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第六章 シルバー・エッジ-3

銀光が弧を描く。

始めの二秒でゾンビの首が三つ、胴体から離れた。

二列の机で挟まれた狭い領域を、ゾンビが一列になって英治に迫る。

緩慢でありながら確実に英治に両手が伸びる。

それを机の上に一列になったモニタノ上を二つ置きにステップで躱しながら、英治が列の端まで駆け抜けるのに五秒。

ゾンビ達は前から順番に呻き声を上げながら首を落とした。

机の、いやモニタの上からふわりと降りた英治に、ここぞとばかり左右から別のゾンビが襲いかかる。

それを英治はナイフを回転させながら右手のゾンビの首を落とし、返す刀で左手のゾンビも同様に落とす。

それに二秒。

続いて右側から襲い来るゾンビ四体の間をすり抜ける英治。ゾンビと位置が重なった瞬間にのみ英治の姿が残像として瞳に映ったのを、ゾンビ達の壊死した脳細胞は頭ごと床に落ちても理解できなかった。

それで五秒。

恐れとも怒りともとれる死者の呻き声を上げて、最後の一体が英治に向かう。

五メートル先のそれの到着を待たずに、英治は一・五歩で懐に跳び込み、次の半歩で通り過ぎる。

その二歩で三秒。

「……合計十八秒」

英治が肩膝を付き、ナイフを右足首の鞘に収めて宣言した。

彼の通った後には、首を落とされてもなお獲物を求めて千鳥足で動き回るゾンビが十八体。

驚異的といえた。それは一体につき一秒というその速さではなく、ほとんど出血を起こしていない見事とも言うべき切断面に対してだ。

「なら、私は十七秒でいこうかしら?」

沙羅が勝利予告を宣言した。

「ほう、やってみなよ」

英治の台詞に重なって轟音の三連射。

胸に大輪の紅い華を咲かせたゾンビが三体倒れるより早く、沙羅の小さな影は残像となって首なしゾンビの輪の中に跳びこむ。

右足を軸にして半回転。その間にパイソンに残った三発の弾丸を容赦なく右側のゾンビにぶち込む。

背後にゾンビが迫る。残弾数ゼロ。

沙羅が後方に跳躍した。バク宙の沙羅の頭と首なしゾンビの肩までの垂直距離は僅かに二十センチ。

背後に降り立った沙羅が引き金を引く。衝撃で床に伏したゾンビの体に、小さな光が六つ降り注ぐ。

それが空中で沙羅がリロードした排薬莢だと誰が信じ得るか。

着地した瞬間で七秒経過。ここまでは英治とタイだ。

ジャンプで沙羅の姿を見失ったのか、首なしゾンビの動きが各自ばらばらになった。

動き回る必要が無くなったさらは、冷たい視線に余裕さえ浮かべてパイソンのベクトルを機械的にゾンビに合わせて引き金を引く。

五体のゾンビが倒れる前に、弾丸をリングに取り付けたリロード用アイテム――クイックローダーですばやく弾丸を補充。

残り六体。経過時間は計十一秒。

僅かに沙羅がリード。

硝煙と僅かに混じる血臭の中で、沙羅は眉一つ動かさず残りの作業に取り掛かる。

右手のパイソンを支える左手を僅かに支えなおす。

五体のゾンビが向き直った。

その瞬間、間髪入れない連射音が部屋を埋める。

残り一体。英治の記録に三秒余裕を残して。

「私の勝ちね」

敢えて英治に視線を送って十八回目の引き金を引こうとした。

「!?」

「何?」

部屋の奥から何かが空中を唸り声を上げて這いまわり、ゾンビに絡みついた。

その刹那、ゾンビの体は血煙をあげて四散した。

「……まったく、役に立たないゾンビね」

暗闇に紅い光点が一つ浮かんだ。

「ちょっとはあんたの困った顔が見れると思ったのに……ねえ」

声が近づくと共に、光点を宿した輪郭が徐々に浮かんできた。

「……小憎たらしいお嬢ちゃん」

嫌らしく尖った犬歯を唇から僅かに覗かせて、日高祥子は燃えるように赤く光る右眼で沙羅を睨み付けた。

「これはこれは、女王様のお出ましか」

英治の嫌味にも眉一つ動かさず、祥子は沙羅だけを視界に収めていた。

「銀ならまだしも水銀を使うなんて……どうしてくれるの、この左眼? 一生ただれたままじゃない、ええ?」

「あら、ならその一生、早く終わらせてあげてもよくてよ」

沙羅の銃口がまっすぐ祥子の左胸を向いた。

Shoot my Heartと彫られたタトゥーが浮かぶ豊満な左胸に。

「ふふふ……いいわねえそういう台詞。まるで本物の大人みたいよ、お嬢ちゃん。でもねえ」

右手に下げていた物を前に突き出した。無数の工業用ダイヤモンドでコーティングした鞭。ゾンビを瞬時に四散させる威力を秘めた。

「そういう台詞は体も大人にならないと似合わないわよ」

「……」

沙羅が僅かに眼を細めた。

「あら、ごめんなさい。あなたは一生大人になれないのよねぇ。ねえ、本当は私のこの体、羨ましいと思ってるんでしょう? ふふふ……」

空気が一変した。

「……言いたい事はそれだけ?」

沙羅の言葉に、動いたのは英治の方だった。

「お、俺は先に行かせてもらうぜ……巻き添え食って死にたかねえからな……沙羅ちゃん、あとヨロシクね~」

