六、誘拐(2)
寝室のそばに、お茶が乗っているトレーを持ったキンブルがいた。ニュートは、
「飲み物を用意してくれたのか。けど、リーナはもう寝たよ。すまないが下げてくれないか。」
「リーナ様が落ちつかれたら、この邸宅のどこにでも気に入った場所に、お部屋をご用意いたします。もう、同じベッドでごいっしょできませんですからね。」
ニュートは、ため息をついた。
「フェルドが、子供の成長は早いといってたけど、まさか、本当だったとはね。たった一晩で十歳から十四歳だ。もう、体をさわってデータをとるのも、ひかえないといけないね。」
「そうですね、レディになられましたからね。ではそろそろ、貴族のご令嬢として、ふさわしい教育をほどこさなければいけませんね。どうしたのですか、気難しいお顔をなされて。」
「とまどっているんだ。一週間前まで、かわいい娘だった。いっしょに遊園地に行って、映画に行って、食事したりショッピングしたり、娘を持つって、こんなに楽しいものかと考えていた。そして、ずっとこのままでいたいと、心のどこかで願ってた。けど、十歳のリーナはもう、どこにもいない。」
「成長されたことが、おいやなのですか?」
ニュートは首をふろうとしたが、やめた。
「私が親として成長できないでいるだけだ。もうこの話はやめよう。書斎で少し本でも読んで、気持ちを切りかえる。リーナに変化があったら、声をかけて・・・、」
最後まで言い終わらないうちに、ニュートは頭をおさえた。キンブルは、どうかしたのかとたずねる。
「いや、ちょっとめまいが。でももう、治った。」
「ずっと、リーナ様につきそっていたのです。つかれているはずですよ。お休みになられては?」
「本当に大丈夫だ。熱いコーヒーでももってきてくれ。」
そう言い、ニュートは書斎に閉じこもってしまった。だが、本などページを開いても、文字が頭に入らない。それに、さっきは大丈夫と言ったが、めまいのようなものがまだ続いていた。
ニュートは、たまらず、書斎のつくえにつっぷした。冷めてしまったコーヒーが目に飛び込み、一気に飲み干す。
(だめだ。頭が何かで引っかき回されている。寝不足のせいで、精神的につかれがきたのか? でも、リーナが誕生した時なんか、いま以上に寝てなかったはず。)
強い吐き気をおぼえ、ニュートは書斎から飛び出し、あわててトイレにかけこみ胃液まで吐いたあと、そのままトイレで倒れてしまった。
何かが、倒れている自分にむかって歩いてくる。黒い影だ。なんの幻覚かと考えつつ、ニュートは気を失った。
・・・ニューティス、やっとつかまえた。
そんな声がきこえ、寝室で目をさましたら、すでに夕方だった。気分がもうれつに悪い。フラフラと起き上がり、テーブルにある水を飲んだ。
目の前にだれかがいる。キンブルかと思った。だが、ちがった。自分と同じ色、青みかがった銀色の髪。気のせいか、目の前の存在は自分によく似ていた。けど、体は自分より小さく、一週間前までのリーナくらいしかない。まるで、少年時代の自分が、そこに立っているような感じだ。
少年が、ほほえんだ。
「やっと、つかまえた、ニューティス。ずっと会いたかった。」
「君はだれだ? どうして、ここにいる? キンブルが入れたのか?」
「キンブル? ああ、君の執事だね。彼には、ぼくの姿は見えない。だから、かってに入ってきた。」
少年は、室内をゆっくりと歩き出した。
「古い貴族の邸宅って、なかなかいい趣味しているね。華美でもなく質素でもなく。そういえば、リーガン家って、ダムネシアじゃ名門だったんだよね。」
「君はだれだ?」
「意識が、ぼんやりしてるだろ。ぼくが、君の思考に金縛りをかけているからね。なぜ、そうしてるかって? だって、こうでもしなきゃ、君、警戒して、ぼくと話なんかしなかったはずだろ。」
ニュートは、頭をおさえた。こんどは、ひどい耳鳴りだ。目の前の少年は笑った。
「君はぼくの虜だよ。君はぼくの意思に逆らえない。行こう、ニューティス。君をむかえにきたんだ。」
「だれだ、お前・・・。」
「ぼくは、君のもっとも大切な人。君自身。」
バタンと音がし、ニュートは、びっくりして目をさました。リーナが、青い顔をして飛び込んできた。
「ニュート。トイレで倒れたと、目をさましたらキンブルが言ってた。びっくりして、走ってきた。」
時計を見た。倒れてから、さして時間がたってはいない。ニュートは頭をかいた。さっきのようなめまいはもうない。でも、何かがしこりのように、心につきささっている。
「あ、ああ。たいしたことはない。もう大丈夫だ。リーナ、心配かけてすまなかった。ベッドにもどりなさい。まだ顔色が悪いぞ。」
リーナは、だきついた。
「大学行かないで。おねがい、ニュート。行かないで。」
「わかった、わかった。だからもうお部屋にもどりなさい。体に毒だよ。」
ニュートは、キンブルを呼んだ。キンブルは、しぶるリーナに、若様を少し休ませてあげましょうと言い、部屋へと連れて行った。
「なかなか、いい子だね。最初は、君の娘かと思ってたけど、君の思考を読んで、君がつくった生体サイボーグだと知って、びっくりしたんだよ。まるで、ヒトそのものだ。機械制御の人形のくせに、まるで生きている人間のような心の動きをする。」
