表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十二月のプロンプト  作者: 三号


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

第三話 抱き締めててあげるから

 パイプ椅子から立ち上がった子供は俯いたままで交番の外へ出た。

 交番勤務の警官は当然のように不由と子供に家まで同行すると申し出たが、不由は身分証で自らの所属を明かして断った。驚いた警官たちだったが二人で相談したのちに不由へ任せることなった。同僚に自宅を知られることを回避できて不由は内心安堵する。

 不由と警官たちがやり取りしている間、子供は一言も口をきかなかった。その所為か、子供が出て行ったあとに顔を見合わせて苦笑していた。彼らにとっては厄介者が去ったというべきなのだろう。不由にとってはこれから厄介者を背負うことになるのだが。

 不由は一応の礼儀としてお辞儀をした。年配の警官が「じゃあ、後は宜しく頼みますよ」とだけ言った。何が宜しくなのだろうか、極めて曖昧な言葉の意味を探ろうとしても無駄なことは判っていた。つまり、さようならであるとかそういった類の挨拶だと思えば良い、と不由は割り切っていた。

 子供に続いて交番を出た。雨はまだ降っている。子供は傘を持っておらず、交番の庇の下で立ち尽くしていた。その背中から、何かその頃の子供の年齢には似合わない感情が染み出しているように思えた。簡易的に言語へ変換するならば、寂寥といったところだろうか。不由は先程買ったばかりのビニール傘を開き、子供の上に差し出した。

「濡れるから、入りなさい」

 反応が遅い昔日のパソコンのように緩慢な動作で子供は不由を振り返った。といっても、当然子供と不由とでは背丈が違うからして、斜め後ろの不由を見上げるようなかたちになった。しかし振り向いたのもつかの間、子供は再び前方へ顔を転じ、そこから動かそうとする気配すら消してしまったようであった。

 どうしたものか、と不由は一瞬だけ判断を迷う。そのまま歩き出すのも不義理のような気がするし、かといって子供の手を取って歩く気には到底なれそうもない。こういった日常的な人とのやり取り、感情の読み合い、出方を探るようなことが不由は苦手だった。できれば人間に、その時々の感情について数値化したパネルを額にでも埋め込むことが出来ればいいのにとすら考える。何を考えているか判らない他人が、何も不由に伝えてこないときなどは、もどかしいというよりも苛々してしまう。こういった点が不由の数ある短所のうちのひとつであり、不由が恋愛というものに不向きな理由なのだろう。それくらいの自己分析ならば当の昔に済ませている。普通の人間との不透明な社会的関係に頭を悩ませるくらいならば、刑事責任を追及すべき犯人を追いかけているほうが、まだ気楽というものだった。

 不由が浅慮を巡らせているあいだに、気がつけば子供が先に歩き出していた。意外だった。子供は既に不由の前方二メートルほどのところを歩いている。雨は弱まるどころか、先程よりも雨脚が強まっているようだった。子供の、耳の上で揃えられた真っ直ぐの髪の毛がに濡れて萎れてしまっているようだった。なぜか萎れたような髪が子供の内心を現しているのではなかろうか、と不由は慮る。

 少し傘を前に差し出した格好で、不由は子供を追いかけた。すぐに追いついて子供が雨に濡れないように傘の中に入れた不由は、自分が若干ではあるが焦っていたことに腹を立てた。年端も行かぬ子供に、自分のペースを乱されたこと、それが不由には気に入らなかった。

「濡れるでしょう、馬鹿だね」

 思わず焦ってしまった自分への嘲りをこめて不由は呟くようにして言った。コンビニで買ったビニール傘は、値段相応の機能しかない。つまり傘の直径が小さいので子供を濡れさせないようにするために、不由は自分の半身を傘の外に出さざるを得なかった。肩口が雨に濡れて少し冷たいと感じる。そんな不由には構うこともなしに、子供は歩を進めていた。舌打ちをしながら不由は子供が傘から外れないようにしていった。不本意ながら、子供の後を追いかけるかたちになってしまった。

 舗道の敷石は煉瓦のようなモザイクを形作っていて、雲から落ちてきた水滴は本来赤みがかっているはずのそれらを、より濃い色に染め上げていく。舗道のうえを歩く子供は、半歩後ろについて歩く不由を一顧だにすることもない。歩いていく先に、明確な目標であるとか、到達点があるかのような足取りだった。

 しかし国道へ突き当たった舗道の端で、子供は足を止めた。自分の住んでいるマンションが判らなくなったのだろうか。否、いくら子供の年齢が幼いとはいえ、自分の住処を間違えるような年齢だとは思えない。しかし子供は舗道に立って、前方に視線を固定させたまま、その瞳がガードレールを見ているのか、行き交う車を見ているのか、国道を挟んだ向こう側の景色を見ているのか。不由には俄かに判断が出来なかった。

「ねえ」

 不由は問いかけた。左手に持っているビニール傘が子供を覆っていた。それは雨から子供を濡らさないようにしているだけでなく、子供と不由を同じ傘の下に置いていることにおいて少なからぬ連帯感を表している、そのような浅はかとも言える期待のようなものが不由に無かったとは言えない。

「少しはさ、何か言いなさい。君を家まで送ってあげるから。それとも家に帰りたくないの。厭なの」

 決して声を荒げることがないように気をつけて問いかけたつもりの不由であった。しかし効果のほどは伺い知ることが出来なかった。不由が発した問いかけは、そのまま道路を走る自動車のエンジン音にかき消されてしまったかのようで、子供の耳には届かなかったとしか思えなかった。それほどまでに子供は無反応であった。

