第六章 シルバー・エッジ-6
「姉さん、止めてよ!! 何で、姉さんが……僕は、僕は人間のままの姉さんでいいのに!!」
走ってきたのか、息も絶え絶えの幸人の台詞に反応したのは英治の方だった。
「何で……ここが……それに」
「端末を消し忘れたからよ。発信機の追跡システムのね」
答えは、幸人に続いて入ってきた沙羅の口から返って来た。
「な……沙羅……なんで止めなかった?」
「ここまで来て止められると思う? それに、幸人さんの夕食に盛った睡眠薬は調合を間違えたわけでもないわ。確かに効果はあった。それでも途中で起きたとすれば……宿命がそうさせたと言ってもいい」
「ふふ……そんな悠長な事を言ってられるの? あなたの相棒はもうすぐこの世の人じゃ無くなるわよ? まあ、あなたも次に逝かせてあげるけど」
事実、二人の会話を聞きながらも美由紀は腕の力を緩めていない。英治の顔から血の気が引き始めた。
「姉さん、そんな……姉さん……」
「何をそんなに悲しむの? 老いも病も無く、永遠に生きられるというのに」
力無く膝を付く幸人にかける姉の声は、それでもまだ慈悲というより恍惚に満ちていた。
「そんな姉さんは……姉さんじゃない……優しくて、曲がったことの嫌いなあの姉さんは……どこにいったんだよ」
弟の反抗に、姉は悲哀に満ちた表情を作り、そして微笑んだ――邪悪な微笑みを。
「そう、幸人もそうなの。人間のしがらみに囚われているのね。いいわ……なら、この二人を始末した後でゆっくりと分からせてあげるわ」
ほとんど虫の息の英治に、最後の一撃を加えようとした。
「……それは無理よ」
「何?」
仲間の危機だというのに、沙羅の声に微塵の焦りも無い。
「見れば分かるわ……あなたの手にしているモノを」
視線を戻した。
唸り声だ。
押し殺した獣の唸り声。
それが瀕死の男が口にするにはあまりにも猛々しく、あまりにも人間離れしていた。
そして。
英治の頭髪が、徐々に脱色し始めた。
それは止みはじめた雨の代わりに、雲海の隙間から覗く月光を浴びて銀色に輝いた。
顔の輪郭が変形した。
口元が突っ張り、犬歯が唾液をまとわりつかせながらせり出し、低い唸り声を上げる口腔には収まりきれずにその全貌を表した。
骨格が変形し、衣服の端が裂け、靴は内側から弾けた。そこから覗く皮膚は髪の毛と同じく銀色の体毛に覆われていた。
「な……」
さすがに色を無くして驚いた美由紀が英治を振り落とした。
両手を床につく英治。その右手から唯一の武器であるナイフが落ちた。代わりに今の英治にもっともふさわしいと思われる武器――両手の爪が、異常に鋭く変形した。
「今宵は満月……伝説じゃないけど最高のシチュエーションがそろったみたいね」
完全に雨が上がった夜空に、澄んだ満月が誇らしげに月光を注ぐ。
窓ガラスを通した最高の背景に、英治は――いや、銀狼は歓喜の雄叫びを上げた。
「銀狼、いいえ、『銀の英治』の誕生ね」