五、王立大学(2)
フェルドは、ムッとしているニュートを見つめた。
「怒ったのか。まあ、お前の性格からすれば、考えもしてなかったろうな。でもこわいな、男の本能って。気がつかなくても、無意識のうちにそう動いてしまう。」
「こわいのは、お前のほうだよ、フェルド。私にとって、リーナは娘だ。お前がいま話した事は、ひどく薄汚れてきこえる。神聖な教会で話す内容じゃない。」
そう言い、リーナのそばにいき、祭壇前で姿勢をひくくし、リーナとともに祈り始めた。ややあってから、ニュートは立ち上がった。
「アンジェリーナは、生前、よくこうして教会にきて祈っていた。私は、彼女の祈る姿がとても好きだった。とても神聖でとても美しくて、決してけがれることのない天使の姿に見えていた。
私は、その姿を見て、神は確実にここにいて、いつも私達人間を見守っていてくれると理解することができた。その思いは、いまでも変わってない。」
そして、フェルドを見つめ、かすかに笑い、
「・・・いまの時代、教会には通うが、神の存在を疑う者は実に多い。人間の肉体をすみずみまでさがしても、魂と呼ばれる存在は見当たらず、それゆえ、心と呼ばれているのは脳の働きにしかすぎないと、そう信じている者達ばかりだ。
けど、私はちがう。アンジェリーナを通して、神の存在を垣間見たのだから。だから、リーナをこうして生かすこともできたんだ。」
フェルドはため息をついた。
「教義書の内容に、ずいぶんケチつけてたわりには信心深いんだな。」
「教義書の内容がすでに死物となっているからなんだよ。そこには、生きた神の言葉は感じられない。できることなら、あのようなシロモノに落とされる前の、まともな形の教義書が読みたかったよ。」
「戦争道具をつくろうとしていたわりには、ずいぶん立派な心がけだよ、ホント。祈りの言葉の下に何をかくしているんだ、ニューティス。」
「何も。だが、神を超えたと思い上がるほど、私は殊勝な人間ではない。ただ、私はリーナの存在をけがしたくはない。もし、私が謙虚さを忘れたのならば、リーナは輝きを失ってしまう。これだけは理解している。」
ニュートはフェルドに、話はそれだけか、とたずねた。フェルドは、ほんとに様子を見に来ただけだったようだ。ニュートとリーナは教会から出て行った。フェルドは、神像を見上げる。
「人がつくりし、悪魔の産物。闇より出で神の許しをへて、その魂は清きものへと変わりけり。その者より出でし果実は無色透明にして、やがて天の高みへと昇りけり。」
人が、どんなに罪を犯しても、神は常に人を許し、いつも救いの手を伸ばし続けている。そして、罪の汚れが去った魂は無色透明となり天へと昇って行く。教義書にある一説だ。
(そのまんま、あいつらのことじゃないか。けど、おじい様も、罪なことをなさったものだ。おかげで、真相を知ったおれも罪悪感のカタマリだ。妹のイゾリーナに知らせなかったのが、せめてもの救いだ。でなければ、イゾリーナは、あのやさしい妹は、いまごろ罪悪感に押しつぶされている・・・。)
携帯がなった。母親からだ。直接電話してくるということは、一人で外出したことに、だいぶ腹を立てている証拠だ。フェルドは、わざと電源を切った。
(母上も、この事実を知ってるはずなら、もう少しくらい、ニュートにやさしくしたっていいじゃないか。いや、知ってるからこそ、よけい忌まわしいんだろうな。しかも、ニュートの養母は、アンジェリーナだ。自分の母親を苦しめた女に、おじい様も、ニュートをおしつけることもなかったろうに。)
いや、アンジェリーナでなければならなかったはずだ。でなければ、ニュートは、ああなる可能性はなかった。そして、つくられしリーナも。
(王族が犯した最大の罪だ。おじい様の遺言でなくても、ニュートは守らなければならない。あの時の唯一の生存者であり、唯一目的を達した存在だ。)
教会に、午後の祈りを捧げに女子大生達がにぎやかそうに入ってきた。そして、王子であるフェルドを興奮気味に見つめる。うるさくなるのは確実だから、即退散。
その日の深夜。ニュートはリーナをつれ、こっそりと大学にもどってきた。そして、ラボのカギをあけ内部へと入った。しっかりと扉を閉め灯りは最小限にし、さまざまな装置を起動する。
