2-6.
「だから、RTAは誰でも一位になれるんだよ」
丁寧に、わかりやすく、ところどころ熱くなって、早口になりながらも、俺に『RTA』の解説をし終えた大道の顔はどこか誇らしげだった。
そのほとんどは、今日の昼休みに翔太と圭介が仕入れた情報と、大斗が教えてくれた内容に沿っていたのだけれど、俺はまるで初めて聞きましたって顔をしてうなずいた。
「あー……つまり、自分でルールも決められるし、ゲームだってなんでもいいってこと?」
大道に教わったばかりの知識を整理する。大道は「うん!」と幼稚園児くらい威勢のよい返事をくれた。
なるほど。誰でも一位になれる、と大斗が言った意味がわかった。
この十七年間ずっと崇高な重石として俺の中に鎮座していた『一位』が、あっという間に砂塵へ変化したみたいだった。
体が軽くなったような気がして、俺はその奇妙な心地よさに苦笑する。
正直、心情は複雑だ。ずっとこだわってきたものが、必死に隠し続けてきたコンプレックスが、こんなにもあっけなく瓦解するなんて思ってもみなかったし。今まで聖域だと思っていた場所が、実は百均とかコンビニとかそんなレベルなんですって言われたときのがっかり感みたいなものもある。けれど、裏腹に、それじゃあ俺にだってチャンスはあるって期待も抱けば、いや、それでも無理なもんは無理じゃねって疑う気持ちだってたしかに存在はしているわけで。
「新野くん?」
大道が不思議そうにこちらを覗き込み、俺は我に返った。
「ああ、いや……なんでもない」
一位になりたくて、必死になって生きてきて、それでも俺はダメだったから。なんて、さすがに言えるわけがなかった。
たとえ、自分を取り繕う必要がないとしても、プライドまでは簡単に捨てられない。
一位になりたい。ただそれだけのためにRTAをやりたいか、というのも微妙だ。興味がないわけではないけれど、いまいちピンとこない。
だから、俺はただ純粋に驚いたって顔を装った。
「ほんとに、なんでもありなんだな。あ、疑ってるとかじゃねぇけど」
「うん、不思議だよね。あっ、さっきやってたゲーム! あれも、RTAあるんだよ! 最近流行ってて! ステージ10までを何分でクリアするか、とか、肉球を何個集めるか、とか、そういうルールが色々あって……」
大道が全身を使って説明するたび、ホウキがカツカツと床にぶつかる。
「ホウキ、置けば?」
「あっ……えっと……」
大道は一瞬にして不安そうな表情になった。あたふたと周りを見回して、おそるおそるホウキを掃除用具入れへと戻す姿に思わず笑ってしまう。
さっきまで、あんなに楽しそうにしゃべっていて、今頃サボることを気にするなんて。ほんと、変なやつだ。
「誰も見てねぇよ。っていうか、サボったところでわかんねぇし」
「う、うん……。で、でも、僕、その……サボるとか、初めてで……え、えへへ、なんか、ちょっと変な感じだね」
「真面目かよ」
ソワソワと落ち着かない大道に向かって、俺は自分の隣に置かれた椅子を差し出す。大道はやはり落ち着かない様子で、しかし、控えめに椅子へ腰かけた。ゲームだったら、チョコンって、そんな音がなりそうな感じ。
まさか、大道と向かい合って座る日が来るとは。
本棚に囲まれた放課後の教室。潮風の匂い。揺れるカーテンと、大道のまっすぐな瞳と。
その空間に居心地のよさを感じ始めているなんて、俺もほんと、変かもしれない。
楽しそうに話す大道の姿に、憧れと興味が湧いているなんて、変に決まっている。
「……あのさ」
「うん」
「さっき、猫のゲームもRTAあるって言っただろ? どんな感じか見せてくんね?」
「えっ⁉」
「大斗から招待コード送れって言われててさ。多分あいつ、そろそろバイト休憩だし」
「え⁉ で、でも、これ、新野くんのゲームじゃ」
「せかされんのウザいじゃん。招待コードが送れるようになるまででいいから」
俺は強引にスマホを手渡す。大道は押しに弱いのか、困った顔をしながらも、渋々スマホを受け取った。
「ほんとに、やるの? ぼ、僕、これ全然RTAとか練習してないし……」
「いいって。別に世界一位になれって言ってるわけじゃねぇじゃん」
どんなもんか見たいだけ、と念を押す。大道は眉根を寄せつつ、スマホを握りなおした。
そうだ、これでいい。大道のプロゲーマーみたいな腕前を見れば、やっぱり俺には無理だって諦めがつく。変な期待を抱かなくていい。元の俺に戻れるかもしれない。
こいつは、世界一位の男なんだから、これくらい。
俺が見つめていると、大道がスマホを操作し始めた。猫が「ニャー」と鳴く。どうやら始まったらしい。
大道の指先を見つめること数秒。俺の口からは、
「は?」
と声が漏れた。
とても想像していたものとは違う、ゆったりとした……いや、正直に言えばどこかもたついた動きは、とても世界一位になったゲーマーとは思えない。
「いや、お前、真剣にやれって」
「や、やってるよ……で、でも、意外と難しくて。動画では結構見てたんだけど……」
大道は道に沿って指をスワイプさせたり、時折猫を軽くタップしたりしている。なんなら、関係のない草をタップして、ガサガサと草が揺れるだけのモーションを見せられた。
「……マジ?」
「い、今のは裏技って言うか、いいタイミングでやったら、ここから一気にゴールまでいけるバグがあって……」
「いやいやいや、っていうか、お前、世界一位じゃねぇの?」
「そ、それはきらメモだから! こっちは全然、ジャンルも違うし……」
大道は必死にスマホと格闘を続ける。体を傾けたり、背中を伸ばしたり、ときにスマホを高く掲げたり。
そして、何度目かの草むら。大道は再びそれをガサリと揺らし――
「「あっ」」
二人の声が重なる。
大道の指先から小さな光が生まれた。
「まじかよ」
脊髄反射みたいに感嘆だけが漏れ落ちた。
ゲームクリア! その文字がデカデカと画面いっぱいに浮かびあがる。
「バグ技! でたよ! でた! ね、新野くん、見た? これ、これだよ!」
あっけない、一般人の俺にはなにが起こったのかもよくわからない挙動に、大道が目をキラキラとさせて笑う。全然意味不明。でも、なんかすごいことが起こったんだってことだけはわかって、気づけば俺もつられて笑っていた。
それからも、まるで猫と一緒に森の中を駆け抜けているかのように、大道は動いて、歩いて、走った。苦戦しながらも、少しずつ、着実に。
そんな珍獣に、俺の中には新たな疑問と小さなの期待がいくつも芽吹く。
一位ってなんだよ。っていうか、お前でこれなら、誰でも一位になれるってどういう意味だよ。世界一位って嘘じゃねぇよな? ってか、俺より下手じゃね?
これなら、俺でもできるんじゃね?
しかし、それらの疑問に答えてくれる唯一の相手はすでにゲームの世界に囚われている。
ときどき垣間見える大道の笑顔が俺への答えであることは明白だった。