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問題王子が婚約を解消されないよう、私、老執事セバスチャンが、奮闘してみせましょう!ーーと、意気込んでいたら、なんと王子と身体が入れ替わってしまいました!これは許嫁の公爵令嬢をゲットする好機到来か!?

作者: 大濠泉

◆1


 老執事セバスチャンは、深い溜息をついていた。


(このままでは、ロフト王子は婚約を解消されてしまう。どうしたものか……)


 セバスチャンが、ベルディア王国のロフト王子付きの執事になって二年。

 王子はすでに粗暴でワガママにお育ちで、とうに手がつけられない有様になっていた。



 セバスチャンはもともと、サラ王妃の専属執事だったので、王妃様の息子であるロフト王子の行状を、幼少の頃からつぶさに見てきた。

 王子はまだハイハイしかできない頃から、癇癪持ちだった。

 オモチャを与えても、手当たり次第に壊していく。

 ぬいぐるみは引き裂く。

 乱暴な振る舞いは、生き物に対しても変わらなかった。

 犬でも猫でも、トカゲのような爬虫類であっても、動物と見れば虐待する。

 残虐性があるというよりも、他を乱暴に扱うことしか知らず、相手の心の痛みに超鈍感なタチなのだ。

 王妃様が大切になさっていた陶器の人形も、わざと落として割ってしまう。

 母親が嘆き悲しんでるさまを見ても、珍しい表情が見れたと喜ぶ始末だ。

 ほかにも、犬が食べる餌の皿と、執事や侍女たちが食べる食事の皿とを交換してしまったこともある。

 おかげで、その日の夜は、使用人全員が食事にありつけなかった。

 みなが恨めしそうな目でロフト王子を睨みつけた。

 ところが、当のイタズラの主はケラケラ笑うだけだった。


 王子がイタズラ好きな理由は、「みなが困る顔を見たいから」というだけらしい。

 子供の頃から、ロフト王子は一種の性格破綻者だったわけだ。


 ところが、当時、そんなロフト王子のイタズラの数々を見聞きして、手を叩いて喜ぶ人が、王子本人以外に、もうひとりいた。

 ロフト王子の父親、バッカス王だ。

 王子はバッカス王が大好きだったので、「父上がお喜びになるのだから」とイタズラをやめなかった。

 おかげで、当時の王子付きの執事や侍女たちでは、とても躾などできなかった。



 さらに月日が流れ、ロフト王子が十二歳のときーー。


 バッカス王が突然、亡くなり、サラ王妃がベルディア王国の王権代理となった。

 王妃様が実質的な王様となったのである。


 それを機に、私、セバスチャンは王子付きの執事に転任した。

 そして王子が十五歳となって成人するまでの間に、キッチリ躾けるよう、王妃様から仰せつかったのだ。


 だが、それでも、王子の粗暴さは改まる気配はなかった。

 荒くれ者のまま、今現在は十四歳ーー成人まで、あと一年。

 いよいよ後がない年齢になってしまった。


 成人ともなれば、舞踏会において、婚約者を伴ってダンスのひとつでも披露しなければ、ベルディア王国の王子として格好がつかない。



 セバスチャンは奮起した。

 鞭を片手に、ロフト王子相手に、行儀作法を熱心に指導した。

 テーブルマナーから身だしなみ、髪型に至るまで、細々と口を出した。


 ところが、傍若無人な王子には、口を酸っぱくして説教したところで無駄だった。

 侍女が気を利かせて、王子の金髪を梳かして綺麗に整えても、自らの手でワシャワシャと乱して、髪型がグチャグチャになっても気に留めない。

 やがて成人にもなろうというのに、他人の目を無視する乱暴さは健在だった。

 十四歳になってもイタズラをやめず、下男を何人も呼びつけて首輪をつけ、車を牽かせようとしたほどだ。


「馬の代わりに人間を使うーー馬車ならぬ、『人車』だ!」


 ゲラゲラと、王子は腹を抱えて笑う。


