ペトロトリ
ジーンと出会ってから数日。
アリアたちはハイアランゼに留まることとなった。
サンクトロの王都を目指すよりも、聖女ジーンを説得し、同行させることが優先されたからだ。
ジーンは未だ、自室から出ようとはしていない。
エリーが彼女の傍にいて、ようやく少し心を開くようになった程度である。
とはいえそれは大きな前進だと、アリアは思っていた。
今はもう、彼女が抱えている苦悩は彼女だけのものではない。
アリアたちはもちろんのこと、領主たちもジーンの強い魔力について知り、理解してくれている。
「あと三日ほど指導すれば、なんとかなると思いますわ」
ジーンに魔力制御を教えているネフェリが、唸るように言った。
ネフェリが言うには、ジーンの膨大な魔力は破裂寸前だったという。
しかし魔力調整をする方法を知れば、力が溢れ出る心配はない。
ジーンの事情を知ったネフェリは、彼女に深く謝罪したうえで、積極的に指導をつづけてくれた。
「そういえば、ユーリさまがアリアさんのことを探していましたわ」
「私を?」
「ええ、結界のことで相談したいとか」
そう答えたネフェリが、階段の下を指差した。
階下から、誰かと話すユーリの声が聞こえる。
アリアはネフェリに頷き、階段を下りていくと、待っていたとばかりにユーリが手を振ってきた。
「アリア。ペトロトリを見に行こう」
「ペトロトリ……?」
「忘れたのか。結界を張ることができる魔法石のことだ」
ユーリに言われ、「そういえば」とアリアは頷く。
世界には、ペトロトリと呼ばれる魔法石が数多く点在している。
魔法人形は、ペトロトリを利用して邪を防ぐ結界を張ることができるのだ。
「この大館の地下に、ペトロトリが安置されているらしい」
「でも、この街の結界は壊れていなさそうですが」
「結界更新のためじゃない。俺はまだ、ペトロトリそのものを見たことがないんだ」
そう言ったユーリが、彼の前にいた役人に声をかけた。
役人が頷き、領主の執務室へ入っていく。
しばらくの間を置いて、領主が鍵束を持って執務室から出てきた。
ペトロトリがあるらしい地下室は、おそろしく深い位置にあった。
底の見えない階段を延々と降りるにつれ、石造りの壁と床は無くなり、岩と土だけの洞窟を進む。
湿った冷気が、アリアの胸を締め付けた。
本当にこの先に、邪を祓う力を持つ魔法石があるのか。
疑いたくなる心を抑え、アリアは足を進める。
やがて、石造りの大きな扉が現れた。
領主が扉に鍵を差し込むと、扉はひとりでに開いた。
「これが……ペトロトリ……!」
扉の先にあったペトロトリは、想像を超えた大きさだった。
赤色の光を放つそれは、アリアの身体よりも一回り大きい。
近付くと、微かな威圧感を覚える。
「私は、これ以上近付くことができません」
ペトロトリから十歩ほど離れたところで、領主が言った。
彼の顔面は蒼白で、今にも倒れそうだった。
どうやら魔法人形と聖女以外は、容易く近寄れないらしい。
アリアは領主の手を取り、扉の傍まで引き返して、彼を休ませた。
「アリア、これが見えるか」
先にペトロトリの傍まで寄っていたユーリから、アリアに声をかける。
アリアはユーリの元まで駆けて行き、ペトロトリを覗き見た。
「……どれですか?」
「これだ。この文字のようなものが、流れているだろう?」
「……どこに、文字が?」
「そうか。やはりこれは見えないのだな」
ユーリがペトロトリの周囲をいくつか指差したが、そこはただ光っているだけで、文字らしきものは何も見えない。
魔法人形だけが見えるものなのだろう。
それからしばらく、ユーリはペトロトリを調べて回った。
時折難しい顔をして、睨んだり、驚いたり、忙しなく表情を変える。
アリアも同じように見て回ったが、すぐに飽きた。
ただの大きな宝石で、目新しい発見もない。
「魔法人形さまは、ずいぶんと人間らしいお方なのですな」
暇になったアリアが領主の傍へ行くと、領主が微笑みながら言った。
ラデルナル聖教の教えでは、魔法人形は神の遣いで、神聖な存在だ。
声をかけることはもちろん、近付くことすら烏滸がましいと思われている。
アリアも最初はそう思っていたから、領主の戸惑いは理解できた。
「でも、誰に対しても気遣いが足りないんですよ、あの人。正論ばかりで冷たいというか……」
「壁を作らないお方なのでしょう」
「良く言えば、そうかもしれません」
「はは。もちろん、私の口からはそうとしか申し上げられません」
領主が小さく笑う。
先ほどまでの顔色の悪さは、もうほとんどない。
アリアは安堵して、口元を緩ませた。
直後。
地面が大きく揺れた。
同時に、ペトロトリの赤い光がわずかに点滅する。
「な、なにが!?」
アリアは慌てて立ち上がり、ユーリのほうを見た。
ユーリも同様にアリアへ視線を向けていたが、すぐにペトロトリを凝視する。
「……結界が攻撃を受けている!」
「ヴェムネル、ですか!?」
「それはわからないが、たぶんそうだろう。ここに流れている文字のようなものは結界の現在の情報らしい」
「情報……?」
「この情報を見るかぎり……おそらく、ハイアランゼの結界はずいぶん前から綻びはじめている。外の結界を見ただろう? あの波打つような光を。あれは全部、結界の綻びだったようだ」
「あれが、綻び……、全部、ですか!?」
「帝都の結界は、目視では大して見えなかった。正常な結界はたぶん、綻びである光の波が無いんだ。それで遠目ではほとんど目視できなかったんだろう」
「じゃ、じゃあ……ハイアランゼは……今、ヴェムネルに襲われたら……!」
「結界が破れるかもしれん」
ユーリの言葉に、アリアの身体の中の血が一気に冷めた。
それは領主も同じだったようで、せっかく良くなった顔色を再び青くさせる。
どうしようと、頭が真っ白になったふたりに、ユーリが駆け寄った。
「呆けている暇はない。俺はここに残って結界を更新してみる。ふたりはすぐに上へ行け!」
「上で、どうすれば……!?」
「やれることをやれ。それ以外にないだろう?」
ユーリの金色の瞳が、アリアを見据える。
力強い意思を宿すその色に、冷徹だが、迷いはない。
アリアは意を決して立ち上がり、ふらつく領主を抱き支えた。
「行きましょう、領主さま」
「わ、わかりました。魔法人形さま、どうかお頼みいたします」
「任せておけ」
短く答えたユーリが翻り、ペトロトリと向き合う。
その背を見て、アリアも扉の方へ向いた。
地上へ上がる長い階段を登っていく。
ペトロトリから離れたおかげか、途中から領主がひとりで歩けるようになり、アリアは先に階段を駆け上がっていった。




