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第四章 ハンティング&サーチング-5

「開いてるわよ」

最初のノックで反応がなかったため、幸人が二回目のノックの手を上げた瞬間、ドアの向こうから沙羅の声が聞こえた。

「おじゃまします」

ノブに手をかけて遠慮がちに中に入った。沙羅は『入って』とは言ってなかったが、言葉にはそういう雰囲気が込められていた。

「うあ……」

幸人は息を呑んだ。

何となく予想はしていた。沙羅の事だから普通の女の子の部屋とは違うだろう、ということを。

しかしここまでとは。

八畳ほどの部屋には窓はなく、天井の蛍光灯がメインの光源だった。入り口からみて左手の壁には天井まで届く本棚が壁一面を占拠し、さらにその本棚には隙間なく本が並べられていた。その上、まだ読みきれていないのか、別に保管するつもりなのか、口を開けたダンボール箱に本が平積みに重ねられている。その蔵書量もすごいが、種類もすごい。沙羅のことだから普通の少女のようにコミックを置くことは無いと予想していたが、半分は古典文学を中心とした文庫本、残り半分は実用書ばかり。いや、実用書の種類もよく見てみればミリタリー関係のものがかなりの面積を占めている。

そして正面の壁。ここにはもはや日本じゃ考えられないものがかけられていた。

銃だ。

壁に打ち付けられたフックに、狙撃銃、アサルトライフル、SMGサブマシンガン、拳銃などが数種類づつかけられている。それがモデルガンマニアのコレクションではなく、全てが本物であることはあの久里浜港の倉庫で証明されている。

そして右側。

机、いや、作業机が右側に据え付けられている。間違っても小学生が入学式で親に購入してもらうような勉強机ではない。左側には製図に使うようなアーム式ライトと拡大鏡のセット、右側には無骨な工具箱が二段重ねてある。

そして当然のごとく机の前に沙羅がいた。

幸人が入っても一度も振り返ることもなく、机の上でバーナーにかけた小型の坩堝の中身を型に流し込んでいる。よく見ると傍らには空の薬莢が数個と黒光りするリボルバー――コルトパイソン357マグナム。

作業机に合わせたのか、背の高い椅子に腰掛けて両足が床に届かない姿は何となくかわいらしいものがあったが、それが無ければ昔堅気の職人の工房を思わせる風景。

「適当に座ってて」

やはり振り返らずに沙羅が『指示』した。

一応、部屋の中央にはガラスのローテーブルとソファーのセット。やっと生活感を感じるものを見出し、幸人はソファに身を沈めた。

「……」

「……」

沈黙が一分。

沙羅は黙々と作業を続ける。

幸人は少し後悔した。

ただでさえ会話が弾みそうに無い上に、こんな窒息しそうな部屋で一分以上じっとしていられるほど幸人の神経は鈍くない。

沙羅から『姉の居場所を訊き出した』と告げられて、すぐにでも姉の元にかけつけたかった。だが、その前に英治はどこかに行ってしまうし、それを聞いた沙羅も帰りを待つと言って部屋に篭ってしまった。確かに、英治がいない状態では動けないとは言え、指をくわえて待っているほど神経は図太くない。それで沙羅に詳しいことを訊こうとドアをノックした訳だが、いきなり話すきっかけをくじかれてしまった。

思わず立ちあがって本棚の本を手に取る。

が、もともと本をあまり読まない幸人には、背表紙の群れを眺めるだけでも目が痛くなった。その上、天井近くにある文庫本は勉強に不熱心の大学生には半分も思い出せないようなタイトルの古典文学ばかりだ。

仕方なくハードカバーの実用書を手に取る。タイトルからしてミリタリーものらしく、幾つかめくると銃器の使用法や屋内での戦術がイラスト入りで入っていた。

「?」

奥付でふと眼が止まった。初版以降、版を重ねていないのはマニアックだからと理解できるが、日付が昭和になっていた。

英治が購入したお古だろうか、と思い直して本を戻し、今度は銃器類をかけてある壁の前に移動する。

(本物……なんだろうな)

