重なる手に黄金の白花
ケテルゼナンテから危機が去ってから、五日。
アリアはようやく身体を自由に動かせるまで回復した。
魔力の乱れは、まだ少し残っている。
とはいえ、戦えないほどではない。
「無理してない? アリアはすぐ無茶するんだから」
エリーが心配そうにして、アリアの顔を覗く。
「もう大丈夫」とアリアは言い、小さく頷いた。
あれからエリーは、ユーリのもとへずっと通ってくれたらしい。
アリアもユーリが心配ではあったが、傍に行くことは叶わなかった。
魔力が安定するまでは絶対安静と、ネフェリに厳しく言われたからだ。
この五日間、ユーリには一度も会っていない。
しかし彼はすでに回復していて、普段通りに過ごしているという。
「実は、アリアが回復したら城をあげて晩餐会を催すことになっていたのよ」
跳ねるような声でエリーが言った。
やはり貴族の娘なのだ。
そういった華やかなことが好きなのだろう。
しかしアリアは表情を曇らせる。
「……晩餐会、ですか」
「あれ、アリアはそういうの好きじゃない?」
「……好き嫌いの前に、そんなすごい催しに参加したことがありませんから」
聖女に選ばれたとはいえ、アリアは庶民の娘なのだ。
いや、庶民以下か。帝国の辺境で貧しい暮らしをしていたのだから。
晩餐会はおろか、こうした王宮にいることすら烏滸がましい。
そう思って、アリアは自嘲した。
するとエリーが顔をしかめ、アリアに詰め寄る。
「アリアが今何を考えているのかわかるけど、ダメよ? 主役はアリアなんだから!」
「……主役って?」
「ケテルゼナンテを救った聖女なのよ? みんな、光の聖女に会いたくて待っているんだから!」
「……私なんかが、まさか」
「今日限りで、まさかなんて言えないようにしてあげる。アリアの前髪係である私の本気を見せてあげるわ」
そう言ったエリーが、指を鳴らす。
合図を待っていたように、寝室の扉が開かれた。
王宮の女性使用人たちが続々と入室し、アリアの前に並ぶ。
そうしてエリーからの次の合図を待った。
「え、なにこれ、って……え、ええ??」
戸惑うアリアをよそに、エリーが再び指を鳴らす。
女性使用人たちが、一斉にアリアへ殺到した。
頭髪の先から、手足の爪まで、念入りに磨き上げていく。
その徹底ぶりは、帝都のセリアノ宮で受けたものをはるかに超えていた。
最後の仕上げに、美しいドレスで身を包む。
そのドレスは、ケテルゼナンテの貴族たちが用意した、聖女のための特別なドレスだった。
深い青を基調にし、光を湛えているような生地。
それに着こなすアリアの姿は、貴族令嬢も舌を巻くのではないかと思うほどだった。
「……世界広しと言っても、今のアリアに文句を付けられる人間はいないわ」
エリーが瞳を潤ませ、自らの完璧な仕事に酔う。
大袈裟だとアリアは思ったが、女性使用人全員がエリーに同意した。
となると、アリアに反論の余地など無い。
肩をすくめて項垂れ、「好きにしてください」と諦める他なかった。
「エリーさん、アリアさんの準備は整いましたの?」
扉の向こうから、ネフェリの声が届く。
エリーが返事すると、ドレスを着たネフェリとジーンが顔を覗かせた。
「……あらあら。まあまあ」
「…………アリアさん……綺麗……」
ネフェリとジーンも、その場で立ち尽くし、アリアに見惚れる。
エリーが得意げに胸を張り、晩餐会へ向かう準備が整ったことを告げた。
晩餐会が開かれる大広間への道程。
美しく着飾っていても、アリアの足取りは重かった。
人々のために戦ってこその聖女なのに、今のアリアは剣を帯びていない。
それだけでこれほど心許なくなるとは。
「大丈夫よ、アリア」
アリアの不安を察したエリーが、微笑む。
彼女もまた、聖女のための美しいドレスを纏っていた。
エリーは、若草色の可憐なドレス。
ネフェリは、真紅の華やかなドレス。