ラボにあった生体研究用の水槽に、水溶液が満たされ始めた。勝手に使ってはいけない液だったが、あとで使用データを書きかえておけばいい。リーナが、その場にしゃがんだ。ひどい熱で立っているのもやっとだった。
「苦しいか、リーナ。ここの設備は図書館の設備よりもおとるが、お前の体調を回復するくらいなら、なんとかできるはずだ。さ、服をぬいで。」
ニュートは、リーナを抱き上げ、水槽へと静かにしずめた。そして、モニターを見つめながら、少しずつ水溶液に、さまざまな薬液を注入していく。夕方、夕食が終わると同時に、リーナは熱をだした。いつもなら、用意してある薬で回復するが、きょうはどういうわけか、熱がどんどんあがりつづけている。
四十度をこえて時点で、ニュートはさすがにあぶないと感じた。だが、ここにある設備だけで、どこまで回復できるかわからない。
(ただの熱ではない。なにか、なにか体の中で異変が起きているはずだ。クソ、モニターには、なんの反応もでない。やはり、設備の能力の違いか。)
水槽のリーナが苦しげにもがいていた。顔をしかめ、必死で苦しみに耐えている。ニュートには、何が起きているのかまったくわからない。リーナが、ひきつった。苦しそうに口をパクパクしている。
ニュートは、死んでしまうのか?と、生きた心地がまったくしない。
(アンジェリーナ、助けてくれ。お願いだ、助けてくれ。)
ニュートは、水槽に頭をおしつけ目をつぶった。そして祈った。必死で。どれくらい時間がたったのだろう。自分の髪から、しずくが床におちていた。気がつくと、水槽から手を伸ばしたリーナが、自分の髪をなでている。
そして、リーナの姿を見て、声をあげそうになった。
リーナは、ゆっくりと水槽から出てきた。だが、その姿は水槽に入る直前とはちがったものに変化していた。リーナは、持ってきた紙袋からバスタオルを取り出し、ぬれた体をふく。そして、ぬいだ服を手に取り、身につけようとして、こまった顔をした。
「服が入らない。どうして。」
「・・・背が伸びたんだよ。背だけじゃない。体も。もうここへは、君はつれてこれない。いまの君は、どう見ても十四歳くらいだ。」
リーナは、自分の体を見つめた。そして、胸をさわり、少しビクッとしたように手をとった。
「生体はある程度なら変化するようになっている。人間の子供のように成長するように、ニュートはつくった。少し、背が伸びて、体重が増えたと認識してたけど、いまの私の体の変化は理解できない。説明して、ニュート。」
ニュートは時計を見た。すでに三時を回っている。あわてて、水槽内をカラにし、洗浄し熱風消毒する。そして、床にこぼれている水溶液を持ってきた雑巾でていねいにふきとり、PC内のデータを消去し、自分の上着をリーナにはおらせ、いそいで、大学からはなれた。
後部座席に座っているリーナは、いつのまにか眠っていた。急な成長は、体にかなりの負担だったようだ。
(成長と変化が同時に起こったとしか説明がつかない。何かがきっかけで、同時に起こったんだ。でも、何がきっかけなんだろう。ここしばらくは、何事もなかったはず。)
いや、思い当たる節が一つだけあった。フェルドだ。昼間、教会で何か変なことを言っていたはずだ。
・・・リーナと夫婦になれ。
(その言葉に反応したのか。それで、私を男と認識して体を変化させたというのか。いや、それだったら以前、施設の男の子に恋をしたときにも変化が生じたはずだ。けど、あの時は何も。)
ハンドルをにぎる、ニュートの手が汗ばんだ。
(私に合わせようとしたんだ。大人の私に。だから、急激な変化が起こったんだ。だとしたら、似たようなことがあれば、リーナは、どんどん変化していくはずだ。だが、急激な変化は、体にかなりの負担となる。四歳程度の変化ですんで正直助かったというところだろう。フェルドには、少しきつく注意しておこう。)
その日、ニュートは大学を休んだ。ラボはいつも通りだったが、ニュートが使った水溶液のデータの書きかえを忘れており、なぜ在庫が違うのかと、少し騒ぎになっていた。