幸人は真中にかけてあるSMGに手を伸ばした。

「むやみに触らないで」

「!? は、はい」

後ろに眼でもついているのか、沙羅の背中越しの声に幸人は手を引っ込めた。

最後の壁。

幸人は沙羅がいる作業机に向かった。それでも邪魔をしてはいけないという考えと、近寄りがたい雰囲気に押されて沙羅の左後方に突っ立っているのがやっとだった。

それに気づいているのかいないのか、沙羅は坩堝の溶解した金属を型に流し込む作業を続けていた。

長く整った睫毛の下で、深く黒い瞳にバーナーの青白い炎が映える。

呼吸をしていないようにも見える閉じた唇は、子供特有のほんのりとした艶を浮かべていた。

白い肌は、シャンデリアに照らされる大理石を思わせ、それでいて血のぬくもりを僅かに表に出していた。

美しい――掛け値無しに幸人は思った。

かわいいのではなく、美しいと。

「もうすぐ終わるわ」

「えっ? うん……」

その考えを見透かされたようで、英治は柄にも無く顔を赤らめた。

「さてと……何か御用?」

バーナーを消した沙羅が初めて幸人に向き直った。

「え……と」

沙羅の瞳がこちらを向いている。誰にも見透かすことが出来ないであろう黒い瞳で。

「それって、やっぱり本物?」

口にしてから後悔した。本当に訊きたいことは他にもいっぱいあるはずだというのに。

「そう。警察にでも訴える?」

「い、いや、そんな」

「冗談よ」

僅かに沙羅の表情が動いたような気がした。

「日本で銃の所持を認められているのは警察か自衛隊、そう思うのが一般的だけど、他にも多いのよ。例えば私達と同じ厚生労働省の麻薬対策課とかね」

「はあ」

「感染者には銀の弾丸が一番有効だけど、コストの関係で最低限度に使用は限られているの。代わりに、銃器の種類はあまり問われ無いけど」

だからと言って、ライフルやSMGまであるのはどうかと幸人は思った。

「気になる?」

「え?」

「私みたいな子供が、こんな銃器を使うこと」

「それは……でも、感染者相手には武器が必要なんだろう?」

「本当にそう思っている?」

「う……」

幸人は一瞬詰まったが、白状するように言葉を継いだ。

「その、むやみやたらに銃を扱うのはどうかなって……。確かにこの仕事が危険なことは分かるよ。何となくだけど。でも、君みたいな子供が、それも女の子が銃を持つなんて……」

「世界中には、私ぐらいの年代で鉛筆の代わりに銃を手にする子供はいっぱいいるわ。生き延びるために……他の選択肢が無いために」

「で、でもここは日本だよ。沙羅ちゃんが銃を持って戦うことは無いんじゃないかい? 普通の生活できないわけじゃ……」

幸人はそこで息を詰まらせた。

別に沙羅が制したわけではない。沙羅は一歩も動いていない。が、何かが急激に変わったのを幸人は感じた。沙羅の何かが、まるで空気中を温度が伝わるように。

「……出来ないって言ったら?」

それは問い掛けでなく答えだった。

「その時は……」

「その時は?」

「……僕が代わりになろうか」

幸人は自分が何を言ったのか自分でも理解できなかった。その答えを選んだつもりも、考えるつもりも無かった。ただ無意識に出てしまった。言った後で、これほど自分自身に理解できない部分があるのかと思ったくらいだ。

「ふふ……」

「え?」

沙羅が笑いを表に出した。

心底驚いた。

沙羅が笑ったこともそうだが、そうさせた原因がおそらく自分の言葉であることにも驚いた。

「おもしろいこと言うわね、幸人さん。英治でも言えない冗談だわ」

「そ……かな」

「で、代わるって、具体的にどうするつもり?」

「例えば、俺が代わりに銃を……」

「銃を取って守ってくれるつもり? 優しいのね。でも、止めておいたほうがいいと思うわ」

「何で?」

「武器を持つのはね、臆病者のすることよ。それは強さや勇気の証しじゃない。臆病者の証明書を見せびらかすようなもの。まあ、それに頼るしかない私は……世界一の臆病者かもね」

