全部、師匠のお陰です。
こちらは短編「弟子が勇者になりました」とセットになっております。
前作をお読みいただかないと意味の通じない箇所があるかもしれません。
むしろ一緒に読んでいただいてこそコメディ要素が高まる気がします。
かつて世界を救った勇者の末裔一族、ヴァンデーリク。
その嫡子たる俺、ジャスティアン。
俺は魔王の復活が囁かれるこの時代、新たなる勇者として起つことを望まれていた。
それこそ、生まれた時から。
だけど俺に出来ることなど、そんなに多くはない。
掴めるものを僅かずつでも増やせるよう、幼い頃から努力と修練を重ねた。
重ねれば重ねるほど、心が擦り切れて行く事に気付くことも無く。
俺に出来ることは、多くない。
笑うことも、笑わせることも。
幼いあの日の俺には、考え及びもつかない難事で。
そうするということすら発想も出来ず。
子供とは思えないくらいに、俺の心は乾いて貧しかった。
俺が今、笑っていられるのも。
誰かを笑わせよう、笑顔にしようと思えるようになったのも。
人々に、笑顔を取り戻すことが出来たのも。
――人々に求められた、勇者としての使命を全うできたのも。
全てが全て、全部が全部。
それは俺の師匠のお陰です。
【 全部、師匠のお陰です。 】
師匠との出会いは、まだ子供の頃のこと。
俺がまだ自分のことを『僕』と呼んでいた時分。
11歳のときのことだった。
あれが俺にとっては人生を決めた運命の夜。
記憶に深く刻まれて、忘れようのない会話。
初めての邂逅は、俺にとって特別なものだった。
『僕』の頬は、興奮から朱に染まって熱を持っていた。
初めて目にする師匠の『技』の数々に。
くるくると色を変える万華鏡のような印象を焼き付ける姿に。
『僕』は目を奪われ、見逃す惜しさに視線は食い入るものへと自然に変わった。
不可思議な幻想の世界を目にする錯覚。
それは本当に、特別な夜だった。
宴の席を支配していたのは、たったひとり。
だけどその『たったひとり』があまりに眩しくて……
意識まで、塗り染められそうだった。
魅せられる、幻想世界。
それを自身の身ひとつで体現し、感情を揺さぶってくる。
こんな感覚は、感情は、経験するのもはじめてで。
どうしようもなく胸が熱くなるから、どうして良いのかわからなくなった。
自分の心を持て余す。
そんなことすらはじめてで、どうして良いのか困り果てて。
あの人ならそれもわかるだろうかと、勇気を出して話しかけた。
果たして、返ってきた答えは簡潔で。
……『僕』を更に困らせる。
「笑えよ」
「え……?」
「そういう時は、胸の高鳴りにぐわぁぁあああって身を任せて、思いっきり感情任せに笑うもんなの!」
「え、えっとでも笑う……って?」
それは、どうすれば良いの?
どうやったら、『笑う』って出来るの?
『僕』は困り果てた。
儀礼的に求められる以上の『笑い』を作ったことがなくって。
いま求められる『笑う』という行為。
それをどう作って良いのかわからなかった。
「……言っておくけど、作るものじゃないから。笑いは」
「えっ!?」
内心の困惑を言い当てられて、鼓動が揺れる。
驚きに上げた視線が、真剣な……据わった眼差しと交じり合った。
「作り笑いなんてお呼びじゃないんだよ! 私は、心の底からの笑いが欲しい! だから笑って! 笑うんだ!」
「そ、そんなことを言われたって……!」
ますます、困る。
困り果てる。
だけどふと、思った。
自分が心の底から笑えたら……彼女は喜ぶかな?
