第四章 ハンティング&サーチング-4
砂埃を含んだ風が、微かに潮の匂いを運んできた。
英治はそれを頬と鼻で感じながらアーチをくぐった。
目の前にはだだっ広いメインストリートが奥まで続き、その先にはこのテーマパークのシンボルとなるはずだった高い展望タワーが寂しげに立っていた。
建材に被せられたブルーシートが時々風で煽られる音以外は静かなものだった。
静か過ぎた。
ここに尾谷が出入りしていた――冬美は確かにそう言っていた。冬美は表はもちろん、裏でもその情報収集・分析能力は高い評価を得ている。
そう、他ならぬ英治でさえそれは認めていた。
だから、ここで何らかの手がかりが得られるはずだ。
時を間違わなければ。
今はその時だろうか?
情報の提供主である冬美も『準備を整えてから』と忠告していた。
だが、英治は単身ここにいた。
「……」
メインストリートを進んでいた英治の脚が止まった。
微かに潮とは別の匂いが、いや『臭い』が混ざってきた。
そして気配も。
人ではない。
かつて人であったモノの気配だ。
気配を隠そうという動きは無かった。ただ英治めがけて一直線にこちらに向かっている。
前方に三体、後方に二体。
前方を見る英治の目つきが険しくなった。
「こいつは……」
気配の主が姿を見せた。建材の影から異臭をまとわりつかせて。
それらの一つと視線があった。
元は青かったが、今は白く濁った眼をこちらに向けて。
「……ぉおぉ……」「うぅっ……」「あぁ~……」
顔と同じ土色の両手を、闇の中での手探りのように前に突き出し、それでいて確実に英治に向かっておぼつかない歩みを進めていた。
口元からは人とも獣ともつかぬうめき声と共に、地に届くほどの唾液を垂れ流しながら。
「まさか……ゾンビとはな」
英治はボディバッグから銀のナイフを取り出して構えた。
ゾンビ。
まさしく映画の中と同じ姿が、現実として目の前にあった。
だが英治は臆した風もなく悠然と構えた姿勢のままで立ち尽くす。
「こいつ等?」
視線だけを走らせていた英治があることに気がついた。
今でこそ濁った眼と土色の肌をしているが、その体格、顔つきからして彼等は白色人種であったことに。
そして。
「……ガンホルスターに、ボディアーマー、古典的な銀の杭……そうか、冬美さんが言っていた外国のヴァンパイアハンターとはこいつ等か」
誰に聞かせるわけでもないのに、確認するように呟く英治。
「狩る奴が、狩られる側になるとはな。しかも、殺されてから感染させられた哀れなゾンビの身として」
ゾンビと吸血鬼。一見、全く別の存在であるようだが、その根本は同じであった。
フィクションの世界では、吸血鬼とは、吸血鬼に血を吸われた人間がその同族となることであり、ゾンビとは死んだ人間が魔術などによって意思持たぬ食人鬼として人を襲うというのが一般だ。
だが、伝承、特に欧米での伝承では吸血鬼とゾンビの起源は同じであった。
火葬の習慣が無い欧米では、現代のように医学が発展していない中世時代、仮死状態のままで埋葬される事が多々あった。
このため、仮死状態から目覚めた人間は、閉塞された棺の中から半狂乱の状態で土の中から這い出してさまよう事があったという。そして時にはその半狂乱の状態で人を襲い、餓えにさいなまれて手当たり次第に噛みつく。
人血を口から滴らせたその姿は、当時の人にとっては伝承の『吸血鬼』であり、また地から這い出す姿を見たものに取っては『ゾンビ』として映ったことであろう。
だが、実際の吸血鬼=吸血症候群感染者とゾンビの間には決定的な差があった。
それは前者が生きて感染するのに対し、後者は死後に感染すると言うことであった。また、前者はお互いの血を飲む事により感染するが、後者は感染者の血が死者の血に交わることによって感染する。今、英治の目の前に立ちはだかるのは後者の例であった。
彼を包囲するゾンビの輪が狭まる。
「ちっ……どうせならもっとギャラリーが多い時に暴れたかったもんだぜ。ここんとこ、沙羅にいっつもおいしいところとられてるからな~」