 だが、正直、何が面白いのか、全然わからない。

 これでは先が思いやられる。

 セバスチャンは顔を手で覆いながら、王子に忠告した。


「ロフト王子。

 このままでは、せっかく成就したマリア嬢との婚約も解消されますぞ」


 今年になって、王子はようやくマリア公爵令嬢と婚約することができたばかり。

 来年、成人となれば、社交界デビューも控えている。


 なのに、ロフト王子はいたって淡白なものだった。


「婚約解消? 構わない。オンナなんか嫌いだ」



 王子が女性を嫌うのは子供の頃からで、どうも女の子を扱いづらく思っているらしい。


 ロフト王子はベルディア王家の一粒種。

 普通だったら、次期国王に推される立場である。

 当然、今まで、婚約者候補にあがった令嬢方は何人もいた。

 ところが、なかなか婚約にまで漕ぎ着けられる女性がいなかった。



 一人目の婚約者候補だったパール伯爵令嬢の場合ーー。


 ロフト王子から小さな箱をプレゼントしてもらい、喜んで蓋を開けた。

 綺麗な宝石で飾りつけられた装飾品をイメージしたのだろう。

 まぶしいほどの笑顔だったという。


 ところがーー。


「キャアアア!」


 パール伯爵令嬢は悲鳴をあげた。

 箱の中には、羽虫やゲジゲジ、ムカデなどの昆虫がたっぷり詰め込まれていたからだ。


 いやあああ! と金切り声をあげながら、パール嬢は箱ごと虫どもを地面に叩きつけて、思い切り踏んづけた。

 それから、「ああ……」と吐息を漏らして失神してしまった。


 だが、気絶する女性を目の当たりにしながら、ロフト王子はおかしそうに笑うだけ。


「俺のことを乱暴と言う者がいるが、このオンナの方がよほど凶暴ではないか。

 コイツ、生き物を踏み潰したんだぜ。酷いオンナだ」


 相変わらず、王子は相手の驚く反応を楽しむという、自分の趣味を発揮するばかり。

 執事セバスチャンは、肩を落とすのみだった。



 セバスチャンの厳しい躾の甲斐もなく、舞踏会でも、王子は無作法だった。


 二人目の婚約候補になったレベル侯爵令嬢の場合ーー。


「お手をどうぞ」


 と女性のレベル侯爵令嬢の方が申し出ても、ロフト王子は手を出さなかった。

 ソッポを向く。

 そして、呆気に取られるレベル嬢に対して、滔々と自説を開陳した。


「俺はダンスが嫌いだ。

 クルクル回って、危険だ。

 めまいがする。

 足を捻挫しかねない。

 音楽もうるさい。

 とにかく、いろいろと他の事情に合わせるのが気に食わん。

 だから、俺は俺の考えた踊りをおどる。

 おまえも俺に合わせて踊れ」


 ロフト王子は、足を踏み鳴らし、両手を上下させるだけの、奇妙なダンスを始めた。

 しかも、音楽なしで。

 独りで、手足をバタバタさせるだけ。

 しばらく強引に付き合わされてから、レベル嬢は泣きながら舞踏会場から逃げ去った。



 三人目の婚約者候補となったタンパ子爵令嬢の場合ーー。


 会食した際、食前酒を置かれたが、未成年なこともあり、タンパ嬢は、


「私は……」


 と遠慮した。

 実際、彼女はお酒に弱い体質だった。

 でも、王子はそれが気に入らない。


「俺がついでやるんだ。飲め!」


 小さなグラスに甘い酒を、王子が自らの手で注ぐ。

 そうなると、子爵令嬢としては、断ることはできない。

 タンパ嬢は目をつむって、無理に食前酒を飲んだ。

 そして、案の定、彼女は気持ち悪くなる。

 口にハンカチを当てて、席を外そうとする。

 ところが、ロフト王子は過酷なことを命じた。


「王子を前にして、席を立つとは何事か。許さんぞ!」


 タンパ子爵令嬢は青褪めながら身を震わせていたが、ついに吐いてしまった。


 それを見て、王子はゲラゲラと笑った。


「汚ねえなあ!

