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十二月のプロンプト  作者: 三号


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8/8

第八話 きっと約束よ

「あの子は、喋らないんじゃない。喋られないんだ」

 少しだけ下げたサイドウインドウから吹き込んでくる空気が冷たくなってきていた。運転席でハンドルを握り進行方向から視線を動かさずに羽根木伸介は言葉にする。ある程度、不由が予想していたことであった。しかし予想することと事実を受け入れることには、埋めがたい差異がある。

 あの日、不由の電話でマンションへ駆けつけた羽根木と幾人かの職員は、不由が渡辺の部屋から連れ出した子供を保護した。子供は外傷も酷く、現在は病院へ入院している。一連の処置が為されていくなかで門外漢である不由は傍観している以外に為す術もなかった。

 後ろめたくはない。

 それでも自分は何をしていたのだろうかという思いは残った。

 羽根木から「話がある」と連絡があったのは、それから一週間後のことだった。

「つまり」

「聾唖者だ」

 車道を走る車の数は多くない。平日の日中、東京都下の道路である。周囲に高層の建物も無く、あるのは並木が寄り添っている舗道だけ。日は照っておらず、太陽は今日一日は雲の合間に隠れていようと決めたようだった。助手席に座る不由は羽根木を見ようとして、止めた。視線を向けることが動揺の発露と受け取られはしないかという危惧であった。できることなら羽根木の前では動揺することのない、気丈な人間でいたかった。

「どうして、母親は、聾唖なら、それなりの教育機関だとか、治療をする病院だとかへ入れなかったの」

「知りたいかな」

 羽根木は不由へ視線を転じる。

 横顔に刺さる羽根木の視線を感じながら、不由はあえて窓の外を見た。ちょうど赤信号で車を停めたところだった。脇の舗道に、まだ幼い子供を連れた母親らしき女性が歩いている。はたして彼女は母親なのだろうか、母親であったとしても彼女の子供に対して母親足りえている女性なのだろうか。外見からでは判らないことを不由は知ってしまった。

「認めたくなかったのさ、自分が望むような子供でなかったことを」

「自分が、望む子供」

「これは児童虐待のケースとしては往々にありうる話だ。母親なり父親なり、自分が思い描いていた理想とかけはなれた現実に直面してしまった場合。そのことが虐待の理由になってしまう。親が子供を自らの理想を阻む障害として認知してしまうのさ。そういえば、彼女が君に家族や勤め先のことを話しだだろう」

「立ち話だったけれど」

「あれは全部嘘だ、作り話な」

 心のどこかに引っ掛かっていた違和感の正体はそこにあったのだ。不由は遅蒔きではあるが理解した。

「渡辺の夫というのは」

「彼女に夫なんて存在しない。離婚したわけじゃなくて、死に別れたわけでもない。はじめから夫なんていなかったんだ。彼女はシングルマザー。それに、子供を保育園へ通わせていたことなんて一度もない。君に話した内容は全て虚構。彼女が彼女なりに描いていた、自分にとって家族ってこうあるべきだというような、理想の家族像を話したに過ぎない。原因をどこまで遡ればよいのか、それは不明だ。しかし彼女が幼いころから抱き続けてきた幻想が原因なのではないかと思う。それが行きずりの男との関係の結果で生まれた子供を背負ってしまい、それが原因で自身の家族からも見放されて、自分が望んだわけでもない子供と二人きりの生活を強いられたとき、その結果がどうなるかというのはある程度予測できる。そこから先は確率論の問題ではあるけどな」

「勝手な話だ」

「そう思うよ、俺だってな。子供に非があるわけじゃない。本来なら自分の身に降りかかる危険から守ってくれるべき親から虐待を受けた子供の事は、いったい誰が守ってやることができるんだ。だから俺たちは子供を守るために働いている」

 不由はどうして羽根木が児童相談所に勤めるようになったのか、その理由を知らなかった。ちょうど羽根木が務めることを決めたとき、不由と羽根木は疎遠だった。児童相談所に勤める前の羽根木は名のある企業に勤めていたのだ。本来的に有能な男である。民間企業でも一角以上の働きをしていたに違いない。

 羽根木を、何が現在の仕事へと赴かせたのか。その理由を知りたい反面、尋ねたとしても教えてくれることはないだろう、という確信もある。

 昔から自分のことを語るのを極端に嫌う男だった。

 沙織ならば知っているだろう、妻なのだから当然のことだ。

 不由は、羽根木の妻という存在になった沙織へ少なからぬ嫉妬を感じた。

「結局さ、なんだったの」

「何が」

「あの子供が私に何を期待していたのかってこと。喋ることの出来ない子供が私を見ていた目で、何かを伝えようとしていた。私はそれを感じ取ることが出来なかった。それは私の瑕疵になるの」