ジーンは、淡い紫の愛らしいドレス。
普段の動きやすい聖女の服とはかけ離れた、煌びやかな姿だ。
「私たちが傍にいるし、この先にいる人たちだって、みんなアリアの味方なんだから」
エリーの力強い声に、ネフェリとジーンも頷く。
いつもは頼りなさげなジーンも、今日だけは頼もしく見えた。
「……うん、わかった」
「弱々しいアリアも可愛いなあ! ムギュムギュしちゃおうかな!」
「およしなさい。せっかくのドレスがダメになってしまいますわ」
「……手を繋ぐだけで、我慢、しましょう……」
「そうね! みんなで手を繋いで大広間に入ろうよ!」
「それはちょっと……おかしくはありませんこと?」
「いいじゃない! ほら! ネフェリも手を繋ご!」
エリーが皆の手を取り、満面の笑みを輝かせる。
根負けしたネフェリが苦笑いし、頷いた。
四人は手を繋ぎ、横一列となって大広間の扉の前に立つ。
間を置いて、王国騎士たちがゆっくりと扉を開いた。
「パラウムストの守護聖女さま! ようこそおいでくださいました!」
管楽器のような声が、アリアたちを迎え入れる。
同時に、すでに集まっていた招待客たちが一斉に歓声を上げた。
大広間を彩る輝かしい七色の灯りも、歓待の声とともに煌めく。
その只中に、ユーリの姿もあった。
「もう、すっかり良くなったようだな」
アリアの前に歩み寄ってきたユーリが言う。
どの口がそれを言うのかと、アリアは困り顔を見せた。
そうして晩餐会がはじまる。
大臣と国王の挨拶は、そこそこに。
長大なテーブルを埋め尽くす数々の料理を、アリアたちは楽しんだ。
それは本来の厳かな晩餐会ではない。
聖女たちへの慰労に重きを置いてのことだと、すでにほろ酔いの大臣が語った。
楽師たちによる柔らかな音楽が、大広間を満たしていく。
思いのほか晩餐会を楽しめている自分に、アリアは驚いていた。
傍にエリーたちがいるからか。
それとも壁を隔てていると感じていた貴族たちが、想像とは違い、普通の人間だったからか。
食後の歓談も、さほどに苦痛ではなかった。
とはいえ、ダンスの誘いだけは断らざるを得ない。
剣は振れても、踊りなどしたことがないのだ。
代わりに、津波のように押し寄せてくる貴族の娘たちとの会話は受け入れた。
「聖女アリアさま、お会いできて光栄です! 本当にお美しい――」
どの貴族の娘たちも、同じような言葉をアリアに飾り付けていく。
誰も、アリアのことを、貧しい暮らしをしていた庶民だと思っていない。
ただ、光の聖女として見てくれていた。
それは嬉しいことだったが、戸惑いも覚える。
対してエリーは、晩餐会を心底楽しんでいるようだった。
ダンスの誘いも受け、貴族の娘たちとも談笑し、花を咲かせている。
(……エリーはすごいな)
羨む思いはない。
ただ純粋に、尊敬している。
アリアの視線に気付いて、屈託のない笑顔を返す姿。
ヴェムネルとの戦いの最中と同じく、アリアの心を掬いあげてくれる。
その笑顔の向こう側に、銀色の影が揺れた。
「……ユーリ?」
魔法でも使ったのか。
ユーリは誰にも気付かれず、大広間から出て行った。
アリアは貴族の娘たちとの会話に一区切りつくまで待ち、ユーリを追う。
そこは王宮の中庭で、晩餐会の賑わう音がわずかに届いていた。
「まだ、具合が良くないのですか……?」
中庭でたたずむユーリを見つけ、声をかける。
アリアに気付いていたのか、彼は振り返ることなく首を横に振った。
「俺は人形だからな。料理は食べる意味がないし、食欲もない」
「それなら……私なんかよりももっと居心地が悪かったですね?」
「そういうことだ。だが、こうした催しに参加するのは意味がある。偉い奴と仲良くなれば、今後、俺たちの旅を助けてくれるかもしれないからな」
「……それはまた、ずいぶん打算的なことで」
「まあな」