彼女も、自分の笑顔で笑ってくれるのかな。
その想像は、なんだか……とても、彼の胸を擽った。
よくよく考えてみると、目の前にいる人は他人を笑わせてばかり。
とても凄いと思うけれど……でも笑わせる側の本人は、おかしそうにしてはいても笑っていたようには思えない。
「…………」
「どうしたの、坊ちゃん。笑い方がわからない?」
「うん」
「よーおし、正直だ。じゃあ私がレクチャーして……」
「でもね、それよりも……貴方をどうやったら笑わせられるかがわからないんだ」
「え? 私が?」
「うん」
「私を、君が……笑わせるのか?」
「うん!」
「はは……これは良いや! 愉快さ、滑稽さ。笑わせ役の道化を逆に笑わせようだなんて……坊ちゃんは大した奴だよ」
「!!」
自分が何かおかしいことをしたのか、わからなかったけれど。
どうやら自分の言葉に反応して笑ってくれたらしい、あの人。
その笑顔を見て……なんだか、どきりとした。
胸が熱くなる。
もっと、もっともっと貴方を笑わせてみたい。
でも、どうやったら?
どうやったら、貴方を笑わせられるだろう……?
「………………」
「どうしたの、坊ちゃん」
「……ねえ、僕はどうやったら貴方みたいになれるかな」
「え?」
「僕、貴方みたいに人を笑わせられるようになりたい……!」
それが、最初の一歩。
『僕』が今の自分へと至る道を歩み始めた、最初のきっかけ。
この夜を境に『僕』はその人生を……考え方を、生きる指標を、判断の基準を、全てを変化させていくことになる。
今のこの、『俺』という人間へと。
思いがけない人生の岐路。
転換点となった張本人……出会いの夜から『師匠』と呼ぶことになるあの人は、その存在がどれだけ『僕』の心を揺さぶったのかなんて知る由も無く……ただただ、威勢のいい『僕』のことを楽しそうに笑っていた。
あの人がのんびりと楽しげに、気楽に笑っていられた期間は、そんなに長くなかったけれど。
『僕』が15歳になる直前。
『師匠』と呼んだあの人は、『僕』の前から姿を消した。
以来、一度も会う事は叶わずにいる。
15歳を目前にして、見失ってしまった師匠の背中。
18歳になった『俺』は、今でも夏の光や冬の雪の景色に師匠の姿を追いかける。
そこにはいないと、わかっていながら。
ただただ、いつかはあそこにいたんだと。
記憶に残るかつての光景を無意識に目で探す。
師匠は、いない。
ここには、来ない。
数年を共に過ごしたヴァンデーリクの屋敷。
少なからず縁のあるはずの屋敷に、失踪以来ずっと姿を見せることがない。
マメなはずの師匠が、頑ななまでに足を運ばない。
そこに無言の拒絶を感じ取り、胸が痛んだ。
師匠、あなたにとって『俺』は……邪魔なんですか。
いらない弟子、なんですか?
問いかけたい言葉が、あの人に届くことはない。
そう、いつまでもいつまでも。
足を運ばない人の訪いを、待ち続ける限り。
待っているだけでは会えない人がいると、悟らせられた。
ああ、そうだ。
こんなところで待っているから。
世界中の、より大勢の人を笑わせたいと豪語する師匠のこと。
いつまでもこんな狭くて閉鎖的な場所に留め置く方が無理だった。
広い世界がある。
より大勢の、笑いを待つ人がいる。
だったら師匠が此処に、立ち止まってばかりの俺のところに戻ってくるはずがない。
そうだ。
だから。
師匠が俺の為にかつて屋敷に留まってくれたように。
今度は『俺』が、『師匠』を追って行こう。
追いかけよう、何処までも。
何処までも、何処までも。
その背中を見つけて、この手で捕まえてしまうまで。
そうしてDOGEZAでも何でもして、頼み込めばいい。
見っとも無くっても、なりふり構わなくっても。
師匠はなんだかんだ、人を無碍には出来ない方だから。
俺が見苦しく涙ながらに懇願でもすれば、きっと。
そう、きっと。
今度こそ俺を、ちゃんと弟子にしてくれる(はず)――
そうと決めれば、拙速こそが肝要。
今度こそ。
ああ、今度こそ……!
