四人目
領主に案内された部屋は、大館の最上階だった。
日当たりがよく、広々とした部屋。
奥には大きなベッドが置かれていたが、そこには誰も寝ていない。
伏せているという聖女はどこなのかと、アリアたちは室内をぐるりと見回した。
「奥にもうひとつ部屋がありまして。そこに居るかと」
領主がそう言って、部屋の奥にある扉を開ける。
すると扉の先から、「あっ」と悲鳴のような声が聞こえた。
アリアたちは驚いて、部屋の中を覗き込む。
「……あ、あ」
声を震わせる少女が、そこにいた。
青紫色の長い髪と、色白な肌。
年齢は十四か、十五歳ほどだろうか。
手前の大きな部屋とは対照的に、小さな部屋のさらに片隅で、その小さな身体をすくませている。
「君がハイアランゼの聖女か」
ユーリの声が、少女に投げられた。
ユーリの透き通るような声に、少女の下半身あたりが淡く輝いた。
その光を見て、ユーリは小さく頷く。間違いなく、この少女が四番目の聖女なのだと。
ところが少女は、自らの身体が光を放ったことに怯え、声すら出せなくなった。
ユーリが数歩足を進めると、その小さな身体をカタカタと震わせ、床に蹲ってしまった。
「……俺は、なにか悪いことをしたか?」
困り果てたユーリが振り返る。
領主が小さく首を横に振り、一度部屋を出るように促した。
「ジーンは、幼いころから人見知りでして……」
大きな部屋からも退室したあと、領主が申し訳なさそうに頭を下げた。
領主の家族も彼に倣って、深く頭を下げる。
「人見知りで引き籠り、帝都へ行くなど論外という状態だったわけか」
「左様でございます、魔法人形さま」
「……だが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう」
「もちろん仰る通りでございます。何とか連れ出そうとはしましたが……熱を出して倒れてしまったこともあり……」
領主が困り果てたように虚空を見た。
ジーンという名の少女は、とにかく精神的にひ弱なのだという。
強引に外へ連れ出すと、体調を崩し、高熱で倒れることもある。
泣き叫んで駄々をこねはしないが、先ほどのように委縮して声も出なくなるのは日常茶飯事だと。
そうした傾向は、聖女の証である花の痣が浮かび上がってから、さらに悪化しているらしい。
「それでも、何とか説得するしかない」
ユーリが眉根を寄せ、部屋の扉に手をかける。
すると、エリーが慌ててユーリの腕を掴み、行く手を阻んだ。
「ちょ、ちょ……っと、待って!」
「……なんだ」
「ユーリはさっき恐がらせたじゃない? だから今はダメよ!」
「いや、しかし……」
「ダメったらダメ! ネフェリもダメだからね。さっきちょっとだけ呆れ顔をしてたでしょ?」
「そ、それは、その……」
「とにかくダメだから! 私とアリアで行くわ! わかった!?」
エリーの強い視線が、アリアに突き刺さる。
勢いに押されたアリアは、なにを考える間もなく頷いた。
それを見たエリーが、アリアの手を取って部屋へ入っていく。
「え、あの、エリー!?」
引きずられるようにして大きな部屋へ連れ込まれたアリア。
エリーに何度か呼びかけ、彼女の足を止めた。
「エリー、なにか考えがあるのですか?」
「……ない、けど」
「ないの??」
「ないよ! でも、このままじゃ良くないと思って」
「それはユーリとネフェリもわかって……」
「違うの、そうじゃなくて」
エリーが振り返り、アリアを見据える。
彼女の瞳の中に、アリアの姿が映っていた。
しかし何故か。
エリーはアリアを見ながらも、別のなにかを見ているような気がした。
「……とにかく、一緒にジーンのところへ行こ。いいでしょ?」
エリーが懇願するようにしてアリアを下から覗き込んでくる。
アリアはついに根負けし、困り顔をしながらも頷いた。
