掃除
床や机にはうっすらと埃が積もっていた。長年家を空けていた歳月が積み重なっているかのようだ。
ブランジーニ家は、石の壁と木で出来たこの村でも古くからある建物で、15年前の震災を乗り越えた数少ない建物の一つだ。古くから存在する建物は、まるで強い地震を予期していたかの様に頑丈なつくりになっている。
そのためか石でできた壁の割合が高い。
建材としての石の価値はとても高く、国内にある全ての石は国有の財産と指定されており、村の東を流れる川の石さえも勝手に取ることは禁止されている。
レンガの作成も土の採取が必要なことから、国による独占とされている。
これには神話が関係している。神との約束で人の高さを超えて地面を掘らないことを誓った。
掘れば忌まわしい闇が復活するとなればなおさらだ。
人々は地面からむき出しになっている岩を切り出し、建物に使ってきた。古い建物である教会や、村長の屋敷などは、切り出した石やレンガで作られている。
私は、ミーナと部屋の掃除をし、ファビオとベイクは、屋根や外壁の確認と修繕を始めた。
ベイクは最後まで屋根に登ることに抵抗していたが、ファビオの静かなまなざしは、屋根の上よりも怖かったようで、脚立をおっかなびっくりと登っていった。
屋根の方から木槌で叩く音が時折聞こえてくる。
ミーナに水汲みをお願いし、持ってきたほうきで床の掃除から始めた。
柱の傷、窓から見える景色にちょっとした懐かしさを感じる。ベイクに会って触発されたのかもしれない。
兄とここに遊びに来た頃を思い出していた。
昔の思い出に浸りながら、巧みにほうきを操り塵を集める。
床掃除にひと区切りつけ、周囲を見回すと窓の向こうの庭にミーナの姿を見つけた。手にバケツを持っていた。
ミーナがある一点を凝視して立ち止まっているのに気づいた。
様子を伺うと、話し声も聴こえる。
「それは怖ろしいもの?」
「……」
「どこへ?」
「……」
「エレンも一緒?」
「……」
「エレンが寂しがるから、ミーナは逃げない。」
ミーナの声は聞こえるが相手の声は聞こえない。不審に思い窓を開けミーナに声をかけた。
「ミーナ、誰がいるの?」
ミーナは、こちらに振り向き、動揺を隠しきれない様子だ。
「誰もいないよ」
それだけ言って、ミーナは、バケツを持って表へ向かった。
ミーナが幼かった頃を思い出していた。
ミーナと村の近くを流れる川に行ったとき、ミーナが川辺りに走っていき、上を見上げて誰かと話す素振りをする。
戻ってきたミーナは私に、「雨が近いから、川に近づいたらダメたって。」と告げた。
私は、「誰と話してたの」と問い返すと、
「エレンには見えないの?」
「見えるってなにが?」
ミーナは、寂しそうな顔で「そうなんだ」とつぶやいた。
その後、大雨が降り、小さな小川はすぐに濁流となった。
そんな事が何度かあり、特に、村長の怖がり様は特に酷く現在も続いている。
天井から、ゴボゴボとこもった音がしてきた。
どうやらファビオ達が、煙突の掃除を始めたようだ。
音に反応して、隣のアメリアさんにお願いして、今日の分の薪を分けてもらおうと考えていた。
台所に行くと、ミーナが、机を拭いている所だった。
「お隣から、薪を分けてもらってくるわ、少し留守をお願いしてもいい?」
「うん。」
玄関をでると、屋根の上からベイクの声がした。
「どっか行くのか?」
「うん。薪をわけてもらおうと思って、今夜必要でしょ。」
「わりぃ、頼むわ。」
薪を貰って帰ってくると、ファビオとベイクは屋根から降りていて、台所でかまどの掃除をしていた。
「薪を分けてもらったって」ファビオが言う。
「はい、今日の分ならこれでたりると……」
「じゃあ、火を起こそう。ベイク、火を起こすの手伝ってくれ」
