真紅
「ジーン、疲れているところ悪いのですが、フィナスさんとグランさんの傷を治してくれますか」
「……は、はい!」
アリアに請われ、ジーンが駆けてくる。
フィナスとグランが、アリアを先に治療するよう求めたが、アリアは固辞した。
見た目はボロボロだが、さほど辛くはない。
ユーリが結界を更新してから、身も心も妙に軽い気がするのだ。
「……なんとか、なりましたね」
誰に言うでもなく、アリアは空を見上げて声をこぼす。
剣を鞘に納めると、気が抜けたのか、膝がガクリと折れた。
身体が、斜め後ろへ揺らぐ。
倒れるかと思った瞬間、いつの間にか駆けてきていたエリーが、アリアの身体を支えた。
「誰かさんの無茶のおかげでね」
エリーがアリアを抱きとめながら、かすかに声を震わせる。
「無茶はしていません」
「んー? 噓つきさんのこの腕の、この赤いのはなーにかな?」
エリーはアリアの腕の酷い傷に、撫でるような仕草をする。
アリアはびくりと身体を跳ねさせ、目を瞑った。
「や、辞めてください。ごめんなさい、ごめんなさいって」
「わかればよろしい」
エリーがにかりと笑う。
しかし彼女の目は、涙を湛えていた。
本当はきっと、怒りたいのだろう。
怒りを抑えるエリーに、アリアは深く謝罪した。
「……アリア、さん……治療、してもいい、ですか」
フィナスとグランの治療を終えたジーンが、アリアのもとへ来た。
アリアは頷き、ジーンに腕を差し出す。
その腕は、本当にひどい怪我を負っていた。
改めて見ると、どうやって剣を握れていたのか不思議に思える。
「……じゃ、じゃあ、楽にして、ください、ね」
「ええ、お願いしま――」
ジーンに答える最中。
強烈な禍々しい気配が、アリアたちを襲った。
驚いたエリーが、アリアを護るようにして周囲を窺う。
ジーンもアリアの腕を握りながら、禍々しい気配の出どころを探った。
「い、いったい、何ごとです??」
駆けつけてきたネフェリが声を震わせる。
少し離れたところで、フィナスとグラン、そしてユーリも周囲を警戒しはじめた。
直後。
地の果てから伸びてきたような真紅の翼が、天を衝いた。
その真紅の翼はアリアたちの頭上を通りすぎ、ハイアランゼの城壁に達する。
アリアは、ぞくりと全身を硬直させた。
赤よりも赤い、アレは、ダメだ。
絶対に――
「や、やめ! に、逃げてええ!!」
真紅の翼が迫った城壁に向け、アリアは力のかぎり叫んだ。
だが、その声も虚しく、真紅の翼は鋭利な刃へと変じ、一閃する。
結界の光が、大きく波立って、歪んだ。
次の瞬間。甲高い音がひびきわたり、結界の膜はひび割れて粉々に砕け散った。
城壁の上の、衛兵たち。
なにが起こったのか理解する間もなく、真紅の刃に斬り伏せられた。
いかなる刃も通さないはずのアルアランの大樹の城壁も、たやすく引き裂かれ、吹き飛んでいく。
「え、え……そ、そんな……」
数瞬前まで勝利に沸いていた光景が、地獄絵図に戻っていく。
いや、ヴェムネルの群れに襲撃されていたときよりも酷い。
轟音とともに降り注いでる樹の破片。紅く染まっている。
燃えるはずのないアルアランの大樹の城壁が、この世の光景とは思えないほど、燃え盛っていた。
絶望に伏すアリアたちの頭上で、再び真紅の翼が開かれていく。
それにいち早く反応したのは、ジーンだった。
魔力を込めた杖を振りかざし、雷の矢を上空へ放つ。
すると開きつつあった真紅の翼が閉じ、翻ってから地上へ降り立った。
「ネ、ネフェリ、あ、あれは……なんですか……?」
聖教の教えに精通するネフェリに、アリアは尋ねる。
しかしネフェリは首を横に振った。
「わ、わかりません。この気配は、ヴェムネル……ですが、あれは……そんなはずは……」
「ヴ、ヴェムネル……なんですか?? 」
「わかりませんわ! 人の形をしたヴェムネルなんて、聞いたことがありませんもの!」
そう叫ぶネフェリの視線の先。
人の姿をした何かが、アリアたちに向かって歩いてきていた。
ヴェムネルとは比較にならないほど、禍々しい邪悪の圧。
抗う気すら起こさせないそれが、冷徹な笑い声をこぼす。
「……お、女の!? 女の人の声だわ!!」
