翼が斬りひらく
アリアたちが城壁に向かってすぐ。
ジーンもまた、馬車に乗って城壁へ向かっていた。
自分も戦うとか、そういうことではない。
ただ、「行かなければ」という、理屈を超えた強い意志が、ジーンの心と身体を突き上げていた。
「ジーン、大丈夫か。顔色が……」
同乗していた領主が、顔面蒼白のジーンに声をかける。
ジーンは領主に縋りついて泣きたくなったが、歯を食いしばって耐えた。
本当に今大変なのは、誰だ。
今はもう、私ではない。
「……へ、平気、です、お父様……」
「壁まで、一緒に行こう。ひとりには……させない!」
「……あ、ありがとう、ございます、お父様……」
ジーンは小さく頷き、領主の手を握る。
その手の大きさと温かさに、ふと、エリーとアリアの手が脳裏をよぎった。
ふたりの手は、明らかに震えていた。
何度かヴェムネルと戦ってきたと聞いてはいたが、それでも恐いのだ。
自身の命が失われることだけを恐れているのではない。
この街と、街の人々すべてを想っている。
そして、自分たちが死ねば世界が滅ぶかもしれないことを、恐れている。
それならば、この街を捨てて逃げればいい。
世界の危機を考えれば、この街が消えることなど小さな損失だ。
(……で、でも、そうしなかった……)
どこか、似ている。
自分と、アリアたちは。
聖女だからとか、考え方だとか、それだけではない。
もっと深い、根元のところで――
そう思った瞬間。
バチン、と。脳の奥底でなにかが弾けた。
その閃きの中に、奇妙な光景が浮かびあがる。
真っ赤に染まる空。
燃えるはずのないアルアランの大樹が、地獄の業火に包まれている。
アルアランだけではなく、街も、大館も。
その絶望的な光景の中、アリアたちと、禍々しい威圧感を放つ女の影が対峙していた。
(……な、に、これ)
驚いて目を見開いた直後。
頭の中に浮かんでいた光景が、溶けて消えた。
同時に、その奇妙な光景を見たという記憶まで霧のように消え去る。
(……な、なん、だっけ)
ジーンは失われた記憶を思い出そうとしたが、もう何も思い出せなかった。
そうしているうち、ハイアランゼの城壁へジーンの乗る馬車が迫る。
城壁の下にいた数人の衛兵たちが、領主とジーンの姿に驚き、駆け寄ってきた。
「ここは危険です」と衛兵たちが言うと、領主が彼らに礼を言い、「城壁の上へ案内してくれ」と伝えた。
「……ジーン、歩けるか」
顔面蒼白のジーンに、領主が心配そうな顔を向ける。
ジーンは一度、自分の足元に視線を落としたが、すぐさま顔を上げた。
「……もう、歩いていけます、お父様」
震える足で、ジーンは城壁の上へ登っていく。
その足取りを、後ろを歩く父が見守っている。
奮え。
ジーンは何度も自身を叱咤した。
そうしてようやく城壁の上に立ち、城壁の外の光景を見る。
「……あ、あ……!」
絶望的な状況だった。
城壁の下には、アリアと、ふたりの騎士。
その三人を取り囲む、十数体の禍々しきヴェムネル。
撒き散らされる赤黒い息が、城壁の下に満ち、渦巻いている。
「ジ、ジーン!」
ジーンの姿に気付いたエリーが、目だけをこちらへ向けていた。
彼女の手によって生み出された大岩が、城壁の下のヴェムネルへ落とされている。
その攻撃でも、巨躯のヴェムネルをわずかに怯ませることしかできていなかった。
ネフェリの水球も同様だ。
複雑に操ることでヴェムネルの身体を貫くほどに勢いを増しているが、決定打に欠けている。
その間も、アリアたちを取り囲むヴェムネルの輪は、徐々に狭まっていく。
血の気が引く。
恐怖が、全身を凍らせていく。
(……ダ、ダメ、固まっている、時間なんて……)
ジーンはかすかに残っている気力を奮わせた。
持ってきていた杖を握り締め、城壁の下を覗き見る。
『その力なんかより、ジーンさんの心のほうが強くて、優しいです』
『そうよ、ジーンさん! あなたのその優しさのおかげで、この街は守られてきたのよ!』
アリアとエリーの声が、脳裏をよぎった。
ジーンは杖を振り上げ、魔力を込める。
そうだ。
この力で、皆を護るのではない。
皆を護りたい想いが、この力に宿るのだ。
「わあああああああ!!!!」
ジーンは叫び声をあげた。
するとジーンの中に宿っていた膨大な魔力が、杖へと走り、青紫色の光となった。
やがて光はヴェムネルの群れの上を覆い尽くす。
ジーンが杖を振り下ろすと、青紫色の光は雷に変じて一斉にヴェムネルを襲った。