ドキリとして横をむくと、夢の中の少年がいた。少年は、
「そんなに驚かないで。この映像は、君の脳に直接送っている映像だ。他の者には見えていない。もちろん声もだ。」
「だから、だれだときいてるんだ。」
「イリアに行こう。君なら、歓迎される。イリアは、ひ弱な生体サイボーグよりも、機械仕掛けでうごく強力なロボットが好みだ。あの子を動かしている君の人体制御プログラムは、ロボットの制御に役に立つ。」
「イリアのスパイか。よく忍び込めたな。」
「だから、忍び込んではいないって。君、超能力関係の理解力、意外にうといんだね。ぼくの本体はイリアにあるんだ。いままで、何人も君に接触しようとして、ことごとく君の親衛隊長に撃退されていたから、最後の手段として、ぼくにお鉢が回ってきたんだよ。でも、会いたかったから、願ったりかなったりだった。」
少年はそう言い、ニュートに顔をちかづけた。そして、
「まだ、わからない? いや、わかろうとしない。こわいんだろ。ぼくがだれか知れば、君が捨てられた理由もわかってしまうから。」
「何を言っているんだ? たしかに似てるが、お前と私とは、なんの関係も・・・。」
「ぼくもニューティスというんだよ。君が、意識下に閉じ込めている、いまわしい記憶。ぼくはナンバー・スリー。君は、ナンバー・フォー。ナンバーは全部で八人いた。もとはひとつだったが、八分割され、ぼくたちは八人となった。だから、君はぼく。ぼくは君。
ぼくの目を見て、そうそう、その感じ。ぼくの瞳には、何がうつっているかな。そろそろ、思い出してきたはずだ。」
ニュートは、少年の瞳に吸い込まれそうになる。あわてて目をそらすと、心の奥底に眠っていた記憶が引っぱられるよう、表面意識に飛び出してきた。ニュートは頭をおさえた。じっとりとした汗が、気味悪くわきの下をぬらす。気がつくと、体が小刻みにふるえていた。少年は、
「思い出したようだね。」
「他のナンバーはどうした? あと、六人は? み、みんなはどうした?」
少年は、すこしがっかりしたようだった。
「あーあ、期待してたほど思い出したわけじゃないみたい。けっこう、プロテクトかかってるね。君って、ひょっとして臆病なんじゃない? たしかに、いやーな思い出なんだけどさ。いいよ、教えてあげる。知れば同じことだしね。
みーんな、死んじゃった。実験途中で死んだのもいれば、実験場から逃げ出したあと死んだのもいる。ぼくが生存を確認してるのは、君だけ。でも、ずっと君も死んだとばかり考えていた。
だって君、逃亡途中で病気になって動けなくなったしさ。施設にあずけるしかなかったんだ。雪の中に放り出さなかっただけでも感謝してほしいよ。子供の体じゃ、君、重すぎてさ。」
ニュートは、ベッドの中で少し後ずさりをした。少年は、
「君、ずいぶん背がのびたね。ぼくと違い、すっかり大人になっている。ぼくは、君みたいな大人になりたいとずっとねがっていた。けど、止まってしまった。でも、君だけでも大人になれていたのはうれしい。」
背がのびたといわれても、ニュートは平均男性より低い。体力的にも劣っているうえ、体毛とかも、ふつうの男性のように生えてこなかったので、ニュート自身、ほんとに大人の体になれているのか、いまいち自信がない。
けど、目の前の少年とくらべたら、やっぱり大人であるのはたしかだ。少年は、
「もう、はなさないよ。やっと見つけたんだ。そして、こうして再会できた。ねぇ、イリアにきてよ。ぼくとまたいっしょに暮らそう。」
少年は、ニュートの両眼を射抜くような眼光で見つめる。ニュートの意識がまた硬直し始めた。そのままドサリとベッドに倒れる。そして、翌日。ニュートは、何事もなく大学へと出かけた。
昼辺りになり、大学から電話がかかってきた。ニュートを出してくれという。キンブルは、
「朝、そちらに向かわれましたよ。え、きてない? 携帯に連絡は? 何度かけても通じない? いいえ、もどられてはいませんよ。それに、どこに行くともきいてません。わかりました。連絡がありしだい、お電話さしあげます。」
キンブルは電話を切り、フェルドを呼び出した。会議中だったらしい。小声で電話に出た。
「ニュートか、悪い、会議中なんだよ。あとにして・・・、キンブルなのか? 何? わかった、すぐに手配する。」
フェルドは、会議中の席をたった。急に腹の調子が悪くなったとか言い、部下に指示を出したあと、宮殿を飛び出した。
ニュートの車には、GPSがついており、どこにいようと位置がわかる。けど、フェルドの携帯は位置を検索できなかった。ビルの合間にいるので、どうやら電波が悪いらしい。
(どこにむかったんだ。行き先も言わず、いなくなるなんて、律儀な性格のあいつらしくない。)
部下から連絡があった。ニュートの車を郊外の林の中で見つけたという。かけつけて内部を見ると、キーは、さしたままだった。荷物は、そのまま車内に残っており、助手席に置かれたままのスマートフォンに着信の知らせが表示されていた。
フェルドは、クソとニュートの車体のドアを蹴り飛ばした。ベコッとへこむ。誘拐された。まちがいない。




