第一章 消えた姉-5
それは奇妙な取り合わせだった。
事実、道行く人々の何人かはその三人組がどういう関係なのか想像つかなかったであろう。
右側には、浅黒い肌の背の高い男。がっしりした体格は、どこかのスポーツインストラクターを思わせた。
左側には、眼鏡をかけた青年。彼も結構背が高いのだが、右側に立つ青年が一回り身長も体格も大きいせいか、少し線が細く見える。
この取り合わせだけなら、友人同士に見えなくもない。
が。
彼ら二人を割ってはいるように小さな姿が一人。
二人の腹部辺りまでの背の少女。正確に言うならば『美』少女。
腰まで伸びる黒髪と対照的な白い肌。それこそ『お人形さん』のような整った顔立ち。
この三人目の存在との組み合わせが、道行く人が見えれば頭に疑問符を浮かべながら通りすぎる理由だ。
歳の離れた兄二人と妹? いやいや、三人とも全然似ていないし。
親戚同士か何か? 多分、そうだろう。
気の長い暇人でも、そこで適当にケリをつけて通りすぎるのみだった。
そのどちらも正解ではないが。
「あのなあ、沙羅。何だってついてくるんだよ?」
「あなたじゃ頼りないから。それと、ボディガード。幸人さんの」
「ぼ、僕の、ですか」
正解は、ちぐはぐな探偵コンビ二人とそのクライアント依頼人。当てた人がいたらそれは天才かよっぽど想像力のある人だ。
事務所から最寄の駅で電車に乗り、私鉄を含めて2回乗り換えて電車を降りた。今彼らが通っているアーケードを抜ければ、幸人が姉と借りているアパートまで五分とかかるまい。
「ボディガードなら、俺だけで十分だろ」
「あなたが一番危ないから」
「何のことかな~?」
「あ、あの……」
これ以上自分の見に危険について考えたくない幸人は、敢えて話題を変えることに。
「沙羅……ちゃんは何で探偵事務所に?」
なぜかおずおずと尋ねてしまう。特に彼女の前だと『ちゃん』をつけるのもためらってしまう。そのほうが自然なはずなのに。
「アシスタントだから」
それだけ返す沙羅。それ以上でもそれ以下でもなく。
「な、なるほど……」
口ではそう言ったものの、納得なんてするわけが無い。探偵事務所でアシスタントする小学生の女の子、なんてそれこそマンガだ。
いや待てよ、今は夏休みだから知り合いか親戚である英治の所に、ちょっと手伝いで……いやそれも結構ありそうでなさそうな話だ。
「そうだ、沙羅、てめ~なんであのカッコしないんだよ? 一日中、あのカッコで過ごせって決まりじゃねえか」
英治が思い出したように言う。
「ちゃんと約束は守ったわよ。罰ゲーム終了から丸一日二十四時間、あの恥ずかしい格好でね。事務所を出る時にちょうど二十四時間経ったじゃない」
「ちっ……」
罰ゲームってなんだろう? というか、この二人の関係は? 親戚……まさか歳の離れた兄妹でもないし。っていうか、何でメイドの服なんて用意してるんだろう? コスプレ……って、それをさせる英治って人はなんかヤバイんじゃ。いや、既に僕自身が言いようの無い身の危険を感じてるし。この沙羅ってコもなんか変わってるよな。素っ気無いって言うか大人びてるっていうか。罰ゲームでメイドの格好させられて怒ってるからかな? でも今の格好だってちょっと雰囲気違うよな。今時の小学生の女の子がどういうおしゃれするのか良くわかんないけど、なんとなく男の子みたいな、いやちょっとミリタリー系入ってる格好だし。この暑いのに長袖で暑くないんだろうか? 汗一つ掻いてないけど……
幸人のまとまりの無い疑問はそこで途切れた。
「あれ?」
いつのまにか商店街を抜けていた。それは別にどうって事は無いのだが、方向が違っていた。このままだとアパートから外れてしまう。
場所を教えていたとはいえ、この二人にとっては初めてのはずだ。考え事しているうちに道を間違えたか、と幸人は英治に向き直った。
「黒崎さん、あの」
「何だい?」
道間違えましたね、というより早く英治が幸人の肩に手を回した。
逃げる暇も無く、英治の口が幸人の耳元に近づいてこうささやいた。
「つけられている」
「えっ?」
「静かに。商店街からだ。この先に分譲マンションの展示場がある。今日は休みの、な。そうだろう」
幸人は眼でそうだと合図を送った。そこまで調べていたのか、という驚きも付け加えて。
「このまま進んで。君は俺が守る」
「俺達、でしょ」
二人の下で沙羅がかすかに届く程度の声で言った。
「そう、俺達、だ。まあ、それまで自然に、な」
幸人の背筋を冷たいものが走った。つけられていると聞かされたため、と言いたい所だが、英治が離れ際に耳に息を吹きかけたのが一番の原因だ。
