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第五章 変わるもの変わらないもの-2

(くっそ、何のキャラだったかな)

今だ何のコスプレか不明の少女の後を追いながら、男は知識のデータベースに検索を掛けまくっていた。

(小学生が出てくるアニメやゲームであんなキャラいたっけな……いや、まてよ。いい年こいた大人が子供のコスプレやる場合もある。とするとその逆もあるわけだ。でも、あんなでかい楽器のケースを引っさげるキャラなんていたか?)

同人誌即売会場のホールに向かう人の波に、男は少女の姿を見失いそうになった。しかし、軽装のおかげで意外とすんなりと進むことができた。それに少女は自分と同じくらい大きなチェロのケースを抱えているため、その姿は簡単に追うことができた。

(ん?)

ホール同士を結ぶスペースで、少女は脚を止めた。スペース、とは言っても同じように休憩している人々で占有されており、尾行していることを感付かれない様に少し離れた場所から様子をうかがうのも一苦労だった。

一分もしないうちに、カメラ小僧が少女に声をかけてきた。最近は小学生でもグループを作ってコスプレで来ることも多い。が、この年代で一人で来るのは逆に目立つのか、それともグループに比べて声をかけやすいのか。多分、後者だろう。

しかし、少女は断りこそしなかったものの、どこと無くうっとうしそうな視線をしていた。表情はあまり変わっていないのだが、遠目に観察している男には逆にそれがよくわかった。

それに気づかないのか、自分の目的を達成したカメラ小僧は無理やり握手して――この時は特に少女は嫌そうだったが――嬉々として次の被写体を探し始めた。

(おーおーやだねえ)

自分の事を棚に上げた勝手な考えで男が見ていると、不意に少女がこちらを向いた。

(まじィ)

それでも隠れるような事はせず、自然に視線をそらして会場のパンフに移す。

「……」

少女は何事も無かったかのように黙々と歩き始めた。

(おっと、逃すかよ)

少女が角を曲がった。が、その先は即売会場でもコスプレ撮影の会場でもない。

(迷ったのか?)

怪しまれない程度に急いで後を追った。もっとも、会場の大半は自分の目的の同人誌を買うことに精一杯で他人に構う気も無かっただろうが。

「……っ!?」

「……」

角を曲がった途端、胸の前に少女の視線とチェロのケースにぶつかりかけて、男は思わず大きな声を上げるところだった。

(やば……気づかれたか?)

だが、男は黙っているより自分から話しを進めて煙に巻く選択肢をとった。

「あ、その格好似合ってるね。一枚いいかな?」

おもむろにデジカメを取り出す。基本的にコスプレで来ている以上、それが似合ってると言われて悪い気はしない。本当は元のキャラの名前で呼ぶと一番喜ばれるのだが、まだ何のキャラか男には分からない。

「……」

少女は沈黙したままだった。

先程のカメラ小僧の時もあまり嬉しそうな感じではなかった。コスプレで来ているのに不思議だと思ったが、この方向で行くのは失敗したか。

「……うん」

「ありがとう。じゃあ、二枚ほど良いかな」

少女の返事を待たずに、男はカメラを向けた。鷹揚の無い少女の声は、それが緊張しているせいだと考えて。

「じゃあ、決めのポーズで」

「……」

元キャラが決めポーズが何かはわからないが、それと一体化出来ることをコスプレイヤーは望むはず。そう考えたが、少女は無表情に記念撮影のようにチェロのケースと並んで立っているだけだ。

(おとなしいコだな。こいつは元々内気だけど無理してコスプレしてきて緊張してるのかもな。だったら、無理に盗撮なんかしなくても……)

「そのチェロ重そうだね。撮らせてくれたお礼に持ってあげるよ」

男はカメラを収めて手を差し出した。

「いいんですか?」

少女がか細い声で尋ねた。

「大丈夫、大丈夫」

そういって自然に少女の手からチェロのケースを受け取った。

受け取る直前、男は心の中でほくそ笑んだが、受け取った瞬間に思わず声を上げそうになった。

(何だこの重さ?)

