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第六章 シルバー・エッジ-5

「正直、信じられなかったぜ。もうあんたがなっちまってるとはな」

英治は葉巻を咥えたまま喋った。口が動くたびに葉巻が揺れ、どこかのヨレヨレのコートを着た殺人課の刑事のように高級じゅうたんに灰を撒き散らした。

「まあ、確かに失踪してから数えれば、最短でも完全に感染するまでまだ二日あるから」

美由紀がスイッチから手を降ろした。

「そう。まさか失踪する前にもうやられてたとはな。普通、吸われた人間はショックで当ても無く逃げ出すかふさぎ込むかのどちらかだ。よく一週間も普通に生活できたな」

「ふふ……私には、守る人が居たから」

「幸人クンのことか」

それには応えず、美由紀は英治を通り過ぎて椅子の傍らに移動した。

「この社長さん、本気で私に気があったみたいよ。うちのお得意さんでね、倍近い年齢のうちの部長がぺこぺこ頭を下げていたわ。で、会社に来た時に私に眼をつけたそうなの」

美由紀が干からびた死体の首筋を指でなぞった。自分が付けた吸血痕を。

「吸血鬼になるには、血を吸った吸血鬼の血を吸う必要がある――最初から私を同族にするつもりだったらしいわね。吸ったその直後に教えてくれたわ」

「で、感染した後、すぐに行動を起こしたわけか。最初の留守電の頃だな……『逃げて』とたった一言残した」

「さすがに、人間としての精神が残っていたみたいね。自分で言うのもなんだけど。今から思うとバカらしいけどね」

「二回目の留守電の時、あんたの代わりに尾谷が居たのは?」

「始めは本当に幸人を呼ぶだけのつもりだった。でも、尾谷が私を探していた上に、あなた達までくっついてきていた。だからぶつけた。あなた達を排除するために」

「でも、うまくいかなかった」

「まさか、私達相手の専門部隊がおおやけに存在してるなんてね」

「そうおおやけでもないさ」

「それで、尾谷には祥子さんを通して発信機を仕掛け、私は独自で準備に取りかかった」

「外国のハンター達か」

「そう。この会社の情報と組織力を使えばさほど難しいことではなかった」

「なぜわざわざハンターを? 武器だけでなく」

「どこまで通用するか知りたかったのよ。対吸血鬼のベテランに、吸血鬼の血を吸った吸血鬼がどれほど通用するかをね」

「結果は予想以上というわけか」

「ええ。まあ、死ぬまで吸い尽くしたんですもの」

台詞に似合わないほど爽やかな微笑みを浮かべた。

「そういうわけだから、あなた方は手を引いてくれない? 勝ち目が無い戦いに挑むのは、公務員の手取りじゃ割りに合わないんじゃない?」

美由紀が両手で両肘を抱える姿勢をした。社長椅子の傍らに立つその姿は、社長秘書に見えなくもない。

「そうもいかないねぇ。幸人クンのためにもあんたには消えてもらう。悲しいこったけどな。それに、俺は公務員じゃねえ」

凝った造りの灰皿に葉巻を押しつけ、英治は両手で構えたナイフの切っ先を美由紀に向けた。

「悲しい?」

「そう。あんた、幸人クンも同族にするつもりなんだろう?」

「そうよ。それのどこがいけないの? 共に永遠に生きる姉弟。素晴らしいじゃない」

「それに気付かないのがだめだってんだよ!!」

英治が一歩半で七メートルの距離を詰めた。

「あら、その程度?」

「ぐっ……」

英治の刃は、美由紀の胸元から数ミリのところで食い止められていた。

右手の指二本で。

人差し指と中指でカードを挟むように軽く刀身をつまんでいた。なのに、身長百九十、体重七十五はあろうかという英治がそれ以上踏み込めないでいる。

それどころか、徐々に英治の膝が落ちてきた。

「ちっ」

自分からさらに重心を落し、巴投げの要領で美由紀を投げ飛ばす。しかし、美由紀はそれも予想の範疇であるかのように空中で回転し、あろうことか天井を蹴って倍速で戻ってきた。

「うおっ」

それを躱す英治を、美由紀は軽やかに着地して見送った。

「だめね。そんなんじゃ夜が明けるわよ」

その言葉に反応して英治が左右にステップしながら接近した。

ジャブのように繰り出す切っ先。一秒で五回は超えようかというその神速の突きを、美由紀は全て数ミリの差で躱す。

「なぜ、なぜそこまでして感染者になりたがる? 自分から進んで? 人間のままでも充分幸人クンと仲良く暮らせるじゃねえか」

「ふふ……姉弟として? それだけじゃないのよ」

「何っ?」

繰り出した切っ先の動きが鈍った。その瞬間を美由紀は逃さなかった。

左手で英治の右手首を掴み、右腕一本で英治の首を締め上げた。

「ぐっ……それだけ……じゃ……」

英治の両足が爪先立ちになった。

「そう。人間でいる以上、私達の間には姉弟という越えられない一線がある。でも、人間という垣根を取り払い、無限に近い時を生きる存在に、そんなものは存在しない……ただ男と女がいるのみ」

「あんた……まさか……」

「それ以上口にするのは無粋というものよ、探偵さん。いえ、お上に仕えるいぬといったほうがいいかしら?」

英治の首に食い込む指が力を増した。

その時だった。

「姉さん!!」

決して望ましくない姉弟の再会が、一週間の時を経てここに実現したのは。


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