第五章 変わるもの変わらないもの-3
最後に大型ダンプがすれ違ったのは五分前だった。
CBR1100XXは、その黒光りする巨体と、それと同様に大柄な男、黒崎英治を乗せて敷地へと入って行った。
まだ建設の初期段階なのか、周囲を高さ十メートルほどのシートで覆った土地に、ブルーシートで養生された建築材やプレハブ小屋が点在していた。どれも、しばらく使われていないらしい。砂埃がブルーシートの皺にたまり、プレハブの横に積まれた鉄板にはさびが浮いている。
ブラックバードは中央の広場のように空いたスペースの真中に停車した。
英治はバイクを降り、脱いだメットをミラーにかけるとつまらなさそうに周囲を見渡した。
傾きかけた太陽が、シートの隙間から射し込み英治とバイクの影を作り出した。
「時間ぴったりね」
「ああ」
英治の二十メートル前方に現れたのは、おなじみの革ジャンスタイルに身を包んだ日高祥子ご一行だった。
東京ビッグサイト屋上。
本来なら施錠されて入れないはずのここに、一人の少女が風を受けていた。
ダークブラウンのドレスとチェロのケース。
入り口で風にまくられた時と同様、少女は屋上の強風を気にすることなく歩を進めた。
屋上の縁、逆さピラミッドの角に当たる部分で少女は脚を止めた。眼下に広がるビッグサイト前の広場。そこから割り出せる高さに臆する様子も無く、少女は傍らにチェロのケースをおいて蓋を開けた。
そこには、チェロのもつ木のぬくもりとは全く異質な物が詰まっていた。
最初にケースとほぼ同じ長さの黒光りする棒が表れた。長さにして一メートルは下らない。続いてそれと同じ位の長さと一回り大きい握りのついた鉄の塊を取りだし、棒状の物と平行に連結。更に逆さV字の脚、黒い箱状の物、自転車のハンドル片側のようなグリップ。
そして、得体の知れない物体の正体を決定付ける存在を上部に装着した。
小型の望遠鏡のような物――狙撃用スコープ。
その完成品は、立てると少女の身長よりも一回り高かった。
その先端を少し見上げるように眺めていた少女は、空いていた左手でお下げを解き始めた。
解かれた黒髪が、風を受けてたなびく。
「さあ、いくわよ」
眼鏡を外しながら、少女は決意のように呟いた。
「こんなモン残されちゃ、おいそれと引っ込むわけにはいかないって」
英治はポケットから紙を取り出して祥子に見えるようにかざした。
血文字で時刻と場所を示した紙を。
それを手から離して地に落ちるのを、祥子の背後の男達は眼で追っていた。
「で、本当に単独で来たわけ。えらいわね」
祥子だけが視線を落とさずにいた。
「まあ、応援呼ぼうにも、あの物騒なお嬢ちゃんはもういないし。それにしても、何、あのコ? あの歳で銃撃ちまくるなんて。おかげで手間取ったじゃない」
「……沙羅のことか」
「あら、怖い顔ね。ひょっとしてあんたのイイ人? まあ、あれだけ美人だったら成長したらすごいと思うけど。今更、光源氏計画はないんじゃないの、変態さん」
祥子の言葉に背後のイージーライダー五人が嫌らしい笑い声を上げる。
「ばーか。俺にんな趣味はねえ。要るんだったらリボンでもつけてあんたにあげるよ。それよか、あんたの方こそ趣味悪いんじゃないの? その後ろのブ男達、汗臭くてしゃあねえっつうの。俺にゾンビけしかけた男も、美少年にはほど遠いし。なんなら、俺が見繕ってあげようか?」
英治の台詞に殴りかかろうとする男たちを制して祥子が返した。
「あら……あなたそっちの趣味だったの。嫌ねー、最近そういうの多いわよねー。あんた、あの弟さんを依頼人に選んだの、完全に趣味でしょ」
「……」
「?」
「それより、約束通り幸人君を返してくれるんだろうな」
「……さっきの間は何?」
