種火が盛る
「時間がかかりましたね」
野営の最中、アリアはぽつりと声をこぼした。
小さな町を襲うヴェムネルを撃ち倒してから、しばらく結界が更新されなかったことに疑念を抱いたのだ。
「すまない。予想以上に手間取ってしまった」
「小さな結界だったのに」
アリアはつい、疑問に思ったことをそのまま口にする。
しまった、とは思った。
だが、皆も同じように思っていたはずだと、あえて訂正せずにユーリを見据えた。
「結界更新の手間は、大小に関係ないようだ……。大きな結界ほど魔力を使うが、ただそれだけでな」
「結界の綻びが酷いほど、直すのに時間がかかるということですか」
「簡単に言えば、そうだ」
「じゃあ例えば……完全に壊れた結界があったとして、それを一から張り直すとしたら……」
「数日はかかるかもしれん」
「そんなに……」
アリアは俯く。
その後ユーリは、結界更新中に致命的な綻びが数度発生したことも言い加えた。
それは間違いなく、アリアたちと交戦したヴェムネルの攻撃によるものだろう。
自分の落ち度でもあったことに気付き、アリアはユーリに謝罪した。
(……でも、胸のモヤモヤは……それだけじゃない)
小さな町の結界を更新したあと、アリアたちは皆、首を傾げていた。
ハイアランゼの時とは異なり、力が漲るような感覚が無かったからだ。
魔力に鋭敏なネフェリとジーンは、わずかな変化を感じ取ったらしい。
しかしアリアとエリーはなにひとつ感じ取ることができなかった。
長い時をかけて結界の更新しても、必ず強くなれるわけではない。
もしかすると結界の大きさが、与えられる力に影響するのではないか。
となれば、王都の結界を更新すれば――
「ところで、ネフェリ」
アリアの考えを振り払うように、ユーリの声が鳴った。
ネフェリが顔を上げ、首を傾げる。
「ヴェムネルの様子が変だったと、フィナスから聞いたが」
ユーリが言うと、フィナスが目を細めて頷く。
ヴェムネルの様子がおかしいというのは、結界を攻撃していたあの時のことだ。
最初こそアリアたちを狙っていたものの、途中からは結界に集中していた。
仲間が倒れ、自らの命に刃が迫っても、強い意志を持っていたように思い出せる。
「ラデルナル聖教の教えでは、ヴェムネルは凶暴で無秩序な怪物のはず」
「……ええ、そうですわ」
「だが、先ほどの町でも、ハイアランゼでも、ヴェムネルはただの獣の群れとは言えない動きだったようだ。少なくとも今回の戦いで、ただ凶暴なだけの存在じゃないことはわかった」
「それは、つまり……」
「やはりヴェムネルは、俺たちとの戦うことよりも結界破壊を優先にしている」
ユーリの言葉に、全員が唇を結んだ。
事実を目の当たりにしてきていても、言葉にされると強い圧がある。
「まさか本当に異常襲撃がこれほどとは……聖教の教えやこれまでの記録では――」
「もちろん、それは俺も知っている。帝都を出るまで散々調べてきたからな。たしかにこれまで、結界を襲うヴェムネルは非常に稀だったようだ。だが今は本当に違うらしい」
ハイアランゼにつづいて、今日。
二度目の結界襲撃を目撃しているのだ。
妨害するアリアたちを無視してまでの行動も、異常と言わざるを得ない。
それだけではない。
「ネフェリも知っているだろうが、あの『魔女』についても、聖教の教えやこれまでの記録にはない」
「そ、それは……」
「別に聖教を疑っているわけじゃない。だが現状、事前の知識と大きな違いがある」
「……それは、否めません」
「この違いはいずれ致命的になる。皇帝や聖教に言われるがまま、ただ真っ直ぐに各国の首都を目指すのではなく、現状の情報をもう一度分析しなおす時間も必要だと俺は考えている」
そう言ったユーリの脳裏には、魔女の姿と、彼女の言葉があった。
『真実を見抜く目もなく、ただ与えられた役割を盲信するとは』
その言葉の真意は、どこにあるのか。
敵の言葉に惑わされるわけにはいかないが、どうにも無視できない。
「……どうして」
ユーリの言葉を黙って聞いていたアリアは、唇をゆがめていた。
その様子に、ユーリが目を細める。
「どうして、とは?」
「どうして、進む気持ちを折るようなことを言うのですか」
「そんなことは言ってない」
「言いました」
「言われるがまま、がむしゃらに進むべきじゃないって言ってるだけだ」
「でも、それも私たちの使命でしょう??」
アリアはユーリを睨む。
負けじと、ユーリもアリアを睨み返した。
「使命に背中を押されて、それで命を落としたらどうする」
「そうはなりませんよ」
「なぜ言い切れるんだ?」
「ネフェリも知っているでしょう? 私たちには聖なる指のご加護があるんです。これまでの魔法人形と聖女だって、困難はあってもご加護のおかげで乗り越えてこれたはずです」
「……それは、確かにそうです」
ネフェリが、はっとして大きく頷く。
彼女は神官だ。聖教の教えに忠実で、背くようなことは考えない。
アリアはネフェリの後ろ盾を得て、ユーリをさらに睨んだ。
「今はただ真っ直ぐ、王都に向かうべきです。多くの人を助けるために。ヴェムネルの中に『多少の変わり種』がいたとしても、それだけですよ。結界を更新すれば、私たちは今よりもっと強くなれます。王都の結界なら尚更だと思いませんか」
「強くなれば、妙な動きをするヴェムネルも、魔女も、倒せるから問題ないと?」
「そうです」
アリアは、力強く頷いた。
余計なことに囚われ、足踏みしている間にも、どこかで誰かが死に追われている。
その焦燥が、アリアの理性をパチリと焼きはじめた。
(……もし、あの時、私にもっと強い力があったら。あの馬車を、あの衛兵さんたちを、みんな救えたかもしれない)
そう言いたかったが、アリアは寸で堪えて飲み込んだ。
この想いは、個人的なことだ。
使命とは、きっと、違う。
だけど――
「アリア。王都へは向かう。別にそれを変えるとは言ってない」
「でも、遅れています」
「もしかして、あの町での結界更新が遅かったから……焦ってるのか?」
「それは――」
――そうだ。
あの小さな町の結界ひとつで、半日かかった。
この先、結界が破壊された集落を見つけてしまったらどうなるだろう。
数日かけて結界を張ったのに、力を得られなかったとすれば。
いたずらに旅が長引き、多くの人を助けるための力を得るのも、遅くなる。
(でもそれは……目の前の人を見捨てること……)
多くを助けるために足を速めれば、誰かを切り捨てるのだ。
犠牲となる人の許しもなく、ただ聖女と呼ばれているだけの自分たちの判断で。
しかし次第に、燃え盛る焦燥が煙を吐く。
その煙は、アリアの中で目覚めたばかりの、幼い慈愛の心を燻した。




