第十一話 少年と悪魔による茶番
湖のほとりで向かい合う形で座り込む二人。
なぜか正座のルシエル。
「落ち着いたか?」
あれから興奮気味に話すルシエルにああだこうだと熱く語られたが、キョウヤは全く付いていけなかった。
取り敢えずルシエルが落ち着くのを待って二人は今に至る。
「ああすまん。少し取り乱してしまったな」
あれで少し?
突っ込みたくなったがこれ以上面倒になるのも御免なので、グッと堪える。
「それで、どういうことなんだ? お前に体を貸して魂が浸食されれば俺が無に還るのはわかったけど、妹を生き返らせるのにどうして俺の魂が必要なんだ?」
キョウヤはここへ来てようやく肝心な事をルシエルに問い質した。
普通なら契約の時に確認しそうなものたが、どうやら彼は後先考えずにその場の勢いで生きていくタイプのようだ。
「ああ、それか。生き返らせる。つまり死者を蘇生させるには生贄が必要になる。それは血の繋がりのある者の魂でなければならない。ただそれだけのことだ。つまり妹を蘇生させれば契約者の魂は先程言ったのと同じく無に還ることになる」
ルシエルは簡単に言っているが、妹を蘇生させればキョウヤの魂は無くなってしまう。
それはお互いが同じ世界で生きて暮らすことが出来ないことを意味する。
それがルシエルが契約前に言っていた条件なのだろう。
あの時ルシエルは妹と会えるとは言っていたから、蘇生させなくても会うことはできるのかもしれない。
しかしキョウヤにはただ会うだけのつもりはないようだった。
「そっか。ならこれから体を貸すのは極力無しだな」
「なんだ。えらくあっさりしているな。もう少し動揺するかと思ったが」
全く動じた様子のないキョウヤにルシエルは意外そうな表情をしている。
「俺は妹が生き返るなら自分の魂なんてどうでもいい。俺のせいで妹は死んだようなものだしな。だったら自分の命を差し出して、それで妹が生き返るなら俺はそれで構わない」
自分の大事なものを大切な人のため躊躇なく差し出すことができる。
今のキョウヤの言葉を普通の女の子が聞いたなら感動していたかもしれない。
いや、惚れていてもおかしくはない。
そんな不思議な雰囲気が今のキョウヤには漂っている。
しかし悲しいかな。
今キョウヤの目の前にいるのは普通どころか人間ですらない悪魔。
だからだろうか、感動しているポイントもどうやら普通じゃないようだった。
「本当か!? なら、蘇生させる前に魂の浸食に余裕があるなら憑依させてほしい!? いいだろ!? いや、いいに決まっている!! どうせ無くなる魂なら最後ぐらい心行くまで憑依させてくれ!!」
また興奮し始めたルシエルが瞳を輝かせながらキョウヤへと詰め寄る。
「お前ってやっぱり悪魔だな! 人の魂をなんだと思ってるんだよ!?」
また勝手に憑依してきそうな勢いだったのでキョウヤが手でルシエルの顔を押し留める。
しかしそれでも負けじと手を組み祈るようにキョウヤへと押し迫るルシエル。
「何を言っている! 悪魔と契約したものの魂は、望みを叶えた後なら悪魔の好きにして良いのだぞ! しかし今回は契約者の魂は望みを叶えれば消えてしまう。私にとっては、ただただ損なだけではないか! それでも契約者の願いのために全力を尽くそうとするこの悪魔に対して少しぐらいその身を捧げようとは思わんのか!?」
「そっちだって俺の体を使って天使をボコボコにして楽しんでたじゃねぇか!? それでおあいこだろ!?」
「確かに楽しんではいた。しかしそれ以前に契約者はもう少し私に対して良くしておいた方が良いと思うぞ!」
「どういう意味だよ!?」
「妹を蘇生させて契約者がいなくなった後、私は妹に対して好き放題言えるのだぞ」
ピタリ。
ルシエルの言葉の意味を理解してか、キョウヤの動きが止まった。
その隙にルシエルがキョウヤに抱き付くようにしてそっと耳元へその愛らしい唇を近付ける。
そして囁く。
悪魔の囁きのように。
「いいのか? 契約者が妹と同じ年頃の女の子に欲情したと話しても。他にも聞かれてまずい事があるのではないか? ちなみに拒絶される前に、契約者の過去はバッチリ確認済みだ」
キョウヤはこの時初めて悪魔に対して恐怖を感じた。
これが悪魔なのかと。
こんな卑劣なやり口で人を貶めるのが悪魔なのかと。
キョウヤは戦慄のあまり契約したことを少しばかり後悔した。
「けど、悪魔の言うことなんて誰も信じるわけないぞ? 妹は俺と違ってしっかりしてるし、何よりお兄ちゃん子だからな」
反論してみるが声は隠せないほどに震えきっている。
そしてそんな状態でこの悪魔に勝てる筈もない。
ルシエルが更にキョウヤを追い詰めるように別のカードを切る。
「物的証拠があればどうだろうな。契約者の部屋に隠してある、あんなものやこんなものまで見せてしまえばもう契約者の知るお兄ちゃん子な妹はいなくなってしまうだろう。良かったな。その頃には契約者の魂は消滅しているから、妹の軽蔑な眼差しを受けなくて済む」
キョウヤの体が目に見えてわかるほど、恐怖と絶望でガクガクと震え始める。
瞳は悲しさのあまり薄っすらと涙で潤んでさえいる。
ここまで来ればもう勝負はついたようなものだった。
「な、何が望みなんだ……?」
降伏宣言のようにキョウヤがルシエルの要求を尋ねる。
「なに、私はただ契約者の魂に憑依させてもらえればそれでいい。何も好きな時に憑依させろと言っているわけではない。余った分だけ憑依をさせて欲しい。ただ、それだけなんだ。勿論妹の蘇生に支障が出るようなことは無い」
怖がる子供をあやすように、キョウヤの背中をポンポンと叩いてやるルシエル。
そんなルシエルの巧みな飴と鞭にキョウヤはとうとう落ちてしまった。
「……わかった、言う通りにする。だから、妹には……」
「ああ、承知している。契約者が妹を生き返らせるためどれだけ奮闘したのかその武勇伝を余す事なく伝えておく。きっと妹の中で契約者の存在は永遠のものとなるだろう」
「ルシエル!」
キョウヤが泣きながらルシエルに抱き付いた。
なんだこの茶番は。
きっと遠目に見た人間がいたならきっとそう感じていたかもしれない。
そもそもまだ何も始まってすらいない。
天使二人をルシエルが楽しく叩きのめしただけ。
大体妹を蘇生した後にルシエルが接触できるのかや、キョウヤのいた世界に行けるのかなどツッコミどころは多分にあったが、冷静さを欠いたキョウヤには、ただただルシエルが女神様のように映っていた。
「ごめん、俺今までルシエルのこと勘違いしてたよ」
熱い抱擁を解いて向かい合って座る二人。
キョウヤは手で涙をぬぐいながルシエルに謝っていた。
よくよく考えればキョウヤを脅していたのはルシエルなのだから、キョウヤが謝る必要は無い。
「いいのだ契約者よ。私たちは運命共同体。困った時はお互い様だ」
悪魔のくせに聖母のような表情を作るルシエル。
そしてまた瞳を潤ませるキョウヤ。
そんな二人の姿はまるで過ちを犯した少年と、それを赦す聖母のようだ。
そしてそれから今後の予定について話し合われるまでの一時間程。
キョウヤとルシエルによる茶番劇は続いた。