不安を覚えながらも、近所に住む自分でさえうろ覚えの展示場に脚を進める幸人。それに案内されるように英治と沙羅が続く。しかし、例え幸人が忘れていたとしても二人は迷うことなく目的地に着いていただろう。
五分としないうちに目的地に着いた。それまで無言でいた幸人にとってはやたらと長く感じた。尾行される、というドラマまがいの経験が自分に振りかかろうとは想像もしていなかったからだ。
展示場は三棟がコの字を成し、通りに面したコの空いた部分が駐車場になっていた。いつもなら五台入れば満杯のスペースも、休みの今はやたら広く感じる。
英治が駐車場入り口のチェーンをまたいだ。続いて幸人、沙羅。
「そろそろ出てこいよ」
駐車場のちょうど真中に立った英治が、正面にある奥の展示ハウスを見据えて言う。
「……良く分かったなぁ、探偵さん」
ハウスの影から男が現れた。尾行されているから、後ろからくるものと思っていた幸人は声も出なかった。
男は小柄ではあったが、遠目にも筋肉質であることが分かった。今時、本物のその筋の者でも身につけないような派手な柄のシャツを身につけ、そのはだけた胸元から分厚い胸板が覗いていた。ガムを必要以上に音を立てて噛みながら、肩をいからせて英治の三メートルほど前方で睨み付けていた。
「まあな。つけるのは得意だからな。つうか、それが仕事だ」
「そうかいそうかい。でもよ、俺はあんたにゃ用事はねえんだよ。そっちの兄ちゃんに用事があるんだわ」
男が幸人に視線を向けた、というか睨み付けた。幸人にもその目つきが穏やかな物でない事は一発で分かった。
「そういうことだからよ、このまま引き取ってくんねえかな、ええ?」
「嫌だと言ったら?」
英治の口元は僅かににやけていた。
「んなもん決まってるわな、こういう時に言う台詞。俺は誰でも容赦しないぜ、そこのチビだってな」
それこそ小学生ならそれだけで泣き出しそうな声と視線を沙羅にまで向けた。
「!? あんた、なんてこと言うんだよ」
幸人が沙羅をかばうように前に出た。微動だにしない沙羅が、恐怖で固まっていると感じて。
「……幸人さん、ありがとう。でも、心配しなくていいから」
いつもと変わらぬ声が、幸人の背中越しに聞こえた。
「それに、あなたは私が守るって言わなかった?」
男が、けけけ、と下卑た笑い声を立てた。
「お嬢ちゃん、やせ我慢が上手だなあ、ああん?」
「二対一で勝てると思ってんの、おっさん」
沙羅の代わりに英治が割って入った。
「なにっ、おっさんだと!? こう見えても俺はまだ二十代だっ」
意外と歳を気にする奴らしい。
「そう吠えるなって。計算ぐらいできるだろ?」
英治の挑発を男は堪えた。そして代わりににやけた上唇を舌で湿らせた。
「……お前はバカか? その青白い兄ちゃんに何ができる?」
「俺は別にクライアントを頭数に入れてないぜ」
一瞬の間。そして男は今度は腹を抱えて笑った。
「ひゃひゃひゃ……、お前正気か? そんなガキに手伝ってもらう気か?」
「こいつは結構一人前だぜ。ま、口だけは十人前ぐらいあるかな」
「何だっていい、ここまで俺をバカにするとはなあ……」
男の声が据わった。
「でもよお、あんたの計算、それでも間違ってるぜ。二対一じゃなく」
男がガムを吐き出した。
「二対百だああっ!!」
同時に二つの感覚が幸人を襲った。
風圧が幸人の頬を襲うのと、背中を誰かに押された事と。
その風圧が男の上段廻し蹴りが起こしたものであり、そして幸人のすぐ横にいた英治を狙っていたこと。背中を力強く押して風圧の威力を軽減させたのが背後にいた沙羅であったこと。
それを理解した時、男と英治は入って右手側の展示ハウスに向かっていた。
幸人は混乱しかけた。男と英治の距離は三メートル以上はあったはず。近寄る瞬間は見えなかった。瞬きしていたのか、それともその筋の者はそれだけの能力を持っているのか。
その幸人の視界に、黒髪の背中が入ってきた。
「大丈夫、英治なら、ね」
幸人の不安を察していたのか、どことなく力強い。
(でも……)
ほとんど呟きに近い沙羅の声は幸人には届かなかった。
「おらよっ!!」
必要以上に怒気を含んで男が正拳突きを繰り出す。それを、英治は半身に後ずさりながらかわ躱す。
「へへへ、どうした、まだ全然本気じゃねえんだぜぇ」
「出し惜しみするなよ、老け顔の二十代」
英治が涼しい顔で挑発。
「抜かせえぇぇっ!!」
怒号とほぼ同時に、工事現場でしか聞いたことのないような音が響いた。
「なっ!?」
幸人は眼を疑った。
追い詰められる格好になった英治が、展示ハウスの外壁を背にしていた。
そのすぐ右脇で、男の右腕が肘まで外壁にめり込んでいた。
「動きだけはすばやいな、ああん?」
男が右腕を抜いた。抜き切ったと同時に、コンクリートの破片が音と埃を撒き散らして地面に降り注いだ。
