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第二章 隠れた存在-3

加嶋冬美――幸人はもらった名刺にかかれていたフルネームを思い出した。

三日前。

「申し訳ありませんが、この件の捜査は当方では打ち切りとさせていただきます」

「え?」

夕陽が窓を通して室内を染める。

窓に貼られた『加嶋探偵事務所』のテープの反転した影が室内に、そしてソファの幸人にも伸びていた。

「こちらも人員不足でして」

事務机の傍らに立つ加嶋冬美の口調は、それが当たり前だと言わんばかりだ。

「じゃ、じゃあ姉さんの捜索は……」

幸人がソファから腰を浮かした。

この探偵事務所はその業界ではかなり有名なところらしく、所長である加嶋の他にもエージェントを十人抱えているらしい。その十人分の机が全部空席であるところを見ると、確かに多忙であることは窺い知れる。

「ご安心下さい」

柔らかい、と言うよりも腰を浮かせる幸人の動きを静止するような冷たさが言葉に含まれていた。

「有能な事務所を紹介します」

夕陽を背にした冬美の目が、どこと無く笑っていた。

「そう、特にこの件に関しては適切な、ね」


「何で、あなたがここに……」

ここで全て説明される、と沙羅が言っていたが幸人は余計に混乱するばかりであった。

姉の謎の失踪、凸凹探偵コンビ、人間離れした怪力の男、厚生労働省。

そして、最初に依頼した探偵事務所の女。

全てを線で結べるほど、幸人の脳内シナプスは柔軟ではなかった。

「あら、もう一人いるようね」

幸人の混乱をよそに、冬美は幸人の背後に声をかけた。

そこには沙羅が何故か幸人の背後に隠れるように立っていたのだ。

冬美の問いかけに、半ばあきらめたように――いや実際ため息らしきものが幸人には聞こえたのだが――沙羅が姿を現した。

「……どうも」

「まあぁっん、沙羅ちゃあんじゃないっ!?」

「はへっ!?」

幸人の声は裏返っていた。

無理も無い。有能でシャープで軟派男の取りつくしまも無さそうな冬美が、沙羅の姿を見たとたん急に黄色い声を張り上げたのだ。声だけでなく、両手を胸の前で組んでくねくねさせている。

幸人そっちのけで、いや、実際に幸人を押しのけて沙羅に駆け寄る冬美。

それを一瞬よけようとして、そしてそれが無駄であることを悟ったのかあきらめたように立ち尽くす沙羅。

「もおおん、沙羅ちゃんったら、来るんだったら来るって言ってくれれば良いのにぃ。そしたらおよーふくとかお土産、いっぱい用意するんだからぁ」

「……結構よ」

「……」

押しのけられた幸人は別の次元で自分の中に混乱する要素が出来てしまった事に頭を痛めた。

冬美はいつの間にか膝立ちで沙羅と同じ視線になると、その頭を両手で抱え込んでほおず頬擦りし始めた。沙羅は相変わらず無表情だが、その眼があきらめの色でそっぽを向いている。

「まあ、沙羅ちゃんたらまたそんな男の子みたいな格好しているのぉ? ダメじゃない、この前贈った服はどうしたの? ティディベアがついたのとかぁ、きれーなリボンとかいっぱいあったでしょ?」

「……仕事に邪魔だから」

「沙羅ちゃんはそんなこと気にしなくていいの。アシスタントだからって、仕事ばかりしてちゃだめよ。きつ~いお仕事は、あの変態に任せておけばいいんだから」

「……だれが変態だって?」

そうドアを開けて入ってきたのは、ここで落ち合う予定であった英治だった。

「あら、いたの?」

英治の姿を見た途端、冬美の表情が元に、いや元以上にシャープになった。口調にはいらだたしささえ感じられる。

「俺のどこが変態なんだよ」

「あら、誰もあなただなんて言ってないけど」

「あんたの態度のほうがよっぽど変だぜ」

「あら、立ち聞き? その上ノックもせずに入ってくるなんて、しつけ躾がなっていないワンちゃんね」

二人のトゲだらけのやり取りに、ちょうど間に挟まれる形になっていた幸人はほとんど腰を抜かしていた。嫌な汗も背中を伝っている。

(……もう、なんなんだろうこの人達?)

半ばやけになってその雰囲気に身だけを置いていた幸人。

「……まあまあ、加嶋君も黒崎君もそれくらいにして」

咳払いで一呼吸置いてから、少し疲れたような低い声が聞こえた。

それが窓際の机に座った初老の男の物だと、幸人ははじめて気がついた。いや、そもそもその存在自体たった今気がついた。

影が薄いのか、冬美や黒崎の存在感が圧倒していたのか。

多分、両方だろう。

「そ、そうだっ、それよりも説明して下さい!!」

幸人は本来の目的を思い出して立ちあがった。

「姉さんは行方不明になっちゃうし、変な……その、家を素手で壊しちゃうような男が襲ってくるし、それに、何であなたがここに? いや、それよりも厚生労働省が姉と何の関係があるんですか?」

『あなたが』と言う個所で冬美を向けられた以外、幸人の声は部屋にいる全員に向けられていた。

そんな幸人に全員の視線が集中していた――沈黙の眼差しで。

「幸人さん」

最初に沈黙を破ったのは沙羅だった。

「説明してあげるわ……分かっていることは全部」

それを合図にするように、ドアの傍らにいた英治が鍵をかけた。

「でも、どこから話したらいいかしらね」

「そ……の」

「そうね、まずはここが何かを説明した方が良さそうね」

幸人の回答を待たず、沙羅は窓際の初老の男に声をかけた。

「五十嵐課長、お願いできるかしら」

子供が自分の祖父でも通用しそうな相手に言う口調ではなかったが、五十嵐と呼ばれた男は気にした風も無く席を立った。

「そうだな……」

そう言いながら、机に置いたシガレットケースから葉巻を取り出すと、専用のVカッターで端を切り落とし、柄の長いマッチで充分に火を点してから咥えた。

幸人にはそれがじらされているようで苛立ちさえ覚え始めていたが、逆に心構えの時間として受け止めた。

が。

「吸血鬼、という存在を君は信じるかね?」

煙と共に吐かれた台詞は、まさしく彼を煙に巻いていた。


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