うごめく
騒めいている。
森が、いや大地が。
四方八方に気配が満ち、蠢いている。
「昨日からずっとですわね」
窓の外を覗くネフェリが言う。
怯えているジーンが小さく頷き、肩を震わせた。
一行の馬車は、サンクトロ王国の王都ケテルゼナンテまであと二日というところまで来ている。
ようやく最初の王都結界更新を果たせると、アリアたちは期待と安堵を心に織り交ぜていた。
ところが昨夜からずっと、妙な気配を感じている。
アリアたちの周囲だけではない。
大地そのものに息づいているような、底知れない感覚だ。
「ヴェムネルでしょうか」
アリアは剣に手を当てながら馬車の外を睨む。
エリーも不安そうにして、アリアの隣で外を覗いた。
「でも、あの嫌な気配がしないし……」
「そう、ですよね」
「もしかして、ヴェムネル以外の敵が……?」
皆が唇を結ぶ。
咄嗟に思い浮かんだのは、あの魔女だった。
あんな怪物がまた現れたらどうなるか。
多少の訓練を重ねたとはいえ、あの凶刃に抗える力が備わったとは思えない。
「警戒は、フィナスたち聖護騎士たちがやっている。無用な緊張はするな」
ユーリが首を横に振りながら言った。
今は、聖女の馬車を囲むように八人の騎士たちが並走してくれている。
彼らは先行させていた聖護騎士たちで、万が一に備えて合流させたのだ。
そうとわかっていても、アリアは緊張を解けない。
妙な気配に対してだけではなく、不愛想なユーリに対してもだ。
「……ずいぶん余裕なんですね」
「……なにがだ」
「騎士さまたちになにかがあったら、とは思わないのですか?」
「騎士たちには、十分注意して無理をしないよう伝えてある。俺が言わなくてもフィナスが上手くやってくれるだろうがな」
「だけど」
「心配なのはわかるが、これは彼らの使命だ」
ユーリの言葉に、アリアは俯き、奥歯を噛み締める。
たしかに聖護騎士は聖女を護る使命がある。
聖女が世界のために働くのと同じように。
しかし彼の冷徹さに、アリアはひどく苛立った。
「ご心配なく、アリアさま」
馬車の外で馬を駆るフィナスが、アリアを宥めるように言った。
窓から見せる、いつも通りの爽やかな笑顔。
未知の危機が迫る中でも、なぜかホッとする。
「これでも我らは帝国一の騎士団です。ヴェムネル相手としても容易くやられはしません」
フィナスの声に力強さが宿る。
たしかにフィナスとグランは、強大なヴェムネル相手でも遅れを取ることはない。
これまで、何度も助けられてきた。
彼が言うのなら、きっとそうなのだろう。
アリアは納得して、席に着く。
しかしその横で、エリーが困り顔を見せた。
「……アリア、まだユーリと仲直りしてないの?」
「……してますよ。少しは話しました」
「してるように見えないなあ」
「心配しないで。前みたいな喧嘩はしませんから」
「ホントかなあ……」
エリーが首を傾げながら、ユーリを見る。
ユーリもアリアと同意見らしく、小さく頷いた。
しかしその表情は、友好的とはいえない。
普段から険しい顔つきではあるが、やはりアリアを前にするといつも以上の緊張感を纏っていた。
「ユーリさま、王都のほうから騎兵が」
フィナスの声が、車内へひびいた。
ユーリが顔をあげる。
「王都へ向かわせていた聖護騎士の二騎か?」
「たしかにその二騎が先頭を駆けていますが、その後ろに十騎以上を従えています」
「……王都でなにかあったようだな」
「恐らくは」
フィナスが頷く。
ふたりの言葉に、アリアたちは息を飲み込んだ。
やはり尋常ではない事態が差し迫っている。
アリアはハイアランゼでのことを思い出し、唇を震わせた。
「アリア」
アリアの様子を見たユーリの、透き通る声が鳴る。
顔をあげると、金色の瞳がアリアを見据えていた。
「できることをやればいい。だから無茶はするな」
「……わかっています」
アリアは目を細め、小さく呟く。
無茶をするなと言われても、いざその時が来たら無茶をせねばならないのだ。
そうしなければ、また――
「アリア、大丈夫よ」
エリーの声。アリアの手に触れる。
「私、けっこう強くなったんだから。鬼教官ネフェリのおかげでね」
「ちょ、っと!? なにをおっしゃいますの!?」
「ジーンもすごく強いの。知ってるでしょ?」
「……が、がんばり、ます」
ジーンが肩を震わせ、声をこぼす。
頼りなく見えても、彼女の目には強い意志の力が宿っていた。
ネフェリも同様で、エリーを小突きながらもアリアに向かって微笑む。
皆の想いが、アリアの心を掬いあげてくれているようだった。
やがてこちらへ駆けてきた騎士たちが辿り着く。
ふたりの聖護騎士が連れてきた騎兵たちは、サンクトロ王国の騎士たちだった。
皆揃って、馬車を下りたユーリとアリアたちに跪く。
ユーリが彼らに手を差し伸べると、聖護騎士のひとりが前に進み出た。
「ヴェムネルの群れが目撃されているとのこと」
「慌てて来たということは、その群れが王都を目指しているのか」
「進行方向を見るに、可能性が高いとのことです。数は、三十ほどと」
聖護騎士の言葉に、アリアたちは動揺した。
ハイアランゼを襲ったヴェムネルは、十五体。
その倍のヴェムネルが迫っているというのか。
動揺を察したユーリが、目を細める。
「……わかった。とにかく結界更新を急ぐ必要があるな」
ユーリが頷き、馬車へ乗りこむ。
つづいてアリアたちも乗り込むと、馬車は飛ぶように走り出した。
駆けてきた騎士たちはそのまま馬車の護衛に付く。
「この速さなら、明日の朝には着くか」
激しく揺れる馬車の中、ユーリが地図を広げながら言った。
ネフェリとジーンが小さく頷く。
「……き、騎士さまたちの、言う話だと、ヴェムネルは……こちらから……」
「王都の北東からか」
「……は、はい。私たちは……北西から、王都へ向かって、いますので……」
「なるほど、少しずつヴェムネルの群れに近付いていたわけだな。妙な気配があったのはそういうことか」
ユーリの目が、東へ向いた。
妙な気配の正体を知ったことで、禍々しい圧を錯覚する。
まだ姿も見ていないのに気圧されては良くないと、アリアは首を横に振った。
できることをやる。
ユーリの言う通り、今考えるのはそれだけだ。