仮設の展示施設とはいえ、外壁は本物と同等、つまりは防音のコンクリートを使用している。それに素手で穴を空けていた。
「その動き、空手をかじっているな、おっさん」
「まあな。でもかじっているのはそれだけじゃないぜ」
男が今度は前蹴りを繰り出した。今度は力を抜いてスピード重視にしたのだろうか、壁面に穴は空かずヒビを入れた。が、それをかわ躱した英治も英治だ。
「ひひひ……かじっているというより、『しゃぶっている』とでも言った方がいいか」
男が舌なめずりをした。その口元を見つめる英治の目つきが変わった。
そして、沙羅も。
「……なんとなく臭いと思っていたが、そっち絡みだとはな」
「ええ」
英治の声は男ではなく沙羅に向いていた。そして、沙羅も確実にそれに応えた。
「何俺を無視してやがる?」
男が今度は左正拳突きを繰り出した。ハウス自体を震えさせる轟音と共に肘までめり込んだそれを、英治は前転で躱し、建物と男から離れた。
「脳がたりねんじゃねえの、動きが単調単調」
前転し、肩膝立ちになった英治がズボンの裾から何かを取り出して右手に構えた。
「けけ、そんなナイフ一本でどうする気だ?」
男が手を突っ込んだ姿勢のまま、横目でそれの動きを追った。
英治の手に握られているのは刃渡り十五センチほどのナイフだった。鈍く銀光を放つ刃が、途中からハンドガードを兼ねて伸びていた。ハンドガードも凶器と化したまがまが禍々しくも美しいデザインは、トータルで三十センチ近くの危なっかしい刃の塊でもあった。
「まあ、そっちがそうなら、こっちもそうするか」
男が左腕を引き抜き出した。同時に、外壁が右腕の時よりも大きい音を立てて震えていた。手首まで抜いたところで男は動きをいったん止めた。
「そらよっ!!」
男が一気に手を、いや、手と何かを抜いた。
「!?」
「伏せて」
幸人は声さえあげられなかった。沙羅が腕を引き寄せなければ腰を抜かしていたであろう。
英治を狙ったそれは、しゃがんだ姿勢からの側宙で英治に躱され、後方の幸人の頭上を飛び過ぎて残った展示ハウスの窓をぶち破った。
伏せた姿勢から、破片が僅かに残る窓ガラスから生えるように突き刺さっているそれが鉄柱であることを幸人は確認した。
「惜しいな」
男の台詞に幸人は向き直った。
男の背後で、薄いとはいえ耐火コンクリート壁を丸一面打ち破られて風通しの良くなった展示ハウスの惨めな姿があった。
「そんなバカな……」
やっと意味のある言葉が口から出た。しかし、目の前の状況を表現するにはそれで充分であった。
いくら怪力で空手を習っていても、あそこまでやれるのか? それに、男に痛そうな表情は微塵も浮かんでいない。まるで紙で出来た模型を散らかしているように涼しい顔をしている……
「幸人さん、考えないことね」
「え?」
「考えると、混乱するだけよ」
沙羅のいつもと変わらぬ口調が、逆に幸人に落ち着きを取り戻させた。
「おっさん、あんまちらかすなよ」
「ああ、跡形残らんようにしてやるよ」
「できるかい?」
英治がナイフを逆手に持ち替えた。
「そっちのチビもだ……眼鏡の兄ちゃん、あんたは安心しな。お前は殺すなって言われてるしな」
「ぷぷ……情報もらしてやんの」
「何?」
「そこまで聞けばいいか。そらよっ!!」
英治が足元まで転がってきていたコンクリートの破片を投げつけた。それは男を狙った物かと思われたが、軌跡は男の横を通り過ぎ、後ろの壊れかけの展示ハウスの剥き出しの柱に当たった。
瞬間、支えを揺さぶられたハウスは轟音と埃と破片を派手に立てて崩れ落ちた。
「てめえ、何を……」
「いくら休みでも、街中でこんな派手に暴れて誰も気づかないと思ってんの? ましてやこんな派手に家を壊しちゃ、警察が来る前に近所から野次馬が集まるに一分とかからないぜ」
「畜生……」
事実、どこからか「こっちだ」とか「何の音だ?」と早くも声が聞こえ出した。
「まあいい、まだ時間はある、次に会った時は覚えてやがれ……」
怒気を含んでいない分、その捨て台詞は逆に凄味を増していた。それだけを後に残し、男は崩れたハウスを尋常ならざる速さで飛び越えて視界から消えた。
「た、助かった……?」
思わず声に出してへたり込む幸人。だが、その前に沙羅が腕を引っ張った。
「何のんきなこと言ってるの。英治の言ってる意味、わからなかったの?」
「へ?」
「そうそう、俺達だってこんなところにいたら疑われちまう。とりあえずずらかろう」
「で、でも、脚に力が……」
「何なら、俺がおぶってやろうか?」
「い、いえ結構ですっ!!」
本当に背中を差し出そうとした英治の横を、幸人は飛び越すようにかけ抜けていった。