どこと無く自虐的な言い回しだった。だが、皮肉なことに沙羅の感情が一番垣間見えたのもこの瞬間だった。

「さ、休憩しましょう。お茶でも入れるわ」


その頃。

高速湾岸線を黒い怪鳥スーパーブラックバードが車の間を時速二百キロオーバーですり抜けながら南下していた。

「やっぱ、出ねえか」

バイク用に販売されている携帯電話のハンズフリーのセット。いくら走行中に操作も可能とはいえ、それを時速二百キロのバイクの上でやる奴なんてメーカーも考えなかったに違いない。


「手伝おうか」

「ありがとう。でも、ゆっくりしていて」

キッチンに立つ沙羅の背中に声をかけたが、反応は予想通りだった。

コーヒーと一緒にお菓子でも用意しているのか、踏み台の上に立つ沙羅の後姿はそれだけ見れば歳相応の可愛さを幸人は感じた。

「沙羅ちゃん、コーヒー入れるのうまいね」

何と無しに声をかけた。

「そう?」

「うん」

「ありがとう」

「いつも沙羅ちゃんが入れるの?」

「今はね」

「今は?」

「前は……いれてくれる人がいたから」

「え?」

背中越しに、沙羅の素顔が見えたような気がする。悲しい顔が。

「……家では、お姉さんがコーヒーを入れてくれるの?」

「え? うん」

沙羅の方から話題を変えた。

「どっちがおいしい? 私が入れるのとお姉さんのと」

「え……」

少し答えに躊躇する幸人。沙羅の背中が何と無しに笑っているように見えた。

「どっちもおいしいよ」

「そう。じゃあ、お姉さんの方が上ね」

「え?」

「味は一緒なら、家族が入れてくれた方がおいしいに決まってるわ」

沙羅が振り返った。

「さあ、休憩したら、英治と連絡取りましょう」

「うん」

トレーにポットと二つのコーヒーカップ。テーブルに持ってくるまで、ポットの液体表面は水平を保ち続けた。見事なバランス感覚。

それが――傾いた。

「伏せて!!」

「!?」

トレーを放り出して幸人に駆け寄る沙羅。

ガラスが割れるけたたましい音。ポットのだけではない。窓ガラスを突き破って何かが床に突き刺さった。英治の脚があった位置に。

「クロスボウ?」

それは幸人の言葉かそれとも沙羅か。

どこに忍ばせていたのか、沙羅は両手にそれぞれ小型の拳銃を握り、手首で交差させて窓の外に向けた。

デリンジャー・モデル1。

装弾数二発、両手で四発しかないこの護身用小型拳銃では、外の相手には役不足だった。

「うっ」「がっ」

それでも窓の外で二人のうめき声が聞こえた。見えない相手二人の。

しかし外にはそれ以上の数。気配を隠す様子は無い。圧倒的人数で攻める気か。

応戦のため、自室に駆け寄ろうとした沙羅の視線に、幸人の姿が映った。

ソファの影に隠れる幸人。が、その首筋から額に向けて何かが走っている。

赤い光点。

それが幸人の額で止まった。

「離れて!!」

「え?」

その声に驚いて振り向く幸人。その瞬間、幸人の額をポイントしていた光点が不意に消えた。

「!?」

沙羅の眼に疑念の色が混じった。

そして。

光点が沙羅の胸元に出現した。沙羅もそれを確認した。

罠だ。

幸人を狙う振りをして沙羅をおびき出す。

「くっ」

方向転換する前に、黒い物体が窓の外から飛来した。

「沙羅ちゃん!!」

沙羅の胸にクロスボウの矢が二本突き刺さっていた。その瞬間が見えず、幸人には沙羅の胸に矢が生えたように見えた。

「逃げ……」

それでも健気に立ちあがり、近寄ろうとする幸人を制する。

しかし。

続けて五本の矢が沙羅の胸と腹部に突き刺さり、沙羅は声も上げずに床に伏した。胎児のように少し丸まった姿勢で。

黒髪が、沙羅の顔を隠して床に広がる。

美しくさえあるその姿に、朱が混じった。

沙羅の胸元を中心に、床に血の海が広がった。

「沙羅ちゃん!!」

駆け寄ろうとする幸人。しかしそれを合図のようにして窓やドアから男達が跳び込み、あっという間に幸人を床にうつ伏せにして縛り上げた。

「ちょっと手間取ったわね」

「!?」

痛みと悔しさの涙に歪む視界に、黒いブーツの足元が見えた。

