未来の欠片
「ネフェリ、疲れているとは思うのですけど、助けてほしいです」
「……ふふ、もちろん、ですわ、アリアさん。そのつもりでなければ……こんな無様な姿は、お見せしません」
「ありがとうございます」
「……わたくしたちが、ヴェムネルの群れだけでなく……あの怪物の、動きも抑えて……みせますわ。あなたは、存分におやりなさい」
青白い顔のまま、ネフェリが拳を突き出す。
アリアは剣を握ったまま腕を伸ばした。
ところが、アリアの両手は血と泥で汚れていた。
ネフェリの色白な拳に触れることを躊躇い、アリアは腕を引っ込める。
「なにをしてますの」
ネフェリが怪訝な表情を見せ、アリアの手を掴んだ。
ネフェリの白い手が、ベトリと汚れる。
「今更、気遣いは、無用ですわ」
「だけど」
「気を遣うなら、戦いが終わったあとに……その前髪をなんとかなさいませ。少々みすぼらしいですわ」
「……あ」
ネフェリの言葉に、アリアはハッとする。
激しい戦いの最中、編み込んだ前髪がほどけたのだ。
みすぼらしい、ざんばらの髪。
その下にアリアの顔はすっかり隠れていた。
アリアは恥ずかしくなり、唇を噛む。
するとアリアの手を掴むネフェリの手に、力が加わった。
同時に、もう一方の手でアリアの前髪を払い上げ、顔を覗き込んでくる。
「顔をあげて、しっかりなさいませ。あなたの光でしか、あの怪物を撃ち払うことはできません」
そう言ったネフェリが、キルベルウスを指差す。
体勢を整えなおしつつあるキルベルウスが、再びゆっくりと前進をはじめていた。
その圧は弱まっているが、脅威でなくなったわけではない。
「あなたが持つ本物の光を、もっと強く、鋭く放つ時です。その光の行く道は、わたくしたちが必ず切り開いてみせますわ。いいですわね?」
「わ、わかりました」
「さあ、お行きなさい!」
「……はい!」
アリアは剣を握り締め、駆けた。
その後ろに、ネフェリと、エリーとジーンが付く。
アリアの行く手を阻もうとするヴェムネルの群れはすべて、彼女たちが撃ち払った。
おかげで、アリアは真っ直ぐにキルベルウスへ駆けて行ける。
(……私ひとりで、勝てるわけじゃない!)
圧倒的な力を授けられても、足りないところはある。
これからも、きっとそうだ。
左腕から流れる血。
この痛みと熱が、皆との絆を証し、アリアを真っ直ぐに駆けさせてくれている。
「――もっと、集中! もっと! もっと!!」
フィナスの言葉を思い出し、アリアは息を整えた。
気を散らさず、集中し、速く、正確に撃ちにいく。
アリアの後ろには、ヴァントールが目視できる距離にあった。
ここで食い止めなければ、戦いの余波によって被害が出るだろう。
「行かせないっ!! 絶対にっ!!」
雑念をできる限り捨て、剣を握る。
もはや、及ばないと感じることはない。
身に宿るすべての力を、わずかにも迷うことなくふり絞り、剣に捧げる。
剣身から迸る光が、アリアの全身を包み、背へと流れて翼のように広がった。
「グオオオオオオオオオ!!!!」
迫る光に抗おうと、キルベルウスが吠えた。
アリアはその咆哮をも打ち砕く勢いで、速く、鋭く、剣を薙ぐ。
剣身から迸った光。
まるで悠久の時を一瞬に凝縮した炎のように閃き、大地を染めた。
大気が弾け、轟音が鳴りひびく。
その轟音は、世界そのものを軋ませるようだった。
やがて光が溶ける。
歪な形をしたキルベルウスの姿が現れた。
禍々しい圧を生む巨躯が、半分以上消し飛んでいる。
三つあった頭も、最後のひとつだけが残されていた。
それでもまだ生きているのか、残された闘志がアリアへ向かっている。
「グガガ……ゴ、ゴ、ゴオオオオオオ……ゴ、ゴオオオ……オオ!!」
ふり絞られる雄叫び。
天地を震わせ、アリアの全身を叩く。
カタカタと剣先が震えた。
剣を握る力すらなくなるほど、全力の一撃を放ったからだ。
(……あと少し、戦える……?)