 人前で吐く女など、俺は初めて見たぞ」


 以来、タンパ子爵令嬢は自室に引き篭もってしまったという。



 ーーこのように、とんでもない振る舞いばかりを繰り返して、婚約に至ることができなかったロフト王子であった。



 ところが、今年になって、王妃様による強引な駆け引き(大量の経済援助)によって、ようやく婚約にまで漕ぎ着けることに成功した。

 その婚約者こそが、美貌の公爵令嬢マリア・グリートであった。


 とはいえ、王子付きの執事セバスチャンは、安心していられない。

 ロフト王子の粗暴さに変わりはないからだ。

 いつ、向こうから婚約を解消するよう願われるか、わからない。


 現に、三日後、マリア公爵令嬢から、改めてロフト王子との面会を打診された。


(これは何かある……)


 セバスチャンはネクタイをキュッと締め直して、気合いを入れる。


(王子が馬鹿なことをする前に、薬草を煎じて、眠らせるか?)


 と本気で思っていたところ、サラ王妃様からの呼び出しがかかったのであった。


◆2


 ベルディア王宮の中庭ーー。


 色鮮やかな草花に囲まれた場所に、小さな小屋がある。

 そのコテージで、サラ王妃が微笑みながら紅茶を愉しんでいた。


 対面の席には誰も座っていない。

 ただ、テーブルの上では、ティーカップから湯気が立っている。

 その傍らで、王子付きの老執事セバスチャンが、気をつけの姿勢で直立していた。


「立ってないで、お座りなさい」


 王妃様が溜息をつきながら言うが、セバスチャンは瞑目したままに答える。


「執事の身で、そのようなことは……」


 面倒臭いわねぇとばかりに、王妃様は少し姿勢を崩した。


「命令です。

 座って、冷めないうちに紅茶を飲んで、感想を聞かせなさい」


 片目を開けて、セバスチャンは立ったまま、カップを手に一口飲んだ。


「ふむ。高級な茶葉を使っておいでだ。トール産ですね。

 でも、ちと味が薄い。もう少し蒸らさないと」


「やっぱり、貴方のようにはいきませんね」


 ニッコリ笑う王妃様を見て、セバスチャンは慌てた。


「ま、まさか、王妃様が自らお淹れに!?

 これは大変、失礼いたしました。ご無礼をお許しください」


「いえ。せっかく教えていただいたのに、なかなか難しいわ」


 かつてセバスチャンは、王妃様の専属執事だった。

 その折に、紅茶の淹れ方や掃除の仕方など、細々としたテクニックを伝授していた。


 慌てる馴染みの老執事の姿を目にして、一息つき、王妃様は話を切り出した。


「それにしても、困ったわ。

 いつまでも私が母親として、王権代理を務めているわけにもいかないのよ。

 一刻も早く、ロフトには一人前になってもらいたいのに……」


 できるだけ早く、息子に王位を継がせたいーーそれがサラ王妃の願いだった。

 そのためにも、ロフト王子と婚約者マリア公爵令嬢との仲を強固なものにしたかった。


 公爵令嬢マリア・グリートは、今、内務大臣を勤める実力派グリート公爵を父に持つ。

 それゆえ、王家としては、グリート公爵家はぜひ取り込みたい勢力だった。


 先代のバッカス王の弟が、虎視眈々と王位を狙っていて、


「サラ王妃が、女性の身で王権代理を務めるのはおかしい。

 すぐにも新王を立てるべきだ。

 しかるに、ロフト王子は未成年であるし、加えて大馬鹿者との評判で、王を継ぐ器ではない。

 だから、王弟であった私がーー」


 と声高に訴えている現状である。


 そうした状況下で、なんとか内務大臣を務める公爵のご令嬢との婚約に漕ぎ着けた。

 内務大臣を味方にできれば、今まで通り、王権代理として現政権を運営できる。

 今の政治体制が安定するか否かは、この王子の婚約の成就如何にかかっていた。


 王妃様は貴族の反発を受けながらも、健気に王国のために尽くしているのが現状だ。

 その足を引っ張るわけにはいかない、とセバスチャンは思っていた。


 老執事セバスチャンは改めて背筋を伸ばす。


「私めが、なんとしても王子を更生して差し上げます」


◆3


 老執事セバスチャンはステッキを手にして、ロフト王子に対する躾を厳しくした。

 逃げ出そうとする王子を先回りしては、ステッキで打ち据えた。


「背筋を伸ばしなさい!」


「食事中に咀嚼音を立ててはいけません。

 テーブルに肘を突くなど言語道断!」


「ダンスでは、ご令嬢を上手にエスコートなさい!」


「パーティーでは、常に優雅に振る舞うのですよ!」


「男子たるもの、筋トレも欠かしてはなりません!」


 セバスチャンは意気込んで、ビシビシ指導した。

 が、王子に幾度も逃げられた。

 そのたびに、侍女が詫びる。


「トイレに行った隙に……」等々。


 セバスチャンは、もう怒る気力も湧かなかった。


(こんな調子で、大丈夫だろうか……)