見上げると、革のジャケットの下にノースリーブでぎりぎりの所まで豊満な胸を誇示する女性。その胸の谷間の向こうに茶髪の顔が覗いた。

その女性が日高祥子であることなど、幸人はその時知る由も無かった。

「あの探偵がいない隙狙ったってのに、こんな被害出るなんてね」

「す、すいません姉御」

祥子よりもふた廻りは体のごつい男達が頭を下げる。

「ま、任務は果たせたわけだし。それに、あんな手痛い反撃あるなんて思わなかったし。それにしても……」

祥子が片膝をついて沙羅に手を伸ばす。

「止めろ!!」

幸人の台詞など完全に無視して祥子が沙羅の黒髪を掻き上げた。

「あら、なかなかの美少女ね。大人になったらすごい美人になるんじゃない?」

「こ、このガキが二人も?」

「みたいね。手に握ってる銃が証拠。それにしても恐ろしいガキんちょね。あの二人のクロスボウだけ撃ち抜くなんて。どういう育ち方したのかしら。でも」

黒髪を元に戻した。

「ちょっとおいたが過ぎたようね。殺すには惜しいけど、まあお仕置だと思ってあきらめなさい」

「!? あんた沙羅ちゃんを……!?」

無理やり置きあがろうとした幸人の台詞は、後頭部のきつい一撃で中断された。

「じゃ、後は頼んだわよ。弟さんを丁重に運んであげてね」

「アネさんはどうするんですかい?」

「ちょっと用事がね。ま、五分もすれば戻るから」

祥子はドアを開けて階段を降りていった。


「あら、ちょっとやせたんじゃないの?」

「あ、しょ、祥子?」

薄暗い地下の一室に二人の声が響いた。

「た、助けに来てくれたのか」

尾谷の質問とも要望とも取れるその言葉を無視して、祥子は机の上に放置されている工具箱を手に取った。

「早く外してくれ、こっから出してくれ」

尾谷はチェーンをがちゃがちゃ鳴らした。まだ椅子に縛り付けられたままだったのだ。

「しゃべったわね」

祥子が工具箱の中身を確認して冷たく言い放った。

「お、俺は何も……」

「嘘つくんじゃないわよ」

おもむろに尾谷に近づくと、祥子は尾谷の髪の毛に指を突っ込んだ。

「ひいひい泣いて叫んでたの、しっかり聞こえてたわよ」

祥子は指につまんだ物を尾谷の鼻先にかざした。

「それは……」

「盗聴機。すごいわね、最近のは。髪の毛より一回り大きいだけなんてね」

祥子が鼻先で振ったそれは、オモチャのモータの先端にでもついているような数ミリ程度のゴムキャップにしか見えなかった。

「し、仕方なかったんだ。あのガキ、俺に水銀の注射しやがるなんてマジでいいやがって……」

「で、喋っちゃったの。いけないコね~。根性だけが取り柄のあんたが、根性無くしちゃったら終りじゃない? それに……」

祥子は手に持っていたもう一つのものを鼻先に突き出した。銀の液体の入ったアンプル。それの封を切って臭いをかいだ。

「……これ、水銀じゃなくて銀色の塗料じゃない。プラモデルとかで使うような」

「な……」

「まんまとだまされたわね。でも、こっちは本物よ」

祥子が銃を取り出した。沙羅が使っていたコルトパイソン・357マグナムを。弾丸はもちろん、銀だ。

「お、俺を殺す気か? そんな事してみろ、桂木さんが黙っちゃいないぞ」

「桂木? ああ、あの若社長気取った奴ね。あんた、あいつがまだトップだと思ってんの?」

銃口が尾谷の左胸にポイントされた。

「何? ってことはお前等、裏切ったのか? 杉本の奴をやったのも……まさか、桂木さんまで? 」

「いいえ、今は死んじゃいないわよ……そのうちそうなるでしょうけど」

なぜか祥子は思い出したような含み笑いを漏らした。

「そろそろ戻んなきゃ。あの人が待ってるから」

「ま、待ってく……」

「問答無用」

パン、と一発の銃声がしたきり、尾谷は動かなくなった。

「私ってなんて優しいのかしら。苦しまずに死なせるなんて。もうちょっと楽しんでも良かったのに。ふふふ……」


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