台詞はふざけているが、声は本気で震えていた。

たっぷり十秒はかかって後ずさりし、非常階段の奥に英治が消えても祥子は動かなかった。

いや、動けなかった。

「……くうっ……あんた、何者よ?」

祥子の体も小刻みに震えていた。

外気との温度差ではなく、心胆を凍結させる内部との温度差に。

「あら、そんなに震えていてはこっちが有利になるわね。じゃあ、こう言うのはどう?」

僅かにかかった数本の前髪の下で、沙羅は右目を閉じた。

「どう? ちなみに私の利き眼は右よ」

その言葉の意味するところに気がつき、祥子の体の震えは激昂によるものへと変わった。

「もう容赦しないっ、あんたの白い肌が見えなくなるまで細切れにしてやるっ!!」

沙羅の右前にあった机が縦に割れた。

引出しの中身を撒き散らし、音速の黒蛇と化した鞭の先端が沙羅に躍りかかる。

それを沙羅は半身になって躱した――確実に。

だが。

「!?」

沙羅の右上腕に、うっすらと赤い筋が浮かんだ。

「ふふふ、鞭本体はうまくよけたつもりでしょうけど、眼に見えない物を避けきれて?」

「ソニックブーム……音速を超えたわね」

沙羅が腰を低く落とした。

「ほら、その右手のオモチャはどうしたの?」

声よりも早く祥子の二撃目が沙羅に迫った。

それを沙羅は前に踏み込んで躱した。衝撃波が出来る前に距離を稼ぐ算段だった。幾ら先端が音速を超えたとは言え、鞭全体がそうではない。しなる鞭の変極点にあたる部分は、瞬時で見れば静止している部分が存在した。そこまで距離を詰めれば次の数歩で鞭の有効射程範囲以下となる。

しかし。

「おバカさんっ」

「うっ!?」

沙羅の右頬を熱い物が掠めた。沙羅が直感的に躱さなければ首ごと持って行かれただろう。

「フェイント……」

躱すついでに、まだ無事な机の影に身を潜める沙羅。

頬の一文字に割れた傷から、涙のように血が頬を伝った。

祥子は腕の力の全てを鞭の先端に解放せず、幾分腕に溜め込んでいた。そしてタイミングを見計らって残りの力を注ぎ込み、しなった鞭の中腹の軌道を変えたのだ。衝撃派こそおきないが、その不規則な変動が直接沙羅の頬を掠めたのだ。

「ふふ……以外とおいしいわね、同族の血も」

鞭に僅かに付着した沙羅の血を、舌を官能的なまでに嫌らしく伸ばして舐め取った。

「かくれんぼでもして時間を稼ぐつもり? 無駄よ、机ごと全部ごみの山にするのにだって大して時間はかからないわ」

それに構わず沙羅は相手に見えない位置だというのに律儀に右目を閉じたままクイックローダーにセットした予備の弾丸を取り出した。

「そこかっ!!」

その僅かな物音に、祥子自身よりも祥子のもつ鞭自体が反応した。

横殴りに沙羅の隠れている机を襲う。

沙羅はそれを縄跳びの要領で躱し、空中でリロード済みのパイソンを構える。

「バカめっ」

人間は空中移動できない。地を離れた時のベクトルに、空気抵抗と重力の補正がかかるのみ。

祥子は宙に浮く標的と化した沙羅に、机を切断中の鞭を捻って下から襲いかかった。

「えっ?」

その声は沙羅のものではなかった。

沙羅は銃口をすぐ下に向けて発砲した。

乾いた音五発に、火花が散る音が五回混じる。

それがダイヤモンドコーティングした鞭を命中率百パーセントで弾丸が撃ち抜いた結果だった。

「ぐっ」

呆然とする祥子の体に何かがぶつかった。

それが沙羅の体当たりだと気付いた時には、仰向けに倒れた祥子に沙羅が馬乗りになっていた。

「……」

無言で右眼を閉じたまま、沙羅は銃口を祥子の左胸に押し当てた。

「……う」

何か罵声を浴びせようと開きかけた口が止まった。

祥子は沙羅を見ていた。

沙羅も祥子を見つめていた。

計り知れない色をたたえた瞳で。

「あなたも、心のどこかでこの瞬間を望んでいたのかもね」

銃口が祥子の左胸をなぞった――Shoot My Heartのタトゥーの上を。

愛撫と表現しても良いくらい優しく。

「……始めは良かった。あいつに血を吸われてしばらくは……金もくれた。権力だってくれた。でも、結局お遊びに過ぎなかった。あいつの手駒に過ぎなかった。それに気付いた時は、逃げる気さえ失せてた。そんな時、あの人が、あいつを……あいつを逆にねじ伏せてくれた……惚れ惚れするくらい……でも」

「もういいわ……結局、それも次の手駒への過程に過ぎなかった……違う?」

そうだ、と言うように祥子は右目を閉じた。

「厚生労働省・吸血症候群対策課、吸血症候群対策法第十二条第三箇に基づき……」

沙羅が淡々と言葉を連ねた。銃口を左胸の中心に戻して。

「対象に強制排除権を行使します」

乾いた音が響いた。

沙羅が見下ろす視線の先に、祥子の顔があった。

母に身をゆだねて寝入る赤子のような表情で。


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