 と案ずるばかりだった。



 そして、婚約者マリア公爵令嬢との会食の日ーー。


 せめて身だしなみぐらいは整えたい、とセバスチャンは奮闘した。

 鏡台を前にして、侍女とタッグを組んで、ロフト王子の太めの眉を整える。

 朝から王子を風呂入らせて、体毛を剃り、お肌の手入れを入念に行なう。

 朝食後は、当然、王子の歯を磨くーー。


「女性は不潔なのと同じく、粗暴な振る舞いも嫌います。

 絶えず相手の目をしっかりと見詰めて、微笑みながらお話しください」


 クドクドと説教されるのに耐えられなかったのだろう。


「もうヤダ!」


 とロフト王子は叫ぶやいなや、ハサミを侍女から奪い、勝手に前髪を切ってしまった。


「なんてことを!」


 せっかく王都一の美容師に頼んで、令嬢方に好まれる髪型にセットしてもらったのに!


 セバスチャンは感情的になって、王子からハサミを奪おうとする。

 それを阻止すべく、王子はハサミを抱え込む。

 そんな王子に、セバスチャンは体当たりをかました。


 ハサミを取り合って、ふたりはもつれるようにして倒れた。


 そのときーー。


 いきなりふたりの身体を、青白い光が包み込んだ。


 セバスチャンは驚いて、我に返った。


(こ、これは……魔法行使の痕跡!?)


 セバスチャンは魔法には詳しくない。

 が、王宮勤めの魔法使いに知り合いがいるので、何度か魔法を使う場面を見せてもらっている。

 そんなとき、決まってこうした光が、魔法をかけた対象を包み込んでいた。


 セバスチャンは、即座に身を起こし、周囲を見回す。

 この王子の私室で、今、自分と一緒になってロフト王子の身だしなみを整えようと奮闘していたのは、ふたりの侍女がいるのみ。

 ほかにこの部屋には、セバスチャンとロフト王子しかいない。


 まさか、侍女のどちらかが魔法を使ったのか?

 でも、彼女たちは身を退いて、部屋の隅で震えているだけだ。

 男性ふたりが揉み合うさまも見たくないとばかりに、目をつむっている。


(だったら、まさか王子が魔法をーー)


 そう思って、目の前に、覆いかぶさる人物に目を遣った途端、思わず息を飲んだ。


(こ、これは私の顔??)


 髭を整えるときに鏡で覗く、見慣れた自分の顔が、そこにあった。

 今、自分の手には、しっかりとハサミが握られている。

 セバスチャンは立ち上がって、鏡台の前に身を乗り出す。


 そうしたらーー。


 間違いない。

 鏡で身を寄せて覗き込んでいたのは、ロフト王子の顔だった。

 そう。

 誰による魔法かわからないが、私、老執事セバスチャンと、ロフト王子の身体が入れ替わったのだ。


 驚いて鏡台にしがみつくセバスチャンを、後ろから王子が蹴り上げて叫ぶ。


「執事のくせに、コイツは王子の俺を殺そうとした。

 摘み出せ。死刑だ!」


 憤慨したロフト王子は、事態の変化に気が回らないようだった。

 なんと杜撰な神経だ。

 セバスチャンは違う。

 いきなり初老の身体から、溌剌とした若い、十代半ばの身体に入れ替わったことが、よくわかっていた。

 手足をグルグルと機敏に回すだけでも、実感できる。


(そうだ。今は私がロフト王子なのだ!

 ーーとすれば、これは王家をお守りする好機!)