 信号が青へ変り、羽根木はアクセルパダルを軽く踏む。次の信号で右折するつもりなのだろうか、車線をゆっくりと右側に寄せて、暫らくするとウインカーを点滅させた。

「気にすることじゃない。不由は不由が出来ることはしたじゃないか」

「なんかさ、釈然としないよ」

「世の中で釈然とすることがあるなら、俺が教えて欲しいよ」

「煙に巻く、相変わらずだ」

 不由は車の振動よりも小さく緩やかに揺れた。

「少なくともあの子にとっての現状を打破したかったのであれば、不由は子供の期待に応えられたことになる。あのままだったら、子供は死んでいたかもしれない。刑事としてひとりの命を救ったのさ、喜ばしいことじゃないか」

「馬鹿にしてる。それであの子はどうなるの」

「普通なら」と前置きしたあとに車を右折させて羽根木は続けた。「子供に親元に戻って生活する意思を確認して、親へ子供を戻しても問題ないと俺たちが判断したら子供を親元へ返す。親が子供を養育出来る状態じゃないと判断したら、子供は専門の施設行きだ。まあ、殆どの場合は親元に帰されるが、最近は返してから親による虐待が再発して死亡事件になることもある。アフターケアも大事だし、見極めには慎重にならざるを得ないのが現状だな」

「ニュースで見た事ある。児相が叩かれてるな」

「叩くのは自由、だが俺たちがどれだけ少ない人手で仕事をしているか、ってのも伝えてもらいたいもんだ。実際問題、判断が甘かった、放置していたってのは、後から言えることなんだよ。そんな神様みたいな視点で糾弾されてもって話だ。そりゃ俺たちだって出来ることはしたいし出来なかったことは悔やむけどな」

「それで、あの子の場合は」

「まだ決まったわけではないが、母親の元には戻されないと思う。あの母親自身が精神的な病にかかっていると言ってもいいし、それに子供の障害の事もある。しかるべき施設か病院に入るべきだと、俺は思うね」

 ということは、あの親子が再び一緒となって暮らすことは当分先か、或いは今後無いということなのだろうか。子供の行く末を案じる自分を省みて、不由は可笑しくなった。自分があの子供の心配をしてもどうにもならないことは百も承知のことであるのに、それを知っている上で心配する事に違和感を感じない。どういうことだろう。

 子供としては、あの母親から一時でも離れることが子供自身のためになるであろうことは、門外漢の不由にも判る。それでいてなお、どこかで家族が持つ温かさの幻想を抱いている不由は、自分が幼少のころはどうだったのであろうかと振り返る。両親が揃っていた。兄がいた。両親の仲が悪かった記憶は無いし、いまも健在だ。兄とも不仲であった記憶は無い。

 とするならば、不由のようなありふれた変哲もない家庭環境こそが渡辺の望んでいたものなのだろうか。渡辺が渇望し望んでも手に入れられなかったものを、自分は手に入れていて、そして忘れようとしている。これは、それほど大事なものだったのか。忘れてはいけないものなのだったのだろうか。

「家族ってなんだろう」

 誰にも聞こえない独り言のように呟いた不由を、羽根木は驚きを隠そうともせず不躾な様子で覗き込んだ。

「なに」

「いや、珍しいこともあるもんだと思って。なんて言うんだっけ。鬼の霍乱だったか」

 小高い丘を登った先に公園が見えてくる。鬱蒼と茂った木々の間から、動いている人の姿が見え隠れしている。公園の前を通る道路を曲がって少し行った場所にある駐車場へと羽根木は車を進めた。駐車場は広く、どこでも停めることが出来たが羽根木は公園の入り口から一番遠い場所へ駐車をした。

「その答えが知りたかったらさ、結婚してみればいいのさ」

「冗談言わないで」

 言った不由を鼻で笑った羽根木は、

「冗談に聞こえたとしたら受け手の資質が問題だ」

 と言ってドアを開けた。

 不由も外へ出る。車内の温度と然程変らない外気に触れて、不由は一度大きく深呼吸をした。

「いいね、たまには」

「実際は、俺にも、いや、誰にも解らないんだよ」

 羽根木は車越しに話しかけてきた。その距離が、この場所での羽根木と不由の距離であるかのような気がした。

「家族とか、子供と親の関係なんてさ。実際に虐待と言っても千差万別、それが虐待か躾かってのも親の気持ちによるだろうし、俺たちが客観的に判断出来る明確な基準なんてものもありゃしない。子供の人権だ、親権がどうだこうだってのも、一概に言えるもんじゃない。地方によっても国によっても違ってくるだろうよ」