いや。
たった一撃ですら、満足に繰り出せるだろうか。
「……でも、やるんだ」
震える腕を叱咤し、アリアは奥歯を噛み締める。
全身に散らばる、かすかな光の力をすべて集め、剣に捧げていく。
ドン、と。
キルベルウスの足が、威圧するように大地を踏んだ。
それを皮切りに、アリアも大地を蹴り上げ、高く飛ぶ。
重い剣を掲げて辿り着く、キルベルウスの頭上。
あと一撃だけでもと、アリアは剣を構えた。
すると突然、周囲の時の流れが緩やかになった。
アリアは驚き、視線だけを左右へ送る。
(……あ)
左右の目端に、光を放つ人の手のようなものが見えた。
それはひとつだけではなく、十も、二十も集まってくる。
やがて、重くなっていたアリアの剣を支えた。
途端に軽くなった剣を振ると、集まってきた光の手がアリアの背をも押した。
(……そんなはず、ない)
現れた光の手を見て、アリアは涙した。
それらは皆、アリアが助けられなかった人々の手だった。
なのになぜか、アリアを見据えるだけでなく、力強く支えている。
恨まれて当然だというのに。
これはきっと、幻想だ。
願望が生みだした、勝手な幻想。それに縋りたくなっただけだ。
アリアはそう思いながらも、強く剣を握った。
(……それでもいいから、今は、力を貸して!)
背を押す光の手に、アリアは願う。
すると首にかけていた月のペンダントが熱を帯び、輝いた。
その輝きはこれまでの比ではない。太陽を抱いたような眩さだった。
全身に、光の力が再び溢れ出す。
眼前に迫る、キルベルウスの最後の頭。
多くの人から託された光のすべてを込め、剣を突き立てる。
刹那、キルベルウスの巨躯に七色の光が流れこんだ。
それらは混ざりあい、やがて膨れ、轟音とともに爆ぜた。
キルベルウスに惹かれ、集まってきていたヴェムネルの群れ。
それらもすべて、四方八方散り散りに逃げだした。
あとに残されたのは、四人の聖女と、聖護騎士たち。
絶望をまき散らす嵐が過ぎ去り、静寂が訪れる。
だが、その静寂は長くつづかなかった。
城壁の上、そして城壁の内から、勝利を知った人々の大歓声が天地を揺るがせたのだった。
ヴェムネルの吐く赤霧が消え去り、歓喜に沸くケテルゼナンテ。
その歓声が届かない遥か上空に、漆黒の稲妻が走った。
稲妻の中心に、ふたつの影。
聖女たちをじっと見下ろしている。
ひとつの影、全身に暗黒を纏い、頭にふたつの角をもつ暗黒の魔人。
彼はゲラゲラと笑った。
その声に呼応して、漆黒の稲妻が駆け巡る。
「ははあ。まさか余が作った玩具が、まさかまさかあのように壊されるとは!」
暗黒の魔人が愉快そうに笑った。
魔人の表情には、聖女たちの奮戦にかすかな恐れも含んでいない。
しかしその横で、もうひとつの影が目を細めた。
豪華絢爛な赤いドレスに身を包む女。
ハイアランゼを襲った真紅の魔女だ。
「あの程度では足りぬと言ったであろう」
「まさにその通り、まさにまさに大した足掻きよ!」
暗黒の魔人が、ぐったりと倒れる光の聖女を眺める。
彼女を介抱しようと駆け寄る、他の聖女たちをも。
今この時、あの場に降り立って彼女たちを踏みつぶせばどうなるか。
ぴたりと鳴り止む大歓声を想像しただけで、心が震え、踊りだしたくなる。
しかし、そうはしない。
そうするなら、最初から玩具など繰り出しはしない。
「さてどうだ、さてさてお前の見たいものは見えたのか」
暗黒の魔人が肩を揺らして笑いながら言った。
わざわざこうして遊んだのは、自らのためではない。
真紅の魔女の奇妙な望みを叶えるために、わざわざ力を貸したのだ。
ところが真紅の魔女は首を横に振った。
「大したことはない」
「ははあ。まさか何も? まさかまさかひとつの収穫もないと?」
「やはり、取るに足りぬというだけのことよ」
真紅の魔女がそう言うと、暗黒の魔人ががくりと項垂れた。
より愉快になる未来を期待していたらしい。
「ならば今すぐ食い散らかすべきか」と、暗黒の魔人が問う。
真紅の魔女が、再び首を横に振った。
「今日の遊びはこれまでとしよう」
真紅の魔女の言葉に、暗黒の魔人が苦い顔を見せる。
しかしあえて抗わず、漆黒の稲妻を呼び纏い、その場から闇に溶けるようにして消えた。
残る真紅の魔女が、改めて聖女たちを見下ろす。
「どうにも奇妙なものよ。未来の欠片でも見えている者がいるというのか」
そう言いこぼすと、真紅の翼に身を包む。
空間が歪んで裂けると、真紅の魔女もまたその場を去るのだった。




