第六章 シルバー・エッジ-2
東京都大手町。
東京駅から徒歩三分、さらに複数の地下鉄が交わるこのビジネス・センターも、終電を過ぎて一時間もすればさすがに人通りもまばらとなる。
特に今夜のように雷雨という条件が重なれば、終電を逃してタクシーを待つ行列が数割増える分、道行く人の影は皆無と言って良い。
そんな雨の帳の中を、二つの影が通り過ぎて行く事に気付く者はいなかった。
極端に高さの違う影二つを。
ましてやその影が、明りの絶えたガラス張りのビルに入って行く事も、そしてそのビルのどんな用事があるのかさえも。
どのようなマジックを使ったのか、その二つの存在は優に三十階は超えるビルの電子ロックされた通用口を開けて中へと入った。
「以外と手薄ね」
小さいほうの影が、雫の垂れるレインウェアを脱ぎ捨てながら言った。
「いや、こういうところは意外と電子ロックに頼りすぎて、人の警備がおろそかになってるもんだ」
背の高いほうが同じくウェアの雫を払って返した。
「なるほど、英治の十八番ってわけね」
「沙羅もそのうち勉強したほうがいいぜ。アナログも良いが、今のデジタル社会に対抗する手段もな」
幸人が探していた二人――英治と沙羅――はここにいた。無論、探されているということに二人が気付く余地はなかったが。
「あら、そうしたらあなたの存在価値が無くなるんじゃない?」
「良く言うぜ」
英治はヒップバッグから十センチ四方の板状のものを取り出した。
軽い起動音と共に片面にグリーンの光点や線が浮かび上がった。
「動いてないな。奴等、さすがに俺等が同じ手で返すとは思っちゃいないらしい」
英治が手にしているのは探知機であった。祥子に取りつけた探知機の。英治が祥子との直接対決の際に取りつけた物であった。確かに、全く同じ手で返すとは相手も思わない。確実かつ最短の方法と言えた。
「どこ?」
「上だ……頂上の三十階」
「エレベータは大丈夫?」
「ああ。警備室のモニタは入るときに細工しておいた。こういう時、どの端末からでもホストセンターに繋がってるのは良くねえよな。どんなにプロテクトかけてても、手間さえ惜しまなければ幾らでも破る方法はある」
最初の言葉が終わらぬうちに、沙羅が右手側にあったエレベータのボタンを押した。
ものの五秒と経たない内にエレベータの扉が開き、中の照明が二人を照らした。
「……いいの? 幸人さんに真相を知らせずに」
三メートル四方の鉄の箱に閉じ込められて五秒後、珍しく沙羅の方から問いかけた。
「知らせてどうする? どうせこの仕事が終わったら忘れてもらうっていっても、無闇に真実を知らせて混乱させる必要もねえだろ」
英治の応えは硬かった。
「そうかもね。でも、いつか彼がそれに向き合うとしたら? 真実に直面する必要があるとしたら?」
「……おまえらしくもねえ。いつものお前ならこう言うだろうな。『世の中には知らなくても良いことがある。知らないほうが良いこともある』ってな」
横に並んだ姿勢のまま、二人の視線は明滅する階数のデジタル表示を見つめた。
「そうかもね。でも、今回はそれに当てはまらない気がする」
表示が二十階を過ぎたところで沙羅が遅れて応えた。
「沙羅にしてはずいぶん弱気だな? 沙羅特製の睡眠薬で幸人クンはしばらく起きない。幸人クンが眼を覚ます頃には全て終わってる。沙羅たんががんばってくれるから、ぼくちん出番ないかも」
「変に突っかかるわね」
「そりゃそうさ。あんだけ沙羅においしいところば~っか持って行かれてるもんな~。沙羅はアシスタント、メインは俺だってのによ。傷ついちゃうぜ、ふんだふんだ」
英治の当て付けにも動ずることなく、沙羅は返した。
「そう……なら……」
二人の乗った空間が減速を始めた。
「この階で返り咲きってのはどう?」
エレベータが停止した。目的の階の一つ下、二十九階で。
「なるほど。向こうも一気には行かせてくれないみたいだな」
エレベータの扉が開いた。
「そうね」
完全に消灯したフロア。エレベータからの光が届かない範囲は深遠の闇に包まれていた。
そこに――
二つ横に並んだ光点が浮かんだ。
四つ浮かんだ。
六つ浮かんだ。
そして、無数の光点が闇に蠢いた。
「ゾンビ……ここの社員全員か……強烈だな」
英治が右手に銀のナイフを握った。
「死んでも死にきれていない彼等の苦しみ……出来るだけ早く抜いてあげることも主役の条件じゃなくて?」
沙羅が髪の毛に隠れた背中からパイソンを取り出した。
「そうだな……二十秒でどうだ?」
構える英治に、一番手前のスーツ姿のゾンビが両手を伸ばしてのたり、と脚を踏み出す。
「じゃあ私が後始末でそれ以上の時間が掛かれば、あなたは見事主役に返り咲き、でどう?」
両手で銃を支える。
「いいだろう」
英治が闇の中に飛び込んだ。