復帰させたかまどに、貰って来た薪をくべ、小さな枝をミーナと集めてくる。
ベイクは、火種を起こそうとヒキリ棒と格闘していた。赤く輝いた火種は、ファビオが慎重に取り出し
息を吹きかける。小さかった火種は、小さな枝を食べて勢いをまし、次第に大きくなってあたりを明々と照らし始める。
煙が外に逃げるのを確認して、かまどでお茶を入れようかと思いつき、
「お茶でも入れましょか」
と私は言った。
ファビオが「いいね」と言ったので、私は、後をお願いして、教会にお茶の葉と人数分のマグカップを取りに戻った。
やかんにジェルソミーノの乾燥した葉を入れ、お湯をそそぐ。疲労回復と精神安定の効果を持つ。
人数分のお茶を持って、居間に入ると、ファビオとベイクはすでに打ち解けていて、何やら話し込んでいた。
「この家を改築して、この村にパン屋を開きたいんだ。」
「それは屋根の上で聞いたが、本気で売れると思っているのか」
「そんなの誰が買うのよ。」
私は、ふたりの会話に割って入りながら、机にお茶を置いていった。ふたりはこちらに目を向けて納得した表情をする。ミーナは、二人の会話には興味がないようで、布巾で机を拭く動作を繰り返している。ミーナに「熱いから気をつけて」と言って、お茶の入ったマグカップを渡す。ミーナはマグカップの中を覗き込んで私に笑顔を見せた。ミーナのだけヤギの乳を混ぜてある。このお茶は苦味が強いので子供が飲む時は、乳と混ぜたり、テンサイの絞り汁を混ぜて飲ませる。
テンサイの絞り汁を煮詰めた砂糖を混ぜることもある。
「パンならうちのかみさんだって焼ける」
「それは、無醗酵パンでしょう。僕が目指しているのは醗酵パン! 素人の作るパンと一緒にされたら・・・・・・」
「醗酵パンってなに?」
「これ食べてみてくれよ。絶対うまいから、俺が焼いたんだぜ」
そう言って、袋の中から丸い包みを取り出した。中から、焦げ茶色の丸い塊が現れた。同時に、芳ばしい香りが鼻孔を刺激する。
「これが、発酵パンだ。日もちするように焼き固めているんだ。」
「ミーナ、食べては駄目よ。お腹壊しちゃうわ」
「でも、いい匂いする」
「お、ミーナはわかってるな。ちょっと待ってな、炙って来るから」
香ばしい匂いがより一層深くなる。
ひと切れ手に取り、匂いを嗅いで口に運んだ。
硬いパンだったが、中はふわふわで少ししっとりしていた、ふわふわの中に表面の硬い部分がアクセントになり、食感が面白い。噛めば噛むほど小麦の甘さが際立つ。
「美味しい」
「だろ」
「これは旨い」
「でしょう」
ミーナはパンの硬さに苦戦していたが次第に顔がほころんでいく。
「これだったら売れるかもな」
「うちの浴場でも出したいくらいだ」
「そこでファビオさんに相談なんだけど、石窯がほしいんです。」
「石窯?」
「蒸気窯なら少し構造は判るが作るとなると難しいな。地震の時は、都にいる技師を呼んで直させたから」
「それは避けたいな。安く上げたいし。」
ベイクは少し考えて、何かを思いついた様子でしゃべり始めた。
「出稼ぎしたやつで作ったことあるやついないかな」
ファビオは、腕を組み目をつむって考え込んでいた。
「聞かないな」
「そっか、困ったな」とベイクは残念そうに眉を八の字にする。
「う~ん。良し、俺に任せろ。代わりに焼いたパンをうちの浴場に卸してもうらう」
ベイクは先ほどとは対照的に、 破顔して答えた。
「いいのか、そのぐらい問題ねーよ」
「明日から、石窯作りのための材料集めだな。村長に相談して村の石を分けてもらえるか相談しよう」
「ミーナも手伝う」
「私たちはそろそろ教会に戻るわ。ミーナ行きましょう。」
「ファビオおじちゃん、ベイク、またね」
教会に戻る頃には、太陽は西に傾き、エレンとミーナの足もとに長い影を作った。