第六章 シルバー・エッジ-4
「豪勢だね~、さすが社長室ってとこか」
最上階の非常口の扉を開けて、英治は開口一番こう切り出した。
事実、他の階なら優に机が縦に二十は並ぶスペースを、大理石の廊下が占めている。
その中央で奥に向かって別の通路が伸びている。角には受付嬢のインフォメーションデスク付きで。平素ならその机の対岸にでも警備員が眼を光らせているのだろう。
奥に通路を進み、目的となる部屋――社長室――の扉の前まで来た。車でも通れそうなくらいの観音開きの。
その扉を、何の冗談か丁寧にノックする英治。
「どうぞ」
扉の材質のせいか、男とも女ともつかぬ声が扉を隔てて返って来た。
「おじゃましま~っす」
友人の家にでも上がるように軽い足取りで部屋に入り込む。
部屋は以外と明るかった。豪雨で真夜中とは言え、総ガラス張りの一面が僅かな光でも最大限に外から取り入れていた。それに、時折照らす稲光が室内の様子を浮かび上がらせた。
バスケットボールでも出来そうな空間を贅沢に使った部屋だった。実用的な家具と言えば窓際にしつらえた社長机と右手奥に見えるガラス扉のついた書架のみ。
机の向こうに、革張りの椅子が背中を向けていた。
「そうか、あの女王様はあんたが感染させたんだな。それとも、古風に言えば『同族にした』かな?」
「……」
椅子には確かに何者かが座り、重みで傾いでいた。にも関わらず、英治が机に近づいても動こうとはしなかった。
「ひょえ~、さっすが社長様。いいタバコ吸ってるわ。つうかこれは葉巻ってのか?」
机の上のシガーケースから勝手に葉巻を取りだし、手持ちのナイフで器用に吸い口を切り落とし、卓上用ライターで火を点して口に咥えても、椅子の主は背を向けたまま微動だにしない。
「これ、口に咥えているだけでも豪勢な気分だな。いかにもって感じがいいよな~、ほんと」
椅子が僅かに動いた。
椅子に座ったの重心位置が変わったため、徐々に椅子が回転して英治の方を向き始めた。
「……あんたがボスのまんまだったら、どんなに気楽な事か」
椅子が正面を英治に向けて静止した。
一際大きな雷光が部屋全体を照らした。
「なあ、桂木慶一さん……幸人クンの姉さんの血を吸ったあんただけだったらな」
椅子の主――桂木慶一は首を不自然に曲げた格好で干からびていた。
椅子に縄で縛り付けられ、すべての血を吸われれば、幾ら感染者=吸血鬼とは言え生者のままでいることなどできない。
いや、生きながら血を抜かれ、絶命の寸前までそれを見届ける意識があったことを考えると、それは無限地獄の一歩手前に近かった。
部屋が明滅した。稲光ではない。天井の明りが息を吹き返したのだ。
「ご心配には及びないわ。あなたのお仕事はすぐ済むから」
入ってきた扉から声がした。女性の声が。
「そうかい?」
英治が振り返った。
「そう。幸人は私と生きるの――永遠にね」
そこには照明のスイッチに手をかけた女性が立っていた。
ボブショートに失踪したときのままのスーツ。
そして。
上品に微笑んだ口から覗く、不釣合いな犬歯の先。
島原美由紀だった。