既に彼を囲む輪は半径二メートルに満たないと言うのに、英治は空いた左手で頭を掻きながらぼやいた。
「ま、いっか!!」
銀光が彼を中心に円を描くように走った。頭上から見て半径約二メートルの円を。
「おぉ~」「うぅ~」
少し遅れて元ハンターのうめき声。さらに遅れて彼等の足元に五つの物体が転がった。
手首だ。切り落とされてもまだ指を蠢かすゾンビ達の手首。
すでに死んでいる彼等に痛みなど感じないはずなのに、そのうめき声は最初の時とは違って聞こえた。
一瞬動きを止めたゾンビ達の間を縫って包囲網から抜け出す英治。
「ちっ、こういう時に銀のナイフは使いにくいよな~。モノホンの感染者と違って銀が決定打とならねえもんな。奴等なら心臓に一刺しで終りなのによ」
それは事実だった。現に、ゾンビ達は左胸から濁った血が吹き出ているというのに、英治に向き直って餓えて濁った眼で歩み始めた。
皮肉なことだった。感染者唯一の弱点である銀。しかしそれを克服できるのは人間として死んだ後に感染した状態――ゾンビ――でないといけないとは。そしてそれはもはや人でも感染者でもなく、単なる『動く死体』でしかない。
「さ~、どうすっかな英治クン。逃げるのは簡単だけど、このまま人目に出られても困るしなあ。かといって体をばらばらに出来る重火器持ってきてないし」
相変わらず誰に聞かせるでもない独り言を連発する英治。
その間にも手首を失ったゾンビ達が、英治を『餓えを満たす存在』として迫っていた。
「しょうがねえ、ここは一つ、ギャラリーに協力してもらうとしますか!!」
英治があろうことかゾンビの群れに向き直って突進した。
それを無意識に好機と捉えたゾンビ達が、うめき声をさらに張り上げて両手を差し出す。
「おおぉ?」
感情を持たないはずのゾンビの声が微妙に変化した。両手の届く範囲に入った英治に掴みかかろうとした瞬間、英治は残像を残して消えた。
最初の一体が英治の姿を求めて顔をめぐらす前に、英治は別のゾンビの眼前に移動し、再び残像を残して別のゾンビに向かって移動する。
それを五体分繰り返し、ゾンビ全員が右往左往する頃には、英治は彼等から十メートルも離れた所に立っていた。
「ひい、ふう、みい……しめて十本か」
手にしていた物を数えながら。
それは銀の杭だった。人の肘の長さほどもある銀の杭が十本。そしてそれは元ヴァンパイアハンターだったゾンビが腰に付けていたものであった。
英治が高速で移動しながら奪い取ったのだと考える思考も無いゾンビ達は、英治の姿を視線と臭いで捉えて一斉に向き直った。
「さ~てと。じゃ、ギャラリーに特別参加してもらいますか」
そう言って英治は手にした銀の杭を一本、右手に取り、それを槍投げの要領で思いっきり上空に投げつけた。
銀光一閃。
地面に対して四十五度の角度で唸りを上げて飛翔する銀の杭。その先にはあの朽ち果てた展望タワーが。
展望タワーの頂上に設置されたガラス張りの展望台。そのガラス窓を銀の杭が突き破るけたたましい音に悲鳴が混じった。
「どうせ観るなら近くで見たほうが良いぜ、お客さん」
そう言って今度は無造作に二本目の銀の杭を投げつける。さほど狙いを定めたように見えないのに、銀の杭は先ほど破られた窓を通って展望台の奥に吸いこまれた。距離にして四十メートル、高さ二十メートルの展望台に。
再び悲鳴が聞こえた。間髪入れず英治は二本の杭を同じように展望台の中に正確に投擲した。
遠目にも展望台の中でそれを避けようとする人影が覗いた。しかし、四本もの杭が正確に投げ入れられたことに恐怖を覚えたのか、人影は展望台の奥に消え、代わりに階段を駆け降りる騒々しい音が響いた。
「くそ」
展望台タワーの基礎、チェーンをかけられた入り口から男が飛び出してきた。革ジャケットのいかにもイージーライダー風の男が、首にかけた双眼鏡を揺らし、たすきがけにボディバックを背負った格好で息を切らせていた。
「な、なんなんだあいつは」
脂汗と冷や汗を額に浮かべながら、背を向けて逃げ出そうとする男。