「まあ、それは置いといて」
「……図星なのね」
「とにかく、約束通り一人で来たんだ。幸人君は無事なんだろうな」
「はいはい、ちゃんと連れて来てるわよ。ほら」
そう言って眼で合図すると、男二人が両手を縛られた幸人を連れてきた。特に怪我はしていないようだ。
「英治さん!?」
「幸人君、大丈夫か」
「英治さん、沙羅ちゃんが……」
「分かってる。心配するな。すぐに助けてあげるから」
「で、でも……」
「なあに、すぐに分かる」
「え?」
「ちょっと、何勝手に話しを進めてるの」
「……そうだな、続きは幸人君を助け出してからにしようか」
英治がミラーにかけていたヘルメットを手にした。
「あんた、この状況わかってるの?」
「分かってるよ。人質押さえて動けない邪魔者の俺を抹殺、ってとこだろう」
「そこまで分かってて何であんな台詞が出てくるのよ」
「決まってんだろう。俺が勝つからだ」
「あなた計算もできないの? そっちは一人。こっちは私も入れて六人。勝ち目あるわけないじゃん」
祥子が目配せした。すると英治が劣勢であることを強調するかのように、男達がサブマシンガンや拳銃などの銃器類を手にした。
「あの外国人のハンターから奪った奴だな」
「そ。あんたに勝ち目があると思って?」
「なるほど。こっちは約束通り一人で来ってのによ。じゃあ、そっちがそうするなら、こっちもこうしよう」
英治はおもむろにバイクのセルスターターを押し、エンジンをかけた。
「ちょ、ちょっと逃げるつもり?」
「さあて、どうかな」
そう言いながら既に英治はヘルメットをかぶりバイクにまたがった。
「逃がしちゃだめよ!!」
祥子の声に男の一人が銃口を英治に向けた。
「レディー……GO!!」
英治がアクセルを吹かした。それと同時に男がサブマシンガンの引き金を引こうとした。
しかし。
「うがっ!?」
次の瞬間、男の手からサブマシンガンが弾かれた。いや、サブマシンガンは銃身から先が木端微塵になって、その衝撃で男が手を離したと言った方が正確か。
「な、何?」
英治がその隙にウィリースタートでCBR1100XXの巨体を発進させた。
「ちくしょ、逃げるぞ」
「撃てっ」
別の男達が次々に銃口を向けた。
「がっ!?」
「いつッ!?」
今度はショットガンと拳銃が破裂した。
(こ、これは……)
祥子だけはその原因に気がついた。
「みんな、物陰に隠れて!! 狙撃されてるわよ」
一瞬呆気にとられた男達が資材やプレハブ小屋の陰に移動し始めた。まだ銃を持っている二名はもちろん、他の男達も痛む手を押さえながら鉄パイプやナイフを手にした。祥子は縛られた幸人を引っ張って別の資材に隠れた。
「おっと、やっぱそう来るか。よし……」
英治に向かってサブマシンガンが火を吹く。
弾幕をすり抜けながら、英治はメットの内臓マイクに声をかけた。
「右ミラー上。カウント5」
『OK』
イヤホンに見えない通話相手の声。
「5・4・3……」
英治はサブマシンガンを撃ってきた男に向かってバイクを走らせてカウントダウン。男はその突進を食い止めようとむやみに弾をばら撒く。
「……2・1・ゼロ」
「うっ!?」
物陰にいた男のサブマシンガンが弾かれた。その直前、右ミラーのすぐ上を掠めるように何かが高速で飛来し、プレハブを突き抜けて男の銃に当たったのを確認できる者はいたか。
「な……まさか」
一人いた。祥子だ。まさか、と言う言葉は疑問符をつけられずに確信の言葉へと変わった。
「気をつけて!! 貫通してるっ、動いて」
祥子の言葉に呼応して男達が物陰から飛び出す。
「へへ、それが目当てだよ。ブ男達は頼んだぜ……沙羅!!」
『了解』
イヤホンの向こうで聞こえたのは、見なくても分かる沙羅の無表情な声だった。