再び、奥の部屋の扉の前に立つ。
扉の向こうで、ガタンと音が鳴った。
誰かが戻ってきたと察したのだろう。
姿こそ見えないが、息を潜めて警戒しているのがわかった。
「ジーンさん。開けますよ……?」
エリーが声をかけ、扉に手をかける。
ジーンの返事はなかったが、エリーは扉をゆっくりと押し開いた。
すると、先ほどと同じように、部屋の片隅にジーンが立っていた。
怯えた目で、アリアとエリーを見ている。
「……あ、あ」
「ジーンさん、私たちはあなたを恐がらせるようなことは何もしないわ。ただ、私たちと同じように聖女として選ばれたあなたと、お話がしたかっただけよ」
「……え、そ、その」
ジーンが声を震わせ、視線を下へ向ける。
次いで頬を赤らめ、両手で顔を覆った。
エリーは、どうしたのだろうと首を傾げたが、アリアにはなんとなくわかった。
ジーンの身体に浮き上がった花の痣は、足のどこかにあるのだろう。
家族はともかく、見ず知らずの誰かに見せるのは、抵抗があるに違いない。
「ジーンさん、別に花の痣を見せあいたいわけじゃないですよ。……ほんの少しだけ、同じ苦労を分かち合いたいというか……」
「そ、そう! 急に痣なんてできて、聖女って言われても困るよね、みたいな愚痴を言いあいたいというか……!」
「……え、あ……そ、その、う、ん……」
ジーンが戸惑いながら、エリーとアリアの顔色を窺う。
困ってはいるが、何か言いたいことはあるのだろう。
怯えながらも、その瞳は必死さを宿していた。
アリアとエリーは、ジーンが話しはじめるまで、じっと待った。
それが功を奏したのか。
それともジーンが観念したのか。
ジーンは震える声で、少しずつ話をするようになった。
「…………私、なんかが、こ、こんな……」
聖女には向いていない。そう言いたいのだろうとアリアは察した。
アリア自身も、自分が聖女などと思えていないからだ。
今こうしている間も、何かの間違いではないかと思っている。
なぜ世界の意思は、もっと立派な志を持った者に花の痣を与えてくれないのかと。
「困りますよね、本当に……」
ポロリと、アリアは声をこぼした。
するとジーンが顔を上げ、アリアに向かって小さく頷いた。
「…………そ、そう、なんです……」
「別の誰かだっていいって、思ってしまいます」
「……そ、そう……!」
「だけど、冒涜的なことは言えないですし」
「……は、あ……う、言えな……い、です」
「本当に困ります」
「ちょ、ちょっとアリア! それ、ネフェリの前では言わないでよ!」
「わかってますよ」
アリアは肩をすくめ、唇に人差し指を当てる。
エリーが片眉を上げ、大きな部屋の扉へ目を向けた。
ネフェリが入室してきていないか、念のため確認したらしい。
その慎重そうな仕草に、アリアは思わず声をあげて笑った。
アリアの笑い声に、エリーがつられて笑う。
ジーンが不思議なものを見るように、ぽかんと口を開けた。
もしかすると、聖女たるものは皆ご立派な人物に違いない、と考えていたのかもしれない。
無邪気に笑うアリアたちに、面食らったようだった。
「……い、いいの、ですか。その……そんな」
「そんな、冗談を言ったり、笑ったりって?」
「……あ、う、いえ、そ、その……は、はい」
ジーンが戸惑いながらも、頷く。
するとアリアとエリーは同時に頷き、優しく微笑んだ。
「きっと、それでいいと思うの」
「……い、いい、ですか」
「私たちが笑って、隣にいる誰かが笑えば、そのうち世界中が笑うかもしれないじゃない?」
エリーが胸を張る。
エリーらしい考えだなと、アリアは感心した。
楽天的すぎるが、決して間違いではない。
怒りは恐れを生むが、笑いは喜びを誘い、心に余裕を生む。
そうしてしばらく、三人は何気ない話をした。
ジーンは戸惑いつつも、逃げ出そうとする素振りを見せなくなった。