ユーリが片眉を上げる。
アリアは苦笑いして、彼の傍に座った。
刹那の沈黙。
それが永遠になりそうな気がして、アリアは口を開く。
「……どうして、無茶をしたんですか」
胸に渦巻いていた言葉が、こぼれた。
その言葉を、ユーリがゆっくりと拾い上げる。
「君なら、そうすると思っただけだ」
「……え?」
「もし半身を切り捨てることで誰かを助けられるなら……君は迷わず自分を犠牲にするだろう。後先考えずにな」
「……馬鹿にしてます?」
「まあ、少しな」
ユーリが小さく笑う。
アリアは眉根を寄せ、ユーリから顔を背けた。
せっかく心配したのに、また馬鹿にしてくるなんて。
苛立ちが募りはじめると、察したユーリがアリアの顔を覗き込んだ。
「だが、あの時は俺も、そうしたいと思ったんだ」
金色の瞳が、真っ直ぐにアリアへ向く。
陽のように力強く輝くその目に、いつもの冷徹な色は見えない。
しかしあまりにじっと見つめてくるので、アリアは気恥ずかしくなった。
頬を紅潮させ、再び目を背ける。
「……だ、打算的じゃない、ときも、あるみたいですね?」
「そうらしい。これで『意気地なし』じゃないと、わかってもらえたらいいのだが」
「……っ! そ、それは……そ、その……」
アリアは頬を染めたまま、困り顔をユーリに向けた。
そういえば、あの夜、怒りのままに「意気地なし」と罵って以来、真面には謝っていない。
アリアはしばらく唇を強く結んだが、意を決して頭を下げた。
「……ご、ごめんなさい。……あなたは意気地なしなんかじゃ、ないわ」
ユーリにようやく届くほどの小声をこぼす。
アリアの言葉を受け、ユーリがそっとアリアの手を取った。
重なる手。
ふたりの願いの繋がりを感じる。
ひとつでも多くを救いたい。
その想いは、同じだ。
異なる考えや感情、どちらか一方を切り捨てるのではない。
両方を合わせる道を、共に探していく。
新たな使命感を握り締め、アリアはユーリに頷いてみせた。
「……なーんで、こんなところでイチャイチャしてるのかな??」
不意に、エリーの声。
同時に、ふたりの間へエリーが踊り出てきた。
エリーだけでなく、ネフェリとジーンもいる。
晩餐会の主役がいなくなったので、捜しに来たらしい。
「こ、これは、その! せ、世界を救う話、を……」
「手を握りしめ合って?」
「これは、ち、違くて! いえ、でも、本当に……!」
「慌ててる感じが怪しいなあ」
「怪しいですわ」
「……そ、そういう、関係……?」
揶揄うエリーに、ネフェリとジーンが乗っかる。
アリアは慌ててユーリに救いを求めると、彼の片眉がくいっと上がった。
「こんなイノシシ女と、どうにかなるわけないだろう」
ユーリが冷静な口調で言う。
さも当然と言わんばかり。
それはそれで腹立たしいと、アリアは彼の足を踏みにじった。
「……ユーリ。それって悪口ですよね? どういう意味か教えてくれますね?」
「教えるつもりはない」
「教えてくれる約束じゃないですか!?」
「そんな約束はしていない」
「しました!」
「していない。そんなだからお前はイノシシなんだ」
「ま、また……イノシシって!?」
噛みつかんばかりの勢いで、アリアはユーリに迫る。
それでもユーリは涼しげな顔のまま、アリアをあしらった。
ふたりの様子を見ていたエリーたちが、愉快に笑いだす。
その喧噪を聞き付け、大広間にいた貴族たちが中庭に出てきた。
ほろ酔いの大臣と、国王も一緒に。
こうしてケテルゼナンテの王宮に、平和の花が咲く。
花に差し込む光は、夜空の星と見紛うほどに映える、結界の煌めき。
サンクトロ王国はこうして救われた。
しかし魔法人形と守護聖女の旅は、はじまったばかり。
次なる目的地は、ヴェムネルとの最前線であるグラナヴェナ王国。
苛烈を極めるアリアたちの、世界を救う旅はまだつづく。




