第十話 命《メイ》
「お前、俺を騙しやがったな!! 妹を生き返らせるのに問題になるんだったら、はなから貸してなかったぞ!! そういやお前、天使のこと詐欺天使とか言ってなかったか!? どっちが詐欺だよ、この詐欺悪魔!!」
ルシエルの肩をガクガクと揺さぶりながら叫ぶキョウヤ。
一度自ら命を絶った以上無に還ろうがどうだって構わない。
しかし消えたら妹を生き返らすことができないとなると話しは変わってくる。
「お、落ち着け契約者よ。まだ消えると決まったわけではない。侵食が進めばという話しだ」
「進んだら消えるんじゃねぇか!」
ルシエルを揺する勢いが増す。
「だから、これ以上憑依しなければ侵食が進むことも無い。た、魂への憑依はそれだけ負担がかかるものなのだ」
キョウヤになすがままに揺さぶられるルシエル。
「だったら何で憑依したんだよ!? 薄っすらした記憶だけど、お前全然余裕だったじゃん! 絶対無理してまで憑依する相手じゃなかったじゃん!?」
はっきりとした記憶が無くとも、ルシエルがキョウヤの気持ちを代弁して天使を打ちのめしたわけではなく、ただ楽しむために憑依したんだとキョウヤは気付いた。
「ま、待て契約者よ。確かにその言い分は正しい。ただ私の話しも聞いて欲しい。聞いてもらえればきっとわかってもらえる」
「何だよ?」
キョウヤが揺するのを止めてルシエルの言葉を待つ。
「確かにあの程度の天使、ただの憑依だけでも十分だった」
「だろうな」
「しかしただの憑依と違い、魂に憑依する完全憑依では感じ方が違うんだ」
「感じ方?」
「ああ、言葉にするのは難しいが、生を実感する悦びとでも言えばいいのか。憑依している時にだけ感じることの出来るあの感覚……」
胸の前でぎゅっと手を握り頬を赤く染めるルシエル。
まるで幸せをゆっくりと噛み締める乙女のような表情だ。
「生きた証である胸の鼓動、そしてその温もり。魂を器に閉じ込めた状態だというのに、あれ程の解放感は霊体だけでは味わうことなど出来ない」
キョウヤにはルシエルの言っていることが全くもって理解できなかったが、どうやら肉体を持たないルシエルにだけ感じることができる何かがあるらしい。
ぐらいには理解することができた。
そして、と話を続けるルシエル。
なぜかルシエルの息遣いが荒くなり、徐々に話が変な方向へと走り始める。
「天使共を蹂躙するあの快感。一度味わえばもう……はぁはぁ。追い詰めれば決まって言うのは、主よ、主よ、主よ! いないモノへすがろうとする、なんと哀れなことか……はぁはぁ。そして屈辱に満ちた表情で私を睨む愚か者を地獄へ突き落した時に見せる絶望に歪んだ顔……!はぁ……思い出しただけで、もぅ……」
光悦とした表情で体をブルリと震わせるルシエル。
それを見ていたキョウヤはかなり引いていた。
変なスイッチの入ったルシエルの独白は続く。
「それに私も生身の人間に憑依するのは百年ぶりだったんだ。そこへ、これ見よがしにエサが落ちていれば我慢出来る訳無かろう。男の契約者ならこの気持ちがわかるはずだ。大体、契約者は一度命を捨てた身。なら一度ぐらい私の好きにしたっていいではないか。ああ、もう駄目だ。我慢できない……」
完全にイッちゃってる目で勝手な言い分を捲したてるルシエル。
そしてジリジリとキョウヤへとにじみ寄る。
「お、おいルシエル。どうしたんだよ……」
ただならぬ雰囲気にキョウヤが一歩後ずさる。
それを追い掛けるルシエル。
「もう一度、もう一度だけいいだろ? 憑依するだけだ。魂が無理なら肉体までで我慢する。だからもう一度だけ……」
距離を取るキョウヤだが、何かが足に引っかかりバランスを崩して尻もちをついてしまう。
足元を見るとちびルシエルたちがいる。
キョウヤにばれて慌てて草陰に出来た小さな闇の中へと帰っていく。
キョウヤがそちらに気を取られている隙にルシエルが馬乗りになった。
「え、いや……。ルシエル? ルシエルさん?」
キョウヤの呼びかけにも全く応じないルシエル。
ただ、もう一度だけ、もう一度だけと、うわ言のように繰り返すだけ。
そしてキョウヤの服に手をかけると、グイッと服をはだけさせる。
この光景になんだかデジャブなキョウヤ。
女の子に服を脱がされ馬乗りになられた挙句、強引に迫られるという普通ならご褒美に近いこの状況。
しかしキョウヤの脳裏には心臓を指で抉られ、短剣で胸を狙われるというかなりハードな記憶しか無い。
もはやトラウマになりつつあるキョウヤ。
そんなキョウヤにルシエルが更にトラウマを刻もうとキョウヤの胸へと手を当てる。
すると刻印はルシエルが憑依した時と同じように赤い輝きを放ち出し、ルシエルの手をゆっくりと呑み込み始める。
それと同時にキョウヤを襲う不快感。
「おい、待て! ちょっと待てって! ルシエル! おい!!」
キョウヤの呼びかけにもお構いなしに手を入れてくるルシエル。
その表情はまるで、目の前に餌を置かれた犬が主人に待てと言われて我慢に我慢を重ねてようやく許しを得たかのような、そんな歓喜に満ちた表情。
そしてルシエルの手が半分ほどキョウヤの中へと沈んだ時だった。
「おい! やめろって言ってるだろ!!!」
キョウヤが強く叫んだ。
すると刻印が更に強い輝きを放ち、ルシエルの手がピタリと止まる。
そしてルシエルのイッちゃってる目が元に戻り、瞳にぼんやりとした暗い輝きが宿る。
キョウヤの胸から手を引き抜き一歩、二歩と後ろへ下がるとぺたりと腰が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
やがて瞳に生気が戻り、我に返ったようにルシエルがキョウヤを見る。
「まさか、契約してたった数日で命が使えるようになるとは……。ありえん、拒絶と違い、命にはどんなに優秀な契約者でも一か月は掛かるというのに……」
ルシエルのその瞳は驚きというよりは畏怖に近かった。
困惑するキョウヤ。
「おい、ルシエル。一体どうし……」
キョウヤが言い終わる前だった。
ルシエルがキョウヤの両手をガシっと掴む。
そして瞳を爛々と輝かせながらキョウヤの瞳を真っすぐに見つめる。
至近距離で見るルシエルの顔にキョウヤの鼓動が数段跳ね上がる。
「やはり私の目に狂いは無かった。契約者なら……、契約者なら私の願いを叶えてくれるやもしれん。先程取り乱した非礼は詫びる。もう契約者の許可なしに勝手に憑依などしたりしない。許せないというのならこの私を好きなだけ嬲ってくれてもいい。だから! だから、どうかその力でこの私を導いて欲しい!!」
さっきとは別の意味で引いているキョウヤ。
ころころ変わるルシエルの言動に全く付いていけないでいた。