 セバスチャンは咄嗟に機転を効かせた。


「王子、これをお飲みください」


 振り向きざまにそう言って、ついさっきまで自分が着ていた服のポケットから小瓶を取り出し、キョトンとしている王子(外見はセバスチャンの顔)の口に強引に含ませる。

 目の前で、初老の男の顔がトロンとして、やがてイビキをかきはじめた。


(念のために、睡眠作用のあるポーションを用意しておいて良かった……)


 王子がどうしようもない失態を演じたら、即座に飲ませようと思って、懐に忍ばせていたのだ。


 かくして、今は執事セバスチャンとなったロフト王子を、眠らせることに成功した。


 それからセバスチャンは居住まいを糺して、部屋の外に向けて「衛兵!」と声をあげた。

 廊下で待機していた若い衛兵が、ドッと入り込む。


執事(セバスチャン)は疲れておるようだ。控え室で休ませるように」


「は、はい!」


 ロフト王子らしからぬ気遣いに驚きながらも、侍女と協力しながら、衛兵が、執事となった王子を外へと運び出して行く。

 それを見届けてから、改めて私、セバスチャンは鏡台の前に座った。


 ハサミや化粧筆、ローションなどを並べて、身だしなみのやり直しだ。

 今や若くなった頬をパンと叩いて、気合いを入れた。


(よし! 必ず私が、婚約者マリア嬢のお心を繋ぎ止めてみせる!)


◆4


 そして、昼下がりーー。


 王宮中庭にあるコテージで、若い婚約者同士が顔を突き合わせていた。


 ロフト王子と、マリア公爵令嬢である。


 ロフト王子が、珍しくニッコリと微笑みを浮かべていた。

 前髪を短く刈りそろえ、肌も白く、唇もうっすらと赤みがかっている。

 薄く化粧を施し、入念に手入れした顔をしていた。


 それを見て、マリア公爵令嬢は、


(今日に限って、どうしてーーいつ会っても、王子はボサボサ頭で、肌荒れも酷く、おまけに不機嫌な面構えをしていたのに……)


 と、気持ち悪いものでも見たかのように、身を強張らせる。


 そして、そうした彼女の様子を見て取って、ロフト王子ーーいや、セバスチャンは内心で焦っていた。


(これはマズい……完全に、愛想をつかせている表情だ。

 今まで、何したんだよ、ロフト王子は……)



 実際、マリア公爵令嬢は、今日、王子に婚約解消をお願いするつもりだった。


(お父様に請われて、婚約させられましたけど、もう限界……)



 ロフト王子とは、何度か顔を合わせている。

 が、そのたびに彼女は失望していた。

 こんな彼氏、ないわーーと。


 雨が降ってきても、自分だけ傘をさして、中に入れてくれない。

 馬車が通る車道の側を、女性である私に歩かせる。

 会食した際にも、ふんぞり返っているだけで、


「俺の好きな食べ物を、なぜ注文してくれない!?」


 と文句をつけてくる。


 問題なのは、そうした態度もみな、悪気があってのことではなさそう、ということだ。

 悪意はもちろん、オトコによくありがちな女性蔑視も感じない。

 ただ単に、この王子様は、ワガママ、自分勝手な性分なのだ。

 他人を慮ることがない人間に仕上がってしまっている。

 だからタチが悪い。


(このまま付き合っても、苦労する。私が傷付くだけ。

 だったら、早いうちにお断りしないと……!)


 マリア嬢は、スカートをギュッと握り締めて、意を決し、顔を上げた。


「今日は、お話があって来ました」



(やはり、婚約解消を申し渡しに来たのですね!)