取っ手を握った瞬間、肩が下がりそうになった。チェロの重量がどれくらいかは分からなかったが、少女が持てるくらいだから見た目ほどたいしたことはないと思っていたが、予想の倍くらいはあった。決して持てない重さではないが。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

少女が歩を進めた。男もそれに従った。

人ごみの少ない方向へ。

「ねえ、君、こっちだと会場から離れるよ」

「ううん、こっちです」

待ち合わせにでも行くのか、だとしたらやりにくいな、と男が考えているうちに少女はさらに施設の裏手に向かって行く。人通りが少ない方向に。

(迷ったのか……ならチャンスだ)

男は嫌らしい笑みを一瞬口元に浮かべた。迷ったことも言えないくらい緊張してるのか。だとしたらこのまま人のいないところで好き勝手に撮影できる。あんだけおとなしければ、かなり強要しても――

かなり危ない思考が現実になりかけた。

少女は非常階段に通じる防火扉を開けた。しかも、男が入るまでわざわざ扉を押さえて。

「どうしたの、休憩? それとも――」

扉が完全に閉まったのを確認して、男はチェロのケースを壁際に立てかけた。一瞬、少女に背を向ける格好で。

「え?」

振り向いた瞬間、少女が彼の胸元まで近づいて見上げていた。まるで抱き合わんとするくらい近く。

神秘的なほどの美しさ――可愛らしさではなく――の少女に、男は視線をそらすことが出来なかった。

その上、少女はポーチのストラップをかけていた男の左手を右手で握っていた。

(おいおい……まいった――)

「な?」

男はその瞬間、何をされたのか分からなかった。

少女が僅かに、だが確かに口元に笑みを浮かべた。その直後、彼の体は前のめりに倒れ、うつ伏せに床に伏せられた。

「え? え?」

男は自分がうつ伏せの状態で後ろ手に関節を固められていること、そして少女が背中に膝で押さえつけているのだと気づくのに五秒はかかった。

「悪趣味な人ね」

少女の声が背中越しに聞こえた。先程の内気な感じは微塵もない。代わりに氷のような冷たさが刺すように彼の耳に響いた。

「よく分からないけど、普通に現像できないような写真を撮るつもりだったんでしょう」

「う……」

うつ伏せになった彼の目の前の床に、デジカメが音を立てて落ちた。

次の瞬間、パン、という乾いた音と共にデジカメが中身を撒き散らして弾けた。

「ひっ!!」

破片が彼の頬をかすめた。よけることも出来ない姿勢で、彼は自分の頬から熱いものがにじみ出るのを感じた。

背中と手を押さえつけていたものが離れた瞬間、男は飛びあがって振り向いた。

が、そこには少女の姿は無い。そのまま逃げ出そうとした瞬間、彼の背中に固いものが押し当てられた。

「う……」

壁に立てかけていたチェロが見当たらない。先程の乾いた音、そして背中に押し当てられているものの感触からしてそれは――

男は震えながら両手を上げた。

「動機はどうであれ、ここまで荷物を持ってきてくれたから、この辺にしておいてあげるわ」

「き、君は……」

「世の中には、やらなくて良い事、知らなくても良い事があるの。あなたはこれまで前者をやり、そして今は後者に触れようとしている。この機会に両方を忘れなさい。それが長生きする秘訣」

「う……」

「じゃあ、このまま目の前の扉をあけて戻りなさい……振り返らずにね」

背中から固い感触が消えた。

一瞬間を置いて、男はたった今告げられた最後の忠告を無視して振り返ってしまった。

自分でもなぜそうしたのか分からなかった。おそろしい眼にあったばかりだと言うのに。

非常階段を駆け上がる少女の後姿だけが眼に入った。スカートの裾を翻し、オーバーニーから覗く太ももをちらつかせながら。

しかし――それを見る男の目に邪心は無かった。

ただ畏れと、美しい者に対する説明できない情念だけが残った。


呆けたように少女が消えた非常階段を見つめる男が扉を開けたのは、それから二十分も経ってからだった。


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