 この子供は何を考えているのだろうか、不由は疑念を隠せなくなる。

 第一に子供がなぜ交番まで足を運んだのかが判らない。

 第二に子供が何も喋らないことの意味が判らない。

 第三に帰宅に同意したかのように歩んでいたが一歩手前で躊躇を見せているような気がする。

 総合して考えると疑問点から答えとしてどのような事が導き出されるのだろうか。実際、これが大人であるとか犯罪者ならば不由の思考は答えを導き出すことが出来たのであろう。

 しかし対象が子供となった時点で、不由の目には曇りで見えなくなった眼鏡のように何も見えなくなる。これは不由は子供と接する機会が少なかったことに起因するものかもしれない。そもそも子供嫌いの不由にとっては子供の思想信条、思考形式などは判らなくてもよかったのであるし、理解するつもりもないもののひとつであったのだ。

 そのとき、不由が着ている上着の裾を、子供の手が掴んだ。それはカンダタが掴む蜘蛛の糸を不由に連想させた。驚いた不由と、不由を振り返った子供の視線が交差した。そして子供は頭を左右に振ることで何かを拒否していた。

「帰りたくないの」

 不由は訊いた。訊かずとも判るようになっていたのかもしれない。それほどまでに、不由の衣服を掴んでいる子供の力は強く、そこから伝わってくる何事かに無関心でいられるほど不由は鈍感な神経を持ち合わせていない。

 さらに言うならば、子供が現状で言葉を発することが困難なことが不由にも判った。同時に自身が自分以外の他人と呼ばれる、それも子供が関わってくるならば家族の何事かに、関与せねばならないことを不由は予感した。

 ともあれ、舗道で服を掴まれたまま立ち止まっていて事物が好転するわけもなく。今度は不由が先導するかたちになって歩いた。子供は不由の服を掴んだまま、後ろを歩いていた。不由は心持ち傘を後方へ反らせながら、子供が濡れないよう気をつけなければならなかった。

 先ほど不由が駅舎を出たときよりも、雨脚が強くなっているような気がした。それは不由の心が反映した結果なのかもしれなかった。

 そういった気持ちというか、寧ろ感覚的な部分において、小さな揺れを、他人であろうと自分の心の中であろうと看過出来ないのが、いわば不由の職業的な病、或いは習慣なのかもしれない。であるならば、この感覚を突き詰めることによって、子供が陥っているだろう何事かを解消することが可能なのであるはずだ。これは刑事として事件を扱う上での経験則であった。

 逆に言えば、仮令表面的に事件が解決をしたとしても、不由の中にわだかまりに似つかわしい感情が残っているのならば、それは事件の本質的な部分で解決をしていない場合か、それとも解決の方法そのものが間違っていると言えた。

 言葉を交わすでもなく、子供を振り返るでもなく、不由が己の内部と向き合い沈思している間に、二人は二人が住まうマンションの前に居た。舗道とマンションの入口の間には、アイボリー色のタイルで外側を形作られた生垣があり、躑躅が植わっている。躑躅が途切れた舗道から約三メートルほど奥まった場所にマンションの入り口があった。入口は自動ドアになっている。

 入口から中に入ると右側に各戸毎に用意されている郵便受けがある。防犯のためにダイヤルを使って暗証番号を入力するタイプのものであり、入れ口は縦長になっている。

 郵便受けの反対側にはマンション住人用の掲示板があり、いくつかの紙が掲示されている。ひとつひとつを改めて読んだことなど不由には無いが、いずれ不由には直接関係の無いものだろうことは疑いが無い。個人宛に用件があるものであれば、不由の部屋へ直接に投函されるべきものであろう。そうなると、一般的な、マンション住人の広範にわたる周知など不由にとっては興味が無かった。そういった社会を形成する場になるべく関与すべきでないというのが身上であり、いままでもそうしてきた。

 掲示板の横に、オートロックの入力板があり、自室のキーを差込み暗証番号を入力することでエントランスへ入ることが出来る。自分が部屋にいれば、訪問者と音声でやり取りをしてドアを開ける一般的なものであった。

 ここで不由は一考した。

 子供の部屋番号は判っている。そうであるならば、ここで子供の部屋にいるはずの親を呼び出し、迎えに来させることも可能ではないだろうか。親を呼び出すだけ呼び出して、そして不由は子供を残して去ってしまえば、これ以上の関わりを持つことはなくなるだろう。そうすることが、現状ではベストとは言わずもベターな決断のように思えた。

 しかし不由に入口で親を呼び出すことを躊躇わせたのは、相変わらず不由の服を掴んで離さない子供の手であり、その力であり、不由が考えていることを見抜いた上で、それを非難するかのような子供の瞳だった。

 この時点で、不由は周囲の住人と関わるべからずとした自分の規範を返上してしまった。言わば不由は子供からの圧力に屈した。

 不由はポケットから自室のキーを取り出し差し込んで、そして番号を入力した。マンション内部の空気が待ちかねていたかのようにして、外側に流れ出てきたようだった。

 自らの服を掴んでいる子供の手を外側から握り、そして手のひらを開くように一本一本の指をはがしていった。そして、その手を今度は不由の手で握ったままマンションの中へと入っていった。少なからず子供が抱える何事かに対峙するのであるならば、主導権は自分が握っていたい。不由のわずかばかりの抵抗であるとも、刑事としての矜持とも取れる行動だった。しかし不由は自分がそこまで考えるでもなしに、無意識のうちのこの行動をとったことに気付いていただろうか。それは、不由が自分の中には無いと断定していた、子供なる人種への愛情だったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