 それと察したセバスチャンは、そうはさせまいと、即座に行動した。


 やおら席を立つと、マリア嬢の前で片膝立ちとなった。

 そして、まっすぐ彼女の顔を見て、懐から小箱を差し出し、パカッと蓋を開けた。


「僕が行なった、今までの失礼な態度を、お許しください。

 お詫びの印に、このネックレスをお納めください。

 貴女の好きなマーガレットをあしらいました」


 マリア嬢は驚いて、差し出された宝飾品に目を凝らした。

 たしかに、自分が好きな花のデザインをした宝石が、中央で輝くネックレスだった。


「お付けいたします。お立ちください」


 マリアの手を取り、ゆっくりと席を立たせる。

 そして、そっと後ろに回り、慣れた手つきでネックレスをマリアの首に回した。

 王子様が、彼女の耳元でささやく。


「お綺麗ですよ、マリア様。

 このネックレスも幸せものだ。

 貴女の身を飾る光栄に浴したのですから」


 いまだかつて、誰からも言われたことのない、浮いたセリフを耳にして、マリアは顔を真っ赤にする。

 そんな彼女に柔らかく微笑みながら、王子は改めて彼女の手を取って、ゆっくり歩く。


「少し庭園を散歩しましょう。

 ここは王宮の中庭ですので、私のような王家の者しか目にしていない珍しい花々がたくさんございます。

 殊の外、お花を愛していらっしゃるマリア様にも見ていただかないと、勿体無く思っておりました」


 マリア嬢は頬に熱を感じながら、フワフワした気持ちで、周囲に咲き乱れる花々を眺めた。

 たしかに、珍しい、見たこともない草花が多かった。

 明らかに外来種が多かったが、それだけではないようだ。


 マリア嬢は、庭園から一本の花を摘んだ。

 花びらひとつひとつで色を違えた、紫と白、そしてピンクの色をした薔薇だった。


「こんな薔薇、見たことがありません。

 なんて綺麗なんでしょう」


「最近、開発された、新種の薔薇です。

 じつは僕、この花を育てた研究者と懇意にしておりましてね。

 マリア様がお喜びになっておられたと知ると、彼も喜ぶでしょう。

 ーーああ、そうでした。

 この薔薇の名前が、まだ決まっておりません。

 僕が提案して、貴女の名前をつけさせましょう」


「そんな……私はこの薔薇を一本いただくだけで十分です」


 王子は、マリア嬢から薔薇の花を受け取り、彼女の髪に挿す。

 恥ずかしくなって、マリアは目を伏せる。


 それからしばらく、王宮庭園内をふたりで散策した。


 やがて、マリア嬢の足取りが重くなった。

 ヒラヒラのドレスに、ハイヒールで歩き続けたのだ。

 おまけに、彼女は頭痛持ちで、身体の冷えやすい体質だ。

 疲れて当然だった。


 だが、老執事セバスチャンに、彼女の体調の変化が見抜けぬはずがなかった。

 マリア嬢の手を引きながら、白い花が咲き乱れる小道へと誘導する。

 

「お疲れでしょう。あちらでお休みください。

 素晴らしい景色ですよ」


 青い水を湛えた池を真正面から眺められる位置に、日傘をさしたベンチがあった。

 そのベンチにふたりで腰掛けると、王子はパチンと指を鳴らした。


「軽食の用意もさせております」


 王子の合図を受け、今までおやつを用意していた侍女たちが身を退く。

 ベンチの脇には小さなテーブルがあって、その上には、マリア嬢の好物、クランベリーパイがあり、ミントティーが湯気を立てていた。


 マリア嬢は口に手を当てた。


「手回しが良すぎて、恐ろしいほどですわ」


 王子は相変わらず、まっすぐマリア嬢を見詰めながら微笑んでいる。


「いや、お恥ずかしい。

 マリア様との逢瀬を楽しみにしておりましたので、いささか張り切ってしまいまして。

 いろいろと計画するのも楽しいものです。

 マリア様はどうです?

