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第一章 消えた姉-4

小学生の時に両親を相次いで失った幸人にとって、三歳上の美由紀は姉であり母でもあり、時には父でもあった。

姉は中学を卒業してすぐ、夜学に通いながら昼間は仕事をして二人の生計を立てていた。それまで育ててくれていた遠い親戚は優しく、二人が高校や大学を出るまで面倒を見ても良いと申し出ていたのだが、なにぶん高齢であったので姉の方から辞退したのだった。

自分から援助を辞退しただけあって、姉はしっかりしていた。家事もほぼ完璧にこなし、夜学でも良い成績を収めた後、中小企業で事務職に就きながら幸人を大学に通わせてくれた。

姉の負担を減らそうと、バイトの出勤日数を増やそうとした時は、姉は学業を優先させろと厳しい口調で注意してくれた。

優しくもあり、厳しくもあった姉。

「……良い話じゃねえか」

「……」

涙もろいのか、眼を潤ませる英治。それとは対照的に表情一つ変えていない沙羅。

「その姉が消えたのは、一週間前です」

バイトを終えて夜九時過ぎに帰宅した幸人。姉と共同で借りているアパートの一室に戻ると、既に夕飯の用意が二人分テーブルの上にあった。

仕事が遅くなりそうな時、姉は昼休みに一時帰宅して夕食の用意をすることがあった。職場が近いとこういう時便利ね、と言いながら。

留守番電話が二件入っていた。おそらくいつものように夕食を先にとるよう伝言が入っているんだろう。

そう考えながら再生した。

一件目。やはりいつもの通りだった。十時には帰る、と伝言を残しておきながら、いつものように十一時頃になるのだろうと思いながら二件目を再生した。

「『逃げて』、だって?」

「はい」

「……」

英治がソファに沈めていた上体を起こした。沙羅の眉が僅かに動いたのがわかった。

最初は何の事かと思った。本当に『逃げて』と一言だけだった。幸人でなければ声の主が分からなかっただろう。姉の切羽詰った声だと。

一瞬、冗談だと考え、次の瞬間にはその考えは頭から消えた。まじめな姉がそんな事するはずがない。

携帯にかけたが繋がらない。ナンバーディスプレイが確かに姉の携帯からであることを示していた。職場にもかけたが、残っていた社員から九時半には出たと言われた。

夜通し待ち続けた。朝になっても、昼近くになっても戻らない。昼休みに電話がかかってきたが、それは姉の職場からだった。無断欠勤など初めてだとその社員も電話の向こうで首をかしげていた。

悪いと思ったが、姉の部屋を調べてみた。が、なくなった物は無かった――身につけているであろうと思われるもの以外は。

姉の友人に当たったが誰も知らないという。恋人もつくらずにいたため、外泊は皆無だった。念のために以前世話になっていた遠い親戚に連絡したが無駄であった。

結局一睡もせずに電話から二十四時間後、警察にかけこんだ。

「警察は?」

沙羅が口を開いた。

「一応探してくれているみたいです。留守電の内容から事件の線でも当たってみるとは言ってくれましたが……」

「進展は無し、か」

英治がまたソファにもたれかかった。

「はい」

「ここを紹介された、と言ってたな」

「ええ。警察は当てにならないんじゃ無いかと姉の友人が探偵事務所を紹介してくれたんです」

「そこでは?」

「部屋まで来て調べてくれました。でも……」

「でも?」

「人員が割けなくなった、とか、うちより適任がある、とか言って……それで代わりにここを紹介してくれました」

幸人がデイバッグから大きな封筒を取り出して英治に手渡した。

「これが資料です」

「……」

無地の封筒だった。普通の企業なら社名が書かれているのだろうが、それは探偵事務所という職業柄、そして渡す相手も探偵と言う理由だからだろうか。

無言で中身を確認する英治。写真が一枚添付されたA4用紙数枚に何やら途中経過がまとめられている。写真は証明写真の余りだろうか、正面から幸人の姉、美由紀の顔が写っていた。幸人に似ている、つまりは女性ではかなり美形の方だ。ボブショートが似合っている。その写真を一秒と眺めずに書類からはずす英治の後ろから沙羅がレポートに視線を合わせていた。いつの間に移動したんだ、と考えた時には英治はレポートを封筒に戻していた。

「何もわかんねえじゃん、これ。どこの事務所?」

「それは言わないでくれ、と。商売敵だからとか何とか……」

「……なんだか貧乏クジみたいね、これ」

沙羅がぽそりと呟いた。

「本当、こんな仕事とってくんなよ」

英治が沙羅に一瞥をくれて愚痴を垂れた。

「あら、事務所に通したのは私じゃないわ」

「じゃ、誰だって言うんだ? この事務所は探偵とそのアシスタントしかいないぜ」

「そこまで分かってたら計算できるんじゃない? 二マイナス一で残った人しかいないわ」

「やなガキんちょ」

「あら、仕事以外の理由で仕事を受ける大人よりマシよ」

「あ……あの」

幸人がためらいがちに割って入った。

「その……お願いしますっ!!」

幸人がテーブルに手をついて頭を下げた。

「姉さんを探してください!! 僕にとって姉さんはたった一人の家族なんです!!」

「おっと、そんなに頭下げなくていいよ。クライアントは君だ。さっきのは失言だ。冗談だと思って聞き流してくれ」

「は、はい……でも……」

「何?」

「その……実はあまり蓄えが無くて……最初の探偵事務所の分だけで精一杯だったんです。うち、姉と自分のバイト代で何とか生活しているくらいですから……で、でも、その代わりお手伝いできることなら何でもします」

「何でも?」

「は、はい……」

顔を上げた幸人に、やたら眼を輝かせて念を押す英治。

「わかった、君の熱意に負けたよ」

そう言ってなぜか幸人の両手をとる英治。

「姉を思う一途なその思い、いや、立派立派。やっぱ、男は見た目だけじゃなくて芯の強さってのも大切だよな。そうでないと落としがいが……」

「あ、あの……落としがいって……」

「ああ、いやいや、聞き違いだろう? とにかく、手伝ってくれるんだったらお金はいつでもいいから」

「は、はあ……」

「じゃ、早速契約書を……えっと、どこだったかな?」

デスクに戻って引出しをまさぐる英治。

それを呆然と見送る幸人に、沙羅が近づいてきた。

「幸人さん」

「は、はい」

何故かこの少女の前だと敬語になる。

「英治と二人きりにならないように気をつけてね」

「えっ?」

その言葉の意味に、幸人は言いようの無い身の危険を感じて来た時よりも寒気を感じていた。


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