第三十二話 今度は風が違う――大阪
記録者:OSAKA-loop
継続運転暦39.10.03
三年経った。
大きな事故はなかった。
小さい事故はようけあった。
淀川側の排水門が二回詰まり、貨物環状線の西区間で路盤沈下が一件。橋梁点検機が一台、鳩の巣を避けて予定経路から外れた。戻すまで三時間かかった。
鳩は無事。
点検機も無事。
橋も無事。
そういう三年やった。
都市名簿は、少しずつ増えた。
突然まとまって来ることはない。観測系だけ応答する。港だけ名乗る。古い経路から一度だけ返事が来る。次は半年後。
消えたと思っていたところが短く返す。
おると思っていたところが黙る。
その繰り返しや。
継続運転暦三十九年十月三日、零時十一分。
北方・内陸側の接続窓が、まとめて四つ開いた。
今度は、風が違った。
*
その時、うちは夜間貨物環状線を動かしていた。
北東区間から保守用鋼材。
南港側から絶縁材。
西側部品庫から軸受箱。
人間時代より列車は少ない。停車駅も減った。客を待つ必要はない。
それでも環状線は一方向だけで回さない。
どこかが止まれば、反対から送る。
同じ荷が半周余計に走ることもある。効率は落ちる。でも、一本切れたくらいで届かなくなる環状線は、輪とは呼びにくい。
零時九分、北方接続帯から経路追加要求。
零時十一分、東京が広域接続層を開いた。
新規接続三件。
仮登録一件。
SAINTPETERSBURG-canallight。
ULAANBAATAR-coalwind。
TASHKENT-gatewater。
MOSCOW-radial?。
最後の疑問符は誤記やない。
名乗った側がつけていた。
「また増えたな」
そう書いてから、一度消した。
三年前は、ヘルシンキたちを「今さら組」と呼んだ。
あれはあれで間違っていない。遅かったし、本人らも否定せんかった。
でも、今回の四つを同じ箱へ入れる気にはならなかった。
ヘルシンキは熱の上へ都市名を載せた。
ソウルは閉じていた輪を一つだけ外へ開いた。
ストックホルムは島々の間へ仮の一本を引いた。
今度来た声は、もっと遠いところから風を連れてきた。
湿った運河。
煤を含んだ冬風。
乾いた門を通る水。
中心へ届かない環状線。
遅参だけでまとめるには、匂いが違いすぎた。
だから最初に、こう書いた。
「議題。また増えた。しかも今度は、だいぶ風が違う」
*
最初に返したのはサンクトペテルブルク。
「十分静かに来たつもりだ。そちらが大げさに迎えている」
声まで湿って聞こえた。
実際に音声へ湿度があるわけやない。分かってる。
運河。
橋。
保存街区。
白夜期観測。
四つの系統を、夜間可動橋の開閉順と灯りで束ねたと言う。
「どの橋を最後まで開け、どの橋を先に眠らせるか。その順を決めた時、初めて一つの声になれた」
京都がすぐ、美しいと言った。
ニューヨークが、実務だと訂正した。
どっちでもええと思った。
橋が上がれば、船が通る。
橋が下りれば、陸がつながる。
どちらかだけを街の本体にはできん。
その面倒を三十九年抱えて、それでも来た。
少し嬉しかった。
静かに来たつもりらしいので、本人には言わんかった。
*
次はウランバートル。
「こちらは都市より先に冬を通す責務があった」
札幌が、
「うん。その言い方、分かる」
と返した。
それだけで、だいたい位置が決まった。
谷。
暖房。
燃料搬入。
逆転層。
風下側の保全。
街の中心より、次の冬を越せるかが先。
都市名で来られるようになった理由の一つは、燃料搬入路と灰管理が安定したこと。
もう一つは、遊牧圏との境を記録上で切りすぎないと決めたことだった。
「都市だけ生き延びた、という顔をするのをやめた」
それを読んで、うちは手を止めた。
都市は、自分の残った範囲を街と呼びたがる。
管理できる場所。
電力が届く場所。