エリーが半歩後ずさりながら、驚きの声をあげた。
アリアも、たしかに聞いた。
女のような笑い声をこぼすそれは、豪華絢爛な赤いドレスに身を包み、まるで炎を纏っているかのよう。
肌は陶磁器のように白く、一切の血色がない。
表情を浮かべているにもかかわらず、その感情は凍てついているようで、冷酷な光が瞳の奥に宿っていた。
「ど、どちらにしても、敵です!」
アリアは傷付いたままの身体を叱咤し、立ち上がる。
全身に力を込め、剣を抜き放った。
それを見ても、歩み寄ってくる邪悪な女はかすかにも動じない。
歯噛みしたアリアは、剣を構えて駆けだした。
「あ、あの! イノシシ……アリア!」
ユーリが叫び、アリアを止めようとする。
しかし、アリアはユーリの制止を振り切った。
城壁の上で散っていった衛兵たちの姿が、脳裏に焼き付いている。
ほんの少し前まで、喜びに満ちていたのに。
「――どうして!!?」
アリアは剣から光を迸らせた。
巨躯のヴェムネルを撃ったときと同様に、剣から噴き出す光の帯がアリアの背へと流れていく。
今、アリアが放てる最大の力。
全身の血肉からすべての力を捻りだし、邪悪な女へ迫る。
「はああああ!!!!」
咆哮とともに、光を帯びた剣を振り下ろした。
狙うは、女の左肩。
人間の女ような姿をしているが、知ったことではない。
この女は、悪魔。いや、魔女だ。
「ふふ」
アリアの剣を前にして、邪悪な魔女が凍てつく笑みをこぼした。
次いで、左手を掲げてアリアの光の剣を迎え撃つ。
数度、空気が破裂するような音が鳴りひびいた。
剣の衝撃が、周囲へ広がる。
「そ、そんな……」
アリアの渾身の一撃が、魔女の左手をかすかも傷つけることなく、止まった。
剣の光こそ消えてはいないが、どれほど力を込めても魔女の左手はびくともしない。
「アリア!!」
アリアの攻撃が防がれたのを見て、エリーたちも攻撃の構えを取った。
水球と岩塊、そして雷。
さらにはユーリが放つ漆黒の槍。
間髪おかずに魔女を攻め立てる。
「ふふ、あはは」
魔女の冷たい笑い声。
すべての攻撃を片手で弾いて防ぎきる。
やがて飽いたのか。魔女の両手が左右へ広げられた。
真紅の翼が現れ、天高く伸びていく。
「させない!!」
アリアは剣に再び光を宿し、魔女に向かって駆けた。
まだわずかに残っているハイアランゼの結界。
それがすべて破られたら、どうなるか。
世界の人々はなにを拠り所にして、どう生きていけばいい?
「絶対、ダメです!!」
アリアは魔女の懐まで駆け、全力で剣を振り上げた。
合わせるように、真紅の翼が振り下ろされる。
光に、血のような赤が重なり、幾度も空気が弾けた。
「ど、どうして……」
凍てつく笑みをこぼしつづける魔女に、アリアは声を投げつけた。
「どうしてこんなことを!!」
真紅の翼の重みで、徐々に身体を沈ませるアリア。
それを見て、魔女の口がわずかに開いた。
「愚かな聖女よ」
「な、なにを!?」
「真実を見抜く目もなく、ただ与えられた役割を盲信するとは」
「ど、どういう……ぐ、くっ」
「お前たちごときでは、この絶望に満ちた世界を覆すことなどできはせん」
吐きだされた、魔女の言葉。
ただの嘲りだけでなく、底知れぬ深淵の響きが感じられた。
まるで、この世界の根源に巣食う邪悪そのものが、彼女を通じて語っているように。
「だが、よい」
そう言った魔女の顔が、アリアへ寄った。
アリアの顔と、身体と、握っている剣を舐めるように見回していく。
そうしてなにかに納得して、顔を引いた。
同時に、振り下ろしていた真紅の翼も解く。
「もうしばらく、猶予をやろう」
「ゆ、猶予って……?」
「愚かな聖女よ。いたずらに歩めば、次はない」
冷ややかな声が、ずしりと重く落ちる。
アリアは再び問おうとしたが、魔女はその場から忽然と消え去った。
まるで、幻でも見ていたようだ。
アリアはそう思い、辺りを見回す。
しかし、城壁の残骸と、衛兵たちの亡骸が、そこに起きた絶望的な現実を物語っていた。
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