対立
「アリア。焦っても良いことはない」
ユーリが宥めるように言った。
その冷静な声が、苦悩するアリアの癇に障る。
奥歯を噛み締め、はっきりとした怒りをユーリに向ける。
その表情に、エリーやネフェリ、ジーンが慄いた。
「ユーリはわかっていません」
「わかっていないから、慎重に行こうと言ってるんだ」
「そんな時間はありません」
「前ばかり見て突き進んで、何か不慮の事態が起こったらどうする。アリア、ハイアランゼで死にかけたことを忘れたのか」
「死にかけてません! でも、そうならないように早く強くならないとダメなんです! 私が弱いままだと、また誰かが死ぬかもしれない。それがわからないんですか!?」
「強くなればいいわけじゃないだろう」
ユーリが苛立ちを抑えて答える。
その言葉に、アリアは全身から力が抜けていくような感覚に襲われた。
(……どうして、わかってくれないの? あなただって、みんなを助けたいって思っているはずなのに!)
心の内で膨らんだ暗い靄が、歪んでいく。
無数の棘を生み、身体の内側を刺し貫いていくようだ。
やがて抑えきれず、溢れでた怒りがアリアの理性を焼き焦がした。
「弱気になってるんですか? この意気地なし!」
「なんだと??」
「わざと遅らせているのではないですか!? 私たちの使命は、結界を更新して、ヴェムネルを退けて、多くの人を助けることです。なのに、わざと、足踏みして! 意気地ない!」
アリアが罵ると、苛立ちを抑えていたユーリも怒りをあらわにした。
金色の目を見開き、澄んだ声を生む口を歪める。
「わざとだと? 足踏みなんてしていないだろう。俺が言いたいのは、ちゃんと考えて、ゆっくりになったとしても確実に進んでいこうってことだ。何度も言わせるな!」
「それで、なにもかも間に合わなくなったらどうするんですか!?」
「危険に飛び込んで命を落としたら、それこそ終わりだ!」
ユーリが怒鳴り返す。
アリアは全身の血が沸騰したような気がした。
どうしてわかってくれないのか。
この人は、皆を助けたいって思っていないのではないか?
ところが、思いもしない者がユーリの言葉を援けた。
「……私は、ユーリの考えも気に留めたほうがいいと思う」
エリーだった。
エリーは困惑した表情で、ユーリと、アリアを交互に見た。
「……色々な考えがあるのはわかるけど、少なくても、ただ前だけを向いて進めばいいわけじゃないというのは、私もわかるわ」
「……エリー、どうして……」
「アリア、ハイアランゼでは本当に危なかったのよ? ジーンが助けに来てくれるのが少しでも遅かったら……アリアは死んでたかもしれない。もし生き残れたとしても、アリアを逃がそうと必死だったフィナスさんとグランさんは絶対に助からなかったわ」
「そ、それは……」
「そこまで追い詰めることができるくらい、ヴェムネルには恐ろしい力がある。ううん、まだ知らない力だってあるのかも……。それを無視したら、どれだけ強くなってもまた危ない目に遭うわ。それは……本当は、アリアもわかってるでしょ?」
そうかもしれない。
今だって、ヴェムネルの禍々しい圧にひそむ底知れない強さに怯えている。
わずかな油断を狙って、変則的な行動をされたらどうなるだろうか。
フィナスやグランはともかく、実戦経験の浅いアリアに、咄嗟の判断ができるとは思えない。
(……だけど)
アリアは苛立ちを抑えきれなかった。
アリアの身を心底心配してくれている、エリーの目。
しかし彼女だけは、自分の考えに寄り添ってくれると思っていた。
そうならなかったことが、アリアの心を頑なにさせていく。
アリアはユーリに向き直り、目を見開いて睨みつけた。
「……私は、ひとりでも行くから」
「何をバカなことを」
「バカだっていい。私は、早く強くなりたいんです。失敗なんて、もう、しません。聖なる指のご加護があるんですから……そうでしょう、ネフェリ?」
「そ、そうですわ。でも」
「でも、って、なんですか? な、なんで、みんな……!」
アリアは全身を震わせる。
居ても立ってもいられなくなり、皆に背を向けて飛びだした。
「おい……!」
ユーリは苛立ちつつも追いかけようとする。
するとエリーの震える手が、彼を止めた。
ユーリの考えに賛同したはずの彼女の目が、厳しい目で彼を捉える。
「……ユーリ。お願い、アリアのことをわからないままに怒らないで」
「わかってるつもりだ。だが、アイツはちょっと考えが無さ過ぎる」
「わかってないよ。……ねえ、ユーリ、みんな。アリアの荷物の中に紙の束が入ってるのを知ってる?」
「……紙束? いや、知らないが……」
ユーリが首を横に振る。
ジーンだけは紙束のことを知っていたようだが、それがなんであるかは知らないと答えた。
エリーは俯く。
彼女の目から涙が落ちた。
「ネフェリ。アリアが最近やっと、簡単な文字以外も書けるようになってきたって知ってるでしょう」
「……ええ、知っていますわ。ずっと勉強していますもの」
「その文字で、アリアがなにを書いてるか知ってる?」
「い、いえ……」
「助けられなかった人たちの、名前よ」
エリーの声が、涙と共にこぼれる。
その言葉に、全員が絶句した。
「アリア以外に、そこまでした人、いる? 私は、してない。だってハイアランゼの領主さまは、犠牲になった人は少なかったって言ったもの。亡くなった衛兵さんたちのことはもちろん悲しかったけど、心のどこかで『少なくて良かった』って思ったの」
「そうだな……哀しいことではあるが、結果は悪くなかった」
「でもアリアは違うの。多いとか少ないとか、五十人とか百人とかじゃない。亡くなった人ひとりひとりを見てるんだよ」
「……そ、そんな、の――」
――辛すぎる。
潰れるような声を、ジーンがこぼした。
エリーが泣きながら頷く。
これから先、ずっとそうやって生きていけるのか。
使命を果たす前に、心がすり減って動けなくなるのではないか。
「そうよ。だから今日のあの街で、私は思ったの。『良かった、アリア、あの紙の束に誰の名前も書かずに済んで』って。……でも、そうじゃなかった」
「違うのか?」
「今日書かずに済んだ分、この先たくさんの人が犠牲になるかもしれないって、アリアは考えちゃうのよ。それがどれほど辛いか、わかる? わからないよね、亡くなった衛兵さんたちの名前なんて、私たちは知ろうとすらしなかったもの」
そう言ったエリーが、翻る。
アリアが駆けて行った方へ、足を進めていく。
ユーリたちは、何も言わなかった。
当然だ。アリアを責めるようなこと、誰も言えるはずがない。
(私だって……本当は、この時……!)
エリーは奥歯を噛み締め、服の裾で涙を拭う。
足を速め、駆けた。
追い付かなくては。その一心で進んだ道の先。
月明かりの下に、アリアが立っていた。