決意を固めた、初雪の舞う空の下。
師匠を何処までも追いかけようと、俺は無言で旅支度を始めた。
どうせ家族には引き止められるに決まっている。
だから家出する方向で。
俺は着々と、かつて家出に失敗した経験を思い出しながら準備を整える。
こそこそと必要な物資を集めなくてはいけないから、やたらと時間がかかる。
勿論、当時と同じ轍は踏まない。
荷物の隠し場所はベッドの下ではなく、クローゼットの使わない夏服の奥だ……!
だが、しかし。
あと少しで旅支度が終わるという、頃合に。
俺が支度の完了を叫ぶ、直前に。
ヴァンデーリクの屋敷に、王都から届けられた急使の声が響き渡った。
「――遥か北東の地にて、魔王復活……!! 当代の剣士ジャスティアン殿は至急王宮へと参られよ!
これは、 国 王 陛 下 よ り の 勅 旨 である!!」
………………正直に言おう。
魔王より先に、国王を呪い殺そうかと思った。
いや、むしろ空気もタイミングも読まずに復活した魔王を呪い殺せたなら殺ったと思う。
ソレができれば、魔王の討伐も時間かからず楽に終わったのに。
一瞬、このまま荷物を手に取り逃亡しようかな、と思った。
だけど思考に過ぎった瞬間、脳裏に師匠の厳しい顔が思い出される。
ほんの一瞬でも役目放棄を考えた俺に、物申したそうな顔だった。
職業に誇りを。
そして己が理念を使命と定める師匠のこと。
責任感のない行動や、義務の軽視は師匠にとってNGだ。
例えそれが人から与えられたものだろうと。
神に与えられたものだろうと。
それがその者にとって成すべきことなら。
遣り遂げる以前に、最初から放り出しては師匠に失望される……!
俺はやるせなく、苦々しい表情をしていたと思う。
師匠のお陰で表情豊かになった分、感情が露骨に出てしまう。
急使の物言いたげな顔も黙殺し、元は師匠を追って家出するために準備していた荷物を背負って馬を走らせた。
行く気なんて全然なかった、王都に向けて。
こうなっては仕方ない。
これも巡りあわせというものだろう。
もしかしたら遠いどこかで、師匠が「自由に生きるのは果たすべき義務を成してから!」なんて言っていたのかもしれない。
だったら、それでも良い。
誰の目から見ても完璧に、使命を達成しさえすれば。
そうすればきっと今度こそ、誰も俺を止めはしないはず。
……誰にも止めさせは、しない。
生まれた時から、周囲が俺に寄せていた期待。
魔王を、倒すこと。
自分の自由な生き様を選べないのは、とても面倒なことだけど。
達成した後の人生まで強制されるつもりはない。
したいように、遣りたい放題という訳にはいかないだろうが。
それでも職業選択と、師匠を選ぶ自由くらいは貰っても良いんじゃないだろうか。
それこそ魔王を倒して世界を救った、ご褒美に。
魔王を倒すこと。
倒して、王国に凱旋すること。
そうして人々に平和の到来を知らしめ、安心させること。
不安があったら心の底から笑えないだろう、って師匠も言っていたし。
みんなを安心させることは、とても大事だ。
人々が魔王が討たれたことを知り、笑顔を取り戻せたのなら。
その時こそ。
そう、その時こそ……師匠、あなたを追っても良いですよね?
心に決めた旅立ち。
その出鼻をくじかれると共に、別の意味での旅立ちを余儀なくされた日。
俺はそんなことを心に決めた。
そうしてその誓いが、俺の支えになる。
魔王を倒すための、過酷な旅路。
何度も挫けそうになった、辛い毎日。
20歳までには、何とか……!と思った計画も、数年単位でずれてしまったけれど。
あの心身を酷使して倒れそうな毎日を無事に乗り切れたのも。
そうして魔王との熾烈な戦いを制し、討伐を達成させたのも。
全部が全部、胸の中に絶対に遣り遂げるという固い決意があったから。
だからそう、つまりは。
全部が全部、俺の師匠のお陰です。
ちなみにジャスティアンの苗字:ヴァンデーリクの由来
→ バ●テリン