心なしか表情も柔らかくなっている。
「……あ、あの」
話をしている最中、ジーンがアリアの腕を指差した。
アリアは首を傾げ、その指が差すものを見る。
アリアの腕に、ヴェムネルと戦ったときの傷跡があった。
「あ、これですか? もう治ってるので大丈夫ですよ」
アリアはなんでもないように、傷跡を手のひらで打ってみせた。
本当はまだ少し痛む。
だが、フィナスが丁寧に応急処置してくれたおかげで、もうしばらくすれば傷跡も消えるだろうと思っていた。
ところが、ジーンの目からは涙が落ちた。
まるで我が事のように痛み、苦しんでいるようで、アリアは驚く。
ジーンがそっと、アリアの腕に手を伸ばした。
傷跡に触れた瞬間、彼女の目から再び涙がこぼれ落ちる。
「気にしなくてもいい」と、アリアは再度伝えた。
すると突然、ジーンの手に淡い紫色の光が宿った。
「え、え!?」
アリアの傷跡に、ピリリと沁みるような痛みが走る。
しかしその痛みは不快ではなく、どこか温かかった。
このままずっと触れていてほしいと願いたくなるような心地よさ。
「アリア……傷が!」
「え、あ! な、治っていく!?」
ジーンの手から放たれる光は、アリアの傷跡をみるみるうちに癒していく。
やがて痛みが消え、なにもなかったように綺麗な腕が蘇った。
いやむしろ、怪我をする前よりも滑らかな肌かもしれない。
「……これって、聖女の秘術??」
エリーが驚きの声をあげながら、ジーンを見る。
ジーンは首を横に振った。
その癒しの力は、聖女になる前から使えたのだという。
しかし、ジーンに備わっていた力は、癒しの力だけではなかった。
ジーンには、時折暴走してしまうほどの強い魔力が宿っていた。
暴走した力により、妹に怪我を負わせてしまったこともあった。
その時のことを思い出すたび、胸が締め付けられるように苦しい。
家族は、妹を傷つけたのが自分の魔力暴走だとは知らない。
ただの事故だと思っている。
だが、ジーンはその真実を家族に伝えられずにいた。
「もしかして、外に出ないのは力が強いから……?」
エリーが尋ねると、ジーンが小さく頷いた。
人を傷つけるような強い力を、家族が、街の人々が、いつか恐れ、嫌うかもしれない。
そう考えて、ジーンは力のことをひた隠し、ただの人見知りとということにしていたのだ。
「それは……大変でしたね」
アリアは声をこぼす。
十年近く、これほど大きなことを隠すのは、どれほど辛く、大変なことだっただろう。
その思いを包むように、アリアはジーンの手を掴んだ。
「ジーンさん。あなたは、強い心を持っているのね」
「……こ、心じゃなく、て、ち、力が……」
「違います。その力なんかより、ジーンさんの心のほうが強くて、優しいです」
アリアが語りかけると、ジーンの目に涙が浮かんだ。
ジーンが恐れていたのは、嫌われることだけではない。
その力を知られることで、大きな混乱が起こることも恐れたのだ。
そうならないよう、ジーンはただひとりで戦いつづけてきた。
「そうよ、ジーンさん! あなたのその優しさのおかげで、この街は守られてきたのよ!」
「……そ、そ、そん、な」
「本当よ! ……だから、もう、本当に……」
「……え、な、んです、か……?」
「……とりあえず、その、むぎゅーってしてもいい?」
エリーもジーンの手を取り、身体を寄せていく。
徐々に迫るエリーの顔面。ジーンは目を丸くさせ、傍にいたアリアへ視線を向けた。
助けて、ということか。
「エリー、困らせちゃダメですよ」
アリアは、エリーの頭をコツンと叩く。
我に返ったエリーが、ぱっとジーンから顔を離した。
しかし手は握ったまま。離すつもりはないらしい。
ジーンも、エリーの手から逃れようとまでは思わないのか、困り顔のままかすかに笑った。




