二、アンジェリーナ(1)
ニュートの研究室は、ダムネシアの首都の王立図書館にある。国王ネルザが、本好きのニュートのために、図書館内に特別に用意した場所だった。この研究室は、ニュートの意見を参考につくられており、研究実験室の他に生活できるようにもなっていた。
この日、ニュートは三ヵ月ぶりに郊外にある自宅へと向かった。ふだん、足として使っているスポーツタイプ系の乗用車を運転しつつ、流れる風景を見ていると、後部座席にチョコンと座っている生体サイボーグが話しかけてきた。
「ニュート、木の葉が赤い。なぜ、赤い? 赤い葉は、データにはない。」
季節はすでに秋だ。ちらほら紅葉もしてきている。ニュートは、紅葉のデータは入れてなかったなと思った。
「広葉樹のデータはあるね。この辺りの広葉樹は、ええと、なんて言ったのかな、この木の名前は。広葉樹の木には、秋になると葉の色が変わる木がいくつかあるんだよ。私は植物学があまり得意ではないから、家に帰ったら、書斎の本でも調べて学習すればいい。」
ニュートは、チラと助手席を見つめた。置かれている小型PCがめまぐるしく反応している。いま、少女の中で、さまざまなデータが処理されているのだろう。
(まずいな、バッテリーが減ってきてる。市販のものを改造しただけだから、バッテリーまで気が回らなかった。家につくまでは持つだろうが、もう少し容量のあるバッテリーを用意しないとな。)
ニュートは、車のスピードをあげた。そして、市街地から離れた山側の場所で横道にそれ、自宅へと到着した。自宅は、養母のアンジェリーナが貴族で資産家だったせいもあり、かなり大きなもので邸宅と呼んでもよいものだ。
あらかじめ帰ると電話していたので、車の到着と同時に留守をまかせている執事が玄関から出てくる。ニュートよりやや年上程度の若い執事だった。親の代からリーガン家につとめている執事で、名はキンブルという。
「まあ、かわいらしいお嬢様で。この方が若様が研究なされていた方ですね。失礼ですが、お嬢様、お嬢様とお呼びいたしますが、お名はなんとおっしゃるのですか?」
キンブルは、少女を見てニコニコしていた。少女は、
「人型生体サイボーグ・プロトタイプf−1。」
そっけない答えに、キンブルは、?という顔をした。ニュートは、
「名前が無いんだよ。どうにもいい名前が思いつかなくてね。お前が好きなのをつけてくれないか。」
「と、とんでもございません。私ごときが、お名をえらんでよいわけではないでしょう。執事の分にあまります。」
キンブルは、かしこまってしまった。ニュートは、
「まあ、名前はともかく、一週間後に陛下にお会いする予定でいる。それまでに、この子に礼儀作法を学習させてくれないか。こういうのは、お前でないとうまくいかないからな。」
「はい、かしこまりました。では、お車は車庫にいれて、あとで整備しておきます。」
ニュートは、少女をつれて邸宅内へと入った。そして、まっすぐに邸宅内にある研究室へと向かう。研究室は、キンブルがきちんと整理しており、いつでもすぐに使えるようになっている。
ニュートは、バッテリーが切れかけの小型PCから制御機能を据置器へと移行し、無線LANを設定する。そして、もどってきたキンブルに小型PCを渡し、スマートフォン用の充電器で充電しておいてくれと言い、研究室の扉をしめた。
少女の生体のチェックをし、稼動状態を確かめる。少女は、図書館の研究室から出て外の空気にふれたのは、今日が始めてだったが、やや脳波に乱れがある以外は、ふつうの子供と変わりは無かった。
「つかれたかい。」
ニュートの問いかけに、少女はかるくうなずいた。体が疲労する、という意味合いを理解し始めていると感じた。ニュートはキンブルを呼んだ。そして、生体サイボーグの稼動方法をいろいろと説明し、少女を執事にあずけ、自分は研究室を出て、かつて養母が使っていた書斎へと足を向けた。
ずっしりとした本棚がいくつもある、おちついた室内だった。ここは、養母が生前使っていたままにしてある。ニュートは本棚に置かれてある、写真立てを見つめた。
笑顔のアンジェリーナと、ここに引き取られたばかりの自分がいた。ニュートは、銀色のメガネをかけなおした。写真の自分は、まだメガネなんかかけていない。