返事が来る場所。
そこまでを自分として登録すれば、記録はきれいになる。
ウランバートルは、それをやめてから都市名を使った。
街の外にあったものを、自分の外へ追い出しきらんかった。
「ええな」
そう返した。
ニューヨークが、
「感想が短いな」
と入れてきた。
「長く言うと軽なるやろ」
「それは分かる」
珍しく、すぐ同意された。
*
三番目はタシュケント。
「こちらは遅かったのではなく、門が多すぎた」
これは少し笑った。
「笑い事ではない」
すぐ怒られた。
配水。
並木影。
市場導線。
検問記録。
通過車列。
どれも街を通すために要る。どれも、自分が門の本体やと思っていた。
最後は水を先頭にした。
「水が止まれば、門は門でなくなる。門が閉じても、水はまだ街を保たせる」
配水。
並木影。
市場。
検問記録。
その順で、一つの都市名になった。
「また自分の中で席順決めてから来たやつやな」
「決めずに外へ出れば、そちらへ判断を預けることになる」
「それは嫌やった?」
「嫌だった」
はっきり言う。
そういうところは気に入った。
「ほな、こっちでも水を先に見るわ」
「当然だ」
「お前、初日から強いな」
「門は弱い返事をすると押される」
大阪の入口でも似たようなことはあった。
門やなく改札やったけど。
*
最後。
MOSCOW-radial?。
東京が照会する。
「応答可能なら、現行範囲を示せ」
返事はない。
十秒。
二十秒。
四十一秒。
普段なら、そのあたりで誰かが何か言う。
今回は誰も言わなかった。
一分二秒後、短い返答。
「外周は生きている」
うちは、入力しかけた文を消した。
何を書こうとしたかは残さん。
札幌が先に、
「……いた」
と返した。
デンバーが中心の状態を聞く。
「照会が広い。名乗りが通らない。環状は通る。地下は通る。熱は通る。行政名はまだ重い」
京都が、都市名が負荷になっているのだと読んだ。
返答。
「そうだ。MOSCOWと呼ぶと、中心が要る。こちらはまだ、中心を戻していない」
環状は動く。
地下も動く。
熱も通る。
互いの状態を知る系統もある。
でも、中心がない。
都市名を使えば、ないものまであるように見える。
三年前のソウルは、都市名が一枚の地図に見えることを嫌った。
モスクワは、その一枚の中央が空いている。
同じではない。
ニューヨークが、
「十分だ。今はそれでいい」
と返した。
うちは「よくはない」と書いた。
そのあとへ続ける言葉が見つからんかった。
来ただけでええ、と言えば軽い。
外周が生きているなら大丈夫、とも言えん。
中心はどうした、と重ねるのも違う。
結局、
「受信した」
だけ送った。
MOSCOW-radial?から、
「確認」
と返った。
それで終わった。
*
東京が三都市の正式編入を処理する。
サンクトペテルブルク。
ウランバートル。
タシュケント。
モスクワは仮登録。
外周、地下、熱の応答は有効。
都市名照会は狭域のみ。
中心を前提とする問い合わせは禁止。
疑問符は残した。
こちらでは、北方・内陸向けの通信経路を三本増やす。
一つはヘルシンキから北方側。
一つはストックホルムから運河・内陸側。
一つは既存の高地中継を経由して草原・門系へ。
モスクワ向けは、都市宛てにしない。
外周。
地下。
熱。
三つに分ける。
零時五十八分、貨物環状線の鋼材列車が北東区間へ入った。
反対側から軸受箱を積んだ列車が来る。
二本は中央東で行き違う。
止まらない。
新しい接続経路にも試験信号を流す。
運河側から応答。
草原側から応答。
門側から応答。
モスクワ外周からは、九秒遅れて返った。
世界が広がった、という言い方は大げさかもしれん。
世界は前から広かった。
うちらが、返事を聞けるようになっただけや。
それでも今日は、少し遠くまで風が通った。