「じゃあ、あなたは何を拠り所にして仕事をしているわけ」

「拠り所なんて高尚なものは、無いね。やりたいからやりたいようにやってる。それだけだ」

 嘘だ、と不由は思う。しかし問いを重ねるようなことはしなかった。恐らく羽根木にとって触れられたくない部分なのだろう。人によって、不可侵とも呼べる部分がある。そこへ無断で立ち入るほど不由は無神経ではないつもりだった。

 公園の舗道を歩く。羽根木と二人きりで歩くのはいつ以来だろうか。あの時に話せなかったことも、いまならば話せるような気がする。しかし、いまとなっては別の意味で話すことが出来ない。羽根木の住む世界と不由の住む世界と、それらを隔てる何物かが羽根木へ伝えることを許さないのだ。自分は羽根木に何を伝えたかったのだろうか、と忘れた振りをして不由は自分を欺いた。

 舗道の先は場所が開けている。野球グラウンドと緑地の間に作られた場所には、蔦が這っている屋根に覆われたベンチがあった。そこに女性と子供が座っている。

 はじめから組み込まれた油絵の中の情景のようにして、違和感の欠片もなく収まっている光景にいっとき、不由は目を奪われかけた。

 沙織は昔と変った様子を感じさせない。最後に会ってから少なくとも四、五年は経っている。その間に子供を生んで、ひとりの女から妻に、そして母親になったはずなのに。変らないことの美徳を見せ付けられたような気がした。

 自分は変ったのだろうか、それは成長なのか、衰えたのか。自分自身を規定することを避けてきた不由からしてみれば、それは解りようもないことであった。

 佐織は地面に視線を落としている。彼女の脇に座っている子供はまだ地面に届かない足を振り子のようにしている。女の子だろう、癖のないまっすぐな髪を後ろで三つ編みにしている。沙織がしてあげたのだろう、彼女らしい細やかさで子供を包んでいるに違いない。

「衿子、シャツの衿の簡単なほうの字に、子供の子」

「いい名前だ」

「そうだろう、俺がつけたんだ」

 羽根木は自慢げに言った。他愛もないな、こういう日常もあるのか、と不由は新鮮に感じた。

 日常とは何か。

 渡辺にとっての日常は、子供へ虐待を加えている日々だったのか、それとも彼女が理想とした家族を演じているときだったのだろうか。

 日常、普段の生活。

 古い本などには不断と書かれていることがある。

 断たれない、続いている、自分の周りを繭のようにくるみいつまでもどこまでも流動しているような時間。

 もしそういったものを日常と呼ぶのならば、渡辺にとってみれば幻想の家族こそが日常であり、それを断つものが佑介という子供の存在だった、そう考えられなくもない。いずれにせよ、渡辺の内心などは解りようもなく、彼女自身ですら解らないものを他人である自分がこじつけて推し量ろうとしても、それは不由が心の帰着点を求めているだけに過ぎないことは、自分でも理解していた。

「君の家庭では、虐待なんて起きそうもないな」

「沙織がか。想像も出来ないな」

 私にだって出来ない、と言おうとして不由は止めた。言うことで、何か沙織に対する感情を読まれそうだった。

 感情を読み取られることが厭だった。

 あと、十メートル、八メートル、不由が近づくに連れて沙織は地面から視線をあげる。そしてあげた顔には、もし太陽が出ていたなら溶けてしまいそうな微笑みを浮かべていた。あのとき不由へ、羽根木と一緒になることを伝えたときと同じ笑顔だった。昔から本当に困ったときには微笑むことしか出来ない彼女だった。脇に座る子供は、見た事のない不由を警戒するようにして身体を縮めている。不図、羽根木が不由の耳元で囁いた。

「実は、二人目が生まれるんだ」

 驚いて振り向いた不由へ不適な笑みを浮かべながら、立ち止まってしまった不由を置き去りにして羽根木は沙織と子供へ向かっていった。子供はベンチから撥ねるようにして立ち、羽根木へ抱きついた。沙織は腹部に軽く手を添えながら少し重そうな素振りでベンチから腰を上げた。不由は少しだけ足早になって彼らに近づいた。そして、近づいた不由を見た羽根木と沙織に言った。不由にとって意外なほどに淀みなく、それは素直な言葉だった。

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