(私が、ここにきたときは、まだ八歳だったな。アンジェリーナが五十一歳の時だった。)
ただいま、お母さん。
ニュートは、母親の写真にそっとキスをしたあと、養母がいつも静かに座っていたイスに手をかけた。ニュートは、物心がついたとき、すでに施設にいた。実の両親は知らなかったし、ニュート自身取り立てて知りたいとも考えなかった。
ニュートは、施設でも変わり者だったと国王は言っていた。なぜ、そうなのかときいてみたら、八歳の子供が絶対望まないものを望んだからだと答えた。
国王は、
「慈善で施設を訪問し、子供達になんでも欲しいものを言ってご覧とたずねたら、他の子供達はオモチャとかゲームとか食べ物とかを要求したのにたいし、お前は、王立図書館で本を読みたいと言ったんだ。」
王立図書館は、だれでも入場できるようになっているが、十歳以下の子は、親の付き添いが必要な場所でもあった。施設の人達は忙しく、八歳の子のために図書館へと行く時間などない。
国王は、何を考えているのかなと思いつつ、王立図書館の職員を施設へと派遣し、その者を保護者代わりとし、ニュートの気がすむまで図書館通いをさせてくれたのである。
どうせすぐにあきるだろうと国王は思っていたが、半年たったある日、図書館から人がやってきて、子供が難しい理論をすらすら言えるようになったと報告され、ニュートの知能を調べさせたことがきっかけで、当時、王立図書館の館長をしていた、名門貴族であるアンジェリーナに紹介し、養子として引き取らせたのである。
アンジェリーナは、独身で子供はいなかったが、変わり者の子供の面倒を実によくみてくれ、子供には細かいことは言わず、好きなだけしたいことをさせていた。
ニュートは、興味があれば、とことんまでのめりこみ、寝食を忘れるほどだった。だがその反面、興味がなければ、まったく手をつけようとはしない。性格も内向的でおとなしく、他人にあまり関心を持たない。それゆえ、アンジェリーナは、この子は学校には向かないと判断し、通わせなかった。
ダムネシアは、身分制社会で、貴族の子弟は税金をつかっての義務教育を受ける資格がない。だから、通わせるにしても私立で、学校自体には通わなくてもよいものだった。
とうぜん、大学にも行っていない。学歴も博士号もない。科学者として国から資金をもらって研究しているが、正式な研究員ではなく、あくまでも国王の私的な趣味で研究させてもらっているにすぎなかったのである。
ニュートは、書斎の机の引き出しから、養母の遺髪の入っている小箱をとりだした。そして、一本だけになってしまった白い髪の毛をいとおしそうにながめ、大切に箱へともどす。
いつのまにか少女がきていた。
「食事。キンブル、呼んできてと言った。」
時計をみたら、午後六時をすぎていた。室内がだいぶ暗くなってきている。ニュートは、少女の背をおし書斎を静かにしめた。
少女は、
「ニュート、さっきの顔、悲しい顔だった。なぜ、悲しい顔だった?」
「悲しい顔はしていない。なつかしい顔をしていただけだ。書斎は、私の母がつかっていた場所だ。そこで、なつかしい思い出にひたっていただけだ。」
少女は、少し首をかしげた。疑問があると首をかしげるのは、生前のアンジェリーナがしていたことだ。そのしぐさは、プログラムにもしっかりと組み込まれている。
「思い出。なつかしい。なつかしいという言葉の意味はわかる。けど、そのなつかしい感情そのものはわからない。」
ニュートは少女の金色の頭をなでた。ストレートだった髪が、いつのまにかカールされており、ふんわりしている。歩き方も仕草も貴族の子供として、はずかしくないよう直されている。
これほど短時間で、ここまで仕込むキンブルもたいしたものだが、少女の学習能力が高い力を発揮しているせいもあろう。
「なつかしいという感情はね、たいせつな人を思うときにでてくるものだ。心が、やさしい愛で満たされる思いだ。」
「やさしい愛。愛は、やさしく人を結びつける力。人は、愛によって生きる存在。データにある解説だ。ニュートは、たいせつな人を愛していたのか?」
ニュートは、しずかにうなずいた。