 最近は、いかがお過ごしですか?」


「そうですね。

 殿下との婚約以降、新たに家庭教師が三人もつけられまして。

 礼儀作法がうるさくなって困ります」


 マリアはパイを口にしながら、ちょっと頬を膨らます。

 王子は大袈裟に嘆息して、首を振った。


「困ったものです。

 マリア様に礼儀作法なんて不要だということが、お父上の公爵閣下はご存知ない。

 貴女がおられるだけで、花が咲いたようになりますのに。

 礼儀作法なんか、適当に済ますだけで十分です。

 体裁などは、僕が整えてみせますよ」


 王子はしっかりとマリアの手を握り締めて断言する。

 彼女の方も、金髪碧眼の王子様をまっすぐ見詰めつつ、顔を赤らめた。


「ロフト殿下ーー失礼な言いようですけど、ほんとうに以前とは別人のよう……」


「いえ、ほんとうに以前とは別人になったのです。

 僕は、貴女にお逢いして、生まれ変わりました」


 王子は片膝立ちになって、マリア嬢の手にキスをする。

 そして、キラキラとした瞳で問いかけた。


「ところで、マリア様。

 なにか、僕におっしゃりたいことがおありとか?」


「いいえ。ございませんわ。今では……」


 公爵令嬢マリア・グリートは、婚約解消を願い出るつもりだったのを忘れて、目の前にいる王子様にすっかり惚れ込んでいた。


◆5


 その日の夕方、同じベルディア王宮の中庭にてーー。


 彩り豊かな植物に囲まれたコテージで、王妃と王子が向かい合って座り、紅茶を愉しんでいた。

 ロフト王子が、母親であるサラ王妃に、マリア公爵令嬢との婚約継続の報告をしたのである。


 サラ王妃は大きく安堵の吐息を漏らすとともに、非常に喜び、身を乗り出す。


「ロフト。貴方、変わったわね。何かあったの?」


「いえ……」


「セバスチャンの教えがようやく行き届いたみたいね。

 振る舞いが彼にそっくりだわ」


「……」


 入れ替わったことを王妃様に言うべきか否か、ロフト王子の中にいるセバスチャンの魂は、ずっと悩んでいた。

 が、この会話を交わした瞬間、悩むのをやめた。

 目の前で王妃様が、涙を浮かべて喜んでいたからだ。

 これほどの喜色満面な様子を、今まで見たことがなかった。


 王妃様は立ち上がって微笑みかけ、王子をハグする。


「ロフト。貴方とこうして喜びを分かち合える日が来るとは思わなかった。ありがとう」


 セバスチャンの魂は震えるほど感動していた。

 執事として長らく王家に仕えてきたが、今日ほど成果に自信が持てたことはなかった。

 少なくともしばらくは、王子と入れ替わったことを誰にも言わないで、黙っていようと心に決めた。



 セバスチャンはロフト王子として振る舞い続け、そのまま王子の私室に入ると、居並ぶ衛兵や侍女に問うた。


「老執事セバスチャンは何処に?」と。


 彼にしてみれば、ほんとうのロフト王子の居場所を尋ねたのである。


 ところが、セバスチャンの身体ーーつまり、ロフト王子が行方不明になっていた。


「いつの間にか、居なくなった、だと?

 まさか、王宮の外へ出たのか?」


 思わず、詰問する口調になってしまった。


「わかりません」


 と、申し訳なさそうに、衛兵は答える。

 侍女たちも悲しげな様子で、今にも泣き出しそうだった。

 王宮に仕える先輩執事として、セバスチャンは彼ら彼女らにも、丁寧に接してきたつもりである。

 だから、自分の身を案じてくれているようで、少し嬉しかった。

 だが、アレは、身体はセバスチャンだが、心はあのロフト王子なのだ。


(ま、このままで良いか……)


 執事姿の王子は行方不明ーーということで、当座はやりすごそう、とセバスチャンは決めた。


 結果、初老だったセバスチャンは、若い王子の身体を得て、満足感を味わいつつ、ベッドの中に潜り込んだ。

 そして、翌朝になって、さらに喜びを噛み締めることになった。

 夜中にトイレで起きることもなく、夜明け前に目が冴えてしまうこともなく、しっかり朝まで爆睡できたからだ。


 大いに伸びをして、セバスチャンは思った。


(これは、二度目の人生を得たようなものだ。

 しかも、今度の人生は、次期国王と見なされる地位にあって、母親はサラ王妃様!

 これを喜ばれずにいられようか!

 今まで培った知識と経験を駆使して、立派に王国を盛り立ててみせる)


 若い王子となった老執事は、改めて強く拳を握り締めるのであった。


◇◇◇


 そして、一週間後ーー。


 ロフト王子の突然の豹変が、国中の話題にまでなっていた。


 かといって、すぐにマリア公爵令嬢と結婚、ロフトの新王即位とはならなかった。

 なぜなら、「私こそが王子様の婚約者に相応しい」と名乗り出る令嬢が後を絶たなくなって、ロフト王子は、なかなか結婚できなくなってしまったからだ。


 数多くの令嬢方から、悩み相談や、デートのお誘い、ダンスパーティーでのお相手などをしているうちに、マリア公爵令嬢とは婚約からなかなか発展できなくなってしまった。

 じつは老執事が、王子の若い身体に喜びを見出して、少し羽目を外してしまったのがいけなかったのだが。


 さらに、初めて王宮から抜け出して自由を得た王子(身体は老執事)が、王都の街中で、様々な事件を起こすことになるのだがーーそれらは後の話である。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

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『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

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『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

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『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

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『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

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