影の都ノクティア ― 夢魔リリスの誘惑
――朝、目が覚めた瞬間。
俺は裸だった。
……いや、正確には上半身裸。
しかも隣にはミアが寝ていた。
しかも仮面なし。
しかも、腕を絡ませて俺の胸に顔を埋めてる。
(おいおいおいおい!?これどう見てもアウト案件だろ!!)
昨日、氷狼を倒してから野営したのは覚えてる。
でも、途中で寝落ちして……そこからの記憶が、ない。
「お、おいミア……」
そっと肩を叩くと、彼女は目を開けた。
寝ぼけたように俺を見上げ――ぽつりと一言。
「……おはよう。寝相、悪すぎ」
「いや寝相の問題じゃねぇ!!!」
「別に何もしてない。あなたが勝手に転がってきた」
「俺!?そんな夢遊病みたいなことある!?」
「……夢のせい、かもね」
ミアがぼそりと呟いた。
「夢?」
「あなた、昨夜……誰かの名前を呼んでた。“リリス”って」
「リリス?誰だそれ」
ミアの瞳が一瞬だけ揺れた。
「……影の都、ノクティアに住む夢魔。
人の“心動”を喰らう存在」
「心動を……喰う?」
「ええ。欲、愛、恋、全部。
あなたみたいなタイプが一番の餌よ」
「俺、異世界に来てまでモテ期が地獄仕様なの!?」
数日後、俺たちは霧に包まれた黒い都市へと足を踏み入れた。
それが――影の都ノクティア。
昼なのに薄暗く、街灯が紫に光っている。
通りを歩く人々の瞳はどこか虚ろで、誰もが夢を見ているようだった。
「ここ、なんか空気が甘いな……」
「夢魔の影響ね。
心の奥の欲望を少しずつ引き出して、快楽物質を混ぜてる」
「うわ、合法ドラッグ都市じゃねぇか」
「一歩間違えたらあなた、即爆発ね」
「俺もう“歩く時限色欲爆弾”みたいな扱いされてるな……」
その夜。
宿に泊まった俺は、奇妙な夢を見た。
――花のような香り。
――白い腕が首に回る。
――柔らかい感触。
「……ふふ、あなたが“心動の勇者”?」
耳元で甘い声がした。
振り向くと、そこにいたのは信じられないほど美しい女。
長い黒髪、紫の瞳、薄い羽。
彼女は微笑みながら、指先で俺の頬をなぞった。
「初めまして、シュン。私はリリス。
あなたの夢に、お邪魔してるの」
「ゆ、夢魔……!?」
「そう。夢の中で心をほどくのが、わたしの仕事。
でもね――あなたの心、硬すぎるの」
「え、えぇ……それは……男としての理性が……」
「じゃあ、壊してあげる」
彼女の唇が近づいた瞬間、脳が真っ白になった。
(ヤバい、目が覚めない!これ、本物の誘惑魔法だ!)
外の世界では、ミアがベッドの横で俺を見下ろしていた。
シュンの額にうっすら汗。
息が荒く、頬が赤い。
「……やっぱりリリスが来たのね」
ミアは手をかざし、呪文を唱えた。
「《心無の結界》――発動」
光が走るが、何かに弾かれた。
「くっ……!
あの女、“夢の層”を三重にしてる……!」
ミアは目を閉じ、シュンの夢の中へと飛び込んだ。
夢の中。
リリスが俺の首筋に指を滑らせていた。
「あなたの心動、甘くて綺麗……
もう少しで全部、いただけそう」
「お、おい待て!それ以上は倫理コードが!!!」
「異世界に倫理なんてないわ」
「あるよ俺の中に!!」
「じゃあ、壊してあげる」
「壊さなくていいからぁぁぁ!!!」
リリスの瞳が妖しく光った瞬間、
背後から氷の刃が飛び、二人の間に突き刺さった。
「……そこまでよ、夢魔」
ミアが現れた。
冷気が夢の空間を凍らせていく。
「ほう、あなたが“心無”の女ね。
感情がないくせに、随分と熱い目をしてるじゃない」
「その男に触るな」
「ふふ、嫉妬? 感情がないはずじゃ?」
「……それは、心動勇者のせいよ」
「へぇ……じゃあ、奪ったらどうなるかしら」
リリスが笑い、ミアが無表情で剣を構えた。
氷と炎、欲と無。
ふたつの力が夢の中でぶつかり合う。
その衝撃で俺の意識がぐらりと揺れた。
(俺、今……夢の中で二人の美女が取り合ってる……
普通ならご褒美なのに、なんでこんなに命の危機なんだ!!)
「シュン!目を覚まして!」
ミアの声が響く。
俺は必死に目を開けようとした。
――でも、リリスの囁きが耳を撫でた。
「ねぇ……ほんとは、私のこと、少しだけ好きでしょ?」
「ちょ、やめっ……!」
「ほら、顔が真っ赤。
可愛いわ、あなた」
ドクン。
夢の世界が一瞬光に包まれた。
「また爆発する気ね……!」ミアが叫ぶ。
「リリス!退けぇぇぇ!!!」
炎と氷が交わり、轟音が響いた。
――次の瞬間、俺はベッドの上で跳ね起きた。
全身汗まみれ、息は荒い。
天井には焦げ跡、ミアの髪には氷の粒。
「……生きてる?」
「たぶん。
てか、俺の精神に爆弾仕込んだの誰!?」
「あなた自身よ」
「俺かよ!!」
ミアは深呼吸して立ち上がった。
「リリスは逃げた。でも、彼女はまた来る。
あなたの“心動”が強くなるほど、引き寄せられる」
「つまり……今後もエロい夢に襲われるってこと?」
「そうね」
「最悪だな……いや、最高かもしれん」
「最低ね」
「はい、最低です。ありがとうございます」
ミアは小さくため息をついたが、
その唇の端には、微かに笑みがあった。




