き咎よ。千の血肉を捧げし我の望みを叶え給え」
殆ど棒読みのルシエル。
そして今度は、悪戯っ子を呼び出すような気軽さでその名前を呼んだ。
「出てこい、『コルベニク』」
ルシエルがその名前を呼んだ途端、頭上に闇が現れた。
ずるり、ずるりと闇から現れる黒い棒状の物体。
周りを黒い血肉のようなモノで覆ったそれは、ルシエルの前でピタリと止まった。
ボトリと滑り落ちる黒い塊が何ともいえないグロテスクさだ。
そしてルシエルが黒い棒に右手を突っ込んだ。
するとルシエルの手に馴染ませるように、黒い棒がその姿を変える。
それは両端が二股に分かれた漆黒の槍。
纏わりつくものが無くなり、ルシエルが持つに相応しい形となった。
そんな二股の槍を見て、今まで黙っていた天使がようやく口を開く。
「それは……! まさか!? 神殺しの槍か!?」
「ああ、これはそれを真似して作ったレプリカだ。貴様ら千人の天使を生贄に捧げて作った、私の……えーと、三番目だったか? ぐらいにお気に入りの武器だ」
同胞を生贄にしておいて、そんな適当な紹介の仕方に天使が怒りを露わにする。
「貴様! ふざけるのもいい加減に……!」
しかしそれ以上言葉は続かなかった。
ルシエルの持つコルベニクが天使の喉元に突きつけられたから。
「さっきの質問の答えがまだだな」
「悪いが悪魔に話すことは何もない。さっさと殺すがいい」
「全く、何を急に悟ったようなことを。悪いが簡単に殺してもらえると思うなよ」
ルシエルが後ろで倒れている、長髪の男に手をかざした。
視線は天使に向けたままルシエルが言う。
「自らが守護する人間を見捨てていいのか? 導くだけが天使の役目ではないだろう? 呼ばれたのだからしっかり守護してやらんとな」
手をかざした男の周りにいくつもの小さな闇が浮かび上がる。
天使の羽根を貫いた黒い矢と同じもの。
その先端が闇から顔を覗かせて、いつ飛び出そうかその機会を伺っている。
「おのれ! 卑怯な真似を!」
「悪魔だからな」
当然とばかりにルシエルが答える。
「ほら、早くしないとうっかり滑って貫いちゃうぞ」
闇からそろりと出てきた矢が、天使の様子を伺いながら先端で男の体を突つく。
「……私は何も知らない」
闇から一斉に矢が飛び出し、男の皮膚を薄く貫く。
「本当だ! そもそも貴様の言う最も離れた世界というのがわからない!」
必死な天使の訴えは嘘を吐いているとは思えない。
「これだから最近の若者は。都会ばかりで楽をせず、たまには田舎にも足を運んでみろ。思わぬ収穫があるかもしれんぞ」
自分の胸に指を這わすルシエル。
そんなルシエルの言葉に天使は全くついてこれないでいた。
ルシエルは天使を無視して男に伸ばす手に力を込める。
「なら質問を変えよう。仲間でルールを破りそうな奴はいないか? 女の子に悪さするような奴でも構わんぞ」
ルシエルがコルベニクで天使の頬をペシペシと叩く。
「……いない。本当だ! いるとすればあいつぐらいだ! 私と一緒にいた天使。その手の話しならあいつに聞けばいい!」
「もういない天使のことを言われても知らん」
「……まさか!?」
「先に地獄へ行ったぞ。次はお前の番だがな」
「……」
「ふう、あまり人間を傷つけたくは無いんだが。もう少しわかりやすく行くか」
ルシエルが天使を睨んだ。
その瞳に宿る炎が氷のように冷たいものへと変わる。
まるで憎しみの塊を見るようなルシエルの視線が天使を貫いた。
「お前たち天使が悪魔に知られてはマズい事を教えろ。話さなければ、あの男を殺す。知らなくても殺す」
天使の答えを待たずに闇から飛び出した一本の黒い矢が長髪の男の右肩を貫いた。
男は刺されても目が覚めず気を失ったままだ。
「ま、待て! 私のような下級天使は何も知らない!」
矢が男の左肩を貫く。
「待て! 一つある! 上級天使が話しているのを聞いたんだが、なんでも次の祈願祭で何かをやろうとしているらしい」
「祈願祭とは、あの天使信仰者を増やすために行われる祭りの事か?」
「……そうだ」
「具体的には?」
「それは知らん」
黒い矢が今度は右肩を貫く。
「本当だ! 私は下級天使なんだ!! 上級天使が何を考えてるかなんて知る由もない!!」
「まあ、確かにそれもそうか。なら他には?」
「……ない」
右足を黒い矢が貫いた。
「本当だ! 信じてくれ!!」
次は左足。
そして最後に黒い矢が男の心臓を貫こうとした時だった。
「……待て! 1つある」
ピタリと矢が止まった。
「お前が地獄に送った天使。あいつがこの前守護する人間、そこに倒れている男を使ってこの教会の娘を襲わせた。あのような恥知らずな行い、本来なら同じ天使でさえ知られてはまずい。これでいいだろ!」
「ほう。それはいい事を聞いたな。これで我が契約者の疑いも晴れそうだ。しかし私が聞きたいのはそんな事ではない」
ルシエルが倒れた男に目をやる。
「本当だ! 私が知る事は全て話した! 頼むあの人間だけは!!」
「わかった。あの人間は許してやろう」
ルシエルの言葉にほっとする天使。男の周りを囲んでいた闇がスッと消えて行く。
「しかし驚いたな。お前らのような天使でも呼ばれればしっかりその責務を果たそうとする。私に信者を殺させて、さっさと逃げるかと思ったが」
「我々は主に仕えし天使だ! おいそれと……」
「ああ、そういうのは別にいい。聞くつもりも無い」
コルベニクが鈍い光を放つ。
「お前たちは我が契約者の怒りを買った。罪なき子供を貶めようなど主が許しても我が契約者が許さん。まあ、幼い女の子に限るだろうが」
せっかくかっこよく決めていたのに、最後の一言で全て台無しである。