この世のものとは思えない光と轟音が、周囲を包む。
光が消えると、身動きが取れなくなったヴェムネルの群れの姿が見えた。
その只中で、アリアたちは驚き固まっている。
「え、え!? 凄すぎない!??」
エリーがぽかりと口を開く。
ネフェリも同様に驚いていたが、すぐに我に返った。
「まだ終わっていませんわ!」
ネフェリが指差す先。
もっとも身体の大きいヴェムネルが立ち上がり、アリアを見据えていた。
アリアもそのヴェムネルに気付き、剣を構える。
ところが、アリアの剣の光は弱まっていた。
「ジーン! さっきのもう一回できる!?」
「……じ、時間が、かかり、ます」
「じゃ、じゃあ、私たちでなんとか……!」
「もうやっていますわ! エリーさんも早く!」
水球と岩塊が、ヴェムネルに向かって飛ぶ。
しかしふたりの力も弱まっていたのか。
勢いはなく、ヴェムネルに痛手を加えるには至らない。
万事休すか。
そう思った瞬間、奇跡のような光の粒子がハイアランゼ全体を包んだ。
その光は、歪んで波打つハイアランゼの結界を修復し、まるで満天の星空のように煌めいた。
わずかの間を置いて、ハイアランゼの人々が歓声を上げた。
結界そのものは見えなくても、結界を修復する光の粒子が見えたらしい。
奇跡の光景に、人々は街が救われたことを確信し、大通りへ躍り出て魔法人形と聖女を讃えはじめた。
「これは……ユーリさまの結界更新ですわ」
「すごい……なんだか、私たちも力が漲るっていうか……」
「いいえ、本当に……なぜか力が戻っていますわ。エリーさん、ジーンさん、もう一度行きますわよ!」
ネフェリの掛け声に、エリーとジーンが頷く。
水球と岩塊、そして雷の矢が、息を吹き返しはじめたヴェムネルの群れを襲う。
その援護の中、アリアもまた自らの力が戻ってきたことを実感していた。
剣を構え直すと、弱っていた光がこれまで以上に煌めき、大地を照らす。
「アリアさま、私たちが奴の気をわずかでも逸らします。その隙に!」
「お願いします!」
一足先に駆けだしたフィナスとグランの背を、アリアは追う。
駆けながら、全身に光の力が漲るのを感じた。
(……行ける!)
駆けながら、横目に、城壁の上のエリーたちの姿が映った。
必死に杖を振る、ジーンの姿も。
信じていた。
全部。
ユーリの結界も、間に合った。
「あとは、このヴェムネルだけ!!」
アリアは剣を握る手に力を込める。
さらに増す光が迸り、駆けるアリアの背に翼のごとく広がった。
先行していたフィナスとグランの渾身の一撃が、わずかにヴェムネルの巨躯を揺らす。
一瞬だけ、ヴェムネルの視線がフィナスたちへ向いた。
刹那。
アリアは駆けながら剣を振りあげた。
光の奔流がヴェムネルの胴を斬り裂いていく。
つづけざまに振り下ろすと、ヴェムネルの頭部がふたつに割れ、光とともに消し飛んだ。
「やったわ!!」
城壁から、エリーたちの歓声が聞こえた。
ひとりの犠牲者も出なかった衛兵たちも、飛び跳ね、抱き合い、勝利を祝っている。
「やりましたね、アリアさま」
フィナスとグランがアリアのもとへ戻ってきた。
ふたりとも満身創痍だ。
早く手当てをしなければ、命に係わるかもしれない。
「おふたりとも、早く治療を受けないと」
「何をおっしゃいます。アリアさまのお怪我のほうがひどいです。立っているのもやっとでしょう?」
「私は大丈夫です。まだ息があるヴェムネルを倒したら戻りますから」
「それならば、我らもお供しましょう」
「……最後まで」
フィナスとグランがアリアに迫りながら言う。
アリアは根負けし、フィナスとグランを連れて、残るヴェムネルを一掃しに向かった。
アリアが撃った大きなヴェムネル以外の一掃は、たいして時間がかからなかった。
城壁から降りてきたエリーたちの援護のおかげで、弱っていたヴェムネルに抗う術はもはやない。
多少動けるヴェムネルも、アリアの手を煩わせるほどではなかった。
すべてのヴェムネルが霧散して消えるころ、結界更新を終えたユーリも城壁の外へやってきていた。
「無事だったか。本当に良かった」
「皆さんのおかげです。ジーンも助けてくれたのですよ」
「そうか。ジーン、本当にありがとう」
ユーリの感謝の言葉に、ジーンが膝を突く。
その少女の姿は、ユーリと初めて出会った時とは似ても似つかない。
未だ恐れによる震えはあっても、立派な聖女の姿だった。