しかし、踏み出した右足から僅か三十センチ前方に上空から飛来したものが突き刺さった。
「うっ?」
ほとんど尻餅をつきかけた格好で飛びのいた男が息つく暇もなく、次の杭が上空から飛来し、男は慌てて後ずさった。
「ひっ」「うっ」「がっ」
次々と飛来する杭を、ほとんど言葉になっていない悲鳴で避け続ける男。
それが六回続き、ほとんど息が上がっていた男は次の七本目が限界だと覚悟した。
が、七本目は無かった。
「助かった……」
そう呟いて振りかえった男の前に、ぬうと立ちはだかる人影。いや。
「おおぉ~」「う~」
人ではなくゾンビだった。
「ひっ!?」
ゾンビ達は新たな獲物に食指を動かされたのか、唾液を垂らした口から歓喜のうめき声を上げてにじり寄る。
「く、来るなっ!!」
恐怖で顔面蒼白の男は、背中のバッグからもどかしい手つきで何かを取り出した。
途中でバッグの中で引っかかりながら取り出したもの。それは鈍く黒い光を放つショットガン『SPAS12』だ。日本でもエアーガンで製造されているが、この切迫した状況でエアーガンを出す奴はいない。
「うおおッ!!」
ほとんど自棄気味にショットガンの引き金を引き、ポンプアクションを繰り返す。
「……うっ……」「う~おおぉ~」
それに合わせてゾンビ達が体に血の華を咲かせ、うめき声と共にのけぞる。
それでも目の前の獲物ににじり寄ろうとするゾンビに、男は予備の弾薬を装填して引き金を絞る。
「死ね、死ね、死ね~っ!!」
ゾンビ相手に矛盾した言葉を吐く。
予備の弾丸も含めて計十発の薬莢を空にした時、彼以外に動くものは無かった。
「ひ、ひひ……助かった」
辺りに血臭と硝煙が漂った。幾ら不死身に近いゾンビとは言え、頭や心臓を吹き飛ばされては動くことは出来ない。事実、男が撃ちまくった散弾を食らったゾンビ達は血の海の中で残った手足を痙攣させているに過ぎなかった。
「いや、お客さん、お見事でしたよ」
「!?」
男はその声のした後方にショットガンを向けて振りかえった。だが、引き金を絞る前に銃ごと腕を逆手にひねられ、男はうつぶせに地面に抑えつけられた。
「ぐっ……てめえ」
「俺にだって名前はあるんだよ。黒崎英治って立派な名前がな」
右手一本で男の腕を一層ひねり上げ、英治は空いた左手に握ったナイフを男の後頭部にピタリと突きつけた。
「な、何で分かった?」
「へっ、そっちから質問かい。まあいいや、教えてやる。あのゾンビ、元はハンターだった奴等だ。なのに銀の杭以外の武器が抜き取られていた。ホルスターだけ残してな。武器が欲しいだけならここに放置しない。それなら海にでも捨てればいい。そうしないのは待ち伏せにゾンビを使いたかったからだってな。それに、幾らゾンビに相手させるって言っても後始末をする奴が要る。それがお前さんだ」
「なぜ場所が……」
「見えないように隠れてたってのか? そりゃそうだろうな。俺も最初から分かってて投げつけたわけじゃねえよ」
「何?」
「へへ、でも予想はつくぜ。安全かつゾンビの確認しやすいところはあの展望台しかねえ。第一、高みの見物にはもってこいじゃねえか。な、お客さん」
「ち……カマかけやがったな」
「おめーみたいなブ男、だれがカマ掘るかってんだ。俺もついてないねえ、ゾンビの次はブ男の相手、さみしーねー」
「はあ?」
「っと、んな事どうでもいい。さ、こっちがしゃべったんだ。あんたも洗いざらい吐いてもらおうか」
英治がナイフの切っ先に僅かに力を入れた。
「くくくっ……」
「!? 何がおかしい」
「……腕が立つようでも、今一歩ってとこだな」
「何?」
「俺なんかに構ってる暇なんかあるのか? 一人でのこのこ出て来やがってよぉ」
「!? まさか?」
「ひひひ、やっと分かったな。お前達の行動なんて筒抜けなんだよ。うまく尾谷を締め上げてこの場所を知ったみたいだが、もうシマは替えてるさ。今頃、姉御があんたのところにご挨拶にいってるぜ」
「ちっ」
英治は腹立たしげにナイフの柄で男の後頭部を殴った。
気絶した男とゾンビの死体を残し、英治は停めてあるバイクへと向かった。